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誰が日本を壊したか?「バブル」を検証することが今こそ必要な理由 歴史を学ばずして未来はない(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/16/hasan116/msg/250.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 11 月 29 日 08:55:55: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


誰が日本を壊したか?「バブル」を検証することが今こそ必要な理由 歴史を学ばずして未来はない
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50315
2016.11.29 岩瀬 大輔 現代ビジネス


■バブルを知らない世代へ

「岩瀬君のようにバブルを知らない世代に読んで欲しい本を書いている」

バブル時代に日経証券部のキャップとして大活躍したジャーナリスト、永野健二氏からそのように言われていた本が、ようやく上梓された。

あの時代をMOF担として渦中で過ごし、最近では読売新聞の書評委員として筆をふるう当社(ライフネット生命)会長の出口治明をして、「あのバブルの時代は何だったのか、誰かにきちんと総括してほしいとずっと渇望していた。やっと読み応えのある1冊に出会った気がする」と言わしめた一冊である。

               

私なりに本書の内容を整理すると、次の通りである。

1973年の変動相場制への移行とオイルショックを受けて、80年代には世界的な金融の自由化が進み、膨大な量のマネーが世界中を動き回るようになった。

日米独の当局は米国の不況脱出を後押しするドル安為替介入・金利引き下げなど協調的なマクロ経済政策を実施するが、国内で求められる経済政策とは必ずしも整合性が取れておらず、矛盾を孕んでいた。

本来であればこの時代に、日本も土地担保主義・銀行貸し出しを中心とした間接金融のシステムから、資本市場で資金調達を行う直接金融への移行を進めるべきだった。

野村證券が大蔵大臣に直訴した「野村モルガン信託構想」、ひとりの大蔵官僚が奔走したが挫折に終わった「興銀の投資銀行化構想」、日本初のM&A専門家とも言えたミネベア高橋高見社長が進めた敵対的M&Aなど、変革を推進する動きはあったが、それらはことごとく変革を拒むエスタブリッシュメント(大蔵省、興銀をはじめとした銀行)によって潰された。

「宮本(注:保孝・元銀行局長)は言う。『戦後40年にわたって存続してきたわが国の金融制度を根幹から覆すものであり、金利の自由化ですらまともにスタートしていない時点で、いきなり制度問題を持ち出されても、到底認めることはできない相談であった』。

もともと認めるつもりもない『案件』であるにもかかわらず、何事か考えたふりを装い、大臣に頭越しで話を持ち込まれると、過敏に反応する。『悪代官』と『農民』の関係そのものだった」(p.56)

そんななか、1985年9月のプラザ合意を受けて1ドルが242円から150円台へと急騰、日銀は円高不況対策と米国が望む内需拡大として公定歩合を86年から87年にかけて5.0%から2.5%まで下げる空前の金融緩和政策を実施し、過剰流動性による資産バブルが進んだ。

土地を担保とした信用創造、ジャブジャブな融資による地価と株価の高騰。

これはよく見られるバブルの構図である。事業会社による安価な資金調達を活用した高リスクの運用(「財テク」と呼ばれた)が横行したことはこの頃の日本の特徴か。

金融のグローバル化にまだ不慣れな日米独当局も、為替・金利・株式の相互作用ないしトリレンマ、マクロ経済政策へのインプリケーション、あるいはシステミックリスクへの対応などを十分に理解していなかったようにも感じる。


■真の金融のプロが霞が関にいなかった

高株価を利用した敵対的M&Aも多く見られた。筆者(永野氏)は開かれた資本市場で適正な価格形成メカニズムを担う敵対的M&Aを歓迎している。

いなげや・忠実屋事件、小糸・ピケンズ事件は司法試験受験生であれば誰しも判例を学んだ事案だが、ここでも現代的な資本主義を象徴する敵対的買収の動きを、日本的な事なかれ主義で片付けようとする国内の各種エスタブリッシュメント勢力に対して、筆者は苛立ちを隠さない。これらの議論は20年経った2006年頃にも、村上ファンドなどを通じて再燃した。

加えて筆者は、バブルのダメージを抑えるためのチャンスが何度となくあったが、それが官僚や銀行に止められたことを批判的に綴っている。本書を通じて「あのときもし」という筆者のため息が何度も漏れ聞こえてくる。

その分、反動としての失望感も小さくない。

「乾いた薪に灯油をぶちまけるような」特金・ファントラへの投資枠の拡大によってバブルを助長させた大蔵省、一流銀行が免許事業としての社会的責任を忘れて拡大し続けた常軌を逸した融資、財テクに走った三菱商事と慎んだ三井物産の違い、そしてバブルの最終局面でも責任追及を逃れるために現実を直視せず、宮澤総理と三重野日銀総裁が用意した銀行への公的資金注入案を拒絶する経営者と官僚……。

「80年代のバブルとは、戦後の復興と高度成長を支えたこの日本独自の経済システムが、耐用年数を過ぎて、機能しなくなったことを意味していた。日本経済の強さを支えてきた政・官・民の鉄のトライアングルが腐敗する過程でもあった」(p.3)

あとから気がついたのだが、本書には政治家がほとんど登場しない。レーガノミクスによって「経済学」が純粋な学問から政策的機動的に運用される「政治経済学」へシフトした、という記述があるにもかかわらず。あえていえば企業間の紛争を解決する調停役として、そしてリクルート株の受益者として登場するくらいだ。

当時の経済政策は大蔵省・日銀のテクノクラートに丸投げされていたということだろうか。財金分離前、そして日銀の独立性が曖昧だったこの時代、真の金融の専門家は霞が関に不在だったのではないか。

長期的視野で考えるプロの金融ポリシーメイカーがいないこの時代にあって、政策立案を委託された官僚たちもその場しのぎの政策しか遂行できなかったように感じる。


■果たして日本は変わったのか

本書の特徴は、各章がひとりの主人公を置き、その息遣いが聞こえてきそうなエピソードで進むことだ。

「私の心のふるさとは住友銀行だ」(小谷光浩・光進総帥)

「海の色が変わった」(田淵節也・野村證券会長)

時代を象徴する、ふとした言葉を引き出し、書きとめた。このジャーナリストの手による臨場感と、同時に大きな流れが太い糸によってタテヨコで繋がっている、学者の手によるような出来事の有機的な分析が同時に描かれている感覚。もちろん、これでも筆者が見聞きしてきたことのほんの一部しか書かれていないのだろう。

強く印象に残ったのが、エスタブリッシュメント層への厳しい態度とは裏腹に、「バブル紳士」と呼ばれた企業家たちへ向けられる、暖かい眼差しである。

社会を革新させるのはいつの時代も異端な挑戦者であることへの強い信念。

当時主要なプレイヤーを取材し、彼らの情熱と矛盾を肌で感じ、ひとりひとりの人となりと物語を知っていた筆者だからこそ向けられる視線ではないか。そしてそれこそが、これまで語られなかった真のバブル時代の物語である、ということではないか。

「これまで数多くのバブル論が語られてきた。また、バブルを反省する声もたくさんあった。ただ、あのバブルの時代の渦中に、誰がどう振る舞っていたか、またどの組織が、どんな行動を取っていたかを、語っているものが少ない。

誰が何にチャレンジしていたのか。そして何に敗れ、何を否定されたのか。バブルの時代という大きなうねりのなかで、敗れて行った人たちや、否定された人たちの行動の中にこそ、変革への正しい道筋が埋もれているのではないか」(p.262)

「秀和の小林茂、麻布建物の渡辺喜太郎、光進の小谷光浩など日本の経済社会で異端児、もっといえば成り上がりと蔑まれていた人たちに、ある種の親近感をもっていた。バブルのあの時代に「成り上がろう」としたら、この人たちにとって他に表現方法はなかった、と今でも思う。問題があったとすれば、このような人たちの野心や欲望に、何の反省もなく融資し続けた銀行でありノンバンクではないだろうか。またそうした制度を放置し続けた行政ではないだろうか。

資本主義のなかの企業家精神には、いつも上昇志向とともに、ある種のいかがわしさが潜んでいるものなのである。それをチェックし、上限を設けるのが、金融機関であり、官僚の仕事ではなかったか」(p.264)

あれから20年を超える歳月を経た。日本は果たして変わったのか。

革新を起こすべくいささか野蛮にも現状打破に挑戦し続ける企業家たちを受容し、賞賛する風土はできたのか。

口では正論を唱えつつも真に必要な変革を官僚たちはサボタージュしていないか。

金融システムを担う個社の経営者は、免許事業としての矜持を持って日々の業務にあたっているか。

本書が単なる懐古趣味的なバブル時代の回想録にとどまらず、現代的な意義をもつとすれば、それはこのような点を私たちが問い続けることにあるのではないか。



 

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コメント
 
1. 中川隆[5186] koaQ7Jey 2016年11月29日 09:17:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5620]
一番重要な事を意図的に隠してるのが何かな-

バブルはアメリカの指示で作らされたんだよ:


『1980年代から1990年代にアメリカは、日本に対しすさまじいばかりの金額の内需拡大要求をしています。その要求を丸呑みした小沢一郎は、元祖媚米派というべき存在です。  

アメリカは、80年代から90年代にかけては、アメリカ企業の需要拡大のために「内需拡大」を唱えていたものの、アメリカ企業の体たらくに匙を投げて、今度は日本企業そのものをアメリカ資本のものにしようという作戦に転じたのかもしれません。  

アメリカ大好きの自称保守は、80年代から90年代にかけてのアメリカの理不尽とも思える「内需拡大要求」についてはどう弁明するつもりでしょうか。 』


上のアメリカが小沢・金丸に八年間で四百三十兆円も公共事業に使わせた理由の推測は完全に間違っていますね。

真実は、純真な小沢信者さんが信じているより遥かに恐ろしかったのです:


その昔、日本は国民総ででバブルに踊った時代がありますたね。バブルを起こして潰す。奴ら(中川注 ロックフェラーとロスチャイルドの事)の詐欺手口の最たるものですた。 バブルがはじけて今では失われた10年と言われていますが、今だに日本経済はその後遺症を引きずっています。自殺者はバブル崩壊から毎年3万人。今だにその数は変わっていません。

その手口を見れば分かるのですがいつもワンパターンです。

最初は甘い話でカモを釣る。こうやれば儲かりますよ。おいしい話でカモを誘います。
そしてころ合いを見計らって真っ逆さまに突き落とす。詐欺師の典型的なパターンです。

最初に奴らはバカスカ札束を刷って、バブルを引き起こす。銀行は貸して貸して貸しまくる。株に投資すれば儲かるよ。土地を買えば儲かるよ。そしてカモが罠にかかったころ合いで急に蛇口を閉める。貸し渋りをやるわけです。これをやられたら投資家はいきなり資金難に陥ります。そして、資金難に陥ったカモ達から担保として株、土地、あらゆる資産を奪い取るのです。昔からやっていることは同じです。

いい加減気付いたらどうかと思うのですが、今だに引っ掛かっている人がいます。

その当時の日銀総裁であった澄田智(すみださとし)と言う方をご存じでしょうか。日銀退官後は日本ユニセフ協会の会長などをやっていた方です。

澄田さんがバブル潰しの張本人と言われています。

プラザ合意以降、5%だった金利を2.5%に下げ、銀行は貸して貸して貸しまくった。その当時は、黙ってても銀行が頭を下げて貸しに来たという話は誰でも覚えているはずです。そういうジャブジャブ溢れた資金が株や不動産に流れ込んだ。借金しても金利は安いし土地や株を買えば値上がりするしで猛烈なバブルが起きたのですた。

そしてバブルが膨らみきったころ合いを図って、澄田さんはいきなり公定歩合を8%、長期金利は 10%まで引き揚げた。蛇口を閉めたのですた。借金すると金利が高い。値下がりリスクのある株や不動産よりも安全な銀行預金の方が良いということで投資家は一斉に株と不動産から資金を引き上げた。土地や株は一気に値下がり=バブル崩壊と言われています。

バカスカ金を貸し出して狂乱状態を作ってからブルを破裂させる。

その後には膨大な焼け野原、不良債権の山だけが残る。

それを二束三文で奴らが買い叩く。

昔からの手口。ばればれの三文シナリオだったのですた。

さて、それにしても、そのバブル潰しの張本人澄田さんはどのような経歴の持ち主だったのでしょうか。

澄田さんと言えばフランスに留学した留学組で、その後ベルギー大使館、フランス大使館の一等書記官からキャリアをスタートしたエリート官僚ですた。

そしてその後は、順調に大蔵省で出世して日銀総裁になっています。

澄田さんとフランス財界のつながりはお父様の代から囁かれていますた。

澄田智さんは、日銀総裁を辞めた後、ロス茶イルドフランスの旗艦、投資銀行ラザール・不レールに最高顧問として天下りしています。

ちっとはカモフラージュでもして隠せと思うのですが、親子二代に渡って奴らの充実な部下だったという、そのまんまの経歴の持ち主ですた。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/

1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街では、世界大恐慌の引き金となって、株式大暴落が起こりました。そして、あれから60年後、今度は日本を叩き潰す為に、1990年2月、巨大な経済の逆回転が始まり、平成バブル経済が崩壊しました。

 平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)は、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦後の次の敵は、日本だと考え始めていました。

事実、1989年秋から始まった、アメリカ系証券会社の株価動向は不気味な動きをし始めました。バブルと、その崩壊に携わったのは、ユダヤ系の金融機関であるソロモン・ブラザーズという証券会社でした。

 ソロモン・ブラザーズは資本主義の歴史に詳しく、また日本の昭和初期の経済にも精通していて、1989年11月、ニューヨークで「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という『プット・ワラント』のデリバティブ商品を機関投資家や大口投資家に大量に売り始めたのでした。それ以来、ソロモン・ブラザーズが中心になって、債券、為替、株価のトリプル安が始まります。これがバブル崩壊の裏側に隠れたメカニズムだったのです。

 バブル崩壊のシナリオは、どのようにして仕組まれたのか、その筋書きを追ってみましましょう。

 バブル絶頂期は、1989年にそのピークを迎え、株価は天井でした。この時、多くの日本人は、株価の高騰並びに地下の高騰に、湧きに湧き、怕(こわ)いもの知らずで、日本の投機家達は今迄になく傲慢になっていました。そしてこの頃、事実CIAは、アメリカの敵は日本であると考え始めていました。

 CIA経済部門のスペシャリスト達は、アメリカ系証券会社のソロモン・ブラザーズと手を組み、日本経済の崩壊作戦に向けて本格的に動き出しました。これが今日の不況を長引かせる要因を作ったのです。これが日本株式市場に於ける下落のシナリオ「バブル崩壊作戦」でした。

ソロモン・ブラザーズは、1989年当時の沸き立つような好景気も、60年前のアメリカ・ニューヨーク.ウォール街での大恐慌と同一のものであると、そのバブル崩壊を予測したのです。

 かつて、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの配下であったロックフェラーやデュポン(世界最大の化学メーカー)らは、この大恐慌を利用して天文学的な巨富を手にしていました。ソロモン・ブラザーズはこれに因み、バブル崩壊を企てる研究に取りかかったのです。

 「どうしたら一儲けできるか」からはじまり、「どうしたら日本経済を徹底的に叩く事が出来るか」という結論を導き出し、日本経済崩壊に向けて模索し始めたのです。
 60年前のウォール街での「暗黒の木曜日」の立役者は、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの息の掛かる東部のエスタブリュシュメント達(ロックフェラーを筆頭に、デュポン、ケネディ、オナシス、アスター、バンディ、コリンズ、フリーマン、ラッセル、ファンダイン、リー・クアンシューの超大富豪十二家)でした。

 この者達は手持ち株を売り捲り、その結果、下落に下落を重ね、二束三文になった株式を買い叩いたのです。それで巨万の富を手にしたのですが、今日とは情況が違うことに気付きます。この難題に、しばらく苦慮しますが、ついに糸口を掴んだのです。

 その糸口とは、「何が株価を暴落させる要因になるか」と言うものでした。つまり株価が暴落する切っ掛けを作ればよいのです。そして、「下落によって、下がった株で大儲けできる商品を持っていればよい」ということに行き当たったのです。それが「デリバティブ」でした。

 デリバティブとは、金融派生商品(通貨・金利・債券・株式・株価指数などの金融商品を対象とした先物取引)のことで、「先物取引」という意味合いを持っています。
次の研究課題は「どうやったら大暴落を人工的に作り出し、然も、そのタイミングに合わせて、自分達の狙うポイントに、総てを集約することが出来るか」という研究に取りかかったのです。

 人工的に大暴落を作り出す場合、60年前の大恐慌では、アメリカの大富豪達による「大量売浴せ」という手法が使われました。

 大量売浴せとは、売方が買方の買数量より、多量の売物を出して買方を圧倒し、相場を押し下げようとすることで、「売り崩し」とも言われます。

 しかし、それでは巨額な資金が必要であり、当時と違って、それほど経済構造は単純なものではなくなっていました。研究に研究を重ねた結果、巧妙な手口を考え出します。

 それは、「膨らんだ風船を、更に膨らませる手口」だったのです。
 風船は、空気を送り込んで膨らませれば、それだけ膨らみますが、その実体は「バブル」です。膨らむものは、いつか破裂して、大爆発を起こす物理的法則に制約されます。経済とて、この法則下に制約されているのです。彼等はこれに気付いたのでした。

 彼等はそのシナリオを、綿密なストーリーで組み立てました。徐々に膨らみを見せる風船に、意図的に、頃合いを見計らって、更に膨らませ、次に急激に膨らませるという巧妙なストーリーを演出したのです。風船は、今まで徐々に、周囲の状態に馴染みながら膨らんでいたのですが、これに急激な吹圧を掛け、パンパンの膨張状態を作っておいて、一挙に破裂させるという巧妙な演出を画策したのでした。

 彼等は、この原理を東京株式市場に応用して、バブル崩壊を目論んだのです。

 そして彼等は「デリバティブ」という、風船を一突きにする「針」を手に入れ、膨張し過ぎて破裂状態になったところで、一突きにする演出を手がけたのでした。

1989年当時、日本人エコノミスト達は「デリバティブ」という「先物」の実体を知りませんでした。経済や金融の専門家でも、この実体が何なのか、未だに分からず仕舞いでした。またこの事が、バブル崩壊の悲劇を大きくし、当時の日本経済界は全く無防備であったと言えます。

ソロモン・ブラザーズは裁定取引を使って、意図的に、無防備な日本経済に先制攻撃を仕掛けたのです。

「梃子の原理」(レバレッジ)を利用して、なるべく少ない資金で、効果的にバブル崩壊に導く人工爆発の状態を作り上げる研究をしたのです。

次に、バブル崩壊に導く為に、彼等は日経平均の株価操作の研究に没頭しました。

 彼等は、この二つの研究から面白い現象に気付きます。それは日経平均株価が単純平均で作られた「指数」から出来ている事と、もう一つはこれらの指数の分析から、品薄な銘柄を意図的に買うと、少ない資金で日経平均株価を持ち上げることができるという経済現象に気付いたのです。

 こうして研究の成果を、実行に移した時期が1989年の秋から冬に掛けての事でした。日経平均株価は瞬く間に膨らみ、バブルは天井へと向かっていました。

 その頃、日本の話題はベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦構造が終焉を迎えれば、世界市場に進出できる等と、日本人経営者の多くが高を括っていた頃で、日本人の思い上がりの裏側では、こうした巧妙な仕掛けが、水面下で仕掛けられていたのです。
 大蔵官僚も、エコノミストも、この仕掛けには全く気付いていなかったのです。

ソロモン・ブラザーズの真の狙い

 当時の多くの日本人投資家は、「日経平均株価は10万円に到達する」と信じて疑わない人が多くいました。誰もが強気で、今こそ、この好景気に乗って、買いに転じる時機だと確信していたのです。その結果、バブルは急速な加速度をつけて、瞬く間に膨らみ始めました。

 この時、ソロモン・ブラザーズは信じられない事をニューヨーク・ウォール街で展開していました。

 1989年11月、彼等は「東京株式大暴落の図式」に則り、『プット・ワラント』という金融派生商品を売り始めていたのです。

 『プット・ワラント』とは、「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という新商品であり、この商品をアメリカの大口機関投資家に大量売り込みを図っていたのです。また、これには大口投資家も飛びついたのです。

 彼等の新商品に対するキャッチ・フレーズは

「年末から年始に掛けて、日本の株式は大暴落するから、60年前の《1929年10月24日の暗黒の木曜日》の時と同じくらいの大儲けが出来ますよ」

でした。 1990年1月2日、ニューヨーク・ウォール街では、日本とは逆に、信じられない現象が起こっていました。突然、為替が円安へと向かったのです。この円安はソロモン・ブラザーズが『プット・ワラント』販売に因み、債券や為替や株価の「トリプル安」を企てたものでした。

 そして1月が過ぎ、2月に入り、その月は既に中旬に入っていました。この頃、日経株価はジリ安でしたが、大暴落の兆しは現われていませんでした。

 日本人はまだ、この時にも何も気付いていなかったのです。そして日本経済が、瀕死の重傷に陥っている自覚症状すら、エコノミスト達は感じ取ることが出来なかったのです。

 当時の政治背景としては、自民党の政治家は2月中旬の衆議院選挙で大勝したことに祝杯を上げていた頃で、政界も財界も危機管理意識はなく、全く無防備でした。  日本人は、まさに「ライオンに、餌を差し出す為に手を伸す呑気な兎」でした。腕ごと食いちぎられるか、体ごと丸呑みされるかの、こうした危険すら感じる事もなく、呑気な行動をとっていたのです。

 日本人投資家が、株を買いに奔走している頃、アメリカの金融の裏側ではソロモン・ブラザーズの売り攻勢が激化を極め、これまでジリ安で状態であった株価は、一挙に大暴落へと転じました。バブル崩壊の引き金はこの時に引かれたのです。

ついに1990年2月末には、膨らむだけ膨らんだバブルは、日経平均15,000円台を大幅に割れ込みました。一挙に大暴落が起こったのです。

 ソロモン・ブラザーズの秘密兵器はデリバティブでした。

 デリバティブは現物と先物との価格差を狙った「サヤ取り」であり、「裁定取引」と「オプション」で、日本の株価は下落したら大儲けという派生商品です。この派生商品を、至る処に仕掛けておいて、株価を自由に操ったのです。バブル崩壊の大暴落は証券会社のみならず、大蔵省までを翻弄の渦に巻き込んだのです。

 この巧妙な仕掛けでソロモン・ブラザーズは、僅か三年の研究とその実行で、一兆円にも昇る莫大な利益を手にしたのです。

 そしてこの後、日本では更に悲惨な状態が続くことになります。

 日経平均株価の大暴落は、株式市場の株価下落だけに止まらず、不動産の分野にも悪影響が及びます。この悪影響は、政府が不動産融資へのマネー供給を停止するという事から始まり、今まで高騰を見せていた大都市の不動産の資産価値が急速に下落したことでした。

 この現象は大都会だけに止まらず、地方にまで波及していきます。不動産の資産価値が下落するとは、それを担保にしていた金融機関の担保価値も大幅に減少したということになります。こうして不良債権の波及が表面化するのです。

 これに対して政府の後手政策は、次から次へと傷口を広げ、日本の資産とマネーの急速な収縮は、今日に見る不景気と連動し始めることになります。

 昇り詰めたものは、いずれ落ちる。これは物事の道理です。この道理に随い、ソロモン・ブラザーズは、次のプロセスへと準備にかかります。 ソロモン・ブラザーズの真の目的は、ただ単に、日経平均株価を下落させて大儲けすることだけではなかったのです。

彼等の真の目的は、日本人の個人金融資産の1300兆円にも上る郵貯(郵便局で取り扱う国営の貯金事業で、元金・利子の支払いは国によって保証される)の食い潰しでした。日本のエコノミスト達は、この事すらも見抜けなかったのです。

 ソロモン・ブラザーズが研究の末に計画した事は、こうした下落が生じた時、政治家はもとより、財界人を始めとして、証券会社等が「これを何とかしろ」と、政府に詰め寄り、殺到することを計算に入れていたのでした。これこそ彼等の真の目的であり、ここに「日本発世界大恐慌」を画策した真の狙いが、ここにあったのです。
http://www3.ocn.ne.jp/~saigouha/paper03/kinyukeizainobokkou02.html


2. p4rhfeEDdk[179] gpCCU4KSgoiChoKFgmSCY4KEgos 2016年11月29日 13:27:36 : BHbKBDRuIU : VrM6trujbUE[34]
>1989年11月、彼等は「東京株式大暴落の図式」に則り、『プット・ワラント』という金融派生商品を売り始めていたのです。

1989年12月14日に土地基本法が成立。(当然、官僚がかなり前から事前準備しているはず)
これを踏まえて、12月21日に政府は土地対策関係閣僚会議を行い土地対策の方針を決定した。

12月16日澄田日銀総裁退任。
12月17日三重野日銀総裁。

株は上げるにも下げるにも、材料となる後押しが必要と思う。
年明けからの株式相場の下げっぷりを見れば、
不動産融資総量規制実施の情報が1989年末には、一部には漏れていた。
とするのが合理的判断だと思う。洩れた時期は澄田総裁の時が有力か。


それから、バブル時には不思議な現象が起きていた。
ドル安なのに原油価格も同時に下げていた。
今の常識で考えれば、ドルベースの原油価格は上がるはず。
当時の原油価格の下げはアメリカのご都合主義の結果か?

フセイン大統領がクウェートに進行したのは、原油価格の下げが原因だったと聞いてる。
当時の原油価格の下げがアメリカ主導であれば、
湾岸戦争は日本のバブルが原因?
バブルの原因は日米貿易摩擦。
日本の節操のない輸出企業が湾岸戦争を招いた?
それが、現在のテロへと繋がっている?


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