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中学卒・40歳・男性の4人にひとりが無職の現実「子供の貧困」対策こそ最も効果的な成長戦略
働き方の未来
2016年11月11日(金)
磯山 友幸
学力など「認知能力」は人工知能で代替されていく
高い学力などといった「認知能力」は今後、人工知能(AI)で代替されていくとすると、将来に向けて重要になるのは「生きる力」や「やり抜く力」「情熱」といった「非認知能力」であるという。厚生労働省の懇談会のメンバーとして「働き方の未来」について報告書をまとめた三菱UFJリサーチ&コンサルティングの小林庸平さんは、最近、問題になっている「子供の貧困」対策こそが、最も効果的な「成長戦略」になり得ると語る。そして貧困対策として、学力をつけることと同等以上に、「生きる力」や「やり抜く力」をつけさせることこそが重要になると強調する。小林さんに話を聞いた。
「子供の貧困」対策こそが、最も効果的な成長戦略になり得る。
小林さんがメンバーだった厚生労働省の「働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために」懇談会の報告書(以下囲み)では、多様な働き方ができるような人材を作る教育が重要だと指摘されていました。
【『働き方の未来2035 〜一人ひとりが輝くために』報告書】(厚生労働省のサイト)
長時間労働が前提のモデルは成り立たなくなった
小林庸平(こばやし・ようへい)氏
三菱UFJリサーチ&コンサルティング副主任研究員
1981年、東京生まれ。明治大学政治経済学部卒業、一橋大学大学院修士課程修了。経済産業省経済産業政策局産業構造課課長補佐などを経て、現職。専門は、公共経済学、計量経済分析、財政・社会保障。経済産業研究所コンサルティングフェローや日本大学経済学部非常勤講師も務める。2016年1月から8月まで、厚生労働省が設置した「『働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために』懇談会」のメンバーを務めた。著書(共著)に『徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼす 社会的損失40兆円の衝撃』など。
小林庸平:あの報告書は20年先を見据えた働き方ということでしたが、私はかなり、がい然性の高い内容になったと思っています。AI(人工知能)やロボットなどの技術進歩によって、どういう仕事を人間がやるのか、あるいは、人間がやらないで機械に任せる仕事はどれにするのか、それを考えることが重要になります。日本はこれまで終身雇用年功序列の正社員を前提としてやってきました。他の先進国に比べて生産性が低い分、長時間労働などで生産量を多く保ち、何とかほかの国と競争していた。そうしたモデルが時代の変化と共に成り立たなくなったわけです。
それがもうもたない。
小林:ええ。バブル崩壊以降、賃金の低下が続き、中間層が解体しつつある。そんな中で、定型的な仕事はロボットに置き換え、より付加価値の高い仕事などを人間がやるようになると見ています。そんな中で、定型的な仕事に不可欠だった知識を積み増す教育の重要性が減り、よりクリエイティビティに直結するような情熱だったり持続力だったりといった「やり抜く力」のようなものを育てる教育が重要になってきます。海外の研究者はそれを「認知能力」と「非認知能力」というふうに分けています。
日本の子供の6人にひとりが「貧困」
最近、『徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼす』という本を共著で書かれました。子供の貧困問題と、「働き方」の問題は関係してきますか。
小林:はい。いろいろな側面で関わってきます。「子供の貧困」は、いわゆる「相対的貧困」で、可処分所得の中央値の半分以下を「貧困」と定義します。2012年の日本の「貧困ライン」はひとり122万円ですが、親ひとり子供2人のような3人家族の場合だと207万円という計算になります。日本の子供の16.3%つまり6人にひとりが該当します。
あまり実感がわかないかもしれませんが、現在15歳の子供120万人のうち生活保護世帯が2万1000人、ひとり親世帯が15万5000人、児童養護施設に2000人がおり、合計で18万人になります。つまり15%ですね。母子家庭でお母さんがダブルワーク、トリプルワークで働いているケースなど、子供の教育どころか食事づくりも思うようにできません。親の働き方や収入と、子供の貧困は密接に関係しています。
中学卒・40歳・男性の4人にひとりが働けていない
この本は日本財団の「子供の貧困対策チーム」の一員として調査に加わり、分担執筆されたものですが、小林さん自身がこの調査結果で印象深かった点はありますか。
小林:この本の2章で学歴別の40歳時点の就業率という調査結果を紹介しているのですが、男性の中学卒だと就業率は76.6%です。40歳で4人に1人が働けていないのです。これは驚きの数字でしたね。高校卒だと89.9%なので、中卒と高卒の差が極めて大きい。とくに、高校を中退した結果、中卒となるケースが非常に多いのです。
私たちは、子供の貧困による所得の減少額を42兆9000億円と試算しましたが、その要因分析もしています。約半分の20兆円は大学に進学できなかったことによる所得減少なのですが、高校進学ができないことによるものが7兆3000億円、高校中退の高さによるものが10兆7000億円に達します。子供の貧困対策として、何とかして高校に進学させ、きちんと卒業させることが重要なのではないかと思います。
子供の貧困による社会的損失を定量化する
この調査に取り組んだきっかけは。
小林:日本財団が「子供の未来応援国民運動」というのを展開しており、子供の貧困問題をもっと社会に訴えたい、ついては、子供の貧困による社会的損失を定量化したいと、昨年春に依頼があったのです。仕事として受託したのですが、私は仕事を超えて、かなり思い入れがあります。
と言いますと。
小林:実は私は小学校4年生から中学校3年生まで、ほとんど学校に通えない、いわゆる不登校でした。家庭は決して貧困ではありませんでしたが、日本では学校教育以外に教育の機会がなかなかないということを体験として知っています。幸い私自身はかなり自由な公立の定時制高校に行ったことをきっかけに、その後、大学に進学、大学院にも進みました。でも、高校の同級生には、再び挫折して引きこもった仲間もたくさんいます。社会の仕組みからこぼれ落ちてしまう子供の貧困の問題は、決して他人事とは思えなかったのです。
子供の貧困を「ジブンゴト」の問題として捉える
ご著書でも、子供の貧困を「他人事ではなく」「ジブンゴト」として捉えて欲しいというメッセージが繰り返し述べられていますね。
小林:この問題がメディアに取り上げられる時には、極端ではないかと思われる貧困の実例を紹介するケースがしばしばみられます。確かにインパクトがあって関心は呼ぶのですが、どこか「他人事」に感じてしまいがちです。そこで、私はもう少し引いた視点で、数字を示して、子供の貧困は身近なところに存在していて、もしかするとすぐにそちらに転落してしまう「ジブンゴト」の問題だと感じてもらえたらと思ったのです。
貧困の子供たちへの投資が最も高いリターンを生む
その説得材料として、子供の貧困の社会的損失が大きいという試算をされたわけですね。
小林:高校中退で中卒になると40歳になった時、男性の4人に1人が働けていないというのはショックな数字でした。逆に言えば、子供の貧困対策として高校を卒業できるようにすれば、その人たちは働くようになるわけです。生活保護費がいらなくなる一方で、税金や社会保険料が国などに入るようになるわけです。この本でも紹介しましたが、ヘックマンという学者は貧困状態にある子供たちへの投資が最も高い投資リターンを得られると言っています。年率で15〜17%だというのです。
15%ですか。
小林:日本での計測結果ではないので、日本でそこまでの投資リターンが得られるかは分かりませんが、今の低金利の中で、かなりのリターンが期待できる可能性はあります。子供の貧困対策はリベラルな人たちが支持する社会福祉政策としてだけでなく、穏健な保守主義の人たちにも受け入れられる「成長戦略」になると思います。
アベノミクスでは、女性の活躍促進や、高齢者が働き続ける事を後押ししていますが、貧困状態にある子供は経済社会の中できちんと活躍できていませんね。
小林:安倍晋三首相は女性の活躍を社会問題としてだけではなく、経済問題として捉えると言いました。まさしく子供の貧困を社会問題としてだけではなく、経済問題として捉える事こそが重要だと思います。
「学力」以上に、「生きる力」「やり抜く力」をつける
では対策として具体的に何をやるべきだと思われますか。
小林:本書の5章は力を入れて書いたのですが、学力を上げるプログラム以上に「生きる力」を身に付けさせるためのプログラムが必要だと思います。ダックワースという学者は、後者をGRITと呼んでいます。日本語にすれば「やり抜く力」といった感じでしょうか。IQよりもGRITが大事だというのです。
別の言い方をすると、冒頭でも言いましたが、学力を「認知能力」、コミュニケーションや自制心といったものを「非認知能力」と呼びます。大事なのは学力ではなく、非認知能力の方だと言うのです。子供の頃に非認知能力を高める教育を行った場合、40歳時点で年収2万ドル以上の人が40%から60%に増え、生活保護受給者は23%から10%に減るという結果が出ています。また、学力を上げるプログラムというのは短期的には効果があるが、人生のような長いスパンで見るとあまり変わらない。むしろGRIT、つまり持続力とか情熱とかいったものを幼少期に身に付けた方が将来きいてくるわけです。
「家庭でも学校でもない第三の居場所」を作る
では日本では具体的にどんなプログラムをやるか。かつてはそうした能力は家庭生活の中でかなり身に付けていた。逆に言えば今の貧困状態にある子供は家庭生活が瓦解しているから、そうした能力が欠落し、貧困の連鎖が生まれるわけです。つまり親をセットにした対策を打つ必要があります。家庭任せというのではなく、家庭の機能を地域や別の組織が代替的に担う仕組みを作ることでしょうか。日本財団では「家庭でも学校でもない第三の居場所」を全国に作る取り組みを始めています。
このコラムについて
働き方の未来
人口減少社会の中で、新しい働き方の模索が続いている。政官民の識者やジャーナリストが、2035年を見据えた「働き方改革」を提言する。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/111000027
「バブル世代」の上司、キライですか?ここでひと息 ミドル世代の「キャリアのY字路」
2016年11月11日(金)
山本 直人
「相談があります」
「会社は変わるし、仕事だって変わるんだから」
それが、Lさんの口癖だった。彼は、急成長を遂げた情報メディア企業のマネージャーとして、数多くの経験をしてきた。
若い頃は、会社もまた若かった。夜遅くまで働き、休日出勤も当たりまえ。その上、日曜にオフィスに出てきた仲間同士で飲みに行ったりもしていた。
ところが、バブル崩壊後の景気低迷期に入ってから会社にも変化が訪れた。右肩上がりの業績に変化が表れただけではない。ビジネスの上で「行儀の悪い」ことが目立ち、マスコミ沙汰にもなったりした。
幸い司直に立件されるような事態にはならなかったものの、「イケイケ」的な雰囲気は変わり、「大人の会社」になった。
それを物足りなく思う同僚も多かったが、Lさんは違った。時代の変化に合わせて仕事のスタイルを変えた。勤務時間を短くしながら業績を向上させて、早くからマネジメントの仕事を任された。
部下にも過剰なプレッシャーをかけずに、適度な距離感を保ちながら上手に力を引き出す。社内でそんな評価を受けていた Lさんの部署で、ちょっとした異変が起きた。3年目の女性社員Jさんがどうも辛そうなのだ。
比較的小規模なクライアントを抱える営業チームだ。多忙になりすぎないように、細心の注意を払っていたし、勤務時間はそれ程でもない。ただ「ちょっと微熱がある」とか、「頭痛がとれない」と言って、欠勤や早退が目立つようになった。
ちょっと話をしてみようか、という時にJさんの方から「相談があります」と言ってきた。「やはり」と思ったLさんだったが、平静を装って話を聞き始めた。
「あなたのようになりたかった」
Jさんの訴えはシンプルだった。いまの仕事が、どうも自分に合ってないようだ。できれば別の職種に移りたいという。
Lさんはちょっと面食らった。彼女は着実に成果を上げている。では、人間関係で辛いことがあったのだろうか? ところが、話を聞いていると意外なことがわかってきた。
勤怠管理上の超過勤務はさほど多くないのだが、実は、結構な量の仕事を自宅でしていたのだ。聞いてみると、クライアントへの提案書に凝るようになり、それが評価されるうちに、どんどん時間がかかるようなっていったという。
ただし、会社は勤務時間をキッチリと管理している。そこで、自宅のパソコンで作業をしていたのだが、結果的には休日も含めて相当の勤務時間になっていたようだ。
Lさんは、戸惑った。「なぜ、そんな無理をしたのだ」と咎めるわけにもいかない。でも、なぜそんなに頑張ったのか、その気持ちを知りたかった。話をしていると、Jさんはこんなことを言った。
「私は、Lさんのようになりたかったんです。Lさんや、そのくらいの歳の人って、『若い頃は毎月100時間は普通に残業してた』とか話されるじゃないですか」
たしかに、そんな話をしたことはある。でも、Jさんはそういうスタイルを押し付けたわけではない。
「だから」とJさんは続ける。「もっとたくさん働いて頑張らないと、Lさんのようにはなれないかと思って……でも、やっぱり私には無理だったんですね」
自分が何気なく口にしていた“昔話”が、結果的に彼女を追い込んだ。最近は、自らもハードワークは控え、部下にも過剰な業務は押し付けていなかったにもかかわらず……。この時、Lさんはかける言葉を失ったという。
「もっと働きたい」と去っていく若手
結局、このままでは精神的不調が強まるのではないかという医師の判断もあった、Jさんは別の職種への異動となった。人事部からLさんに対して「お咎め」のようなものはなく、「いろいろと大変でしたね」とねぎらうように言われたが、Lさんの中にはモヤモヤが残った。
そんな折、同期のRさんと会う機会があった。同じ営業職だが、最近はちょっと疎遠になっていた。ただ、向こうにも話したいことがあったのか、「メシでも行くか」ということになり、2人で店に向かった。
話題は当然のように仕事のことになる。Lさんが、今回の件を話すと、今度はRさんが口を開いた。
「オレの方にも最近、部下に関して戸惑ったことがあって……」
どうやら2年目の男性社員が、「辞めたい」と言い出したらしい。名前を聞いて、Lさんは「エ?」と思った。彼は、若いけれど社内ではちょっとした有名人だった。学生時代からビジネスコンテストで優勝したり、NPO活動でメディアで取り上げられたりもしていた。
SNS上では何千という「友人」がいて、ベンチャーを立ち上げるのではないかと言われていたが、就職してRさんの部下になった。新人の時から、順調に業績を上げて表彰されたりもしたが、2年目の後半で微妙な「異変」が起きた。休むことが目立ち、仕事への熱意もどこか醒めてきたように感じられた。
Rさんが声を掛けようかと思っている矢先に「実は……」と向こうから切り出してきた。どうやら、大学同期の友人とともに起業するらしい。やはり、会社の枠には収まらないし、物足りなかったのか。そんなRさんの思いを見通しているかのように、彼はこんなことを言ったという。
仕事は想像以上に楽しかった。いろいろな業種の人と話ができて、成果も上げられた。「けれども……」とちょっとためらった後にこう言った。
「もっとたくさん働きたいんです。別に休日もいらないし、遊びの時間もなくていい。すべてを忘れて没頭したいんです。Rさんの世代は、そんな風に働いてきたんですよね? でも、今はそれが許されない。そうなると、もう自分たちの会社で好きなようにやるのが一番かと思って」
長身でクールな雰囲気ながら、熱を帯びて話す彼を見ながら「ああ、きっと女性にはもてるんだろうな」と全く関係ないことを考えていた、とRさんは苦笑した。
「なんか、ウチの会社にはもったいないかなという気になっちゃったよ」
さして悔しいそぶり見せず、達観したように呟くRさんも、頷くLさんも、話しながら何か寂しい気分になっていた。
「自分の昔を語ること自体が、よくないのかな」
若い世代が、50代前半であるLさんやRさんの世代を見る目はさまざまだ。
だが、「バブルを知っている」世代として、何かと色眼鏡で見られるような気がするのは確かだ。さまざまな場面で、バブル期を境に、大きな溝があるんだろうと感じる。
先のJさんのように「先輩たちみたいにハードに働かなきゃ成長できないのかもしれない。けど、私には無理」と思う人もいる。一方で、「先輩たちが若かった頃みたいに、自分もたくさん働きたい」と言う人もいる。このほか、「若い時分にそんなに頑張れる気持ちになれたのは羨ましいです。自分はそこまでの気持ちになれない」という若手の声も、しばしば聞く。
「自分の昔を語ること自体が、よくないのかな……」
「いや、それはさすがに変だろう。そういう話をしながら、会社の伝統はできていくんだし、気持ちをリレーしていくような感じって大切じゃないか」
「でもさあ、いま思い出したんだけど、テレビの討論番組で若いやつが言ってたんだよね。『結局生まれる時代は選べないんですよ』って。その気持ちを上の世代はわかっているんですか?って」
「オレたちが若い時分に頑張れたのは、将来は明るいって無邪気に信じられたからかもしれないな。給料は必ず上がる、明日は今日より必ず豊かになる……って」
「今は、オレたちでさえ先々が不安だよな。となれば、若い連中なんか、もっと不安なんだろうな。高い成長が望めない時代だし、一つの会社でがむしゃらに働く方がいいのか、会社にこだわらず自分のスタイルで働く方がいいのか、って考えても正解なんてないわけだから」
結論が見えないこんな会話を交わしながら、LさんもRさんも、段々と言葉数が少なくなっていった。
「結局、下のためにできることって……」
将来への見通しを持ちにくい時代に育ってきた世代は、信じられる羅針盤もなく、1人ひとりが生き残ることに必死になっている。おそらく、描いている未来イメージは、人によってまったく違っているのだろう。
先々に不透明感が漂う時代に、異なる時代を生きてきた世代同士が理解し合うのは、そう簡単ではない。「若い頃はがむしゃらに働いた」という言葉に対する反応も、かようにさまざまだ。
「オレたちは、今、若い連中のいい手本になれてないということなんだろうな。まぁ、彼らが理想とする働き方もさまざまみたいだから、全員の手本になるなんてそもそも無理なんだが……」
「あと、若い頃に良い目に遭った分、下からは“嫉妬”に似た感情もあるんだろうし」
「良い思いをした挙句、“逃げ切ろう”としているように見えるのかな」
LさんとRさんの会話は、ポツリポツリと続いた。
「結局、下のためにできることって、社業を成長させるために頑張ることぐらいしかないのかもな。彼らが、『来年も給料はきっと上がる』って明るい将来を描けるように」
「若い頃は、お互い、いろいろと事業提案もやったよな。ただ、最近は、若手の提案に『ああだこうだ』と言うだけだ。仕事をつつがなく進めることに汲々としてる……」
「確かに、そうだな」
「だったら、もう一度チャレンジするしかないだろう。若手を巻き込んで、会社の将来が明るくなるようなプロジェクトをやってみてもいいんじゃないか」
どちらからともなくそんな話になっていき、その日LさんとRさんが店を出たのは、終電間近の時間帯だった。
世代の溝を深めていたのは、バブルという特殊な時期を経験した“引け目”もあり、一歩距離を置いて部下と接しながら、会社生活の静かな幕引きを図っていた自分たちだったかもしれない。だったら、もう一度フロンティアに出てみるか。そんな思いで、2人は帰路についた。
■今回の棚卸し
ミドル世代の多くは、「右肩上がり」の時代をある程度は知っている。一方で、若い世代では、働いた分だけ報われるという感覚が薄い。「働き方」に対する考え方も様々で、場合によっては、ミドルから見た若手はどこか引いているように見える。一方、若手から見たミドルは、いい時期を経験した後に、淡々と日々をこなしながら逃げ切ろうとしているように見えるのかもしれない。
そうした“断絶”がある中で、ミドルがやるべき仕事は、管理職として社内の制度を整えて、マネジメントを円滑に行うことだけだろうか?自分のためにも若手のためにも、もう一度会社の可能性を求めて、新たなことに取り組む最後のチャンスを迎えているのかもしれない。
若い世代との対話は、時間の流れの中で頭の片隅に放置してしまった自分の可能性を再発見する、良い機会でもあると思う。
■ちょっとしたお薦め
昨年の直木賞を受賞した東山彰良の「流」は、台湾を舞台にした青春小説だ。主な舞台は70年代の台湾で主人公は17歳だが、全体構成は、一家の流浪と決断の軌跡を回想する形式になっている。ミドル世代にとっても、自然に馴染めるストーリーだ。
若い人の気持ちを汲み取ることは時に困難だが、こうした小説を読むと、世代を超えた「若気の至り」のような感覚が呼び覚まされることもある。
文章には独特の癖と疾走感があり、一度その世界に入り込むと最後まで一気に読ませてくれる一冊だ。
このコラムについて
ここでひと息 ミドル世代の「キャリアのY字路」
50歳前後は「人生のY字路」である。このくらいの歳になれば、会社における自分の将来については、大方見当がついてくる。場合によっては、どこかで自分のキャリアに見切りをつけなければならない。でも、自分なりのプライドはそれなりにあったりする。ややこしい…。Y字路を迎えたミドルのキャリアとの付き合い方に、正解はない。読者の皆さんと、あれやこれやと考えたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/032500025/110200017
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