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(回答先: 物価2%未達、原油下落・インフレ予想失速が主因 債券市場流動性など改善=日銀 ECB量的緩和延長、いずれ終了と示唆も 投稿者 軽毛 日時 2016 年 12 月 02 日 17:28:49)
「総括的検証」補足ペーパーシリーズ(4):なぜ2%の「物価安定の目標」を2年程度で達成できなかったのか?
―時系列分析による検証―
2016年12月2日
川本卓司*
中浜萌**
全文 [PDF 479KB]
推計に使用したデータ [ZIP 10KB]
http://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2016/data/wp16j13.zip
要旨
本稿では、「量的・質的金融緩和」導入から3年余りが経過した後も、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比上昇率が「物価安定の目標」である2%程度に到達しなかった背景について、定量的に検証する。具体的には、時系列モデルの要因分解(VARのヒストリカル分解)の手法を用いて、消費者物価がどのような要因によって「量的・質的金融緩和」導入当初の日本銀行政策委員の見通し(中央値)から下振れたのかを実証的に明らかにする。分析の結果、2015年度の消費者物価前年比の下振れ幅(−1.9%ポイント<見通し:+1.9%、実績:0.0%>)のうち、約5割(−1.0%ポイント)は原油価格の下振れによるものであり、1割強(−0.3%ポイント)が需給ギャップの下振れ、3割強(−0.7%ポイント)がインフレ固有の要因に起因することがわかった。インフレ固有の要因は、需給ギャップや原油価格、為替レートでは説明できない消費者物価の下振れを意味しており、これは、予想物価上昇率の高まりが当初の想定に比べると小幅なものにとどまったことを表していると解釈される。
JEL分類番号
C32、E31、E52
本稿の作成にあたっては、関根敏隆、中村康治、法眼吉彦の各氏および日本銀行スタッフから有益なコメントを頂いた。また、調査統計局の河田皓史氏には、データ作成面で多大な協力を頂いた。ここに記して感謝したい。
* 日本銀行調査統計局 E-mail : takuji.kawamoto@boj.or.jp
** 日本銀行調査統計局 E-mail : moe.nakahama@boj.or.jp
日本銀行から
日本銀行ワーキングペーパーシリーズは、日本銀行員および外部研究者の研究成果をとりまとめたもので、内外の研究機関、研究者等の有識者から幅広くコメントを頂戴することを意図しています。
なお、ワーキングペーパーシリーズに対するご意見・ご質問や、掲載ファイルに関するお問い合わせは、執筆者までお寄せ下さい。
商用目的で転載・複製を行う場合は、予め日本銀行情報サービス局(post.prd8@boj.or.jp)までご相談下さい。転載・複製を行う場合は、出所を明記して下さい。
http://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2016/wp16j13.htm/
本稿は、2016 年 9 月に日本銀行より公表された「『量的・質的金融緩和』導入以降の経済・
物価動向と政策効果についての総括的な検証」の内容を補足するものである。
本稿の作成にあたっては、関根敏隆、中村康治、法眼吉彦の各氏および日本銀行スタッフ
から有益なコメントを頂いた。また、調査統計局の河田皓史氏には、データ作成面で多大
な協力を頂いた。ここに記して感謝したい。無論、本稿のあり得べき誤りは全て筆者らに
属する。
* 日本銀行調査統計局(E-mail: takuji.kawamoto@boj.or.jp)
**日本銀行調査統計局(E-mail: moe.nakahama@boj.or.jp)
1.はじめに
2013 年 4 月 4 日、日本銀行は、「2%の『物価安定の目標』を、2 年程度の期
間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現する」という強く明確なコミットメ
ントを掲げ、「量的・質的金融緩和(Quantitative and Qualitative Easing、以下 QQE)」
を導入した。その後、わが国の経済・物価は好転し、「物価が持続的に下落する」
という意味でのデフレではなくなった。しかし、QQE 導入から 3 年余りが経過
した 2016 年 9 月の「総括的な検証」時点でも、2%の「物価安定の目標」は実
現できていない。2013 年 4 月末に日本銀行が公表した展望レポートをみると、
消費者物価(除く生鮮食品、以下同じ)の前年比の見通し(政策委員見通しの
中央値、以下同じ)は、2013 年度+0.7%→2014 年度+1.4%→2015 年度+1.9%
となっており、日本銀行は、QQE 導入当初、2015 年度には 2%のインフレ目標
を概ね達成することを展望していた(図表 1)1
。その後の実際の消費者物価の
動きをみると、2013 年度こそ前年比+0.8%とほぼ見通しどおりとなったものの、
原油価格の急落と消費増税のあった 2014 年度以降、展望レポートの物価見通し
は下方修正が続き、結局、2014 年度は前年比+0.8%、2015 年度は同 0.0%と、
QQE 導入当初の見通しから大幅に下振れての着地となった。
なぜ、世界に類例のない大胆な金融緩和にもかかわらず、2015 年度に 2%の
「物価安定の目標」を実現できなかったのか――。本稿の目的は、ともすると
実証的な裏付けなく、narrative に語られることの多かった 2%未達の背景につい
て、出来るだけ客観的かつ定量的な実証分析結果を提示することにある。具体
的には、消費者物価と、これに影響を与え得る主要なマクロ経済変数(需給ギ
ャップ・為替レート・原油価格)からなるシンプルな 4 変数 VAR を推計したう
えで、ヒストリカル分解(historical decomposition)の手法を用いて、消費者物価
が QQE 導入当初の見通しから下振れた背景について、要因分解を行う。
本稿が、分析手法として VAR という時系列モデルを採用した理由は、以下の
とおりである。第 1 に、VAR は、特定の理論モデルに依拠しないため、マクロ
経済変数間の複雑な相互依存関係にほとんど制約を課すことなく2
、出来る限り
「データに語らせる」かたちで、実証分析を行うことが可能である。よく知ら
れているとおり、インフレのダイナミックスについては、需給ギャップとの関
係や、インフレ予想の形成メカニズム、為替レート・原油価格のパススルーな
1 2013 年 4 月の展望レポートの基本的見解では、「見通し期間の後半にかけて、『物価安定の目
標』である 2%程度に達する可能性が高い」と述べられている。
2
実際の VAR の推計では、最小限ながら「コレスキー分解」という短期制約を課している。
2
ど多くの論点を巡って、エコノミスト・経済学者の間で意見は一致していない。
したがって、幅広く政策論議に資するような、出来るだけ客観的な実証分析を
提示するという本稿の目的に照らせば、特定の理論モデルに立脚するよりも、
VAR のような制約の少ない時系列モデルを用いる方が望ましい。第 2 に、VAR
のヒストリカル分解により、消費者物価の下振れをもたらした要因を、「2 次的
な波及効果(second-round effect)」まで考慮した本源的なショックに帰すること
が可能となる。例えば、為替円安は、輸入品価格の直接的な押し上げといった
「1 次的な波及効果」だけでなく、需給ギャップの改善やインフレ予想の高まり
といった「2 次的な波及効果」を通じても、インフレ率にプラスの影響を及ぼす。
このため、例えば、QQE 導入以降に進行した為替円安が消費者物価に及ぼした
影響を評価するためには、1 次的な波及効果に加え、2 次的な波及効果も含めた
「出尽くしベース」で推計する必要がある。こうした分析は、全ての変数を内
生変数として扱う VAR を用いれば、容易に可能となる。
本稿の構成は以下のとおりである。2 節では、実証分析の手法と、データの作
成方法について説明する。続く 3 節では、実証分析結果を提示するとともに、
若干の解釈を加える。最後の 4 節は、結論に充てられる。
2.分析手法とデータ
本稿では、以下の手順で、日本銀行政策委員の消費者物価見通しがどのよう
な要因で下振れたのかを定量的に考察する。@まず、QQE 導入当初に想定して
いた政策委員見通しをデータとして用いて――見通しをあたかも実績値のよう
にデータとして扱って――VAR を推計したうえで、消費者物価に関するヒスト
リカル分解を行い、政策委員見通しが 2%達成に向けて具体的にどのような道筋
を描いていたのかを試算する。A次に、実績値のデータを用いて同じスペック
の VAR を推計し、実績値ベースの消費者物価に関するヒストリカル分解を行う。
B最後に、両者のヒストリカル分解結果を比較することにより、消費者物価下
振れの要因を定量的に特定する。
VAR モデルは、原油価格、為替レート、需給ギャップ、消費者物価の 4 変数
を用いて推計する。この順番でコレスキー分解を行うことにより、ショックの
識別を行う3
。すなわち、原油価格は、日本の金融市場や経済・物価動向にはさ
ほど影響されず、国際商品市場におけるグローバルな需給の動向で決定される
3 VAR Ordering に依存しない一般化インパルス応答(Generalized Impulse Responses)の計測も
行ったが、コレスキー分解に基づくインパルス応答の結果とほぼ同じ結果が得られた。
3
と考えられるため、最も外生的な変数として最初に置く4
。原油価格の次に、需
給ギャップやインフレ率に影響を及ぼす先決変数として、為替レートを置く。
その次に、わが国の景気動向を表す需給ギャップ、最後に、以上 3 変数の影響
を受けて最も内生的に決定されると考えられる消費者物価を置く。推計の頻度
は四半期であり、推計期間は、第 2 次石油ショックの影響が概ね収束したとみ
られる 1984 年第 1 四半期から 2015 年度末に当たる 2016 年第 1 四半期までとす
る5
。VAR のラグは、AIC により 3 期を選択する。
推計に使用したデータは、以下のとおりである。原油価格は、先行研究(例
えば Baumeister and Kilian 2016)と同様、WTI(ウェスト・テキサス・インター
ミディエイト)価格を米国の消費者物価(総合)でデフレートしたものを使用
する6
。為替レートは、日本銀行が公表している円の名目実効為替レートを用い
る。需給ギャップは、日本銀行が定期的に「分析データ」として公表している
推計値を使用する(推計方法は伊藤他 2006 を参照)。消費者物価(除く生鮮食
品)については、消費税率引き上げの直接的な影響を除いた季節調整値を作成
した。実際の推計に当たっては、原油価格、為替レート、消費者物価について
は、対数前期差をとる一方、需給ギャップは、そのまま使用することにした。
日本銀行の政策委員見通しは、各年度の実質 GDP 成長率と消費者物価前年比
の予測値しか公表されていないため、以下のような方法で、VAR の推計に使用
する 4 変数について四半期ベースの予測値を作成した。まず、原油価格(WTI)
と為替レート(名目実効為替レート)については、簡単化のため、2013 年 4 月
時点の水準で、見通し期間(2013 年第 2 四半期から 2016 年第 1 四半期まで)を
通じて横ばいで推移すると仮定した7
。需給ギャップについては、政策委員は直
4
原油価格については、@為替相場の影響を受ける(ドル高が進行すると、ドル建てで表示さ
れる原油価格には下落圧力がかかる)、Aわが国の需要動向にも何がしかの影響を受ける(サン
プル期間の平均でみると、日本は世界の原油需要の 6〜7%を占める)ことなどを考慮し、本稿
の VAR では原油価格を完全な外生変数として扱っていない。なお、原油価格を外生変数と仮定
して、他の変数からのフィードバックがないとの制約を課した VAR の推計も行ったが、本稿の
結論に大きな変化はなかった。
5
これは、日本銀行が展望レポートにおいて、定例的に図示しているフィリップス曲線のサン
プル期間と同じである。
6
原油価格について、実質化を行わず名目価格をそのまま用いて同様の分析を行ったが、結果
はほとんど変わらなかった。
7 2013 年 4 月の展望レポートの基本的見解では、「輸入物価については、国際商品市況が世界
経済の成長に沿って緩やかな上昇基調をたどるとの想定のもと、見通し期間中、上昇を続ける」
と記述されている。もっとも、当時の政策委員が想定していた原油価格の具体的な上昇ペースに
ついて、これ以上詳細な情報が明らかでないため、ここでは簡便的に見通し作成時点の水準で先
行き一定と仮定している。この結果、以下で示す分析では、物価見通しの下振れを説明する要因
4
接、見通しを公表していないため、2013 年第 1 四半期の需給ギャップの実績値
を出発点として、四半期換算した政策委員の GDP 成長率の見通しと、潜在成長
率の見通しの差分を累積していくことによって作成した(詳細は補論参照)。四
半期でみた消費者物価の見通しは、各年度内で一定のペースで加速しつつも、
年度平均の伸びでみれば、政策委員見通しの中央値と一致するよう作成した。
VAR の推計に用いる 4 変数の四半期ベースの見通しと実績値は、図表 2 で示
したとおりである。原油価格は、QQE 開始当初は見通し対比やや上振れて推移
していたが、2014 年夏以降急落し、見通しを大幅に下回ったことが確認できる。
他方、為替レートをみると、QQE 導入直後から 2015 年央にかけて、見通し対比
円安化が進行していたが、その後は、円高方向への巻き戻しが起こっている。
需給ギャップは、2014 年初までは概ね見通しに沿って改善していたものの、2014
年春の消費増税後は横ばい圏内の動きに転じ、見通し対比でみた下振れ幅を
徐々に拡大させている。消費者物価の前年比も、2014 年夏頃までは、概ね見通
しに沿ってプラス幅を拡大させていたものの、その後は見通しから下方に乖離
し、プラス幅が縮小している。
図表 3 では、四半期ベースでみた需給ギャップと消費者物価について、見通
しと実績値をフィリップス曲線で確認している。(1)の政策委員見通しでは、消
費者物価は、需給ギャップの改善を伴いつつも、過去のデータで単回帰したフ
ィリップス曲線が示唆する以上のペースで――つまり、予想物価上昇率の高ま
りを背景としてフィリップス曲線が上方にシフトアップしながら――、上昇率
を高めていく姿となっている8
。一方、(2)の実績をみると、2014 年前半までは、
過去のフィリップス曲線が示唆する以上のインフレ率の上昇が観察されるもの
の、その後は、原油価格急落の影響もあって、右上がりのフィリップス曲線の
関係を崩しながら、物価上昇率が低下していった姿が確認できる。
3.実証分析結果
(1)インパルス応答
推計した VAR に基づくインパルス応答の結果は、図表 4〜7 に示されている。
として、原油価格下振れの寄与をやや過小に評価している可能性がある。
8
実際、この点について、2013 年 4 月展望レポート(背景説明)は、「消費者物価の前年比は
需給バランスの改善に伴い過去の正の相関に沿って上昇していくとともに、予想物価上昇率の高
まりからフィリップス曲線自体も徐々にシフトアップしていく姿を想定している」と記述してい
る。
5
図表 4 は原油価格ショックが各変数に及ぼす動学的影響、図表 5 は為替レート
ショックが各変数に及ぼす動学的影響、図表 6 は需給ギャップショックが各変
数に及ぼす動学的影響、図表 7 はインフレ固有ショック(inflation-specific shock)
が各変数に及ぼす動学的影響を示している。その際、各ショックの大きさは全
て 1 標準偏差であり、原油価格、為替レート、需給ギャップの反応はレベルで、
消費者物価の反応は前年比に換算して図示している。実線が推計されたインパ
ルス応答、シャドーは 90%の標準誤差バンドである。
まず、原油価格の影響をみると(図表 4)、原油価格の上昇ショックは、需給
ギャップの改善をもたらすとともに、消費者物価の上昇率を 2 年程度に亘って
統計的に有意に押し上げている。ここでは、原油価格変動の背後にあるメカニ
ズムに関し、需要要因か供給要因かの区別を行っていない点に注意する必要が
ある。原油価格の上昇が、主として新興国経済の拡大など需要要因によって生
じているのであれば、直接的にエネルギー価格を上昇させるだけでなく、新興
国向け輸出の増加を通じて需給ギャップを改善させるため、間接的にもインフ
レ率の押し上げ要因となり得る。一方、原油価格の上昇が、主として OPEC の
協調減産といった供給要因によって生じているのであれば、交易条件悪化を通
じて需給ギャップの悪化に繋がり、これは、やや長い目でみて、間接的にイン
フレ率にマイナスの影響を及ぼし得る。ここで推計した VAR のインパルス応答
によれば、サンプル期間の平均でみると、前者の需要要因が後者の供給要因を
上回り、原油価格の上昇ショックは需給ギャップの改善をもたらしている。以
下で示すヒストリカル分解結果も、このインパルス応答に基づいて行っている9
。
次に為替レートの影響をみると(図表 5)、円安ショックは、需給ギャップの
改善をもたらすとともに、消費者物価にも有意で持続的なプラスの影響を及ぼ
す。需給ギャップの影響をみると(図表 6)、フィリップス曲線が示唆するとお
り、需給ギャップの改善は、消費者物価に対し有意なプラスの影響を及ぼして
いる。仔細にみると、正の需給ギャップショックの発生後、需給ギャップ自身
は 2〜3 四半期後、消費者物価の前年比は 5〜6 四半期後にピークを迎えるコブ
型(hump shape)の反応を示しており、インフレ率は需給ギャップにラグを伴っ
て反応している。
最後に、インフレ固有ショックの影響についてみると(図表 7)、プラスのシ
ョック発生後、消費者物価の前年比は 1 年程度、統計的に有意に押し上げられ
9 2014 年夏以降の原油価格の急落について、需要と供給のどちらの要因が大きかったかは実証
的に非常に重要な論点ではあるが、本稿の分析の射程を超えているため、ここでは立ち入らない。
この点に関する分析は、例えば Baumeister and Kilian (2016)を参照。
6
たあと、比較的速やかにゼロ%程度に収束していく10。このインフレ固有ショッ
クは、原油価格や為替レート、需給ギャップでは説明できないインフレ率のシ
ョックを表している。これには、例えば、制度要因を背景とする公共料金の価
格変更などに加えて、外生的なインフレ予想の変化(例えば、インフレ目標引
き上げによるフォワードルッキングなインフレ予想の上昇)も含まれると考え
られる。
(2)識別されたショックとヒストリカル分解
図表 8 では、見通しを用いて推計した VAR で識別されたショックと、実績値
を用いて推計した VAR で識別されたショックを比較している。まず、原油価格
ショックをみると、見通しでは、ショックの発生をほとんど見込んでいなかっ
た一方、実績では、2014 年夏以降の原油価格の急落局面において、負のショッ
クが連続的に発生したことが確認できる。この間に発生した負の原油価格ショ
ックの規模は、過去のショックと比べてもかなり大きめであり、かつこれほど
多くの頻度で負のショックが発生し続けた局面は過去には観察されない。次に、
為替レートショックをみると、原油価格と同様、見通しでは大きなショックの
発生を見込んでいない。実績をみても、QQE 開始から 2014 年央まではさほど大
きな為替レートのショックは発生していないが、2014 年 10 月の QQE の拡大後
には、比較的大きな円安ショックが発生している。もっとも、2015 年夏以降は、
新興国経済の減速が明確となり、それに伴い国際金融資本市場も不安定な動き
となるもとで、相応の規模の円高ショックが連続的に発生したことがわかる。
需給ギャップショックをみると、見通しでは大きめのアップダウンが観察され
るが、これは、主として、見通し作成時点で予定されていた 2014 年 4 月と 2015
年 10 月の 2 回の消費増税前後の駆け込み需要と反動に対応している。実績をみ
ると、2014 年初までは概ね見通しに沿った動きとなっているが、消費増税直後
に当たる 2014 年後半の戻りが、見通し対比やや弱めとなっているうえ、2015 年
には、消費増税が実際には延期されたにも拘わらず、やや大きな負のショック
が発生している。最後に、インフレ固有ショックをみると、見通しでは、2015
年度末にかけて、正のショックが連続的に発生することが見込まれている。こ
れは、政策委員見通しが、QQE 導入に伴う「金融政策のレジーム変化」を受け
て、見通し期間中、フォワードルッキングなインフレ予想が段階的に切り上が
10 なお、インフレ固有要因にプラスのショックが発生すると、為替レートが円高化するととも
に、需給ギャップが(統計的に有意でないにせよ)若干悪化しているのは、サンプル期間の平均
でみれば、金融政策がインフレ率の外生的な上昇に対し引締め方向に反応していた可能性を示唆
している。
7
っていくと想定していたと解釈される11。実績をみると、2013 年中は、ほぼ見通
しどおり正のショックが発生しているものの、2014 年入り後は、見通しと異な
り、大きめの負のショックが発生したことが確認できる。2015 年前半には再び
正のショックが発生したものの、後半には再び大きめの負のショックが発生し
ている。
以下では、見通しの値を用いて推計した VAR に基づき、消費者物価のヒスト
リカル分解を行う。これは、QQE 導入当初、日本銀行の政策委員見通しがどの
ようなメカニズムで消費者物価が 2%に向けて上昇率を高めていくと考えてい
たかを、定量的に表したものに相当する。結果をみると(図表 9(1)@)、政策委
員見通しは、@需給ギャップの改善は緩やかにインフレ率を押し上げていくと
みていたこと、A原油価格は、既往の下落ショックの影響が見通し期間前半に
若干残るものの、その後はそれが剥落するとみていたこと、B2012 年末から 2013
年初にかけて進行した大幅な為替円安が、かなり持続的にインフレ率を押し上
げるとみていたこと、C為替円安と並んで、インフレ固有の要因も、持続的な
物価押し上げ要因になると見込んでいたこと12、がわかる。前述のとおり、イン
フレ固有要因のプラスは、原油価格や為替レート、需給ギャップでは説明でき
ないインフレ率の上昇を意味しており、これは、基本的に政策委員見通しがイ
ンフレ予想について相応の上昇を見込んでいたことを意味している。
次に、実績値を用いて VAR を推計し、同様の消費者物価に関するヒストリカ
ル分解を行う。結果をみると(図表 9(1)A)、@為替レートは、概ね見通しに沿
って、押し上げ寄与を拡大していったこと、A原油価格は、見通しと大きく異
なり、2014 年度後半以降、大幅な下押し要因として作用したこと、B需給ギャ
ップの押し上げ寄与も、見通しと比べると小幅にとどまったこと、Cインフレ
固有の要因は、2014 年末以降、見通しに反し、押し上げ寄与を大幅に縮小して
しまったこと、が確認できる。
11 仮に、「金融政策のレジーム変化」によって、予想インフレ率の恒常的なシフトアップが起
こり、その後、十分に時間が経過しているのであれば、VAR は、サンプル期間のある特定の時
点以降、インフレ率の定数項に構造的な上方シフトが生じていると定式化して推計すべきであろ
う。もっとも、QQE 導入以降、さほど時間が経過しておらず、それによる構造変化の有無を検
出するのに十分な時系列データが揃っている訳ではないため、本稿では、QQE 導入によってイ
ンフレ予想のシフトアップが起きたのであれば、それはインフレ固有要因における連続的な正の
ショックとして現れてくると考えている。
12 なお、2011 年頃にも、インフレ固有要因は、比較的大きめのプラス寄与を示している。これ
には、当時、@傷害保険料や自動車保険料の値上げが実施されたことや、Aテレビが銘柄変更を
受けてマイナス寄与を大きめに縮小したことが影響している。
8
図表 9(2)は、見通しと実績のヒストリカル分解の「差」を示したものである。
2015 年度の消費者物価の前年比は、見通し対比−1.9%下振れている。このうち、
約 5 割に相当する−1.0%ポイント程度は、原油価格の下振れによって説明可能
である。それ以外については、1 割強(−0.3%ポイント)が需給ギャップの下
振れ、3 割強(−0.7%ポイント)がインフレ固有の要因となっている。需給ギ
ャップ要因の下振れは、主に 2014 年後半以降に生じている点を踏まえると、こ
れは、主として、消費増税以降の消費の弱さを表している可能性が高い。他方、
インフレ固有要因の下振れは、主として予想物価上昇率の下振れを表している
と解釈される。QQE 導入当初、日本銀行政策委員は、中長期的な予想物価上昇
率の先行きについて、「『量的・質的金融緩和』のもとで 2%程度に向けて次第に
収斂していく」と想定していた(2013 年 4 月展望レポート)。実際の予想物価上
昇率の動きをみると、「総括的な検証」に纏められているとおり、多くの指標は、
2014 年夏まで順調に上昇傾向をたどっていたものの、その後横ばいに転じ、2015
年夏以降は弱含みとなっている(日本銀行、2016)。こうした予想物価上昇率の
下振れがなぜ生じたかについては、「総括的な検証」(日本銀行、2016)や、そ
の内容を補足説明した西野他(2016)において、別途、詳細な分析が行われて
いるため、ここでは立ち入らないが、筆者らは、この間のベースアップ賃金の
上昇ペースが想定以上に鈍かったことの影響が大きいと考えている。すなわち、
わが国では、20 年弱に及ぶ長期デフレの中で定着してしまった、「物価は上がら
ない」という社会通念(ゼロインフレ・ノルム)は根強く、金融政策のレジー
ム変化が、実際の労使間の賃金交渉に及ぼしたプラスの影響も想定よりも小幅
なものにとどまったと考えられる。換言すれば、中央銀行の掲げるインフレ目
標が「信認」され、2%の物価上昇が既にノルムとして経済社会に定着している
欧米諸国と異なり、わが国では、QQE 導入以降も、インフレ目標によって規定
されるフォワードルッキングな期待が実際の賃金・物価形成に与えた影響は、
限定的なものにとどまった可能性が高い。
標準的なニューケインジアン型の粘着価格モデルでは、インフレ目標が 2%に
引き上げられ、それが人々に完全に「信認」されれば、予想インフレ率は瞬時
に 2%にジャンプし、実際のインフレ率も素早く 2%に収束する。実際にそのよ
うなことが起きない理由として、インフレ目標が人々に完全に信認されるまで
には相応の時間を要することを指摘した先行研究は幾つか存在する。例えば、
De Michelis and Iacoviello (2016)は、QQE 導入以降のわが国の経済状況は、ディ
スインフレ政策が完全に信認されインフレが終息するまでにかなりの時間を要
した米国のボルカー・ディスインフレーションのエピソードと類似していると
指摘している。そのうえで、彼らは、こうしたわが国の状況を説明するモデル
9
として、Erceg and Levin (2003)に倣い、人々がインフレ目標引き上げによる「恒
常的な」インフレ率の上昇と、「一時的な」インフレ率の上昇を完全に峻別出来
ないこと(imperfect observability)を取り入れた、動学的一般均衡(DSGE)モデ
ルを提示している。また、Hausman and Wieland (2015)は、アベノミクスは、黒
田(2013)や Romer(2013)が例に挙げた大恐慌時のルーズベルト政策のように、
レジームチェンジ効果を持つと期待されたが、実際には、その効果は期待した
ほど大きくなかったとの見解を示している。そのうえで、彼らも、わが国で大
規模な金融緩和にも拘わらず、予想物価上昇率が 2%まで上昇しない理由として、
インフレ目標に対する人々の信認の問題を挙げている。
4.結論
本稿では、QQE 導入から 3 年余りが経過した後も、消費者物価(除く生鮮食
品)の前年比上昇率が「物価安定の目標」である 2%程度に到達しなかった背景
について、定量的に検証した。具体的には、VAR のヒストリカル分解の手法を
用いて、消費者物価がどのような要因によって QQE 導入当初の日本銀行の見通
しから下振れたのかを実証的に明らかにした。2013 年4月時点の政策委員見通
しについて幾つかの強い前提をおいたうえではあるが、分析の結果、2015 年度
の消費者物価前年比の下振れ幅(−1.9%ポイント<見通し:+1.9%、実績:0.0%
>)のうち、約 5 割(−1.0%ポイント)は原油価格の下振れによるものであり、
それ以外については、1 割強(−0.3%ポイント)が需給ギャップの下振れ、3 割
強(−0.7%ポイント)がインフレ固有の要因に起因することがわかった。イン
フレ固有の要因は、需給ギャップや原油価格、為替レートでは説明できない消
費者物価の下振れを意味しており、これは、予想物価上昇率の高まりが当初の
想定に比べると小幅なものにとどまったことを表しているとの解釈を提示した。
本稿では、時系列分析に耐えうる長期の四半期データが存在しないとの理由
から、インフレ予想そのものを分析対象に含めていない。QQE 導入という「金
融政策のレジーム変化」が、人々のインフレ予想、なかんずくフォワードルッ
キングな予想形成にどのような影響を及ぼし、これが実際の賃金・物価形成に
どのような変化をもたらしたのかについて実証的に分析することは、今後に残
された重要な課題である。
以 上
10
(補論).需給ギャップの政策委員見通しの試算方法
展望レポートで明示的に見通しが公表されていない需給ギャップの四半期パ
スについては、具体的に以下の手順で作成した。
(1)潜在成長率の見通し
潜在成長率については、2013 年 4 月の展望レポートの記述を参考に13、年度ベ
ースで 2013 年度+0.5%、2014 年度+0.6%、2015 年度+0.7%としたうえで、四
半期でみた前期比は各年度内で等速と想定した。
(2)GDP 成長率の見通し
まず、ベースラインの GDP 成長率として、「消費税率引き上げの影響を除く
ベース」でみた年度の成長率見通しを、2013 年 4 月の展望レポートの記述に則
して計算したうえで14、これを「各年度内で等速成長」との仮定のもと、四半期
の成長率に換算した。
次に、2014 年 4 月の消費税率引き上げが実質 GDP 成長率の四半期パスに及
ぼす影響について、以下のとおり計算した。
@ 駆け込み需要は、消費税率引き上げ直前の 2 四半期で集中的に発生し、合計
で 2013 年度の実質 GDP 成長率を+0.3%ポイント押し上げると想定した。
さらに、消費税率引き上げ直前の方が駆け込みの規模は大きくなるとの仮定
のもと15、駆け込み需要全体を、2013 年 10〜12 月と 2014 年 1〜3 月で、1:
4 の割合で割り振った16。
13 2013 年 4 月の展望レポートの基本的見解では、「わが国の潜在成長率を、一定の手法で推計す
ると、見通し期間平均では『0%台半ば』と計算されるが、見通し期間の終盤にかけて徐々に上
昇していくと見込まれる」と記述されている。
14 2013 年 4 月の展望レポートをみると、実質 GDP 成長率の見通しは、2013 年度+2.9%、2014
年度+1.4%、2015 年度+1.6%となっている。また、同レポートは、消費税率引き上げの影響に
ついて、2013 年度+0.3%ポイント程度、2014 年度−0.7%ポイント程度、2015 年度+0.2%ポイ
ント程度と見込んでいる。以上から、消費税率引き上げの影響を除いた成長率の見通しは、2013
年度+2.6%、2014 年度+2.1%、2015 年度+1.4%と計算される。
15 この点については、2012 年 10 月の展望レポートの BOX.3 の分析を参考。
16 消費税率引き上げの影響に関し、2013 年 4 月の展望レポートの背景説明では、「消費税率の引
き上げは、主として税率の引き上げ前後の駆け込み需要の発生とその反動(異時点間の代替効果)
を通じて、経済に影響を及ぼすと考えられる。すなわち、2013 年度下期に、1回目の消費税率
引き上げ前の駆け込み需要が発生したあと、2014 年度上期にはその反動から成長率が大きく鈍
化すると予想される。2015 年度にも、上期に2回目の消費税率引き上げ前の駆け込み需要の発
生と、下期にその反動が予想されるが、2回目については、@税率の引き上げ幅が小さいこと、
11
A 反動減は、駆け込み需要と同規模であり、かつ消費税率引き上げ直後の 2 四
半期で、駆け込み需要と対称的に発生すると仮定した。
B 駆け込み需要の反動減だけでは説明できない 2014 年度の実質 GDP 成長率
の低下(前年比−0.2%ポイント程度)は、実質所得の減少効果によると考
え、その分 2014 年 4〜6 月の実質 GDP 前期比を低下させた。
QQE 導入当時に予定されていた 2015 年 10 月の 2 回目の消費税率引き上げが
実質 GDP 成長率の四半期パスに及ぼす影響については、駆け込み需要と反動減
の規模が 1 回目の半分になると仮定した以外、1 回目と同様の方法で計算した。
最後に、ベースラインの消費増税の影響を除いた成長率に、上記で計算した
消費税率引き上げの影響を加味して、四半期ベースの成長率見通しを作成した。
以上のステップで作成した実質 GDP 成長率見通しのパスは、補論図表のとおり。
(3)需給ギャップの見通し
最後に、2013 年第 1 四半期の需給ギャップの実績を出発点に、以上で求めた
四半期ベースの潜在成長率の見通しと GDP 成長率の見通しの差分を順に累積
していくことにより17、四半期ベースの需給ギャップの見通しを計算した。
A1回目の引き上げ前にある程度前倒しで駆け込み需要が発生している可能性なども踏まえる
と、駆け込みの規模はさほど大きくならないと考えられる」と記述されている。
17 正確に言えば、2013 年 4 月の展望レポート作成時点で、2013 年 1〜3 月の需給ギャップの実
績値は入手できていない。ここでは、政策委員見通しは、2013 年 1〜3 月の需給ギャップの実績
値を「完全予見」していることを implicit に仮定している。
12
参考文献
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的検証」補足ペーパーシリーズ@).
日本銀行 (2016)、「『量的・質的金融緩和』導入以降の経済・物価動向と政策効
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Romer, Christina (2013), “It Takes a Regime Shift: Recent Developments in Japanese
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the NBER Macroeconomics Annual Conference, April 12, 2013. In NBER
Macroeconomics Annual 28, 383-400.
(注)消費者物価見通しの中央値は、消費税引き上げの影響を除くベース。
http://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2016/data/wp16j13.pdf
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