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新聞・テレビよ、少しは週刊誌に敬意を払いなさい〜舛添問題を自分の手柄のように報じるメディアへの違和感
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48877
2016年06月10日(金) 牧野 洋 現代ビジネス
■朝・毎・産は1面で文春に言及、日経は完全無視
週刊誌が調査報道のスクープを放つと、新聞やテレビなど主要メディアは「一部週刊誌によると」などとして追い掛ける。「一部週刊誌によると」はまだいいほうで、「〜ということが分かった」と伝えるだけで、あたかも自社の特ダネのように扱う。
これが長い間日本の報道界で続いてきた悪しき慣行である。報道倫理が高い欧米ではまず見られない日本独特の慣行でもある。だが、状況は徐々に改善しつつあるのかもしれない。他社のスクープであるという事実を明示するケースも目立つようになってきたのだ。
直近では舛添要一都知事の政治資金疑惑などをめぐる報道だ。疑惑が明らかになったきっかけを聞かれれば、週刊文春のスクープと言い当てる人は多いのではないか。
私が非常勤講師を務める早稲田大学大学院ジャーナリズムスクールでもそうだった。7日の講義で「きっかけは何か?」と聞いたところ、8人の院生の多くはすぐに「週刊文春のスクープ」と答えた。
それもそのはず、週刊文春は年明け以降、大型スクープを連発しており、舛添知事問題でも5月5日・12日合併号から毎号連続で特集を組んでいる。それだけではない。追い掛ける全国紙など主要メディアの多くも、報道の際には「週刊文春が報じた」などと言及している。これが「週刊文春のスクープ」を一般に認知させるのに一役買っている可能性もある。
5月11日以降の新聞報道を点検してみた。この日、週刊文春が第2弾特集「舛添都知事 血税タカリの履歴」を載せた5月19日号を発売し、それを契機に主要メディアによる報道合戦が過熱し始めたからだ。すると、同月末までの期間で全国紙5紙のうち日経以外の4紙が記事中で週刊文春に触れていることが分かった。
具体的には、週刊文春へ言及した記事数は朝日5本、毎日4本、産経3本、読売2本だった。このうち朝日、毎日、産経の3紙では1面での言及も確認できた。誌名は書かずに単に「週刊誌」と言及する記事は朝日、毎日、読売で1本ずつ。日経紙面上では週刊文春はおろか「週刊誌」という言葉も見当たらなかった。
■数年前まで他社スクープの無視は当たり前
舛添知事の政治資金疑惑などに絡んだ記事本数全体と比べれば週刊文春への言及は少ない。5月11日から同月末までに5紙合計で全体の記事本数は200本を超える。それでも数年前と比べれば大きな変化といえる。
例えば2011年に表面化したオリンパス事件。月刊誌FACTAが同社の巨額損失をスクープすると、全国紙5紙は当初FACTAの報道そのものを無視するか、単に「月刊誌」と言及するに終始した。FACTAのスクープであると明記していた欧米メディアとは対照的だった。
2014年7月には兵庫県の「号泣県議」野々村竜太郎氏が全国的な注目を集めた。不透明な政務活動費を指摘した地元紙の神戸新聞のスクープが発端だ。だが、全国紙5紙は後追い記事の中で申し合わせたように「〜ということが分かった」と書くだけだった。
同年10月には、当時の小渕優子経産相が政治資金問題を指摘されて辞任に追い込まれた。引き金は週刊新潮のスクープ。ここでは変化があった。全国紙5紙のうち読売を除く4紙は主に初報段階に限り、週刊新潮のスクープであると明示していたのだ。
オリンパスの巨額損失、「号泣県議」の政務活動費、小渕経産相の政治資金問題――。これらについても早稲田の大学院生に「どのメディアのスクープか?」と聞いてみた。すると、誰も正解を言えなかった。スクープの後追いを隠す慣行が影響したのだろうか。
■当初は独自ネタとして報じた朝日、読売、日経
実は、今回の舛添都知事をめぐる報道でも当初は後追いを隠す慣行は残っていた。
週刊文春は5月5日・12日合併号で第1弾特集「告発スクープ 舛添知事」を放ち、高額な海外出張や公用車での別荘通いを暴いた。これを追い掛けた朝日、読売、日経3紙の対応はとても褒められたものではなかったのだ(毎日は初報で、産経はコラムで週刊文春のスクープに触れた)。
合併号が4月27日に発売となると、3紙はそろって週刊文集のスクープであるという事実を伏せて追い掛けた。朝日と読売は記事中では「一部週刊誌によると」や「週刊誌が報じた」とさえも書かなかった。つまり、あたかも自社の独自ネタであるかのように報じたのである。
次は、同月28日付の朝日朝刊の冒頭からの引用だ。
〈 東京都の舛添要一知事が昨年5月からほぼ毎週末、神奈川県湯河原町の別荘と都庁などの公務先を運転手つきの公用車で行き来していたことがわかった。都が27日、明らかにした。舛添氏は「ルールに従ってやっている。全く問題はない」と述べた。〉
これを読むと「都がなぜ朝日に対して明らかにしたのだろうか」という疑問が湧いてきてもおかしくない。都が自主的に知事の疑惑を明らかにするはずがないからだ。朝日が公用車での別荘通いという事実をつかみ、都にぶつけたことで明らかになったニュース――このように解釈する読者もいるのではないか。
読売と日経は2週間近くにわたってスクープを無視していた。すでに舛添知事に対する批判が世の中に渦巻き始めていたというのに、何も起きていないかのような紙面を作り続けていたわけだ。
「読者にとって重要なニュースであっても、自社で発掘したニュースでなければ記事にしなくてもいい」と考えているのだとしたら、読者のニーズよりも内輪の論理を優先していると言われても仕方がないだろう。
読売は5月9日付朝刊で、「舛添都知事 集まる批判」と題した記事を載せ、冒頭で次のように伝えている。
〈 東京都の舛添要一知事の海外出張費や週末の別荘滞在が波紋を呼んでいる。都には2か月間に、電話やメールで計約4600件の意見が寄せられ、大半が批判的な声という。〉
読者にしてみれば、何が原因で海外出張費や別荘滞在が波紋を呼んでいるのか知りたいところだろう。記事を読む限りでは、読者は何の手掛かりも得られない。
日経は翌日の10日付朝刊で初めて追い掛けた。舛添知事が前夜のテレビ番組で公用車での別荘通いについて語ったことを取り上げ、記事中で「舛添知事の公用車の使用などを巡っては週刊誌報道などをきっかけに批判する声が出ていた」と指摘している。
■調査報道スクープを放つ週刊誌に新聞が敬意払う?
以前にも当コラムで書いたが(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41077)、スクープの後追いを書く場合にどんな形態があるのかをおさらいしておこう。ライバルのA社に抜かれた場合を想定して「5形態」に分類してみると、以下のようになる。
【第1形態】
ウラを取れなくても自社スクープであるかのように報じる。A社のスクープが誤報である場合、道連れにされる。
【第2形態】
ウラを取るまでたとえ大ニュースであっても何も報じない。ウラを取ったら自社ニュースとして報じる(自社のスクープであるかのように報じる場合もある)。
【第3形態】
ウラを取るまでA社のスクープを引用して報じる(転電)。転電では「一部報道によると〜」などとA社名を伏せる。ウラを取ったら自社ニュースとして報じる。
【第4形態】
ウラを取るまでA社のスクープを引用して報じる(転電)。転電ではA社名を明記する。ウラを取ったら自社ニュースとして報じる。
【第5形態】
ウラを取るまでA社のスクープを引用して報じる(転電)。転電ではA社名を明記する。ウラを取ったら自社ニュースとして報じつつも、A社のスクープであるという事実に触れる。
舛添知事をめぐる報道では当初は第2形態と第3形態が横行し、週刊文集が第2弾のスクープを放って世間の関心が一段と高まってからは第4形態と第5形態が見られるようになった。言うまでもなく、報道倫理が一番低いのが第1形態で、一番高いのが第5形態。欧米報道界の標準は第5形態だ。
最近、調査報道のスクープを放つメディアとしては新聞よりも週刊文春を筆頭にした週刊誌が元気だ。そんな週刊誌に対して新聞が敬意を払うようになってきたのだろうか。
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