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(回答先: リニア建設、賛成?反対? 教育 城山高生が授業で議論(なぜ大マスゴミで議論なし?) 投稿者 戦争とはこういう物 日時 2016 年 11 月 04 日 15:40:41)
東名間240キロを、9割近いトンネルで抜ける「モグラ棺桶超特急」「地底お陀仏列車」こと「リニア中央新幹線」。中間駅には1時間1本くらいしか止まらないのでなければ急行の速度が無駄になる。
そのことをどれ位認識しているのか。路線途中は駅の有無どちらも地域崩壊につながると考えられるが。
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http://digital.asahi.com/articles/ASJBX4JLDJBXUOOB00Q.html?rm=321
テツの広場
長野)リニア着工に地域の思いは 膨らむ期待と不安
山田雄一2016年11月3日03時00分
南アルプストンネル掘削残土の仮置き場計画地。右上方が釜沢集落=大鹿村
*写真略
リニア中央新幹線の南アルプストンネル長野工区(8・4キロ)の起工式が1日、大鹿村であり、2027年の東京〜名古屋間の先行開業に向けた工程が動き出した。地域の経済、観光振興に期待が膨らむ一方、リニア建設で最難関とされる山岳トンネル工事への不安を抱えながらの出発となった。
起工式2日前の10月30日。熊谷英俊村議会議長は意見交換会のために大鹿村役場を訪れた阿部守一知事に迫った。「JR東海への指導、監督をお願いします」
村がリニア着工に同意するまでのJRとの最終盤の交渉は、起工式の日取りを含めてJRペースで進められた。熊谷氏が阿部知事に「直訴」したのは、村議会がリニア着工の是非を審議する時間を十分に確保できなかったことへの不満だった。
ログイン前の続き沿線の自治体では今後、相次いでリニア建設に関連した工事が始まる。県内で最初のリニア工事となった村の議長として、熊谷氏には「同じことが他の市町村で繰り返されないように」との思いがあった。同席した柳島貞康村長も阿部知事に「大きな組織(JR)の上層部に地元の声が届いているか疑問」と訴えた。
この9日前の21日午前。村議会の全8議員は、柳島村長を交えた非公開の協議で着工に同意した。議長を除いた採決では、賛成4人、反対3人。工事車両の運行に関する村とJRの「確認書」は、19日夕に締結されたばかりだった。議会が着工に同意する条件の一つが確認書の締結だったが、わずか2日後の「駆け足採決」には、議員から「今日、決めなくてはいけないのか。まだ確認書の内容が住民に周知されていない。性急すぎる」と疑問の声が出た。
村関係者によると、21日午前の時点で、11月1日の起工式の日程案がJRから示されていたという。21日午後、JRは「11月1日起工式」を発表した。
10月14日に全村民を対象とした2度目の工事説明会が開かれたのを機に、「着工」に向けた流れは加速した。JRはこの説明会の終了直後、報道陣に「住民の理解は得られたと判断しました」と宣言した。JRは17日、工事車両の運行に関する「確認書」の案文を村に提出。一部が修正された後、19日に締結された。村議会が10月3日にJRに提出した「意見書」で示した要望のうち、「残土の村外運搬先の見通し」については確認書に盛り込まれなかった。
村内を通るリニアルートが2011年5月に発表されて5年半。柳島村長は10月21日の記者会見で「飯田下伊那(の一員)でリニア促進運動を進めてきた。確認書により不安は低減され、工事着手が適当と判断した」と述べた後、「できれば他の地域を通ってほしかった」と付け加えた。
■残土、災害再発を懸念 運搬先の谷でかつて土石流
天竜川の東岸に面した県道18号沿いにある松川町生田の福与集落。公民館の会議室に6枚の写真が飾られている。1961年6月末の「三六災害」で、一帯は鉄砲水に急襲された。
はんらんした寺沢川の近くに住む林繁さん(75)は当時20歳で、消防団に入ったばかり。近所の住宅から家財を運び出していた時のことだった。「危ない」「逃げろ」という声が聞こえて家の外へ飛び出した。その家は間もなく土石流で流された。「10秒遅れていたら命を落としていたのではないかと思う」
付近では犠牲者こそ出なかったが、土石流に7軒がのみ込まれ、橋も落ちた。仮の橋が設置されるまでの1週間、林さんは対岸の自宅に戻れなかった。
この夏、南アトンネルの掘削工事で出る300万立方メートルの残土の運び先として、JRが松川町生田地区を事実上の予定地にしていることがわかった。2年前、JRの依頼を受けた県のあっせんに、地元が町を通じて地区内の3カ所を申し出た。いずれも寺沢川上流の山間地にある支流の谷だ。三六災害では土石流の源になり、犠牲者も出た。JRが9月7日、大鹿村の工事説明会で、運搬ルートの地図を明示しながら生田地区を提示。下流域の福与では一気に不安が高まった。
10月4日、町のリニア対策委員会で福与区長の北原忍さんは「三六災害は地元でトラウマになっている」と計画に反対。しかし、JRは「傾斜地を埋め立てることで、むしろ災害が起こりにくくなる。地権者の了解も取りつつある」と強気の姿勢を崩さなかった。
22日、今度は福与の住民40人余りが公民館でJRに説明を求めたが平行線をたどる。町に対し、埋め立て候補地の取り下げ手続きを求めることを決めた。
先に退席するJRの担当者たちに林さんは「隣の会議室に三六災害の時の写真があるので見てほしい」と促したが、素通りされた。林さんは「私たちの気持ちを理解しようとしていない」と憤慨する。
■自然環境損なう恐れ 元村長「将来へ禍根残さないか」
「リニア容認は村の将来に禍根を残すことになりはしないか。心配です」。そう話すのは、09年1月まで大鹿村の村長だった中川豊さん(80)だ。
県内に建設されるリニアのルート案は三つあった。リニア建設促進の県協議会は諏訪・伊那回りの「Bルート」を求めていたが、JRは09年12月、南アルプスを貫通する「Cルート」の利点を強く打ち出す。国は11年5月、JRにCルート建設を指示。大鹿村への影響が必至の情勢になった。
すでに退任していた中川さんは「南アルプスをぶち抜くなんて、とんでもないと思った」と振り返る。
村長時代にも、休日には観光客への案内ボランティアを務めた。村の静かな環境への愛着はひとしおだ。「リニアは、一度失ったら取り返しのつかない自然を破壊する」と考えている。
14年9月、国がJRの工事計画を認可した直後の事業説明会で、中川さんはJRに「リニアは村にとって百害あって一利なし」と迫った。リニアが村にもたらす利点を質問すると、JRからは「大都市への移動時間の短縮」と返ってきた。
村の中心部の国道沿いに住む中川さんが生まれ育ったのは、リニア工事の最前線となる釜沢集落だ。当時の29世帯が現在は9世帯。「山が迫っていて音が響き合うので、工事の騒音で生活にかなり影響が出る。静かな環境を求めて移住した人たちが多く、リニアへの反発は当然」と話す。
中川さんが村長時代の05年、大鹿村は全国の7自治体で「日本で最も美しい村」連合を設立した(現在60自治体加盟)。残土を運ぶダンプカーが村内を行き交い、自然景観が損なわれれば、加盟の要件を満たさなくなるのではないか。「大鹿が連合から外される日が来るのではと心配でならないのです」(山田雄一)
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- リニア難関着工 村の不安を忘れるな(議論を忘れたマスゴミで) 戦争とはこういう物 2016/11/04 15:59:27
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