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「えっ今?」 ユニクロ売り上げ急降下中、柳井氏「社長やって」に…ファミマ社長
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161210-00010001-nikkeisty-bus_all
NIKKEI STYLE 12/10(土) 8:10配信
■ファーストリテイリングは経営陣の若返りを急いでいた。
入社して2年目になると柳井正さんが「はやく社長になれ」と言い始めました。どういうわけか僕のことを評価してくれていたのは事実です。
しかし、創業期から柳井さんが頼りにしていた2人の役員が退任する考えであることが分かると、柳井さんは僕の社長就任のタイミングを「少し先にしよう」と言いました。僕の社長就任と同時に2人の役員が退任するのは柳井さんにしても本意ではないはずです。マスコミにも騒がれます。しばらく時間をおくことになりました。
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■フリースブームが下火になり始めたころ、社長就任の話が再び具体化しつつあった。
2001年半ば頃だと思います。柳井さんから正式に「社長をやってほしい」と言われました。「えっ、今」。正直言ってそう思いましたよ。当時、破竹の勢いで伸びていた「ユニクロ」の売上高は急降下していました。「ブームはいつか終わる」と思ってはいましたが、その時期に社長就任の話です。
柳井さんは厳しい時だからこそ、若い経営陣に託し会社を立て直したいと考えていたようです。
しかし、それを自分ができるのか。性格は明るいほうですが、この時ばかりは暗い雰囲気を醸し出していたようです。妻には話していませんでしたが、当時は「すごく暗かった」と言っています。この話を断れば会社にいる場所はないのは明らかです。
玉塚氏(左)の社長就任発表時に自らの副社長辞任の理由を語る沢田氏(右)
■退社を決意する。
数カ月悩みましたが、社長を引き受ける決心ががつきません。柳井さんに「どうしてもできません」と頭を下げました。その時の柳井さんの残念そうな顔は今でも目に焼き付いています。そして「誰にする? 玉塚元一君しかいないだろう。沢田君は副会長でどうだ」と言いました。
もし僕が副会長として残るなら玉塚君が思う存分、活躍できる環境でないのは明らかです。「副会長ならやめましょう」と話し会社を去ることにしました。2002年5月7日に東京証券取引所で柳井さん、玉塚君、そして私の3人が出席して社長交代を発表しました。その後、幹部を集めたお別れ会の挨拶はいろんなことが思い出されて言葉になりませんでした。
■会社を立ち上げる。
会社を辞めるといろいろな会社から声がかかりましたが、どうせなら自分で会社を興したいと思っていました。
そんな時、米国の再生ファンドが日本で事業展開を考えていることを知り、関係者に会うと「流通分野に特化した再生ファンドをやってみないか」と打診されたのです。当時は、不良債権処理に悩む流通業が多くあり、「これだ」と思いました。キアコンという社名で会社を立ち上げました。自分のモットーである「気合と根性」が由来です。2003年のことです。
[日経産業新聞]
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