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今では当たり前の「土曜日はお休み」は、1989年(平成元年)から始まった。それから3年の歳月を経て、国家公務員の完全週休2日制、そしてすべての金融機関の土曜日休業へとつながっていった 写真:毎日新聞社/アフロ
バブル期が転機、「半ドン」「個人情報ダダ漏れ報道」の消滅
http://diamond.jp/articles/-/112522
2016年12月26日 和泉虎太郎 [ノンフィクションライター] ダイヤモンド・オンライン
バブル真っ只中の1989年(平成元年)から四半世紀が経ち、変わったのは政治や経済だけではない。日本人の多くが「いつの間に!?」といぶかるような世相の変化を見てみよう。(ノンフィクションライター 和泉虎太郎)
■「半ドン」が消えていき
「ハナモク」がブームに
1989年1月14日から、官公庁の土曜閉庁が始まった。閉庁するのは第2、第4土曜日だけだが、ということは、1988年までは公務員は週休2日ではなく、土曜日も午前中だけ働いていたわけだ。いまでは死語になっているのが、土曜日の午後が休みであるという「半ドン」だ(ドンは休日を意味する「どんたく」が短くなったもので、オランダ語で日曜日を意味する「ゾンターク」が江戸時代に日本語に取り込まれたものとされる)。
国家公務員の完全週休2日制が実施されたのは92年5月1日から。金融機関がすべての土曜日を休業としたのはこの年の2月4日からだ。
公務員や金融機関の週休2日制採用に合わせるように、民間でも従業員1000人以上の大規模企業でこの時期、急速に週休2日制が広まっていく。しかし、厚生労働省の統計によると、現在でも完全週休2日制(1週間に必ず2日、休日がある)は全体の5割、大規模企業でも7割でしかない。
ちなみに日本で最初に完全週休2日制を導入したのは松下電器産業(現パナソニック)、1965年のことである。
さて、いつの時代も、ルールが変わるとビジネスチャンスが生まれる。週休2日制の浸透でにわかに広まった言葉が「ハナモク」である。週末の金曜日は土日のレジャーの準備の日なので、いろいろと忙しい。そこで、木曜日が「自分のために使う時間」であり、需要があると見込まれたのである。
百貨店の元旦営業も珍しくない今から考えると驚きだが、当時、百貨店は週に1回、定休日を設けなければ営業が認められなかった。定休日は木曜日が一般的であったが、「ハナモク」に対応するために多くの店舗がこれを火曜日に移動。木曜日夕方の浮かれ気分に対応しはじめた。ちなみに、この時間帯には紳士用カジュアルウェアやレジャー用品が売れ筋だったという。
また、旅行会社は木曜日出発の海外旅行パック商品を数多く投入した。独身OLが木曜金曜に有給休暇を取って、ハワイや香港でリフレッシュ――それが先端でおしゃれだった。
■「容疑者の呼び捨て止めます」
こんなに違った報道の常識
89年11月1日、毎日新聞社が事件・事故報道における被疑者呼び捨てをやめることを発表。他紙、放送局は1ヵ月遅れて12月1日に追随した。それまでの犯罪報道では、逮捕されたり指名手配された場合は、「犯人憎し」の市民感情に配慮して呼び捨てにされていた。
たとえば、連続幼女誘拐殺人事件の犯人が逮捕されたときの報道は、このようなものだった。
<わいせつ男が綾子ちゃん殺害を自供 奥多摩で頭部の人骨みつかる(1989年8月10日 毎日新聞夕刊)
東京都八王子市内で小学一、四年の女児に「おじさんはカメラマンだ。写真を撮らせてくれ」といって近づき、裸にして写真を撮り、誘拐、強制わいせつ容疑で東京・八王子署に逮捕された男が、十日までの警視庁の調べに対し、「綾子ちゃんを殺し、西多摩郡奥多摩町の山中に埋めた」と自供した。(中略)逮捕されたのは五日市町小和田一八一、印刷業手伝い、宮崎勤(26)。>
どんな凶悪犯罪であろうとも、日本の司法制度においては推定無罪が原則。裁判で判決が確定するまでは、呼び捨てにすべきではないというのは、当たり前の判断ではある。
現在はどうか。
<東京・目黒の遺体遺棄:強盗殺人容疑で再逮捕(2016年8月3日 毎日新聞)
東京都目黒区立碑文谷(ひもんや)公園の池で世田谷区野沢3、無職、阿部祝子(ときこ)さん(88)の切断された遺体が見つかった事件で、警視庁碑文谷署捜査本部は2日、近くの無職、池田徳信(やすのぶ)被告(28)=死体遺棄罪で起訴=を強盗殺人と住居侵入容疑で再逮捕した。>
違う点はもうひとつあるコトに気づく。住所だ。住所は89年当時も新聞によって扱いに微妙な差がみられていたが、記事を丹念に読めば犯人の家までたどり着くことができた。つまり、犯罪容疑者や事件事故当事者のプライバシーが、いとも簡単に新聞紙上に載っていた時代だったのだ。
■近藤真彦の住所が
新聞に堂々と載った!
89年7月にはこんな報道もあったが、なんと芸能人の自宅がしっかりバレてしまっている。
<歌手の中森明菜さんが自殺図る 近藤真彦さん宅で 生命には別条なし(1989年7月12日 東京読売新聞)
十一日午後四時四十九分ごろ、東京都港区六本木五の一一の三八、ハイネス麻布鳥居坂○号室から、男の声で「けが人が出た」と東京消防庁に一一九番通報があった。麻布消防署の救急隊が駆けつけたところ、室内で歌手の中森明菜さん(23)(本名同じ)が左腕のヒジの内側を刃物で切って出血しており、応急処置後、同区西新橋の慈恵医大病院へ運んだ。一か月以内のけがとみられ、生命には別条ないという。>(当時の記事では部屋番号まで表記)
詳細な住所の公開は、個人情報保護の流れの中でいつの間にか消えていった。一方、現代ではたびたび大事件の被疑者の自宅住所や家族状況などが、一般市民の手によって突き止められてネットの匿名掲示板で暴露され、人権問題となっている。
ちなみにその後、「容疑者」として報じられるようになった犯人は、刑が確定してからは「受刑者」「服役囚」「死刑囚」と、繋がるように呼称がつくようになった。また、死刑が執行された後は「元死刑囚」。呼び捨てでも「故」でもない。
<相模原19人刺殺 池田小事件など多数の犠牲者(2016年7月26日 産経新聞 夕刊 )
多くの命が奪われる「大量殺人事件」は、過去にも全国で繰り返し起きている(中略)
平成13年6月、宅間守元死刑囚=16年9月執行、当時(40)=が、大阪府池田市の大教大付属池田小に包丁を持って侵入。児童8人を刺殺し、児童13人と教師2人に重軽傷を負わせ、全国を震撼(しんかん)させた。>
ちなみに、アイドルの場合は「メンバー」(笑)を使った例もある。報道機関も苦心して呼称を付けていることが窺われる。
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