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2017年1月17日 高杉 良
元日経エース記者の著書『バブル』に高杉良氏が抱いた違和感 具体性を欠く「構造改革」 無責任メディア
元日本経済新聞社の証券部エース記者で編集委員も務めた永野健二氏が著したノンフィクション『バブル・日本迷走の原点』(新潮社)が話題を呼んでいる。もはや30年前になろうとする1980年代から90年代前半のバブル経済の実相を、その当時最前線で取材していた永野氏が生々しく伝えている。しかし、経済小説、ビジネスマン小説の巨匠として知られ、バブル時代をテーマにした作品も数多く手がける作家の高杉良氏は、この『バブル』が描く論調に違和感を禁じ得ないという。高杉氏の緊急・特別寄稿をお届けする。
たかすぎ・りょう/1939年生まれ。出光興産をモデルにした『虚構の城』でデビュー。綿密な取材に基づき、リアリズムを追求した重厚な作品で経済小説の新境地を開く。『小説 日本興業銀行』『青年社長』『腐食生保』ほか著書多数。
Photo by Yoshihisa Wada
元日本経済新聞社のエース記者・永野健二氏のベストセラー『バブル・日本迷走の原点』は、我が国が“失われた20年”に陥った原因とされる1980年代から90年代前半の“バブル経済”の深層に迫ったノンフィクション作品だ。政治家・官僚・財界のエスタブリッシュ・トライアングルやバブル紳士と言われた新興不動産会社の経営者たちを実名で記すことで、最後には日本全体を巻き込むに至ったバブルの熱狂を生々しく再現している。
日本経済新聞社(日経)というインサイダー情報が集積する組織に属し、財界総理とも言われる日経連(現在の経団連)会長を父に持つサラブレッドにして自身も証券部のエース記者として名を馳せた著者ならではの、アングラ情報を散りばめたストーリー構成は読者を唸らせるものがある。読み応え十分と言っても過言にはならないだろう。
しかし、全編を通じて違和感を拭えないことも厳然とした事実だ。官僚の中の官僚と言われた大蔵省、通貨の番人たる日銀、そして銀行界、更には金融界のエスタブリッシュメントとして君臨した日本興業銀行(興銀)が、自らの支配する旧態依然とした制度を堅持せんとしたことがバブルの最大の要因とする著者の論調は、極めて大衆受けするものだ。著者本人も認めているように、銀行の下の地位に見られていた野村證券を筆頭とする証券会社を、既存秩序の改革者として肯定的に描いていることも、身贔屓ではあるものの許容範囲といえる。
それでは何が一番の違和感かといえば、自身が“社会の木鐸”として検証機能を果たすべき大手新聞社、その中でも財界の中枢に最も近い位置にいる日経に所属していながら、その本来果たすべき役割を全く実践することなく、むしろバブルを煽る役割を担ったことに対する懺悔が皆無であることだ。
日経ほど自家撞着に
長けた会社は他にない
およそ30年前まで遡り、バブル経済の深層に迫ったノンフィクション『バブル・日本迷走の原点』だが、作家・高杉良氏は読後、違和感を覚えたという
バブル期を象徴する事件として『リクルート事件』を挙げておきながらも、リクルート子会社の未公開株を受け取った政官財のエリートに連座した当時日経社長の森田康について一切触れていない。森田社長の辞任後、日経が本来社長の器にはない鶴田卓彦を社長にいただくはめになり、日本経済と歩調を合わせるかの如く迷走したことを忘れたとは言わせない。
そもそも日経という組織は、スキャンダルを起こした企業の経営者には極めて厳しいが、自らはコーポレートガバナンスから最も遠いところにいる。“株式の持ち合い”を経営チェック機能の空洞化と批判しながら、日経は従業員持ち株会に参加した従業員に一株百円で購入させ、退職時や死亡時には同額で持ち株会が買い戻すという、同族経営の零細企業のようなことを延々と続けている。
また、競争による消費者メリットの追求を主張しながら、自らの商品である新聞については、独禁法の例外として値引き販売を不可とする再販制度の上に胡坐をかいている。新聞が再販制度を維持する必要性の主張や購読料引き上げ時の正当性の主張など、新聞紙面を一面使って辟易とするような理論を展開する。日経ほど自家撞着に長けた会社は他にないのではないか。その組織にどっぷりと漬かった著者もまた、自家撞着そのものである。
本書では、証券部記者としてこの斯界に精通した立場から、証券界、特にそのガリバー企業たる野村證券に天皇として君臨した田淵節也氏を改革者として持ち上げている。本書にも触れている通り、91年8月29日に田淵節也当時野村證券会長は、衆議院の証券・金融問題の特別委員会で証人喚問を受けている。東急電鉄株をめぐる稲川会会長への便宜供与と法人顧客に対する損失補てん問題についての喚問だ。この証人喚問を指南する役割を著者が担っていたという事実は、本書のどこにも触れていない。つまり、著者と田淵元会長は昵懇の間柄ということだ。
本書は著者の個人的な付き合いの濃淡、もう少し分かりやすく言えば好き嫌いがベースになっているということだ。自分の廻りにいる親しい人たちは、皆バブル後の“失われた20年”という悲惨な末路を想像し、改革に微力を尽くしたが、大蔵、日銀、興銀、銀行界という時の支配階級の守旧層に立ちはだかれ、志半ばで力尽きたという。これもまた極めて大衆受けしそうな論理構成だが、私には当時のバブルを誰かの責任とすること自体に、強い抵抗がある。
後講釈で「あの時こうしておけば」的なことはよく言われるが、まさに結果を見て後悔しているだけであって、上がった株を見て「買っておけばよかった」というのと何ら変わりない。勿論、当時の大蔵にしろ、日銀にしろ、興銀にしろ、組織防衛の意識が働いていなかったと言うつもりはない。そのような組織防衛が働くことも含めて歴史は作られ、動くのではないか。組織防衛の専売特許といえる日経のエース記者が、どうしてそのようなことを言えるのかと思う。
随所に見受けられる
独りよがりの後講釈
本書への更なる違和感を指摘するとすれば、後講釈にも独りよがりの点が多いことだ。例えば、興銀には大蔵省証券局長の慧眼で投資銀行に転換するチャンスがあったという。長信銀という形態が歴史的な使命を終えていたという事実はあるにしろ、産業界のあらゆるところにメインバンク、準メインバンクという立場で根を張っていた当時の興銀が、銀行の立場を捨てて証券会社に転換することなど、無い物ねだりにもほどがある。それにもかかわらず、エリート興銀マンは下に見ていた証券会社になることを受け入れられなかったかのような解釈をする。
私は、著書の参考文献にも挙げられている「小説日本興業銀行」の著者として数えきれないほどの興銀マンにインタビューしてきた。OBから現役の若手まで様々な人間と会話をしたが、バブル前後の興銀マンには共通して近い将来の興銀のあり方について危機感があった。
ある頭取は、「新人が小説日本興業銀行を読んで感動し、興銀を志望したと言うので『あれは遠い昔のお伽話だ』と説明している」と話していた。投資銀行についてもう少し踏み込むと、歴史を辿ればリーマンショックを経て、世界中の投資銀行が消滅したという事実を著者はどのように理解しているのだろうか。興銀が万が一にも投資銀行に転換できていたら、リーマンショックで長銀破綻時と同様に、税金を費やしていたのではないか。
著者は「会社は株主のもの」という教科書通りの考えをベースとする一方で、株主となる投資家が「金儲けばかりに執着した」結果が本質的な会社の価値を逸脱した株価形成を是認し、バブルに至ったと説明する。投資家は基本的に金儲けのために株式投資を行うのであって、投資した会社を社会貢献させるために投資する訳ではない。金儲けを目的とした投資家が形成する市場には、常にバブルを醸成する要素が存在することは、もはや自明なのではないか。
具体性を欠く
「構造改革」という言葉
『バブル 日本迷走の原点』
永野健二著
新潮社
1836円(税込)
288ページ
「株式の持ち合い」や「土地本位制」が本来働くべきチェック機能を不全にし、金融の暴走を促したという主張も、幼稚としか言いようがない。不動産担保には、信用力の低い本来であればリスクマネーでしか調達できない会社が、低利の借入金を可能とする効能がある。
「銀行の目利き」などと無責任に唱えるマスコミも多いが、一方で「国民の大事な預金を預ける以上」などと平気で矛盾したことを言う。基本的に銀行融資は元本を毀損しない前提で実行されなければならないのであって、リスクマネーを供給することはできない。その間を埋めるのが不動産担保なのだ。株主のチェックが利かない日経がよく暴走するからといって、「株式の持ち合い」をバブルの原因とするのは、悪い冗談としか思えない。
幼稚な主張ということでは、本書の中にもしばしば登場する「構造改革」という言葉も、日経の元エース記者の著書としては極めて残念な誤魔化しだろう。日本の課題を語るときに「構造改革」「規制緩和」という言葉があちこちで繰り返されるが、それが具体的にどのようもので、どのようにして経済成長に結びつくのかを明確に語ってくれる人に出会ったためしがない。
郵政民営化で全てが上手くいくと言った小泉純一郎元首相や規制緩和を唱えつつあらたな利権を作り出し私服を肥やす竹中平蔵のようなたぐいの人間の話であれば許されるのだが。
イギリスのEU離脱やトランプ大統領の誕生など、世界の潮流がポピュリズムに傾いている。つまり世界の先進国の中間層が、資本主義の必然とも言うべき格差の拡大に反旗を翻しつつある中で、日本における市場経済の黎明期に発生したバブルの後講釈は、一体どれほどの意味があるのだろうか。 (文中一部敬称略)
(作家 高杉良)
http://diamond.jp/articles/-/114314
2017年1月17日 木原洋美 [医療ジャーナリスト]
安倍昭恵首相夫人も支持「医療用大麻」は解禁すべきか
大麻取締法違反(所持)の疑いで現行犯逮捕された元女優の高樹沙耶容疑者(本名・益戸育江・53歳)が昨夏の参院選で医療用大麻(薬)の必要性を訴えて出馬したことは記憶に新しいPhoto:AFLO
昨秋、元芸能人の逮捕でも話題になった「医療用大麻」解禁の是非の議論が続いている。医療用大麻の解禁については安倍昭恵首相夫人が前向きなことでも知られている。実際に、現在の治療では治らない慢性疼痛の患者にとっては「藁(ワラ)にもすがる」存在である。果たして、医療用大麻は有効なのか。専門医である東京慈恵会医科大学附属病院ペインクリニックの北原雅樹医師に取材した。(医療ジャーナリスト木原洋美)
医療用大麻解禁を訴えた
安倍昭恵首相夫人
「あのぅ、慢性痛には医療用大麻を使用したらいいんじゃないでしょうか?」
か細い声で質問を発したのは、安倍昭恵首相夫人だった。
2016年9月29日、衆議院第一議員会館国際会議室で開かれた『慢性の痛み対策議員連盟総会』でのことだ。
その日は、米国や北欧、中国など、世界各国から慢性痛診療に取り組む医師や研究者が集まり、最新の研究成果や、かなり後れをとっている日本の現状等について報告がなされ、主催者側からの「最後に、ご意見やご質問はありませんか」との呼びかけに対して、安倍氏が手を挙げたのだった。
ただ、この質問はいささか唐突だった。なぜなら会議では、「慢性痛の原因は非常に複雑である。その治療は、学際的治療(多くの専門職が連携して行う)でなければならない」という結論が出ていたからだ。
つまり、「○○さえあればいい的な、単純な治療でなんとかなるほど慢性痛は甘くない」と、居合わせた誰もが考えていた。安倍氏はかねてより、"医療用大麻解禁論者"で知られている。この総会に参加したのも、"持論"を広めるためだったのかもしれない。
とはいえ、首相夫人の質問をないがしろにするわけにはいかない。司会者は、米国から参加した研究者と医療従事者に発言を求めた。
以下、主催者より入手した、医療用大麻に関する簡単なまとめの一部を紹介する。
「大麻の使用については、2001年にカナダで、2003年にオランダで、植物としての大麻に関する法律が標準化され、慢性疾患を抱える患者さんのために整備されました。アメリカの州政府の中にも医療用大麻の使用を合法化しているところはありますが、アメリカ連邦政府はまだ許可していません。
大麻にはカンナビノイドと呼ばれる二つの有効成分があります。テトラハイドロカンナビノル(THC)と、カンナビジオール(CBD)です。この二つの成分は、大麻からの抽出成分(ハシシとかハシシオイルとか呼ばれます)の中に、様々な濃度と割合で含まれているため、一定の濃度にしたり混合物からの用量-効果を調べたりすることが、難しかったのです。人間の身体には、この二つの物質に対する受容器が中枢神経や身体のほかの部位にあることはわかっています。
大麻や大麻の合成剤の臨床的効果は、これまでも研究されてきましたが、研究が小規模で研究期間が短い(訳注:薬剤の中には短期の使用では有効でも、長期に使用すると無効であったり有害であったりするものもあります)ために、もっと研究が必要だと考えられています。効果と副作用の検証がこの研究規模では難しいからです。使用対象となる症状については、以下のようなものです:
・多発性硬化症や脳卒中の後の筋肉の痙攣(カナダでは常用されています)
・様々な神経障害性疼痛(エイズ、癌、抗がん剤の副作用、糖尿病、手術を含む外傷、多発性硬化症や脳卒中、などに伴うもの)
・エイズやがん患者における吐き気
・小児のてんかん
・エイズやがん患者の食欲不振
・鎮静剤や睡眠薬として
などです。
研究では、プラセボ(偽薬)より効果があることはわかっていますが、既存のほかの薬より有効性が高いことは証明されませんでした。臨床試験ではよくあることですが、非常に効果がある人が少数いますが、まったく何の効果もなかった人もたくさんいて、誰に効果が出るのかを知ることは困難です。たくさんの患者さんは、他の薬の場合と同様に、副作用によって摂取をやめてしまっています」
その回答を聞いた安倍氏は、「ありがとうございます」と謝辞を述べた以外、何も語らなかった。
解禁論者が期待するほど
医療用大麻は効くのだろうか?
それから約1ヵ月後の10月25日、元女優の高樹沙耶容疑者(本名・益戸育江・53歳)が、大麻取締法違反(所持)の疑いで現行犯逮捕された。彼女が昨夏の参院選で医療用大麻(薬)の必要性を訴えて出馬したことは記憶に新しい(選挙結果は落選)。その主張は確か、「大麻には、認知症予防やリウマチなど約250の疾患に効くというエビデンス(科学的根拠)があり、医療用として販売されている国もある。日本でも合法化して研究を進めるべき」というものだった。
また安倍氏は「医療用大麻を必要としている人たちがいるのなら、日本でも認可されていいのではないか」と述べている。
あながち、“反社会的な主張”ではないと思う。
そこでなぜ、医療用大麻は解禁されないのか、なぜ解禁を求める声は止まないのか、冒頭の『慢性の痛み対策議員連盟総会』の主催者の1人であり、昨年開催された『第9回日本運動器疼痛学会』で会長を務めた東京慈恵会医科大学附属病院ペインクリニックの北原雅樹医師に話を聞いた。
きたはら・まさき
東京慈恵会医科大学附属病院、ペインクリニック診療部長および麻酔科准教授。1987年東京大学医学部卒業。専門は難治性慢性疼痛。帝京大学医学部附属市原病院麻酔科、帝京大学医学部附属溝口病院麻酔科勤務後、米国ワシントン州立ワシントン大学集学的痛み治療センターに臨床留学。帰国後、筋肉内刺激療法(IMS)を日本に紹介する。2005年より現職。
――医療用大麻の解禁を求める人たちはなぜ、あんなに懸命に訴えるのだと思いますか?
北原解禁を求めているのは、慢性の痛みを抱えている方々や、その周囲の人たちが多いと思うのですが、結局、これさえあれば簡単に治る的な「奇跡の治療」を求めているのではないでしょうか。「まだ使われていない薬だから上手くいくんじゃないか」という期待が一番だと思うのです。
かつて、モルヒネ(「医療用麻薬」に分類されている鎮痛薬の一種。日本では1989年にがん疼痛治療薬として認可された)が自由に使えなかった時代には、「モルヒネさえ解禁されれば、みんな痛みから解放されるに違いない」と期待されていました。でも実際は、一部の疾患には明らかに効くものの、全部を解決するには至りませんでした。大麻もその繰り返しだと思います。残念ながら、慢性痛に「奇跡の治療法」はないんです。
――複数の疾患に対してエビデンスがある、効果が実証されているというのは本当でしょうか?
北原そこも問題があります。漢方薬と同じで、。例えば、みなさんご存じの「葛根湯」という薬があります。初期の風邪に効く薬ですね。効くことは分かっていても、なぜ効くのかというエビデンスは証明されていません。
というのも一つひとつの成分を分析しても分からないのです。漢方薬は有効成分の集まりではなく、それぞれの成分が絶妙のバランスで配合されており、相乗作用で効果を発揮します。単独では効果がなくても、ある割合で一緒になると効果を発揮する成分が多々あります。これは西洋医学では太刀打ちしがたい。
それと同じで大麻も、一部の成分を取り出しただけではエビデンスは測れません。それに一口に大麻と言っても、種類も産地もたくさんあるので、対応しきれません。いわゆる自然物というのは、実は何がどう効いているのか、わからないものなんです。
ましてや、大麻は効く人もいれば、効かない人もたくさんいる。エビデンスがあるとは言い難い。
――医療用大麻の解禁には、ほかにどのような問題があると思いますか?
北原流用、横流しは大きな問題です。実は国際疼痛学会でも、テーマになりました。
イスラエルのデータでは、医療用として大麻を処方されている人の3割が、娯楽用として快楽目的で友人や家族に大麻を分け与えたりしていました。驚きましたよ。
あともう1つは、本来医療用大麻には、吸ってから何時間かは車を運転してはいけない、といったような禁止事項があるのですが、ハイになって運転してしまう人が少なくない。しかも、アルコールや覚せい剤とは異なり、大麻は分解が早いので、血液検査をしても検出されません。へらへらしていて明らかにおかしいからと捕まえても、何も出ないのです。そういう面で、特にアメリカで社会問題になっています。ある意味、規制のしようがないのです。
――大麻の毒性は、ニコチンよりも低いから安全だという人もいますね。
北原とんでもないですよ。煙草はもともと非常に有害な代物です。百害あって一利なし。それと比較したら、なんでも安全になりますね。
日本の慢性痛患者は
見捨てられている
――医療用大麻解禁の声があるのは、そんな大麻にさえ、期待せずにはいられないほど、日本の慢性痛医療が不十分だからなのでは?
北原まさにそうでしょね。統計では、慢性痛で病院を受診した患者さんの7割は、治療に不満を持っています。
実は日本では、痛みに対して一般の医療者はまったく教育を受けていません。だから慢性の痛みをどう扱ったらいいのか分からない。肩が痛い、腰が痛い、首が痛いと整形外科へ行っても、レントゲンを撮られて問題ありませんよと診断され、鎮痛剤や湿布薬を出されておしまい、というのが実情です。
本来であれば、それぞれの痛みに対して、身体のどこで何が起きているのかを適切に説明するべきですし、どう治療し、付き合っていくかといったインフォームドコンセントもなされるべきなのです。急性痛と違って慢性痛は生活習慣病ですからね。
でも、一般の医師には教えられません。知らないからです。
――大学では、痛みについて教えていないのですか?
北原今、まさに作っているところです。文部科学省から助成金をもらい、現在、いくつかの大学で共通の、イーラーニングを中心とした教育システムが実施されようとしています。
あとは、全国81大学ある医学部の中で8つの大学が、教え始めています。
――それは、諸外国と比べて遅れているのでしょうか?
北原そうですね、一部の先進国の医学部では、慢性痛について学ぶことは必須になっています。また、そうでない国でも、選択科目には必ず慢性痛がありますし、科を特定して必須にしている国もあります。例えば、スウェーデンでは麻酔科医とリウマチ内科、救急の学生は全員、痛みについてひととおり勉強しています。
教育以上に差があるのは、行政の対応です。
ドイツ、スウェーデン、デンマークといった国々では、日本でいう県のレベルが医療を担当しています。オーストラリアは州ですね。責任の所在がしっかりしている中で、痛みの医療に取り組んでいるわけです。
すると州や県の財政に大きく響くため、改善に対して真剣かつスピーディに取り組みが進みます。
例えば、オーストラリアのある州では、州政府とNPOが一緒になって医療者に教育を行っているのですが、なんと慢性痛に関するプログラムの、GPE(かかりつけ医)の受講率が90%を超えているそうです。別に、お金がもらえるわけでもないし、ペナルティもないのにですよ。
オーストラリアでは、国民の慢性痛医療に対しる意識が高いので、知識が乏しいGPEは、患者がいなくなってしまうらしいです。
GPE制度がしっかりした国は、人口に対する頭数が決まっており、患者数が少ないとGPEとしての権利を失ってしまいます。だから医師も必死になるんですね。
それも極端ですが、日本の場合は、できるだけ患者さんをこじらせて、いろんな薬を使って、いろんな手術をする医師の方が、お金をもらえる制度になっています。短期間で、手術等をせず、上手に治す医師が評価されるような制度を作らないと、慢性痛医療は進歩しないでしょう。
――慢性痛で病院に行っても治っている人は少ないですよね。
北原日本できちんと治せる医者は100人いるかいないかでしょう。最近、「慢性痛には心理社会的な要素が大きい」という研究結果が明らかにされていますが、慢性痛がわかっている精神科医は10人いません。
さらに困ったことには、「心理的」というと、「イコール気のせい」だという発想がある。本当は痛くないのに痛いと感じるんだ、と。
そうではない。精神には身体を痛むように変えてしまう力があるんです。それが心理的という意味なんですが、分かっていない。
――結論として、医療用大麻は解禁されるべきでしょうか?
北原アメリカでは家中に麻薬性の鎮痛薬があるので、高校生の10%が「娯楽目的で薬を使ったことがある」というデータがあります。日本がそうなってもいいんですか。ご自分の子どもや孫が、大麻を吸っているところを想像してみてください。
医療用大麻解禁を渇望している人がいるし、実際に効く人がいるのは認めます。でも、中途半端な覚悟で解禁すると社会のためには悪いことになるのではないか、と心配しています。
◇
今現在、慢性痛に苦しんでいる人たちにとって、医療用大麻の解禁は「藁にもすがる想い」の「藁」のような希望だ。効果が望めないわけではないが、大して期待もできない。
もし、行政がもっと慢性痛に対して本腰を入れて取り組み、治療に精通する医師が増えたなら、「こんな藁はいらない」と主張を翻す人は多いのではないだろうか。
http://diamond.jp/articles/-/114387
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