http://www.asyura2.com/16/hasan117/msg/650.html
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あと14年で「世界から貧困を無くす」ために
終わりなき戦い
新たな開発目標が示す「グローバルからプラネットへ」の道筋
2017年1月11日(水)
國井 修
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/222363/010600007/fb.jpg
新たな年を迎えた。
昨年を振り返ると、イギリスのEU離脱、アメリカの大統領選挙、ニースやブリュッセル、ベルリンなどでのテロ、リオのオリンピック・パラリンピックなど世界では様々な出来事があったが、国際社会にとってひとつ、忘れてはならないことがある。
それは、「ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals: MDGs)」の時代に別れを告げ、新たな2030年の国際社会の共通目標「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals: SDGs)に向かって第一歩を踏んだということである。
このSDGsは、日本のビジネス界にとって、社会貢献や国際貢献と共に、国内外でビジネスを広げる大きなチャンスでありながら、認知度は低く、知られていてもCSRに留まり企業のコアな部分には入り込んでいない。
本稿では、MDGsからSDGsに移行した背景、SDGsが目指す目標とその特徴、その達成に必要なこと、そして日本の取り組みと個人的な期待について述べたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/222363/112800005/
開発途上国が「南北格差」に喘いだ80-90年代
1980、90年代、いわゆる開発途上国には問題が山積していた。
1980年代、世界銀行や国際通貨基金(IMF)が推進した構造調整政策の失敗などにより多くの途上国で貧困がむしろ悪化。世界の南北格差は広がっていった。1990年代には東西冷戦が終結し、グローバル化が拡大したが、それに伴い新たな地球規模課題も生まれていった。
私もこの時代、大学生、そして若手医師としてアジア、アフリカ、中南米を訪れたが、政治腐敗、紛争、内戦が横行し、人々は貧困、栄養失調、病気で喘いでいた。
インドやバングラデシュの街を歩くと、物乞いに囲まれて身動きができないことがよくあった。その中には、鼻や指趾を失い、また足が象の足のように腫れ上がった、当時、らい病、象皮病と呼ばれ差別されていた患者もいて、その顔や手足を見せながら物乞いをしていた。多くの途上国ではまともな医療が受けられない時代だった。
カンボジアでは1991年に内戦が終わるも、首都プノンペンでは時折銃声が聞かれ、インフラは破壊され、優秀な人材が大虐殺で失われていた。ゼロから、いやマイナスからの国造りがスタートしたが、農業を再開しようも、荒れ果てた農地には多くの地雷が埋まり、負傷者が後を絶たなかった。
アフリカの状況は前稿「『アフリカ開発』の転換点、我々に何ができるか」で記した通り。コンゴ、ソマリア、ルワンダ、スーダンなどで次々に紛争が勃発し、多くの死者・負傷者、難民・避難民が発生し、エイズ、結核、マラリア、エボラ熱、ラッサ熱など、様々な感染症が猛威を振るっていた。
2000年「ミレニアム開発目標」が始動
このような世界の開発課題に立ち向かうため、新たなミレニアム(千年紀)の始まりである2000年に、189の国連加盟国代表がニューヨークに集って議論したのが国連ミレニアム・サミット。ここで21世紀の国際社会の目標として採択されたのが国連ミレニアム宣言であり、これと1990年代に国際会議やサミットで採択された国際的な開発目標を統合して作ったのが「ミレニアム開発目標(MDGs)」である。
実を言うと、「また国際目標か」というのがMDGsが採択された当時の私の率直な感想だった。
私の専門である保健医療分野では、1990年代に様々な国際目標が作られてきた。「2000年までにポリオを撲滅しよう」「5歳未満の子どもの死亡率を3分の1に低減しよう」「麻疹(はしか)による死亡を95%低減しよう」「子どもの下痢症を半減しよう」などなど。
しかし、ニューヨークのようなファンシーな都会とはかけ離れた、砂埃の舞い上がる途上国の現場に身を置き、なかなか届かぬ援助、本気でやる気を見せない現地政府を見ていると、これらの「国際目標」が「美辞麗句」に聞こえていたのだ。
先進ドナー(資金提供)国は、どれほど本気で途上国の発展を願っているのか。途上国政府は、どれほど真剣に自国民の貧困問題や健康問題を考えているのか。世界は本気で、これらの国際目標を達成しようと本気で思っているのか。・・・現場にいて疑心暗鬼となり、苛立ちを隠せなかった。
そんな自分が、どういうわけか、このMDGs達成に向けた議論と政策推進に携わることになった。
2000年、私は貧困と熱帯病が蔓延する東北ブラジルでの公衆衛生プロジェクトを終えて日本に帰国し東京の大学で教員を務めていたが、誘いを受けて、外務省の民間人採用の第一号として、2001年から3年間、外務省で働くことになったのだ。
2000年に日本が議長国として開催したG8九州沖縄サミットで日本が誓約した感染症対策イニシアティブの監理・運営が主な仕事であったが、外務省で唯一の国際保健医療分野の専門家だったので、日本政府としてのMDGsの推進にも携わることになったのである。
MDGsには、極度の貧困と飢餓の撲滅、初等教育の完全普及、ジェンダー平等推進と女性の地位向上など8つの目標(Goal)があり、さらに21のターゲット(target)、60の指標(indicator)が設定されていた。
(MDGsに関する情報はこちら)
http://www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/SDGs/MDGsoverview/MDGs.html
驚くことに、保健医療分野は8つのうち3目標、21のうち6ターゲット、60のうち19指標と、開発課題の約3割を占めており、開発におけるその重要性が示された。
途上国の劣悪な乳児死亡率や妊産婦死亡割合を、半減ではなく、3分の1や4分の1にまで激減させよう、さらに高額なために特にアフリカでは当時ほとんど入手できなかったHIV治療を「普及的アクセス」(Universal access)させようという野心的な目標であった。
1990年から2000年までの進捗状況をみると到底達成できない。ではいかにして世界の努力で加速化し、達成させることができるのか。
ワシントンDC、オタワ、ジュネーブなど様々な場所に呼ばれ、アメリカ、イギリスなどの先進国政府、途上国政府、WHO、UNICEFなどの国連・国際機関、さらに市民社会、財団、民間企業などと一緒に議論を重ねた。
ヒト・カネ・モノ・データを集め、生かす仕組みを
MDGs達成、またその加速化に向けて必要なのがヒト・カネ・モノ・データ。それをいかに集め、現場の状況を変えるために活用するか。そのために政府、国際機関、市民社会がどのような役割を果たし、いかに連携・協力するか。議論でなく、いかに具体的な行動に移すか。そんなことが議論の中心であり、私としてもMDGs達成のために日本として何ができるのか、何をすべきなのかを模索しながら、意見を戦わせ、日本国内での調整やアクションにつなげた。
まずは資金がなければ何も始まらない。途上国で基本的な保健医療サービスを提供するのに、当時の試算で一人当たり最低約4000円は必要である。人口1000万人の国であれば単純計算で約400億円の保健医療予算であるが、世界には一人当たり100円の予算も捻出できない後発国もある。保健医療MDGsを達成するには、国際社会がより多くの援助資金を提供し、かつ新たな資金を生み出すメカニズムを作らなければならなかった。
これに対して、先進国政府は本気で取り組んだ。特に米国政府は、2000年に26億ドルだった開発途上国への保健医療援助を2010年には117億ドルと4倍以上に増やし、さらに英国政府も11億ドルから26億ドルと2倍以上に増加させた。
一方、日本は1991年から2000年まで世界最大のODA拠出国であったが、日本経済の停滞でODA総額は減少していた。それでも、2000年7月のG8九州沖縄サミットでは、世界の感染症対策に貢献するため、5年間で総額30億ドルを目途とする国際貢献を誓約し、現実には5年間でその額は58億ドルに達した。その結果、保健医療分野での援助としては、年間9.6億ドル(2000年)から16%増の11.2億ドル(2010年)となった。
現在、開発途上国に対する保健医療援助の約7割は先進国政府からの支援であるが、2000−2010年にかけて財団や民間企業からの支援も増えた。特に、1999年に設立されたビル&メリンダ・ゲイツ財団(Bill & Melinda Gates Foundation: BMGF)は、保健医療援助として、2000年に5.3億ドル、そして2010年には約4倍の19億ドルを提供し、多くの先進国政府の援助額をも上回っていった。
これらの様々な努力の結果、2010年の開発途上国に対する保健医療分野の援助総額は343億ドルに達し、2000年、1990年と比較して、それぞれ3倍、5倍の増加となった。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/222363/010600007/g1.PNG
こうなると、ドナーが資金拠出を増やすだけでなく、それらの資金を迅速、効率的、効果的に活用し、現場でのインパクトをもたらすためのメカニズムが必要となった。
そこで設置されたのが、グローバルファンドや米国大統領エイズ救済緊急計画(President's Emergency Program for AIDS Relief: PEPFAR)、Gavi(The Vaccine Alliance、ワクチンと予防接種のための世界同盟)などの新たな組織やメカニズムで、総称してグローバル・ヘルス・イニシアティブ(Global Health Initiative: GHI)と呼ばれた。これらを通じて、資金調達のみならず、現場に資金が迅速に流れ、必須サービスが開発途上国で急速に広がっていった。
さらに市民社会、NGOの役割が高まり、参画が増えていった。政府や国際機関だけではMDGsを達成することは不可能であり、各国でのMDGs達成に向けた計画や実施にいかに市民社会やNGOの力を活用し、さらにその力を強めていくかが議論された。これらあらゆるパートナーの援助、そして各国の自助努力により、世界の保健医療状況は目覚ましく改善した。
幼児死亡率、妊婦死亡、栄養不良の割合が半減
世界における5歳未満の幼児死亡率は、1990年から2015年の間に生まれた1000人あたり90人から43人へと半分以下に減少し、妊産婦死亡割合は1990年から2015年の間で45%減少し、特に2000年以降で加速的に減少した。
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http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/222363/010600007/g3.PNG
HIVへの新たな感染は2000年から2013年の間で約40%低下し、感染者数も約350万人から210万人へ減少した。2000年から2015年の間に、620万人以上の人々がマラリアによる死を免れ、その多くがサハラ以南のアフリカに住む5歳未満の子どもたちであった。2000年から2013年の間に、結核の予防、診断、治療も拡大し、それによって約3700万人の命が救われたといわれる。
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全体として、世界共通の開発目標として設定したMDGsは、国際社会が真剣に取り組み、多くの国・地域で達成されたといえる。
(MDGsの成果の詳細はこちら)
しかし、課題は未だ多く残されている。
MDGsの中でも、達成されていない目標・ターゲットがあり、十分な成果が見られていない国も少なくないのである。
世界全体としてみると、未だに約8億人が極度の貧困の中で生活し、約2億人の子どもが急性または慢性の栄養不良を示している。
予防・治療可能な病気により毎日約1万6000人の子どもたちが、5歳の誕生日を迎える前に命を落としている。
6億人以上が未だ安全な水を飲めず、24億人が衛生的なトイレを使えていない。これらが主な原因として起こる下痢症で死亡する子どもは1日800人にも達する。
エイズ、結核、マラリアなどの感染症の現状もこれまで拙稿で述べてきたが、有効な治療や予防がありながら、これらによる死者は毎日約9000人、新規患者は毎日60万人以上に及んでいる。
その意味では、まだMDGsはまだ終わっていない、未解決のアジェンダ(Unmet agenda)ともいえる。
新たな「国内格差」「環境」問題に直面
さらに、MDGsでは取り上げられなかった新たな課題も多く出てきた。特に、国内格差の問題、環境問題などである。
これらの課題は現場にいると肌で感じる。
都市では開発や経済活動が進む中で、日本人も驚くような贅沢な暮らしをする富裕層が増えてきた。その一方で、地方では時間が止まったかのように、昔ながらの貧しい生活をし、援助も十分に届かない場所もある。
工業化や都市化などにより、低中所得国の大都市では大気汚染や水質汚染が深刻化している。中国の北京・上海などの大気汚染は有名だが、インドのデリー、インドネシアのジャカルタ、ネパールのカトマンズなどを訪れると、朝起きてもどんより曇って暗く、日中でも太陽はおろか、隣のビルも見えないこともある。大気汚染がもたらす健康影響は大きく、その関連死は世界で年間約700万人ともいわれる。
温暖化を含む地球環境の変化とその影響については、近年多くのエビデンスが出てきており、このまま放置しておけば我々の子孫に大いなる負の遺産を残していくことは明らかである。
国連平和大使として活躍する俳優レオナルド・ディカプリオも、気候変動と環境保護は「この星で我々が存在するための最大の課題」であり、今を生きる私たち人類が「歴史的な偉業を成し遂げられるか、それとも歴史から非難されるか」判断を迫られていると国連の演説で主張している。
2030年に向けた「持続可能な開発目標」
このような背景の中で、2年以上の年月をかけてMDGsの次の国際目標が作られた。「持続可能な開発のための2030アジェンダ」、いわゆる「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals: SDGs)である。2015年9月25日、ニューヨークの国連本部で193カ国の首脳らによって採択された。
SDGsでは、2030年までに達成すべき目標として17項目が示され、その具体的なターゲットが169、それを測る指標が230設定されている(表2)。
表2:SDGsの17目標
目標 1. あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる
目標 2. 飢餓を終わらせ、食料安全保障及び栄養改善を実現し、持続可能な農業を促進する
目標 3. あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する
目標 4 . すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を確保し、生涯学習の機会を促進する
目標 5. ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児の能力強化を行う
目標 6. すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する
目標 7. すべての人々の、安価かつ信頼できる持続可能な近代的エネルギーへのアクセス を確保する
目標 8 . 包摂的かつ持続可能な経済成長及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働き がいのある人間らしい雇用(ディーセント・ワーク)を促進する
目標 9. 強靱(レジリエント)なインフラ構築、包摂的かつ持続可能な産業化の促進及び イノベーションの推進を図る
目標 10. 各国内及び各国間の不平等を是正する
目標 11. 包摂的で安全かつ強靱(レジリエント)で持続可能な都市及び人間居住を実現する
目標 12. 持続可能な生産消費形態を確保する
目標 13. 気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる
目標 14. 持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する
目標 15. 陸域生態系の保護、回復、持続可能な利用の推進、持続可能な森林の経営、砂漠 化への対処、ならびに土地の劣化の阻止・回復及び生物多様性の損失を阻止する
目標 16. 持続可能な開発のための平和で包摂的な社会を促進し、すべての人々に司法への アクセスを提供し、あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のある包摂的な制度を構築する
目標 17. 持続可能な開発のための実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップを活性化する
(持続可能な開発のための 2030 アジェンダ文書の外務省による仮訳はこちら)
正直言って、MDGsに比べて目標・ターゲット・指標が多彩で数が多いため、「てんこ盛り」「優先課題や焦点が絞れていない」との印象を受ける人も多いだろう。様々な国、国際機関、市民社会、民間セクター、学術関係者を巻き込んで協議・議論した結果の産物である。これも大切、あれも大切、これが入っていない、あれを含めるべき、との様々な意見が出されれば、絞りきれなくなるのも仕方がない。「あらゆるステークホルダーを巻き込んだ議論」というのは口で言うのは簡単だが、実際のとりまとめはかなり難しい。
それでも、世界の努力の結晶として作られたSDGsには、MDGsの成果と教訓、さらに現在我々が直面している課題を基に、将来のあるべき姿を希求した重要なメッセージが込められている。
特に、経済成長、社会開発、環境保全の3本柱を明示し、それらの調和を目指そうとしたこと、途上国のみならず先進国を含むすべての国に適応されるユニバーサルな目標を示すことで、先進国も途上国も自らが抱える問題に取り組みながら、世界のために連携・協働することの重要性を示したこと、誰一人取り残さない(No one left behind)との強いメッセージで脆弱な立場にある人々への特別の配慮も含めたこと、などが特徴として挙げられる。
さらにSDGsでは、5つのPとして、People(人間)、Planet(地球)、Prosperity(繁栄)、Peace(平和)、Partnership(パートナーシップ)が強調された。これまで各国の利害を国と国の間(inter-national)また世界(global)で協力し合おうとしていた流れが、人間の存続・繁栄のために、地球(planet)の環境保全を考えながら、地球全体の平和と繁栄のためにパートナーシップを駆使していこうとの方向に向かおうとしている。インターナショナル、グローバルの時代から、プラネットの時代へのシフトである。
SDGsの概念や方向性はいいが、具体的にどうやって目標を達成するのか、本当に達成できるのか。そこが問題である。
具体的に保健医療分野のSDGsを見てみよう。
MDGsでは乳幼児死亡率の削減、妊産婦の健康の改善、感染症の蔓延防止が目標となっていたが、SDGsでは目標はひとつ(表2の目標3)
「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する」
である。
その下に13のターゲットがある。これには、MDGsの3目標以外に、非感染性疾患(NCD)による早期死亡の低減、薬物乱用の防止・治療の強化、道路交通事故による死傷者の減少、リプロダクティブ・ヘルスの強化・普及、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の達成、有害化学物質・環境汚染による死亡・ 病気の減少、たばこ規制枠組条約の実施強化、ワクチンおよび医薬品の研究開発支援、安価な必須医薬品・ワクチンへ のアクセス向上、開発途上国の保健財政・保健従事者の能力開発・定着などの拡大、健康リスクの早期警告・リスク緩和・リスク管理のための能力強化などである。
さらに、これらのターゲットをモニタリングするために26の指標がある。ターゲット3.3「2030年までに感染症流行を終焉させる」についてはHIV、マラリア、結核の罹患率、ターゲット3.4「非感染症疾患による早期死亡の低減」については循環器疾患、癌、糖尿病などの非感染症疾患による早期死亡(70歳以前の死亡)などが指標である。
目標やターゲット、指標を設定する際に考慮すべき項目として、以前の寄稿「“人類の敵”と戦う『最強の国際機関』の作り方」でも述べたが「SMART」がある。ターゲットや指標がSpecific(明確)か、Measurable(測定可能)か、Achievable(達成可能)か、Realistic(現実的)か、Time-bound(期限付き)か、検討しながら設定するのである。
私もこれまで様々な世界や国の目標・ターゲット作りに関わり、実際にSMARTを使ってきた。しかしながら、実のところ、SMARTをもってしても理屈通りに目標・ターゲットを設定することはそう簡単ではない。
「野心的」だが「現実的」なターゲットを模索
まず、目指したいと思うものが必ずしも測定可能ではないのだ。サービスの質的向上、能力の強化、不平等の是正、人権の擁護など、数値で表しにくいものが多々ある。これには知恵を絞って、測定可能な、できるだけインプットやアウトプットでなく、最終的に変革したいインパクトレベルの指標やターゲットを探すしかない。世界の共通目標として国際社会から同意を得て、その進捗状況をモニタリングしていくには、目標は単純で明快な方がよい、というのがMDGsから学んだ教訓でもある。
次に、測定可能な指標を選んだとしても、国によってデータが不足している、またはその信頼性が低いことがある。たとえば、感染症の指標として、明確で測定可能な「結核の年間新規感染者数」を指標にしても、検査機器や人材が少ないために診断できていない、また国にデータがきちんと報告されていなければ、データの信頼性は低く、ターゲット設定は難しくなる。このような場合には、ベースライン調査などを行ってより信頼性の高いデータを収集する、国のデータ収集・分析・活用を含む情報管理体制を強化するなどの努力が必要となる。
さらに、明確で測定可能な指標を選び、そのデータの信頼性も高いことがわかっていても、将来のターゲットをどのレベルに設定するかは意見が大きく分かれることが多い。過去のトレンドを見て「達成可能」なレベルに設定するのは簡単だが、それではAmbitious(野心的)とはいえず、目標・ターゲットとは呼べない。逆に、いくら努力しても達成不可能なレベルに設定するのも問題である。過去のデータの分析や将来予測を含めた専門家の意見、市民社会などによるアドボカシー(施策提言や権利擁護)、政治的判断などを鑑みながら、時に白熱した議論や意見の対立を経て、「野心的」だが「現実的」で「達成可能」なターゲットを模索していくのである。
すべてを盛り込むことはできないので、SDGsとしては大きな枠組みを示し、課題・分野ごとに詳細な国際目標・ターゲット・指標が別に設定され、また国別に設定されるものもある。
たとえば、感染症対策であれば、SDGsには「2030年までに、エイズ、結核、マラリアおよび顧みられない熱帯病といった感染症流行を終焉させる・・・」とあるだけで、「感染症流行の終焉」が意味する具体的な数値目標、特に新規感染や死亡の低減、診断・治療へのアクセス拡大などについては、疾病ごとにWHOやUNAIDSなどが協議・議論を進めて合意されたものがある。
SDGsの達成に向けてターゲットを設定したら、それに対して現存する効果的な対策・介入をどのように拡大していかなければならないか、現存する方法で不十分であれば、新たな方法の開発、イノベーションをいかに促進していかなければならないかを考える必要がある。
これまでの分析・検討によると、現存する対策・介入をフル活用すればSDGsのほとんどの目標を達成することができると考えられている。
人間中心に、そして地球的視野による連携を
ただし、そのための資源動員とそれらの最適化が重要である。
SDGs達成に必要な資金はセクターや分野ごとに推計されている場合が多いが、例えば、世界の感染症対策の主要な資金供与機関である私が所属する機関(グローバルファンド)では、SDGsのターゲットである3大感染症の流行終焉を達成するため、WHOやUNAIDS、学術関係者と共に「投資実例(Investment case)」といった分析を行っている。
これは、感染症対策の様々な介入とその効果に関わるデータ、過去の疫学トレンド、対策に要するコスト、援助資金や国内資金の動向などのデータを基に、将来予測を行い、グローバルファンドとして貢献すべき中期的なターゲットを設定し、その達成に向けて必要な資金とその投資計画を示すものである。
この分析によると、SDGs実現のために2017年から2019年の3年間で世界で各国の国内資金および援助の合計で970億ドルが必要。そのうち、グローバルファンドとして調達すべき資金目標は130億ドルで、これにより3大感染症に罹患していた800万人の命を救い、3億人の感染予防ができる。さらに、これを通じて2900億ドルの経済効果をもたらすことができる。
このような推計は感染症以外の分野でもなされているが、それらを合計するとSDGsを達成するために低中所得国で必要な追加資金はおよそ1.4兆ドルと言われる(ちなみに、この額は日本の公的年金の積立金残高140兆円(2015年度)と同レベル)。
ただし、その大部分はインフラ整備で、保健医療・教育などの公的資金が必要な分野・セクターでの国際支援ニーズは2200億−2600億ドルと考えられている。
したがって、SDGs達成には引き続き先進国の途上国に対する支援が必要だが、政府開発援助(ODA)として先進国が国民総所得(GNI)の0.7%以上を途上国に支援すれば十分カバーできるレベルであると考えられている。
しかし、SDGsではODAはあくまで触媒的役割であり、低中所得国の自助努力や民間セクターの役割がより重要視されている。そこで、最貧国であってもSDGs達成に割当てる国内資金をGNIの0.15−0.20%に増加することを推奨し、各国の自律・責任を促している。
SDGsの実施には、政府・市民社会・民間セクター・国連機関などすべてのアクターが利用可能な資源を最大限に活用し、連携・協働する必要がある。SDGs達成には、MDGs時代以上にこれらの資源を効率的・効果的に利用し、シナジーを生んでいくための戦略的なパートナーシップが求められている。
人間中心(people-centered)に考えながらも、生態系を考慮し、地球の視野に立った思考と対策、そのための連携・協働が必要である。
たとえば、SARS、鳥インフルエンザやエボラ熱など、近年、公衆衛生上の危機として注目を浴びている感染症の多くは動物由来で、人獣共通感染症とも呼ばれ、ヒトと動物・自然界との接触、農業・牧畜、森林開発、気候変動など様々な要因と関連している。さらに、昨年の伊勢志摩サミットや国連総会でも議題に上がった「薬剤耐性(Anti-Microbial Resistance: AMR)」は医療のみならず、畜水産、獣医療、食品とも関連している。したがって近年では、健康問題をヒトだけでなく、動物、環境衛生など分野横断的な課題として扱い、様々な関係者が連携・協働して解決に向けて取り組む「ワンヘルス・アプローチ(One Health Approach)」が始まっている。
SDGsの達成に向けて実際に前進しているかどうか、進捗状況のモニタリングやレビューが重要である。グローバルな定期的レビューについては、国連経済社会理事会の主催の下、ハイレベル政治フォーラム(HLPF)で実施することになっているが、国レベルのSDGsの進捗状況については、原則として、各国が自主的、主体的に行うことになっている。
しかし、国際的な法的拘束力がない中で、すべての国が透明性のある、包摂的な、適切なフォローアップレビューを行えるのか、それに基づき改善に向けた努力をしていけるのか、という懸念があり、政治的意思、執行・調整・実施能力、透明性や説明責任が不十分な国に国際社会がいかなる介入・支援をしていくかが重要となる。
「Win‒Win‒Win」の構築を目指して
日本はSDGsに対して国を挙げて真剣に取り組んでいるのだろうか?
2016年5月、日本政府は、安倍総理を本部長とする「持続可能な開発目標(SDGs)推進本部」を設置し、12月にはSDGs達成に向けた日本の実施指針を発表した。これには日本として「あらゆるひとびとの活躍の推進」「健康長寿の達成」「省・再生可能エネルギー、気候変動対策、循環型社会」を含む8つの優先課題が示され、SDGs達成に向けた国内および国外向けの具体的施策、ターゲット、指標、関係省庁などが示されている。
この推進本部の下には、行政、NGO、NPO、有識者、民間セクター、国際機関、各種団体等の関係者が意見交換を行うSDGs推進円卓会議を設置し、SDGs達成に向けた連携も進めている。
日本の市民社会はMDGs時代からその達成に向けて活発に活動していたが、ポストMDGsについても、そのアジェンダ設定などに関して市民社会のプラットフォームを作ってアドボカシーを続けてきた。
SDGs時代においては、途上国の貧困削減、社会開発に関わるNGO・市民団体のみならず、国内外の環境保護や気候変動対策などを推進していた市民社会も加わり、活況を増してきた感がある。
既に市民社会は、政府のSDGs推進円卓会議をはじめ、様々な場でアドボカシーを進めているほか、SDGsに関する一般市民や企業に対する普及・啓発活動、省庁・国際機関・事業者・研究者などへのSDGsに関わる提言・協働強化、SDGsに関わる調査研究、国連総会などへの参画、など多種多様な活動をしている。
また、SDGsにおいては企業は実施の主要な担い手として認識され、各企業の事業にSDGsがもたらす影響が解説され、持続可能性を企業の戦略の中心に据えるためのツールと知識が提供されたSDG Compass(コンパス)と呼ばれる企業のための行動指針も用意されている。
既に、SDGsの活用が進んでいる企業もあるようで、新たな経営計画や企業の社会的責任(CSR)計画の策定指針にする、自社の製品やサービスが課題の解決にどのように生かせるか、顧客企業や投資家に伝える「共通言語」として使う、社員の奮起を促し、新しい事業のアイデアを社内から拾い上げる、などの取り組みが行われているという。
ただし、これらの取り組みは日本国内のメディアでは取り上げられ、私も日本人として日本を注視しながら眺めるとその動きが見えるのだが、プラネットの視点からはまだまだ日本の政府、市民社会、企業などが貢献できる、むしろリードできる余地はあるように思える。
たとえば、日本政府のODAに関しては、GNI比で0.2%のレベルであり、0.7%目標を達成するにはODAを3倍以上に増額する必要がある。これによってできる途上国、そして地球への貢献は多大である。
また、SDGs達成に向けた政府のリーダーシップは、省庁間やセクター間、また市民社会や民間企業との連携・協働を本気で促進して、世界に誇れるTransformativeな役割を果たし、成果を示せるのか、またはBusiness as usualで終わってしまうのか。今後の働きに注目したい。
日本の市民社会については、欧米の市民社会に比べて、特に社会開発分野で、開発途上国に対する現場での実質的な貢献が不十分な感がある。たとえば、グローバルファンドでは世界の様々なNGO、市民社会と世界100カ国以上で感染症対策の支援事業を展開しているが、日本のNGOや市民社会はそこにほとんど参画していない。SDGsにおいても、アドボカシー・提言、普及・啓発活動のみならず、国内外のSDGs達成に向けた担い手、官産学ではできない、またそれを補完する形の実施部分に食い込んでいってほしいと思う。
また、日本の民間企業に関しては、その資金、優れた技術力・ノウハウ、効率的かつ質の高いサービスで途上国に求められるものは多くあり、ODAでは達成できない開発効果が大いに期待できるが、実際にはまだまだSDGs分野で国際貢献・展開をしている企業は少ない。感染症分野でも、日本の研究開発能力、実際に開発された製品の有用性などは決して欧米に負けてはいないと思うのだが、グローバルな視野で見た場合には、官民産学の連携、マーケティング力、その他で見劣りすることが多々あるのである。
具体的には、技術力やノウハウがあっても、現場のニーズや状況が理解できていないため品やサービスの開発に至らない、開発に至っても、現場で試行・導入するための資金・人脈・ノウハウがない、試行・導入できても、その後、市場展開するマーケッティング戦略やノウハウがない、など、一企業だけでは解決困難なことも多いのである。日本の民間企業は官民学との連携を通じて、SDGs目標達成の原動力・駆動力に進化していってほしい。
SDGsは日本にとって大きなチャンスである。日本国内の課題を開発途上国そして地球の課題と連係・連動させることで、日本がもつ資源の効率的・効果的な活用・活性化ができる。具体的には、SDGsの各分野に対する国内施策と国外施策、それに費やす国内予算とODA、それに関わる国内と国外での人材、それに必要な国内と国外向けの知恵・技術・ノウハウなどをうまく連係・連動させることで、国内問題の解決と国際貢献にWin-Win関係を構築し、シナジーを作ることができる。
SDGsは国内外での大きなビジネスチャンスでもあり、ODAとビジネスと途上国・地球にWin-Win-Win関係をもたらすこともできる。
今年はSDGsの2年目。2030年までの目標達成、理想具現に向けてあと14年。SDGsを知るだけでなく、是非参画して、地球のためのWin-Win-Win関係を築いてほしい。
このコラムについて
終わりなき戦い
国際援助の最前線ではいったい何が起こっているのか。国際緊急援助で世界を駆け回る日本人内科医が各地をリポートする。NGO(非政府組織)、UNICEF、そしてグローバルファンドの一員として豊富な援助経験を持つ筆者ならではの視野が広く、かつ、今をリアルに切り取る現地報告。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/222363/010600007
増えない稼ぎ、「消費増で経済成長」の意味不明
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
「経済成長」さま、私はもう疲れてしまいました
2017年1月11日(水)
河合 薫
年明け早々私の頭の中は、かなり混乱している。
「豊かさって誰の為にあるんだ?私たちのためなんじゃないのか?」と、モヤモヤした感情で脳内が埋め尽くされているのだ。
元日のコラム(「“東京の夜景”の被害者を二度と出さないために」)に続き暗〜いスタートとなってしまったのだが、今回は「私たちの豊かさ」についてアレコレ考えてみようと思う。
…っとその前に。モヤついている理由を話さなければならない。
理由その1。
テレビや新聞で年明けから飛び交っている、「消費を増やそう!」「経済を成長させよう!」というフレーズへの心地悪さ。
理由その2。
5日の経団連や同友会などが主催する経営者の方たちの賀詞交換会で、経営者の方たちから「トランプ次第」という言葉が頻発していることへの違和感。
理由その3。
仕事始めに街頭インタビューに答えているエリートっぽいビジネスマンたちからも、まるで呪文のように「トランプ次第」というコメントが多かったことへの空虚感。
以上です。つまり、
消費、消費、消費、成長、成長、成長、トランプ、トランプ、トランプ、という言葉や文字に食傷し、
「消費を増やそう」だの、「経済を成長させよう」だの、「トランプ次第で日本の株価も変わる」だの、すべてカネ、カネ、カネ、カネのオンパレードに嫌気が差し、
2017年を語るさまざまな言葉から、人間(国民)の姿が全く見えないことに少々苛立ってしまったのである。
唯一ホッとしたのが、私がテレビで見た例の賀詞交換会で、みずほ銀行のトップがフリップに書いた「不安からの脱出」(NHKニュースの記憶です…)という抱負だった。
不安が極限状態に達している時代に、なぜもっと足下のことを考えないのか?
トランプが気になるのはわかるけど「外は外、内は内」として、なぜ足場を固めようと思えないのか?
経済成長、経済成長って。ヒトは?人は?いったい“人”はどこにいってしまったんだ?
と、国民経済とは「日本で暮らすべての人が幸せになるために存在する」と信じている私の脳内の虎たちが、新年早々「ガオ〜!!」と吠えまくっているのである。
なんてことを書くと、
「オマエは経済のことに触れるな!」
「経済の専門家じゃないのに、口を挟むんじゃない!」
「カネがあってこそ人は幸せになれる。まだ、そのことがわからないのか!」
とこれまでもそうだったようにコメント欄が荒れそうなのだが(苦笑)……、それにもめげずもう一回脳内クルクルしてみようと思った次第だ。
「モノ」も「人」も価値が下がっている
確かに「カネ」は私たちが生きていく上で、極めて大切なリソースである。カネが人間の生活を豊かにしたことを、否定する気はコレっぽちもない。
でも、やっぱりなんかおかしいでしょ?なんで「人の姿」が見えないかさついたコメントばかりを、みんな口にする?
改めて書くまでもないけど、社会的動物である「人」は、いわゆる"経済活動"をずっとずっと昔からやってきた。「私のコレとあなたのソレを交換しましょう」と物々交換することで、私たちは豊かな暮らしを求めたわけです(記憶に間違いがなければ社会の時間にそう習ったはずだが…)。
でもって、物々交換のときに「え〜、こっちのほうが価値あるじゃん!」と余計な喧嘩が増えないよう、価値判定の基準として生まれたのが麦や塩などの「秤量貨幣」だ。
でも麦や塩は腐ったり、品質が低下したりするので貯蔵できない。その対策として誕生したのが、変質しない金貨(=カネ)だ。
つまり、私たちは経済活動をする中で知恵を絞り、技術力を高め、成長してきた。経済活動において大切なのはカネじゃなくヒト。
うつ、過労死、過労自殺、子どもの貧困、賃金格差……etc、etc、社会問題が足下に山積し、労働は生活を豊かにするための作業のはずなのに、労働で心身が蝕まれる人たちが量産されている。
おまけに稼げるカネはちっとも増えていない。いや、むしろ減っているぞ。私はフリーランスなので余計にそれを身をもって感じている。
例えば、確実に数年前に比べると忙しいのだが、稼げるカネはちっとも増えていない。求められる仕事の質は高まっているのに、価値判定がちっとも上がっていない。
これには二つの解釈ができる。
ひとつは過去の対価が高すぎた、という考え方。
そして、もうひとつが“人”そのものへの価値が下がっている、という考え方だ。
そういえば朝日新聞が「我々はどこから来てどこへ向かうのか?」という特集を、元日から組んでいるのだが、そこに興味深いことが書いてあった。(以下抜粋)
「この25年間の名目成長率はほぼゼロ。(中略)失われた20年と言われたその間も、私たちの豊さへの歩みが止まっていたわけではない。(中略)若者たちが当たり前に使う1台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか想像して欲しい。ずっと性能が劣るパソコンは30万円、テレビ20万円、固定電話7万円、カメラ3万円、世界大百科事典は全巻35巻で20万円超…。控えめに見積もったとしても、軽く80万円は超える」
記事ではこれを「GDPでは見えない豊かさの象徴」とした。
なるほど。そういう解釈もできるけど80万円の価値があったものを8万円で買えるまでにしたのは「人」だ。人が知恵を絞り、労力を注ぎ、技術を発達させ効率化した。ならば人の価値判定は高まっていいはずである。労働の時間を減らし、その時間を心を豊かにする時間に充てればいい。
ところが実際には逆の現象が起きている。この現実をどう理解すればいいのだろうか。考えれば考えるほど私は混乱してしまうのである。
わずかな稼ぎを「使え、消費しろ、物価を上げろ」
いずれにせよ、世の中にはモノが溢れ、今までとは異なる価値観をもった若者が増えているのに、「消費を増やそう!」だの「経済成長!」だの相変わらず呪文のように連呼し、「経済を成長させることこそが、未来を作る」という考えが、デフォルトになっている。
経済成長の“成長”部分が目的化され、残業を強いられながら額に汗して働き、わずかなカネを稼ぐ社会を豊かというのだろうか。「経済成長」さま、私はもう疲れてしまいました――。なんてことを心底感じている
そもそも東日本大震災の後、「人生において大切ものは何か?」「幸せとは何か?」といったことを誰もが自問自答し、自分たちの働き方、生き方に疑問を持ち、物質的な豊かさではないものも求めようとしたのではなかったのか?
あの頃の気持ちはどこに行ってしまったのだろう。
カネは確かにある時期までは、物質的にも精神的にも私たちの生活を豊かににしてきたけど、もはやカネだけが精神的な豊かさを担保するものではない。今は、そのカネを最優先する経済が「貧困」を生んでいる。そう思えてならないのである。
私たちを精神的に豊かにする大切なリソース。それは「健康」である。
ここでの健康とは、まさしく私の専門である「健康社会学」の健康。すなわち、WHO(世界保健機構)の定義する健康だ(以下が定義)。
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and
not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあること。
おそらく誰もが一度は聞いたり見たりしたことがあるはずだが、健康が定義された理由やこのあとに続く文言は、ほとんど知られていない。
The enjoyment of the highest attainable standard of health is one of the fundamental rights of every human being without distinction of race, religion, political belief, economic or social condition.
人種、宗教、政治信条や経済的・社会的条件によって差別されることなく、最高水準の健康に恵まれることは、 あらゆる人々にとっての基本的人権のひとつである。
「健康」は社会の問題なのに…
WHOの健康の定義は、なぜ生まれたのか?
戦争という人間の起こした行為が奪った、人間の幸せ、人生の豊かさ、それを取り戻すために、先人たちが考え議論し、第二次世界大戦後の1946年7月、61か国の代表により署名された(1948年4月7日より効力が発生している)。
「健康は個人の問題じゃなく、社会の問題。人権であり、個人を尊重すること。それを追求する義務がアナタたちにあるんですよ」
と戦争でたくさんの人たちの命が失われた反省もこめ、世界各国に呼びかけるために理想を掲げたのだ。
精神的、社会的とは、具体的には次のような意味が込められている。
•孤立や対立がないこと
•居場所があること
•サポートが得られること
•役割があること
そして、これらに満足している状態が健康であり、人が「人」であるための大切な土台だとしたのである。
さらに1970年代に入ってからは、上記の定義に「スピリチュアル」な側面を加えるモデルが提唱されるようになった。
スピリチュアルは日本語では霊的と訳されるが、ここでは「人生に意味や方向付けを与えるもの」を意味する。
生きていれば大変なこともあるし、自分ではどうしようもない病に襲われることもある。そんなときに「人生に意味を与えてくれるもの」が存在すれば、それだけでホッとする。ちょっとだけ元気が出る。
つまり、健康と不健康はコインの表と裏ではなく一本のレールでつながっていて、不健康状態に引っ張られる事態に遭遇しても、それを健康に引っぱり返す「元気になる力」を手に入れることこそが「健康」であるというメッセージを強める意味が、「スピリチュアル」には込められているのである。
「人間の顔をした市場経済」はどこへ?
今から20年前の1995年。全国の20歳〜69歳の約1万人を対象に行われた調査(「1995年SSM調査研究会」東京大学文学部が実施)を分析した社会学者で東京工業大学名誉教授の今田高俊氏は、1980年以降、日本人の意識に二つの大きな変化が起きたことを指摘している。
そのひとつが、人々の関心がものを「所有すること」から自分の生き方を問う「存在」にシフトしていること。もうひとつが社会的な「序列」から、他者との関係に「地位達成」を求める人が増えたこと。
つまり、心の豊かさを求める人びとが増え、他者に自分の存在を認めて欲しい、親密な人間関係を持ちたい、時間的余裕が欲しい、といったまさしく「精神的、社会的健康」を人びとは欲するようになったのである。
ところが今、私たちの社会の人間関係は希薄化し、地域とのつながりは乏しくなり、上司部下関係も関係性をつくること自体が難しくなった。孤独死、引きこもり、自己責任といった20年前にはなかった言葉が生まれ、社会に居場所を得られず、自分の存在意義を見出せない人たちが増えた。
「非正規雇用」が3人に1人まで増え、賃金格差が生まれ、子どもの相対的貧困率は(17歳以下)は16.3%(2012年国民生活基礎調査)で、6人に1人が貧困とされている。
真の健康とは「社会の窓」を通じて、そこで暮すひとりひとりを見つめ、社会の仕組みや構造を作っていくこと。「前を向いて歩いて行こう!」と思える心と社会を作る。それは「格差社会の否定」であり、「貧困の撲滅」でもある。
その健康をもっと真剣に議論し、考え、実行に移すことこそが、成長であり、成熟なんじゃないだろうか?
2002年に経団連の新会長として就任した奥田碩氏は、これからの日本の経済社会に必要な理念として、「人間の顔をした市場経済」と「多様な選択肢をもった経済社会」を揚げて注目された。
「経営者は人間の顔をした市場経済の実現をめざさなくてはならない。市場の論理、資本の論理を重視しながらも、市場関係者の利益ではなく国民の利益が大切にされるのが人間の顔をした市場経済である。アメリカ流にそのまま合わせる必要はない。この国に最も適した労働市場、雇用慣行の実現に向けて力を尽くし、安易に人員削減にいたるような経営者は、まず自ら退陣すべき」
「これからの我が国に成長と活力をもたらすのは、多様性のダイナミズムだ。国民一人ひとりが、自分なりの価値観を持ち、他人とは違った自分らしい生き方を追求していくことが、こころの世紀にふさわしい精神的な豊かさをもたらす」
(著書『人間を幸福にする経済―豊かさの革命』から抜粋)
いったい「人間の顔をした市場経済」はどこに行ってしまったんだ?当時拍手喝采を浴びたこの言葉を、今は口にする人もいない。
あなたは「健康」ですか?今のままでいいのですか?
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このコラムについて
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/010800086/
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