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銀行に未来はあるか? 金融庁が突きつけた「日本型金融排除」方針 はじめから能力的に無理なのでは…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50480
2016.12.16 山崎 元 経済評論家 現代ビジネス
■異色の官僚の意欲的な新方針
金融庁は、9月に「平成28年度版 金融行政方針」を発表した。異色の官僚との呼び声もある森信親長官の下で、一風変わった方針を打ち出した。
筆者は、この方針およびその背景にある志を大いに評価したいと思っているが、問題は、その方針が現在の日本の金融業界に対してどの程度の実効性を持つのかだ。
本稿では、この金融行政方針がどのような影響を及ぼし、どの程度所期の結果につながるのかを考えてみたい。
行政方針は多岐にわたるが、特に注目したいのは、
(1)「日本型金融排除」という造語まで登場させて過去への批判(過去の金融行政への批判でもある)と将来への意欲を示した「金融仲介機能」の改善
(2)個人には長期・分散・積立投資を求め、金融業者にはフィデューシャリー・デューティー(顧客本位の業務運営)を求める国民の資産形成の前進
この二つだ。
■銀行はどう対応したらいいのか
筆者の専門分野は資産形成の方なのだが、まず、金融仲介機能の方に注目してみたい。
金融仲介機能のあり方については、金融機関の側が、金融庁の行政方針をどのように消化しようとしているのかを見てみよう。
銀行の支店を中心に読まれている『近代セールス』誌の2016年12月15日号は、「総特集 金融行政方針に対応! 事業性に着目した実態把握と取引先支援はこう行う」と題した特集で、銀行や信用金庫のような融資を行う金融機関が、金融行政方針にどう対応したらいいのかを、総力を挙げて伝えようとしている。
この雑誌は、銀行や信用金庫の支店の立場で担当者がどのように業務を推進するといいかという立ち位置で編集されている。
顧客である法人や個人と金融機関の関係を考える上で、顧客とは逆側の視点が分かるので大変有益な場合があり、筆者の愛読誌の一つだ。例えば、顧客の状況別に、どのようなトークで投資信託をセールスしたらよいか、といった例が具体的に書かれているので、貴重な資料になることがある。
さて、金融庁は、現在の日本の金融機関の融資業務に対して大きな不満を持っているようであり、これを、「日本型金融排除」と名付けて批判しており、本来の金融仲介機能が発揮されていないと批判している。
この批判を金融機関の側はどう受け止めているか。
先の特集を見ると、「日本型金融排除とは、信用力の高い企業や十分な担保や保証がある先以外には融資しない貸し出し態度のこと」だと要約されている。さらに、「金融庁は、金融機関と企業双方へのヒアリングを通じて、日本型金融排除が行われていないか実態を把握する」と理解している。
金融庁としては、金融機関は、もっぱら十分な担保・保証がある先か、高い信用力のある先にしか貸さないが、「担保や保証がなくても事業に将来性がある先、信用力は高くないが地域になくてはならない先等」の本来なら「融資可能な先」への融資が行われていないと認識している。
このことによって、金融機関は社会的に期待される役割を果たしていないのと同時に、自らのビジネス・チャンスを失っているというのが、おおよその問題意識だ。
これに対して、まず貸出候補先の「事業性の評価」が出来るかどうかが問題であり、さらに、融資先に対する経営改善支援で信用力が回復・改善できるなら、企業と金融機関の双方にとってのメリットとなる理屈であり、これが、今回、金融機関側に突きつけられたいわば「宿題」だ。
そして、宿題であるからには、採点がある。採点がどのように行われるのかは、受験生(=金融機関)の行動に大いに影響する。
先の特集では「金融庁は、金融機関と企業の双方へのヒアリング等を通じて、日本型金融排除が行われていないか実態を把握する」と説明されている。そして、言わば採点の項目となるのが、金融庁が「金融仲介機能のベンチマーク」と称する点検項目だ。
■事業性の評価のための「トーク」
『近代セールス』は親切で具体的な雑誌だ。支店の担当者がやるべきことを、取引先や顧客との「トーク」に落とし込んで(時には漫画付きで)説明するのが大きな特徴だ。
例えば、事業性の評価に向けたトークの例を幾つか挙げてみる。
「事業を始めたきっかけは何ですか? なぜこの地で創業したのですか?」
「事業を行う中で最も大切にしているものは何ですか?」
「仕入れ・販売ルールはどのように開拓されているのですか?」
「支払い手段としては主に何を利用されていますか?」
「御社の製品がお客様に支持され選ばれている理由についてどうお考えですか?」
「御社は業界内でどんなポジションにあるとお考えですか?」
「事業を継続する中で不安に感じていることはありますか?」
23個ほど挙げられている質問トーク例の中から抜粋した。
読者は、どう思われるだろうか? 次の二つの反応が予想できる。
まず、「この程度のことは、もともと話していて、金融機関側もすでに知っているはずなのではないか」。
次に、「相手企業の経営者は、お金を借りたいのだから、このような質問に対して、都合よく答えるだろう」。
筆者は、どちらもその通りだと思う。
■心掛けの問題でなく、能力の限界
融資先の形式的な安全度ではなく、事業性を評価してリスクを取って融資する、あるいは、取引先に経営改善のアドバイスを行って、取引先も金融機関自身もビジネスを伸ばす、といったことが出来れば望ましいし、金融機関として理想的だが、申し訳ないが、その状況は、はるか前から分かっていたことだった。
例えば、身近に銀行員のOBがいるなら、昔話を聞いてみよう。自分が現役銀行員時代にたまたま上手く行った貸し先について、「俺が育てた」という種類の自慢話をしばしば聞くことができるだろう。
しかし、そこで、その元銀行員は、一体何社の取引先と関わったのかを、考えてみて欲しい。古き良き時代にあっても、自慢話がレアなケースであることが想像できよう。
事業性の評価も経営へのアドバイスも、それらが有効にできるなら金融機関の利益拡大につながるチャンスであり、彼らにとっては、もともと可能な限りやりたかったことだ。基本的に、市中金利の高低にも、世の中がバブルかデフレ不況のいずれであるかにも関係無く、金融機関が「出来たらやりたかったこと」であったはずなのだ。
しかし、それが個別に上手く行くことがあったとしても、大規模に成功させることができなかったからこそ、金融機関の現状がある。
わが国の金融機関は、それを、「やろうとしなかった」のではなく、「できなかった」のである。
つまり、問題は、経営の態度にあるのではなく、企業体としての能力の限界にあるということなのだ。
能力の限界なのだから、金融機関には今後の能力の伸び以上の無理を強いるべきでない。
一方、金融機関の側としては、この無理を成立させることができると儲かるのだし、それが出来なければ、生き残ることさえ出来ないかもしれない。経営的には、座して死を待つよりは、自信が無くともリスクに賭ける方がいいという選択をする可能性がある。
まして、銀行の場合、経営得破綻しそうになっても行政に助けて貰えるかも知れない。彼らが、能力の身の丈を超えた融資に傾斜する可能性は小さくない。
仮に、そうした融資を「冒険的融資」と名付けるなら、金融庁が背中を押すことによって冒険的融資が拡大し、一時的に融資の拡大をもたらして、金融機関には一時的な利鞘を、金融庁には自らの行政に対する満足をもたらすかもしれない。
しかし、やがては必ず訪れる次の融資ビジネスの逆境期に個別の金融機関単位では致命的な損失をもたらす可能性がある。
■官民どちらも"コンサルごっこ"
そもそも、金融機関に「取引先企業のビジネスモデルの持続性」の評価や「企業価値を上げる提案」のようなことができるのか。
先の『近代セールス』誌の特集は、「PART1. 日本型金融排除をなくす! 事業性に着目した実態把握の進め方」「PART2. 事業性評価融資につなげる! ライフステージに応じたニーズ・課題の見極め方」「PART3. 取引先の企業価値を高める! 本部・外部連携による支援の提案ノウハウ」といった構成。
例えばPART3.にはお馴染みの「SWOT分析」(強み・弱み・機会・脅威を列挙するフレームワーク)が登場するのだが、コンサルティングの超初歩のテキストのような内容だ。
こうした取り組みの成果を、金融庁がさらに数十個の「ベンチマーク」を用いて評価することになる。
率直に言って、官民の両方で「コンサルティングごっこ」をするようにしか見えない。
この種の分析や提案は、ある意味では金融業の原点に回帰する試みでそれ自体は悪くないお勉強なのだが、さて、金融庁はどの程度金融機関の尻を叩くつもりなのだろうか。
「日本型金融排除」といった勇ましい造語まで作ったくらいなので、無担保・無保証での中小零細企業向け融資の拡大を、数字上も求めないと格好が付かないと力むのではないかと心配だ。
金貸し業の要諦の第一は、「貸してくれと頼みに来る相手には、簡単にお金を貸さないこと」だ。理屈上、そこにマーケットがあるはずだと分かっていても(金融マンなら大なり小なり誰でも分かっているはずだが)、ミドルリスク・ミドルリターンの与信ビジネスは極めて難しい。
官民共に「コンサルティングごっこ」を張り切りすぎると、かつての新銀行東京の融資の失敗を、今度はソフトウェアの信用評価モデルによってではなく、官民合わせた人力でなぞってしまうことになりかねない。
この方面に「努力することは、いいこと」なのだが、金融機関の経営者は、「自らができること」を冷静に評価すべきだろう。
■「満足な水準」への道は遠い
「顧客本位の業務運営」のことだとされる「フィデューシャリー・デューティー」は、金融機関の自発的努力に任せているのでは決して達成されないだろう。
端的に言って、そうしない方が儲かるからであり、だからこそ、「金融レポート」(平成27事務年度版)で、手数料の大きさと顧客への適合性を問題にされた、言わば「金融庁認定のダメ商品」である、「毎月分配型投資信託」「ラップ口座」「貯蓄性保険」(外貨建ての個人年金保険など)が、現在、積極的に販売されているのだ。
最近のニュースを見ると、例えば、りそなホールディングスは、来年の2月から「ファンドラップ」の取り扱いを始めて、残高一兆円を目指すと発表した。
『日本経済新聞』(12月6日朝刊)の記事によると、銀行が受け取る基本的な手数料は0.94%で、「業界最低水準」だとのことだが、ラップ運用の中で投資されるファンドにも運用管理手数料が掛かるはずであり、投資家から見ると、「ひどく割高なバランス・ファンド」と言うしかない代物だ。
公平を期して言うなら、他の対面営業の証券会社・信託銀行のファンドラップよりも「マシ」であるのかも知れないが、比較の対象が悪すぎるのだ。
顧客・投資家の側からすると、そもそも金融機関に「@顧客のニーズに合った運用を、A市場環境を見極めて、B自社の利益でなく顧客の利益の立場から行うこと」を期待することを止めなければならない。
はっきり言って、@もAもBも、金融マンには無理だ。投資家は自分で考えるべきだし、考えられない場合も、金融マンに相談すると事態が悪化する公算が大きいと知るべきだ。
マイナス金利政策による貸出金利低下がもたらした、個人顧客にとっての最大の弊害は、銀行が資産運用方面での手数料稼ぎビジネスに注力することだと常々心配だったが、懸念は着々と実現しつつあるようだ。
金融機関を「フィデューシャリー・デューティー的な方向」に向ける有効な方法は二つだけだ。
一つは、実質的な手数料コストに関する情報の開示と提供を徹底的に推進・指導することだ。
たとえば、運用商品100万円の購入に対して、顧客が金融機関(販売会社と運用会社を合わせて)にいくら実質的な手数料を払うのか(デリバティブ商品などの場合はプライシングに含まれる手数料を計算して)、保険を含む全ての金融商品について表示させるべきだし、販売会社、運用会社の収入の内訳も来店客に分かりやすい形で開示させるべきだ。
手数料を実額で示されたら、よほど鈍感でないかぎり、顧客の側でも商品への疑問とセールスへの警戒心を持つだろう。
もう一つは、あらゆる層の国民に向けた、顧客側から見た金融教育の普及だ。多くの国民は、運用商品をどう選んだらいいのか、といった基本的な知識を持っていない。顧客側がより厳しい選択眼を持つようになれば、金融機関も、嫌々ではあっても、「フィデューシャリー・デューティー的な方向」を指向せざるを得なくなるだろう。
家電製品のような商品に関しては、日本の消費者は品質とコストパフォーマンスに厳しく、かつてこの特性が日本の製造業を鍛えたことがあったが、運用商品に対しては「全く甘い」と言わざるを得ない。
この点で、先般の「金融レポート」は高く評価できる内容だったが、金融庁に対しては、レポートで指摘したような内容が、金融機関に対してだけでなく、広く国民に分かりやすい形で届くような方法を考え、実行することを望みたい。
「満足な水準」への道は遠いように思われるが、着実な前進を期待したい。
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