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大金持ちが大豪邸を「手放す理由」〜庶民には分からない苦悩がある 豪邸生活の「知られざる真実」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50076
2016.11.01 週刊現代 :現代ビジネス
●自動温水プールにパルテノン神殿風の柱、シャンデリアだけで1000万円
●庭にテニスコート、室内にはジャグジー、仲間とホームパーティの日々
しかし……
●掃除が大変すぎる、屋内プールのカビ対策に苦労
●電気代月25万円、維持管理と税金で年間1000万円以上かかる
●高級外車に錦鯉、リッチな暮らしをし尽くした男は「贅沢に飽きた」
●はやく小ぶりなマンションに引っ越したい!
数億円から十数億円という超高額物件。そんな豪邸を売りに出した人たちを訪ねて、どんな人生を送ってきたのか、なぜ売るのかを聞いて回った。大金持ちが明かした豪邸生活の「知られざる真実」。
■「住んで3日で嫌になった」
六本木、赤坂、表参道、白金……。高級ブティックや一流レストランが立ち並び、億ションから目が飛び出るような額の邸宅がひしめく。別名、日本で最も多くの金持ちが住む街――。
そんな港区内でも屈指の超高級住宅エリアに大豪邸を建てた増井由美子氏(仮名、50代)は、「もともとは、お城のような家を建てることが棺桶に入るまでに絶対に叶えたい夢だった」と言う。
「私はお金持ちの家に生まれたわけではなく、田舎の普通のサラリーマン家庭に育ちました。だから、小さい頃からずっと、いつかは映画に出てくるような豪邸に住みたいと憧れてきました。
おかげさまで20代のときに始めた医療機器の会社が軌道に乗ってくると、そんな夢を叶えるための金銭的な余裕ができた。そこで10年前に一念発起して、これまでの夢をすべて詰め込んだ大豪邸を建てようと決めたんです。
まず、絶対にやりたかったのがプールです。それも私の場合、屋外プールだと冬には入れないのが嫌だったので、屋内に自動温水プールを作りました。プール部屋だけで、100m2くらいの広さがありますよ。
あと、屋内のインテリアはヨーロッパの城のようにしたいと憧れていましたから、リビングの床は大理石貼りにして、柱はパルテノン神殿のものを模した特注品をあつらえました。リビングには巨大なシャンデリアを吊るしたかったので、フランス製の1000万円くらいのものをかけました」
そんな増井氏の豪邸は建物面積にして、優に500m2を超える。豪奢な石張りの巨大外壁は、企業経営者、芸能人などが多く住むこの一帯でも群を抜いて目を引く。
内装も凝りに凝っていて、リビングダイニングは10mを超える高さで吹き抜けている。階段も特注の石材で作られたらせん階段で、空間をラグジュアリーに演出する。
建築家と1年くらい相談しながら、設計図を仔細に詰めていくのは至福の時だった。
「だけど、実際に住んでみたら3日目にはもう嫌になりました」と増井氏は言う。
「作る前からわからなかったのかと言われればその通りなのですが、まずなにより掃除が大変なわけですよ。建物面積で500m2以上はありますから、もちろん自分一人では無理。浴室は2つ、トイレだけでも5つもあるので、ほぼ毎日業者が来て掃除をしてもらっているような状況でした。もともとお金持ちの家に生まれて、そういうことが当然と思えればよかったのでしょうが、私にはそれが次第にストレスになっていったんです。
温水プールについては、実は24時間フィルターを通して循環するので掃除は不要。水の交換は年に1回で数万円と低コストでした。ただ、プールに入らない時に湿気を防ぐためにフタを被せるのですが、とにかくカビが凄いんです。それに冬場にプールを温めるために地下暖房を使うのですが、そのガス代がバカにならない。それでも最初はもったいないと思って使っていましたが、結局は2年くらい経ったらプールの水を抜いたまま使わなくなりました」
結婚をして子供ができた直後に離婚。女手一つで事業を興し、子供の運動会に行かないで取引先とゴルフをしたほど、必死に働いてきた。
そんな努力の結晶としてやっとのことで手に入れた豪邸を「手放す」と決めたのは、2011年の東日本大震災がきっかけだったという。
「もちろんガス代、掃除代などにストレスがどんどん溜まっていったのも大きかったですが、私が家を売ると決意したのはあの大震災があったからです。あの時は東京都内もかなり揺れましたが、うちは内装をこだわるために建物は主にコンクリートを使っていたため、ビルや木造のようにグラグラとしなるような揺れ方と違い、直接ズドーンと来たんです。
私はリビングにいたのですが、頭上で巨大なシャンデリアがいつまでもグルグルと回っていた。シャンデリアが落ちてくるのではないかと恐怖に震えていた時にふと、『私にはそもそも、こんな豪邸は必要なかったんじゃないのか』と悟ったんです。
豪邸というのは住んでみないとわからないことが多くて、生まれが貧乏だった私みたいな人間には、はなから向いていなかった。近所にはお金持ちが多く住んでいますが、生まれつきのお金持ちほど地味に目立たないようにして、豪邸=ステータスという風に見せびらかしたりしません。そもそも、『キャベツが300円以上したら買うのをよそう』なんて考えている私に、なにがパルテノン神殿かって。身の程を知らなかったんです」
■「ゲーテッドシティ」の現実
そんな増井氏は豪邸を売ってできた数億円を元手にして、近所に断震性能の優れた「こぢんまりとした家」を建て、いまはそこに暮らしている。
「私も年をとったせいかもしれませんが、何百m2もある豪邸より4畳半ですべてに手が届くほうが快適で暮らしやすい。おカネが貯まってまた家を建てるなら、もっと小さい家にしようかと思っているくらいです」
周囲からは一見優雅なように見える豪邸の暮らしも、実はそうとは限らない。豪邸に住んだために初めて背負うことになる苦悩に耐えきれず、せっかくの城を手放す人は少なくない。
田辺雄一氏(仮名、60代)もそんな一人である。
田辺氏の豪邸は、東京近郊の「選ばれし街」に建つ。もともと富裕層向けに開発されたエリアで、街区に入るには管理門を通過する必要があるゲーテッドシティだ。
そんな日本には珍しい超富裕層向け住宅街だけあって、プール付きの豪邸があちこちに立ち並ぶ。田辺氏の豪邸はその中でもひときわ大きく、建物面積は700m2ほど。敷地の周りには緑が高く整備されていて、森の中の別荘のようだ。
「私は経営コンサルタントとして仕事三昧の人生を送ってきましたが、この土地は一目見ただけで気に入りました。なんといっても、ここに住むのは経営者や弁護士、医者など本物の一流ばかり。各界の一線で活躍する彼らは本気でビジネスに取り組むし、プライベートも本気で遊ぶ人たちです。こうした人たちに囲まれて過ごすのは最高だと思って、迷わずにここに家を建てました。
実際、私はこれまで多くのビジネスの仲間たちを呼んでパーティを開きましたが、みんな喜んでくれます。庭にはテニスコートがあるので一汗かけるし、家族連れでバーベキューだってできます。子どもたちは遊んでいて暑くなったら素っ裸になって、庭のプールで泳ぐ。そうしてみんなが楽しむ姿を見るのがなにより嬉しいし、仕事の励みにもなりました」
リビングだけでも50畳近い広さがあるから、何十人が集まるパーティも開ける。ジャグジーバスにサウナも完備されているから、テニスで疲れた身体も休められる。まさに家全体がラグジュアリーホテルのようだ。
ではなぜ、田辺氏はそんな優雅な生活を手放すことにしたのだろうか。
「私は20代からずっとコンサルタント業界の第一線で働いてきた自負がありますが、そろそろ仕事に一区切りをつけたくなったんです。毎年3000万〜4000万円を納税するほどに稼いできましたが、隠居をすれば収入は大きく減るので、この生活は維持できないと思って決めました。
もちろん、これまで稼いだ蓄えがたくさんあるではないかとは言われますが、実はここまでの家を建ててしまうと、ランニングコストがバカにならないんです。たとえば電気代だけでも、1ヵ月で約25万円はかかる。そこに光熱費、プールやテニスコートの維持費から庭の手入れ費などを入れれば、少なくとも月々70万円からの額がのしかかってきます」
■大理石、彫刻、暖炉、サウナ
それだけではなく、固定資産税は年間数百万円。結局、維持・管理のためにもろもろ合わせて年間1000万円近い巨額が消えていく計算になる。
「だから、売ると決めた後にもなかなか買い手はつきませんでした。内覧には来るのですが、年間1000万円近い維持費がかかるとわかると、『ちょっと家が広すぎる』とか言い出して、成約に至らないんです。私はすでに別の場所に家を建てて引っ越していましたが、売れない間はこの家の維持費を支払い続けなければいけなくなったので、その間は仕事を続ける羽目になりました。
買い手が見つかったのは、売り出してから1年ほどが経った最近のことです。豪邸を手放すのは、豪邸を手に入れるよりも大変だと痛感しました。その覚悟と能力があってこそ、豪邸に住む資格があるということなのかもしれませんね」
実際、今回本誌は数多くの売りに出されている豪邸を訪ねたが、何年も売れ残っている物件にたくさん出くわした。ある豪邸は入り口の門が外され、侵入禁止の札がかかっていたし、また別の豪邸では玄関前の植木鉢が枯れ、もう掃除すらされていなかった。売れ残っている物件の主に取材をさせて欲しいと告げると、「失礼だ」と怒鳴られたこともあった。
大迫智也氏(仮名、60代)も数年前から杉並の豪邸を売りに出しているが、買い手がつかない。ただ、それで頭を抱えているという風ではなく、どこか飄々としている。
「どうぞ、中に入ってみて。週刊現代で宣伝してくださいよ」
そう冗談を言う大迫氏に招き入れてもらった豪邸は、別格。まず玄関からして大理石が敷き詰められ、美術館のように幾体もの彫刻作品が来客を出迎える。大理石の床が続くリビングでは、吹き抜けの天井に巨大シャンデリアが輝き、特注暖炉をソファが囲む。バルコニーに出ればまた彫刻に出迎えられ、まるでヨーロッパの宮殿のようだ。
さらに部屋を進むと一転、今度は巨大な和室が広がる。畳が広く敷かれた室内には天然の桜材がふんだんに使われ、深みのある漆喰の囲炉裏まで備え付けられている。こちらは高級日本旅館の風情そのものだ。あまりの豪華さに驚く本誌記者に、大迫氏は「どう? 最高でしょう」と語り出した。
「まあ、ここに座ってください。このソファは400万円くらいだったかな。そこに飾ってある絵画も、18世紀の有名な画家で、ボストン美術館にも飾られているような人が描いたものです。この家を買いたいという人が出てくれば、調度品や装飾品もプレゼントするつもりですが、最初に頼んだ大手不動産会社の動きが悪すぎて、内覧に人が来なかった。
いまは業者を変えたから、内覧者は増えてきました。こないだ来た内覧者はランボルギーニで来て、ちゃんと車が停められるか確かめていましたよ。大きい外車でも2台は余裕で入るガレージなんだけどね」
大迫氏はもともと信金職員だったが、40代のときに「一発勝負」をかけて独立。'90年代のバブル崩壊後に銀行が貸し出しを渋る中、生来の物怖じしない性格から積極融資姿勢で突き進み、稼ぎに稼ぎまくった。
「信金時代からクソ真面目な銀行員なんてやってられないから、お金持ちのお客さんたちと飲み歩いていたんです。その時の人脈が独立してから活きて、がっぽり儲けた。だから当時から、周りのお金持ちがやっていることは私も同じようにやってきました。何百万円もする錦鯉を飼ったり、血統書つきの大型犬を飼ったりね。
この家でも仲間を呼んで、一流シェフに料理を作ってもらって、派手にパーティを開いたもんです。リビングの特注のバーカウンターだって、格好いいでしょう。おネエちゃんを呼んでここでカクテル作ってやれば、そりゃあモテますよ」
■「巣鴨に引っ越したい」
大迫氏は金融業のかたわら不動産業にも進出したところ、この土地が割安で売りに出ているのを見つけ、すぐに購入した。
「杉並のこのあたりは、六本木ヒルズなどの都心の中心部でビジネスをやっている成功者たちにとって仕事を忘れて休める『別荘地』のようなエリアで、そうした金持ちに人気が高いんです。周りは閑静な住宅街で、緑もあって静かだから過ごしやすい。それで私もここに家を建てることにしたわけです」
そんな誰もがうらやむような住環境なのだから、ずっと住みたいとは思わないのか。なぜ売る必要があるのか――。
本誌記者がそう尋ねると、大迫氏は「私はもう豪華さに飽きたんです」と言い出した。
「これまでさんざん遊びや贅沢をしてきましたが、いよいよ60代後半になってきて豪邸だとか贅沢だとかいうものに魅力を感じなくなってきたんです。毎日、豪華なメシを食うくらいのおカネはあるけれど、とにかく豪華なメシっていうのは飽きる。それは豪邸も同じだと気が付いたわけです。
だから、いま最も切実なのが日々の食事ですよ。サバの味噌煮とか、うまい味噌汁にご飯に漬物って組み合わせが欲しいのに、このあたりにはそうした定食屋がない。駅前に行っても似たり寄ったりの味気ないチェーン店ばかり。だからこの家はさっさと売り払って、浅草か日暮里、それか巣鴨に引っ越すと決めたんです。あのエリアは、美味しい定食屋がいっぱいあるでしょう。早く家が売れて欲しいし、早く引っ越したい」
カネを稼いで、豪邸に住んではみたけれど、ある日まったく違った形の幸せが欲しくなる。だから、豪邸を手放すことにはむしろ喜びすら感じる――。そんな胸の内を語る豪邸の主は少なくない。
芸能人が多く住む都内屈指の人気住宅街にあって、有名建築家が設計した豪邸に住む大井聡氏(仮名、70代)も、「この家を売ることを決めてから清々しい気持ちになっている」と言う。
「私は自営業をやっていましたが、今年3月に仕事の区切りができました。一般企業でいうところの定年です。これまでは自宅を事務所としても使っていて、スタッフも数名いましたが、彼らがいなくなったら急に家がガランとして寂しく感じるようになってね。私には子供がいないので、夫婦2人で住むにはこの家は広すぎます。
それに、庭の手入れや掃除に年3回ほど業者を呼んでいるのですが、こうしたメンテナンスに労力がかかることも、今後の年金生活を考えると負担に感じてきた」
大井氏は華やかな広告業界に身を置き、業界が最も沸いたバブル時代を先端で駆け抜けていた最中、この豪邸を建てた。
「もちろん、これからも仕事を完全にやめるわけではなく、海外での仕事などはやるつもりです。しかし、家にはスタッフがいないので、妻だけを残すとなると不安なんです。妻から『夜が心配』と言うのを聞いたこともまた、家を売る決め手になりました。大きな家ほど、防犯上のリスクは大きくなりますからね。
今後は小ぶりで便利なマンションに移り住む予定で、この年齢でまた新しい生活が始まると思うと気分が軽くなるし、ワクワクします。これまではこの豪邸を維持するプレッシャーを意識せずとも感じていたのだと思います。これからはそこから解放されて、気楽に老後を楽しんでいきたい」
豪邸の主たちが語る「手放す理由」を聞くと、それぞれの生き様や人生哲学が透けて見えてくるから、おもしろい。
「豪邸は子どもの教育上あまり良くない」
そんな意外な理由で豪邸を売りに出したのは、長岡眞氏(仮名、70代)である。
■相続をどうするかが大問題
東京西部の主要線沿いに建つその豪邸は、不動産業を営む長岡氏が競売で手に入れ、約7000万円をかけてリフォームしたもの。室内を見せてもらうと、目を引くのは漆仕上げの特注階段。海外職人のハンドメイドで巨木から切り出して作ったもので、金額は「4ケタ万円は超える」という。
4つある洋室はどれも10畳超のゆとりある造りで、トレーニング専用の部屋もある。過去には、「ドラマのロケで使わせてほしい」とオファーされたほどの豪邸だ。
「ちょうど息子が高校生になる頃にこの家を建てて、いまも息子家族と2世帯で暮らしていますから、子どもは物心ついたときからずっとこの家に住んでいることになります。私は不動産業をやっていて、一時は9000万円くらい納税していた時期もありましたから、家族におカネで苦労をかけた記憶はない。以前は自分がちゃんと働いて家族を支えてきたという自負がありましたが、最近はあまりに息子を甘やかし過ぎたかなと反省しているんです。
というのも、この家に2世帯で住むと決めた時、息子夫婦には『庭の管理をすべてやる』という条件をつけたんです。それなのに、いざ住み始めたら、『こんなに大変なのをすべて見切れない』とサジを投げてきた。それで雑草や芝がどんどん伸びてきてしまうので、この前は泣く泣くコンクリートで固めたところもあるほどです。
息子からすれば、放っておけばそのうち親父がやるだろうくらいにしか考えていないんでしょう。カネの苦労も知らず、大きな家で甘やかして育てたのでこんなことになってしまったのではないかと痛感してね」
長岡氏はこの一件を機に、いまからでも遅くないから息子に苦労をさせようと思い立ち、「自分で住む家くらい自分で見つけてこい」という意味を込めて、豪邸を売りに出すことを決めたと言う。
「私は死ぬ時にはなにも残しておきたくないと考えているので、財産を残すつもりはないんです。ただ、すべてを生前に処分できるわけではないので、残るものは残ってしまう。息子にはそれを期待しながら生きて欲しくはないんです。
だから、この家を売りに出したのは息子夫婦へプレッシャーをかける意味が大きくて、本当に売る気はあまりない。相場よりかなり高めで売り出しているのもそのためで、内覧に来る人はいますが成約しません。ある日突然、『小さいマンションだけど、住む家を見つけたよ』と息子夫婦が言ってくる。私はそんな日が来るのを待っているというわけです」
そんな長岡氏とは打って変わって、「子どもに財産を残すための相続対策」を理由に豪邸を売りに出す人も多くいる。
有名病院や名門校が集まる都内の一流住宅街。その一角に建つ建築面積500m2超の豪邸を売った永田伸二郎氏(仮名、70代)が言う。
「私はこの家を親から相続しましたが、さらに自分の子どもに残そうという気持ちはありませんでした。そこで無理をして相続で苦労するより、現実的に家族がみんなずっと幸せに生きることを考えれば、いま売る以外に選択肢はなかった。
実際、子どもへの相続を考えた時、大きな戸建ては処分がとても難しい。それよりもマンションで相続したほうが、よっぽど融通がききます。この家には私と子どもの2世帯で住んでいたので、家を手放して新しく2つのマンションに住み替えることにしました」
■「持ち家はもういらない」
豪邸ともなれば莫大な相続税がかかり、対策を誤れば家ごと失うリスクも出てくる。実際、故田中角栄元首相は相続税額が50億円以上もの巨額となったため、遺族は「目白邸」の敷地の一部を物納し、母屋は取り壊された。「日本一のお金持ち」と言われるソフトバンクグループの孫正義社長ですら、数年前に麻布の大豪邸を妻名義にしているほどである。
永田氏は言う。
「もちろん家を売ると少なくない額のおカネにはなるのですが、まずここからたっぷり税金を取られます。さらに、残った分で新居を買って、もろもろの手数料などを支払えばそれで終わりです。相続対策で家を売ってもまったく儲かるわけではない」
あまりにリアルな「豪邸相続」の現実だ。
見てきたように、豪邸の主たちは、一般人には推し量れない悩みを抱えている。有名企業創業者の真野徹氏(仮名、40代)も「豪邸の弊害」に気がつき、外国大使館などが点在する都心一等地の豪邸を売りに出した。
「これからのグローバル時代には世界を飛び回るのが当たり前で、居心地のいい豪邸なんて建ててしまったら、外に出るのが億劫になってしまうかもしれない。子どもの将来を考えたらそれではいけないと思い、家を売ることにしました」
真野氏は20代の時にたった一人で興した事業が急成長を遂げ、いまや国内外にビジネスを展開。そんな成功の証である豪邸を建てたのはほんの数年前だが、この家を早々に手放すことにためらいはなかったと言う。
「実はすでに下の子と妻をともなってシンガポールへ住居を移しているんです。高校生の子もアメリカに留学させました。将来日本に帰ってきたら家は借りればいいだけです。グローバルに仕事をするようになって痛感してきたのは、そもそも持ち家なんて必要ないということです。もう、家にステータスを求めるような時代ではない」
ただ、真野氏の家は約10億円とあまりの高額のためか、まだ買い手はついていない――。
維持するのにカネがかかるし、税金問題に頭を悩まされるし、売ろうと思ってもなかなか売れない。誰もが憧れる豪邸生活は、意外と「苦労だらけ」なのであった。
『週刊現代』2016年11月5日号より
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