スイス銀行の顧客口座を公開されると一番困るのは天皇一族なんだよね: 第二次世界大戦中、昭和天皇ヒロヒトは、敵国の戦争省最高幹部であるドレイパーから兵器を大量に輸入し、日本軍に高額で売り付け、利益をスイス銀行に蓄財していた。
天皇とドレイパーは、兵器密売の共同事業者として、兵器販売促進のため日米戦争を行っていた。 戦後、来日したドレイパーが最初に行った事は、天皇への兵器密売の「売掛金=未払い代金の回収」であった(この点は、天皇の側近であった渡辺武の「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」東洋経済新報社を参照)。 戦争末期、ドレイパーは、天皇が無条件降伏を申し出ると同時に、「戦争犯罪人として自分を処刑しないで欲しい」と命乞いをした事に対し、天皇の命の保証と戦後における天皇制度の維持を確約し、それと引き換えに、日本に原爆を投下し終えるまで無条件降伏を承認しない、という条件を出した。 天皇は広島・長崎への原爆投下を事前に承認し、それと引き換えに、自分の命と地位の延命を手に入れた。天皇は、自分1人が助かり、それと引き換えに、広島、長崎の市民の皆殺しを喜んで承諾した。 これが、「同業者、兵器密売企業の共同経営者」天皇とドレイパーの密約である。 http://alternativereport1.seesaa.net/ 「1944年1月、昭和天皇は参謀総長と軍令部総長から結論として太平洋戦争に勝機はないと報告され、木戸内大臣に和平計画を立てるよう指示した。 木戸は当然のことながら、この指示の意味は皇室財産を守ることが第一であり、日本を平時の状態にする準備は二番目であると理解したのである。 二番目の状況を達成するには時期尚早だったができた。木戸は皇室の財政顧問でもある主要銀行の経営者たちを招集し、会議を開いた。彼らの提案で、天皇の現金が東京から銀行間無線でスイスに送金されたのである。東京にある天皇の銀行口座の残高が事実上ゼロになったが、スイスの銀行の番号口座残高が急激に増加したのだった。横浜正金銀行のスイスの支店は次に、天皇の仮名による銀行投資にドイツの信用を付け、天皇の流動資産の換金能力をさらに高めた。他の財閥の大企業経営者たちも天皇の現金の流出に気づき、アフガニスタン、トルコ、スペイン、ポルトガル、スウェーデン、朝鮮、香港、満州、フランス、ドイツなどに預金していた現金を引き出し、スイスの銀行へ送金した。彼らはまた、ブエノスアイレスにある銀行の法人や個人口座の数も増やしたのである。 占領期間中、日本銀行が横浜正金銀行の業務を引き受けることになり、この結果、皇室財産の財務上の秘密が継続して保証されたのである。」 私が書いた赤十字と天皇の秘密は、このマニングの本で真実であることが理解できよう。 日本赤十字社は、現在でも、皇室が支配的立場にあることを知らねばならない。この赤十字組織が、世界を支配する勢力の一支部なのだ。マニングの本には、天皇がいかに金塊をアルゼンチンに運んだかの詳細な内容も書かれている。 もう少し具体的に、赤十字国際委員会(ICRA、本部ジュネーブ)について書くことにしよう。では、アダム・レポーの『ヒットラーの秘密銀行』から引用する。 「赤十字国際委員会が各国諜報機関から、スパイを潜入させる標的として狙われたのは当然のことだった。大戦中でも枢軸国、連合国を問わず自由に越境して、救援活動ができる国際的組織だったからだ。また、情報収集も任務のひとつで、職員たちは双方の捕虜や軍指導者たちに対する質問権を与えられていた。」 『ヒットラーの秘密銀行』から、もう一つ引用したい。ナチス資産について書かれているが、ドイツの枢軸国日本の姿もみえてくる。 「英米仏三国は1945年8月、スイスに預けられているナチスの資産の所有権を主張するもスイス政府の対応ぶりは相変わらずのものだった。三国の主張はどんな法律を根拠とするものか理解に苦しみ、また連合国によるドイツ占拠の事実は『ドイツ国境を越えて法的効力を持つことはほとんどない』という言い逃れに終始した、とSNBの報告書は記している。 「スイスに預けられたナチス資金」を「スイスに預けられた天皇の秘密資金」と置き換えるならば、私が書いてきたことが事実であることが理解できよう。『ヒットラーの秘密銀行』には、スイスの銀行について書かれている。日本に関係する記事に触れておこう。国際決済銀行(BIS)がスイスにある。この銀行が、ナチスと日本と戦争中も取引を続けた。では引用する。 「BISの総裁はアメリカ人トーマス・マッキトリック、ゼネラル・マネージャーはフランス人ロジェ・オボワン、ゼネラル・マネージャー代理はドイツナチ党員のパウル・ヘクラーだった。大戦中の理事には、ライヒスバンク副総裁で後に戦死とされたエミール・プール、同総裁のヴァンター・フンク、その他ロンドン、ブリュッセル、ローマ、日本から派遣された銀行家たちが顔を揃えていた。(略)ベルリンにとっては好都合なことに、戦時中のBIS総裁は、ナチスの略奪金塊の主要ルートだったスイス国立銀行の総裁エルンスト・ウェーバーだった。(略)第一次世界大戦の敗戦国ドイツが連合国に対して負っていた賠償金をヤング案に基づいて回収することを目的に、数カ国の中央銀行が1930年5月に設立した銀行だったのである。ニューヨーク・ファースト・ナショナル銀行など世界の主要金融機関が共同出資し、これらの国々および日本が理事を送り込んだ。(略)BISの設立資本金は五億スイスフランで、ベルギー国立銀行、イングランド銀行、フランス銀行、ライヒス・バンクという中央銀行五行によって保証されることになった。これに日本の代理を務める日本銀行団、およびモルガン銀行、ファースト・ニューヨーク銀行、ファースト・シカゴ銀行から成る米国銀行団も参加した。」 ここまで書いてきて、戦争というものが、金融と深く結びついていることが理解できたはずである。BISとスイス国立銀行は深く結びついている。私の推測の域を出ないが、 天皇はスイス国立銀行に「皇后名」で、BISに「天皇名または仮名」で、最低二口の秘密口座を持っていたと思われる。マニングの推定「35億ドル」以上ではなかろうか。35億ドルでは少な過ぎる。 <中略> 日本の作家で井上清の名を挙げた。2000年に濱田政彦の『神々の軍隊』がでた。この本の中で濱田は天皇の秘密資金に触れている。引用する。私のこれまでのストーリーを追認するものである。 「皇室は蓄えた資産をモルガン商会を通して海外で運用していたが、金塊、プラチナ、銀塊などスイス、バチカン、スウェーデンの銀行などに預けられていた。(略)中でも国際決済銀行、通称“バーゼルクラブ”は、世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で、治外法権的な存在であった。(略) 内大臣木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和十九年一月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような巨額の皇室財産を海外に逃がすよう指示した。 そこできれいな通貨に“洗浄”されたが、その際に皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは極秘裏にナチスに戦争協力していたので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。(略)皇室とバチカンとフリーメーソンの関係をたどっていくと、世界の闇が明らかになってくると思われる。おそらく戦後の皇室がえらく貧乏にみえるのは、その資産を戦後の日本復興に使ったからなのかも知れない。M資金の闇は深い。」 濱田政彦の書いていることは間違いない。ただし、「おそらく戦後の皇室がえらく貧乏にみえるのは、その資産を戦後の日本復興に使ったからなのかも知れない」には全く賛成できない。私は昭和天皇が戦後も、マニングが書いているように蓄財作戦に熱中していたと思っている。天皇家の秘密資金の一部がM資金となり、多くの人々を悩ませたのである。 計算機を手にして、当時の天皇がどれくらいの金を持っていて、海外の秘密口座に入れたかを計算されよ。そうすれば、その金額の天文学的数字がクローズアップされる。 それでは読者にヒントを一つ与えよう。1945年10月にGHQが発表した皇室財産の内容は書いた。「土地・建物・木材・現金・有価証券(美術品・宝石は含まない)は37億2000万円。」木下道雄(元侍従次長)の『側近日記』が昭和天皇の死去の翌年の1990年に出版された。この本の解説は伊藤隆(当時東大教授)であった。彼は次のように書いている。 「ところで終戦直後の天皇家の財産は37億5000万円だった。日銀物価価格統計により現在の貨幣価値の311倍で換算すると7912億円である。」 この数字の十数倍近くをスイス銀行に送り込んで終戦工作に天皇は入ったのである。敗戦前の国家予算は100億円を切っていた。 天皇は自らの生命を守るためと、このスイスの秘密預金を維持し、さらに増やすために戦後工作に入るのである。 天皇の「キリスト教入信」対策は、この二つの大事なものを守りぬくべく実行された。国民は依然として雑草のような民草であった。 これが大東亜戦争を天皇が仕掛けた第一の原因だと分かるだろう。 それでもあなたは、天皇陛下にむかって「天皇陛下バンザーイ」と叫ぶのであろうか。それとも、広田弘毅のように「天皇陛下マンザーイ」と叫ぶのであろうか。 http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060828 日本の天皇家は古代からただひとつの家系がつながってきた。これは世界に類を見ない。また昭和天皇は敗戦の時にマッカーサーに対して、「全ての私財と自分の命をも放棄する。国民を救って欲しい。」と言い、マッカーサーはこれに感動したと学校では習ってきた。 ところがこれらは全くの創作のおとぎ話であった。私達は米軍の策略にまんまと騙されてきたのだ。 昭和天皇が終戦時に国民を配慮した気配は全くない。ひたすら私財の保全にだけ心血を注いだ。それを米軍は日本支配の道具として位置づけることで国民の洗脳に成功した。 結局、学校教育は米軍の指図による創作だ。さらに右翼などは天皇システムを保護する事で米軍の日本支配に貢献してきたのだ。見事な策略と言うほかは無い。 立ち直る見込みのない、無能そして国賊的日本政府のていたらくは、殺人総合商社アメリカの商売の成功を示すものである。 1885年、天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社 日本郵船が創立される。 明治維新により富国強兵の道を歩み始めた日本は、 欧米からあらゆる兵器を購入し続けていたが、 欧米への支払いに当てる資金が日本には無かった。 そこで福沢諭吉は、「賤業婦人の海外に出稼ぎするを 公然許可すべき」という指示を天皇に与える。 賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に 「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作るというプランであり、 天皇一族はこのプランに飛び付き実行する。 (福沢諭吉全集 第15巻) 1900年初頭から天皇の命令の下、「海外に行けば良い 仕事があり、豊かな生活が出来る」という宣伝が日本全国で 大々的に行われた。 日本の健全な家庭に育った当時の若い女性達は 天皇の言葉を信じた。 天皇一族によりだまされ「売春婦として欧米に販売された」 日本人女性の数は数十万人。 大部分は健全な家庭に育った若い女性達であり、天皇は 「健全な女性を売春婦」として「売却」する事で、欧米の 売春業者から女性1人あたり数千円、当時普通の会社員で あれば10数年分の給与を手に入れていた。 その金額が数十万人分=莫大な資金がこの天皇一族の サギ行為、女性の人身売買により天皇一族に転がり込んだ。 その資金の一部は戦争のための兵器購入に当てられたが、 大部分は天皇の「個人財産」として「蓄財」された。 天皇一族は自分の金儲けのために、健全な若い日本人女性を だまし、売春婦として欧米に「売却」して来た。 天皇一族は欧米の売春業者とタイアップした日本の 売春業者であった。 天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」 された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座に 売春宿に「連行」され監禁された。そして売春を強制された。 初めての外国であり、逃げ場も助けてくれる相手もいない。 数十万人の日本人女性が、天皇によって売春を強制された。 これが従軍慰安婦の原型である。 日本郵船の共同経営者三菱財閥もこの売春業で巨大化した。 この莫大な富を生む売春業に参加させてもらったお礼に、 三菱財閥は昭和天皇の結婚後の新居を、 全額三菱財閥の出資で建設する。 渋谷区下渋谷の第一御領地の「花御殿」が昭和天皇の 新婚の住居であり、それは数十万人の日本人女性を 「売春婦として販売した」利益で、三菱の天皇に対する 「売春業参加のお礼」として建設された。 (山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」 新日本出版社)。 また天皇が大株主であった船舶会社商船三井も天皇と 協力し、同一の「売春婦・輸出事業」に従事する。 こうして日本人女性の「販売業者」として天皇一族が 蓄積した財産は、第二次大戦後日本に進駐してきた 米軍GHQの財務調査官により調査され、当時の金額で 1億ドルを超えると記録されている。 国民に対しては「自分は神」であるとしていた天皇は、 女性の人身売買で金儲けし、また日清戦争、日露戦争で中国、 ロシアから得た賠償金を自分の私財として「着服」していた。 戦争中全ての日本人は餓死寸前の中、軍需工場で 「無給」で重労働を行っていた。 そうした重労働と日本人男性=軍人の死によって 戦争によって得られた賠償金を、国民のためでなく 自分の私的財産として天皇は着服し、密かに蓄財していた。 また日本軍が朝鮮、中国に侵略し、朝鮮人、中国人を殺害し 略奪した貴金属は、天皇の経営する日本郵船によって日本に 運び込まれ、日銀の地下金庫にある天皇専用の「黄金の壷」 という巨大な壷に蓄財された。 中国、朝鮮から略奪された貴金属、そして賠償金=侵略戦争 は天皇の個人的蓄財のために行われていた。 この問題を調査したエドワード・ベアは、 「天皇一族は金銭ギャングである」 と吐き棄てるように語っている。 (エドワード・ベア「天皇裕仁」 駐文社) 1945年、日本の敗戦が決定的になると、天皇一族は この蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ、 海外に蓄財を「逃し」始める。 天皇の個人銀行でもあった横浜正金銀行を通じて、 スイスに850万ポンド、 ラテンアメリカに1004万ポンド等、 広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、 天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念する。 この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃した 蓄財は累計で5〜10億ドルに上るとしている。 (マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)。 広島、長崎に原爆が落とされ膨大な死傷者が出、戦後日本を どのように再出発させるかを考えなくてはならない時期に、 天皇はひたすら自分の蓄財を守るため数百回に及ぶ海外送金 を繰り返していた。 日銀の地下金庫からは、莫大な金塊と貴金属が 日本郵船により運び出され、アルゼンチンの銀行そして スイス銀行まで遠路運搬されていた。 中国では日本に逃げ戻るための船舶が無く、逃げ遅れた 日本人女性が中国各地で多数強姦殺人され子供が殺害されて いる最中、天皇は貴重な船舶を独占し、自分の金塊を遠路 アルゼンチン、スイス等に運び出していた。 天皇が自分の蓄財だけしか頭に無く、日本人の事など 何も考えていない事は明白である。 (ポール・マニング「米従軍記者が見た昭和天皇」 マルジュ社)。 なお天皇が第二次大戦中「売春婦輸出業」を行っていた 商船三井の共同経営者が、CIA(当時はOSS)の 対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは 何故なのか? 敵国のCIA対・日本作戦部長と「仲良く」天皇が 「売春婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員 であったのか? 天皇は戦後、このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を 借り、CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に、 港区の不動産を次々に買収し、またハイテク産業に投資し、 莫大な蓄財をさらに莫大に膨れ上げさせて行く。 天皇は神でも「象徴」でもなく単なる金儲け主義の 金融ビジネスマンである。 そしてここでも「何故か」CIAと天皇は 「共同経営者」である。 天皇は、1940年代初頭からスイス銀行に少しずつ蓄財を 「移し」始めるが、ヨーロッパにおいてナチス・ヒトラーが 虐殺したユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのも スイス銀行であった。 天皇はヒトラーに請願し、ナチス・ヒトラーの口座の中に 「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい、そこに天皇一族 の蓄財を隠していた。 天皇とヒトラーはスイス銀行の秘密口座を「共有」する略奪 ビジネスのパートナーであり、ナチスと天皇は一体であった。 (アダム・レボー 「ヒトラーの秘密銀行」 ベストセラーズ・・また濱田政彦「神々の軍隊」 三五館)。 1924年、米国は「排日移民法」という法律を成立させる。 日米関係はまだ険悪ではなく、日本から余りに多数の若い 女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が 社会問題化し、それを禁止した法律であった。 天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」 (藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の 「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に、 1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉がある。 「米国のカリフォルニア州への移民拒否については、 日本を憤慨させるに十分なものであった。」 この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言である。 日本人女性をだまし、売春婦として米国に「売却」する天皇 の売春ビジネス=移民を米国が禁止した、それに憤慨激怒し 米国と戦争を始めたと天皇自身が独白しているのである。 天皇一族は神でも「象徴」でも無く、 人間のクズの集団である。 追記・・例え殺されても自分の命と引き換えに真実を語る のがジャーナリストの仕事である。 天皇に欺かれ売春婦にさせられた数十万人の日本人女性達の 無念の人生のために、誰かが真実を語らなければならない。 http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070607
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