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50代でつまずく人の「困った癖」とは
ここでひと息 ミドル世代の「キャリアのY字路」
2016年10月14日(金)
山本 直人
この歳の転勤は「2つに1つ」
それは、Cさんにとってある意味予想通りの辞令だった。間もなく50代というタイミングでの地方転勤。本社の管理畑と営業スタッフを行き来しながらキャリアを積んできたCさんは、支社長代理として赴任する。
本社に戻ってきた時には、管理職ポストを外れることになるだろう。自分の会社生活もなんとなくゴールが見えてきたかなと感じた。
いろいろな人に挨拶に行ったが、もっとも印象的だったのは人事部のJさんの言葉だ。Cさんの10年ほど上で似たようなキャリアを歩んできた。最近まで人事部の次長だったが、そろそろ定年待ちのポジションにいる。
いろいろと話していると、別れ際にJさんが言った。
「まあ、50歳くらいで転勤したヤツは2つに1つだから」
何が「2つに1つ」なのか。人事畑の長いJさんは、こういう時にあまりハッキリとは言わない。だが、Cさんは何となくわかった。
「まあ、オマエなら元気にやっていけるはずだけど」
Jさんは、そう付け加えた。
Cさんは、それ以上聞かなかった。このくらいの年齢で地方に行った人のその後は両極端だと感じていたのだ。
仕事はしっかりとこなしながらも、地方の街の良さを満喫してイキイキとしている人の話は結構耳にする。一方で、なんか音沙汰がないなと思っていたら、早々に戻ってきて、本社の片隅でひっそりしている人もいた。Jさんはきっと色々な人を見てきたのだろう。
しかし、あまり気に病んでも仕方がない。Cさんは、新天地へと向かった。
転勤で生活の再構築に成功
結果的にCさんにとってこの転勤は、「贈り物」のようなものだった。
赴任した支社は東阪名に続く規模で、仕事の張り合いとしては十分だ。一方で、街は住みやすく通勤は楽で、休日に足を伸ばせば自然を満喫できる。
久しぶりに釣りを始めた一方で、新しい趣味として「茶道」を始めた。支社内にサークルがあったのだが、もともと盛んな土地柄で近くには焼きものの産地もある。会社を離れて「茶飲み友達」も増えた。
最初は単身だったが、子どもが就職したのを機会に奥さんも合流したので、2人だけの新しい生活も新鮮だった。
予定の5年を迎えた時点で「もう少し」と赴任期間を延ばしてもらったが、その後、「さすがに戻ってこい」と言われた。
さて、次はどうするか。ある程度の希望は会社にも言うことができる。50代半ばとなって、管理職は後進に譲ることになるが、できれば「みんなの役に立つ仕事」がしたいと思った。
誰かに相談しようかと思った時、迷うことなくJさんの顔が思い浮かんだ。直接会う機会は減ったが、近況はわかっている。グループ会社での役職も終えたようだから、時間はあるだろう。
連絡をとって、会うことになった。じっくり話すのは久しぶりだ。
いろいろと互いの近況を話しながら、ふとCさんは転勤前に会った時のことを思い出した。
「50歳くらいで転勤すると、そのあとは『2つに1つ』とおっしゃいましたよね?」
「ああ、そうだったな。で、オマエは大丈夫だったろ?」
Jさんが「予言」したとおり、Cさんは地方勤務を十分に生かすことができた。何より視野が広がったし、「会社員発想」がいい意味で薄くなったと自分でも感じられた。
しかし、『2つに1つ』のもう片方、つまり「うまくいかなかった」同世代が結構いたのも事実だ。転勤先に馴染めず、場合によっては体調を損ねるものもいる。それぞれの事情はよく分からないけれど、何か共通点があるのではないか。
本社でいろいろなケースを見ていたJさんなら、何か手がかりのようなものを知っているのかもしれない。その辺りの事情を、Cさんは訊ねてみた。
自分を「緩められない」50代
Jさんは、思わず唸った。
「ううん、そうだなあ……少なくても能力的なものではないと思う」
ただし、と一拍間をおいてからこう続けた。
「何というか、自分を『緩ませる』ことができなかったんだよ」
支社に行けば、東京のような慌ただしさはない。ところが、どうしても居心地が悪い。時間にゆとりがありすぎて、持て余してしまう。ついつい、本社との違いばかりが気になる。
若い頃に支社経験をしていたとしても、齢をとってからの赴任は、居心地が違ってしまうようだ。そして、支社生活を満喫している同世代とは話が合わなくなって、孤独感を深めていく。
「さらに、『オレはまだまだやれるのに…』とか思っちゃうと、ますますややこしくなる」
Jさんはそう続けた。
つまり、「もう一旗揚げよう」となって空回りするわけだ。Cさんの周囲を見回しても、たしかに思い当たる人はいる。
「あとは、体の変調もけっこう多いんだよね。単身で食生活が乱れるケースは、前からあったけど、ここに来てメンタルの不調も増え続けてるはずだよ。50歳前後ともなれば経験豊かだから大丈夫だろうと思っていたけど、どうやら違うみたいなんだ」
会社のために一所懸命に働いてきたのに、最後の数年で「着地」に失敗するのはあまりにも忍びない。とはいえ、ビジネス生活の長い50代に対して、あれやこれやと世話をしようという発想はいまの会社には希薄だ。
定年後の生活を想定したセミナーは開いたとしても、「キャリアの仕上げ」を考えるのは個々人に任されている。
Cさんは、おもむろに問いかけた。
「たしかに、ベテランはたくさんの経験をしています。でも、どんな経験をしていても“先が見えてきた50代”というのは初めての経験なんですよ」
40代までのように、今までの蓄積がうまく生かせるとは限らないのではないでしょうか、と続けるとJさんは大きく頷いた。
聞いているうちに、Cさんは自分のするべきことが見えてきたような気がした。
50代の働き方を見直す仕事に
会社との面談に臨む時点で、Cさんの意志はハッキリしていた。社員のキャリア構築、特にいままで個人任せになっていたミドル層を主たる対象に「再構築」を支援してみたいと思ったのだ。ちょうど、全社を挙げた「はたらき方改革」のプロジェクトが動き出そうとしていた。
メディアでは、ワークライフバランスやダイバーシティーなどの横文字が躍る昨今だが、Cさんの問題意識はシンプルだ。「ミドルの働きがい」を考えて、何らかの施策が打てないかと思ったのだ。
人事担当の役員とは面識もあったし、問題意識は理解された。ただ「あまり慌てないでいいから」とも言われた。最優先は子育て世代のバックアップだし、ミドル対象の施策までの予算は用意されていないようだ。
それでもいいだろう、とCさんは割り切った。まずはじっくり研究してみたい。Cさんのアタマに引っかかっていたのは、Jさんから聞いた「自分を緩ませる」という話だった。それができる人とできない人がいる。なぜだろう?個々人の才覚の違い、ということにしていいのだろうか?
そもそも、組織としても「全体を緩ませる」ことはあっていいのではないか。単純に仕事量を減らすということではなく、仕事の目的やスタイルを再構築した結果として、そうなるという意味で…。
また、職場が「ギスギスしている」と社員のメンタル不調が増えたりし、業務効率やアウトプットも逆に下がってしまいかねない。これは、いい意味での「緩み」が足りないからではないだろうか?
そんな疑問を抱えながら、Cさんの、会社生活における最後のキャリアはスタートした(次号に続く)。
■今回の棚卸し
ビジネスの世界には、一定の緊張感が必要だ。一方で、ミドル世代の多くはキャリアのゴールに向けて、自分を上手に“着地”させていくことが求められる。役職や賃金で報われるとは限らないステージにおいては、モチベーションや仕事の進め方を上手に再定義する必要があるのだ。
一息入れて、こらまでのがむしゃらに働いてきた自分を「緩ませること」を意識してみるといいだろう。次のキャリアに向けて再出発を切るには、改めて冷静な自己分析が必要になってくるのだから。
■ちょっとしたお薦め
今までの仕事生活から距離をおいて、これからの生き方について考えるなら、もう一度若い頃のことを振り返ってみるのもいいだろう。
そんな若い時の気持ちを思い起こさせてくれるのが、北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」だ。シリーズの中でも傑作と評価されており、若い時に読んだ人も多いだろう。いま大人になってから読み返すと、「もっと自由に考えればいいのかな」という新鮮な気持ちになる。ぜひお勧めしたい。
このコラムについて
ここでひと息 ミドル世代の「キャリアのY字路」
50歳前後は「人生のY字路」である。このくらいの歳になれば、会社における自分の将来については、大方見当がついてくる。場合によっては、どこかで自分のキャリアに見切りをつけなければならない。でも、自分なりのプライドはそれなりにあったりする。ややこしい…。Y字路を迎えたミドルのキャリアとの付き合い方に、正解はない。読者の皆さんと、あれやこれやと考えたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/032500025/101100015
彼女のつぶやきを読んで
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明
2016年10月14日(金)
小田嶋 隆
昨年の12月、広告大手の電通に勤務していた女性新入社員(当時24歳)が自殺した。で、この10月7日に、自殺の原因が長時間の過重労働であったとして労災が認められた旨を、遺族と代理人弁護士が記者会見して明らかにした。
いたましい事件だ。
私は、自殺のニュースを好まない。特に若い人の自死を伝える報道は、近い年齢の同じように希死念慮を抱いている人々に、大きなヒントとダメージを与える。だから、なるべくなら蒸し返さないのが妥当だと思っている。WHO(世界保健機関)による自殺報道のガイドラインを守ったのだとしても、自殺を扱う文章は、どうしても感情に流れた作文になる。それは、人様に読んでいただく文章として好ましくない。
といって、感情を排した書き方をすれば良いのかというと、そういうことでもない。自裁した人間について、感情を含まない書き方で言及する文章は、必要以上に残酷な感じを与える。それ以前に、悪趣味でもある。
とすれば、本来、自殺には触れずにおくのがベターなのだ。
今回、あえてこの話題をテーマに選んだのは、自殺した女性社員が書き残したツイッターを読んで、色々と感じるところがあったからだ。
彼女の残したツイートは、「過労死」「電通」「東大卒」「女性」というキーワードから、私が当初抱いていた予断とはかなり違った読後感を残すものだった。
こういう言い方をするのも奇妙かつ不謹慎だとは思う。だが、彼女のツイートは、いちいちビビッドで面白かった。ユーモアと軽みさえ感じられたと言っても良い。
その彼女のツイッターは、既に非公開にされている。
多くの人に彼女の才筆を知ってほしかった気もするのだが、読めば読んだで良くない影響が広がらないとも限らない。そう思えば、アカウントの非公開化は妥当な判断だったのだろう。
一般論として、自ら死を選ぶに至るほどに追い詰められた人間は、ユーモアを失っているはずだ。逆に言えば、自分の置かれた状況を客観視する余裕をなくしているからこそ、人は自死を選ぶということでもある。
ところが、高橋まつりさんというその24歳の女性は、最終的に投身自殺を遂げてしまう日の直前まで、自らが従事している勤務の異常さをネタに、洒脱といってよい短文を発信する客観性を失っていなかった。
もうひとつ、私が気になっているのは、彼女が死の直前まで携わっていた時間外労働の数字(1カ月あたり105時間)への世間の反応の異様さだ。
有名なところでは、武蔵野大学グローバルビジネス学科で教鞭をとる長谷川秀夫教授が、10月7日の夜、「過労死等防止対策白書」を政府が発表したという毎日新聞の報道を受けて、ニューズピックスに投稿して「月当たりの残業時間が100時間を超えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂させるという強い意識があれば、残業時間など関係ない」などとコメントしている(報道記事はこちら)。
念のために申し添えれば、このコメントは、高橋まつりさんの自殺に直接言及したものではなく、過労死一般について述べたものだ。長谷川教授は発言を削除し、謝罪コメントを掲載した。それでも十分にひどい発言であることは確かだが。
過労死をプロ意識を欠いた勤労者を淘汰するための必然的な一過程と見なしているかの如きこの発言は、「グローバルビジネス」を講ずる教育者の言葉としてあまりにも国際常識からかけはなれている。それ以上に、まっとうな人間としての当たり前な同情心を欠いている。
とはいえ、この長谷川教授の発言が、21世紀の日本の職場常識とまったく相容れない異常な見解なのかというと、実は、そうでもない。ネット上に大量に書き込まれている有名無名な人々の硬軟取り混ぜた感想コメントをひと通り眺めわたしてみればわかることだが、長谷川教授が残した一連の言葉は、わが国のある層のビジネスマンの内心を代弁する典型的な見解のひとつだったりする。
「つまりこの5年ほど毎月100時間以上残業しながら生き残ってるオレは鈍いってことか?」
「ってか、100時間なんてまだまだ余裕だろ」
「でもまあ、申告した残業時間が105時間ってことで、実際は150とか180ぐらい行ってたのかもしれないからなあ」
「それでも、個人的に、200時間まではやれると思ってる」
「100時間超えると靴下のクサさに頓着できなくなるけどな」
「うん。過労死のバロメーターとしては、残業の時間数なんかより、足のクサさの方が重要だと思う」
「でも、150時間超えると鼻がバカになるからなあ」
「だったら、職場に一人、社員の足を嗅いで歩くための要員を置くとくべきかもしれないぞ」
「真っ先にそいつが死ぬぞ」
「カッコいいじゃないか、坑道のカナリヤみたいで」
てな調子で、若い時代に経験した残業地獄の日々を武勇伝みたいに語る人々は、どうかすると、働き詰めに働いたそれらの日々を懐かしんでいるように見える。
実際、どんなに苦しかった体験でも、過ぎ去った(あるいは克服した)時点から振り返って見れば、懐かしい思い出になっているというのはよくある話で、私たちは、ひたすらに無意味で苦しかった艱難辛苦の日々を「自分を成長させた試練」としてカウントする偽りの記憶生成過程を経て、自らを癒すものなのかもしれない。
してみると、高橋まつりさんが、最後まで自己の置かれた状況を相対化するユーモアを失わなかったことは、かえって彼女自身を追い詰める結果をもたらしていた可能性がある。
というのも、ある限度を超えた過重労働に適応するためのコツは、その過重労働を相対化して客観視することではなくて、むしろ過重労働を常態化させている職場の空気に同調して、個人としての固有の心情や独自の見解を滅却する過程の中にこそ存在するもので、一動作ごとに「我に返って」自分を見つめ直しているような人間は、それこそ、摩滅しつつある自我と、それを見つめる客観の二つの極に引き裂かれてしまうに違いないからだ。
私が直接に話を聞いている分も含めて、いま現在も、苛酷な長時間労働に従事しているビジネスマンはたくさんいる。
行き来のある出版社や放送局の若手の中にも、週のうちの何日かを会社に宿泊するスケジュールで働いている人々が珍しくない。といって、その彼らの全員が、疲弊し切っているわけでもない。
「いやあ、ボクなんか、6時に帰れって言われたらむしろ途方に暮れますよ」
と笑っている組の人々の方がむしろ多い。
この違いはどこから来るのだろうか。
私自身、20代の最後の頃、まるまるひと夏を事務所で過ごすみたいな激務に身を投じた経験を持っているのだが、実のところ、その時の細かい出来事は、ろくに覚えていない。記憶が残らないほど睡眠不足だったということなのか、それほど疲れていたということなのか、いずれにせよ、私は当面の苦しさを意識しないほどあからさまに過剰適応していたのだと思う。
この間の事情は、カルト教団への入信の過程に似ている。
ずっと昔に読んだ『カルトの子―心を盗まれた家族』(米本和広著 文藝春秋社)という本には、子供時代をカルト信者の二世として過ごした人々の証言がいくつも収録されているのだが、その彼らの語る教団内での暮らしは、過重労働を強いられている労働者がその試練への適応過程として身につける思考停止の様相と区別がつかないほど良く似ている。
オウム真理教、エホバの証人、統一教会、ヤマギシ会という代表的な4つのカルトの中で育った子供たちへのインタビューを通じて、強要された教義の中で信者が自発的な思考力を喪失していく過程を明らかにした本書は、発刊年が古いため、現在では入手しにくくなってしまっているが、とても良い本なので、図書館などで見つけたらぜひ読んでみてほしい。
最近の書籍では、文春新書から出ているその名も『マインド・コントロール(増補改訂版)』(岡田尊司著)という本がこの分野の好著だ。本書によれば、マインドコントロールの過程は、
第一の原理:情報入力を制限する、または過剰にする
第二の原理:脳を慢性疲労状態におき、考える余力を奪う
第三の原理:確信をもって救済や不朽の意味を約束する
第四の原理:人は愛されることを望み、裏切られることを恐れる
第五の原理:自己判断を許さず、依存状態に置き続ける
の5つの段階に分類できる。
この原理は、カルト宗教が信者を教化する過程そのものなのだが、わが国のブラック企業と呼ばれる会社が従業員を一人前の人材に仕立て上げる際に援用しているノウハウとしても十分に通用する。
カルト宗教は、信者を外部の世界から遮断し、物理的にも感情的にも、教団外の人間や外の社会の情報と隔絶することを、とりわけ重視している。そうしないと、洗脳が解けてしまうからだ。
実際、カルト教団の中でつらい目に遭っていたり、教義に疑問を持ち始めている信者がいたのだとしても、その信者が、教団の外に家族や友だちを持っていないケースでは、脱会しようにも、その方法さえ知ることができない。だから、何年も教団内で暮らしている外部と隔絶された信者は、そもそも脱会という選択肢を思い浮かべることができなくなる。
これは、カルト宗教の信者をブラック企業の社員に置き換えても、そんなにかけ離れた話ではない。
新入社員だった高橋まつりさんは、入社年次の浅い社員が多くの場合そうであるように、会社の外にたくさんの友だちを持っていた。退社後にやりたいこともあった。だから、休日をオフィスとは違う場所で過ごすことを切実に願っていた。
この状態は、信者でいえば、まだ信仰が固まっていない段階に相当する。
だからこそ彼女は、何年も同じオフィスで過ごしている先輩社員たちのように、平気な顔で残業をこなすことができなかった。
つまり、去年まで大学生だった新卒の女性社員が、はじめのタスクに緊張しながら、無意味なノルマや、不必要な会議や、待ち時間だけの滞在時間や、社内の上下関係から要請される明確な業務を伴わない帰宅遅延のいちいちに疑問を抱きながら過ごす残業100時間と、オフィス内に自分用のくつろぎスペースを確保し、忙しい時間の中で息を抜く方法にも精通し、一方、社外の友人とはすっかり疎遠になり、休日に出かけたい場所も会いたい人間も思い浮かばなくなっているベテラン社員が、適当に緩急をつけながら柳に風で受け流している残業100時間は、まるで意味の違う時間だということだ。
会社の水に慣れて、社外の人間との縁が切れて、洗脳が進んで、机に突っ伏して眠ることで疲れの取れる体質を身に着けてしまった後であれば、残業100時間程度の任務は、多くの中年サラリーマンが言うように、楽勝でこなせるようになるのかもしれない。
カルト教団は、外部の人間から見れば、地獄にしか見えない。が、教団の外の世界を知らない信者は、自分たちの教団を天国だと思い込んでいる。教団の外部にいる私たちは、信者を、心を麻痺させたかわいそうな人たちだと見なしている。が、教団の内部にいる信者たちはと言えば、教団の外で暮らす私たちを、本当の信仰を知らない哀れな人間だと思っている。
高橋まつりさんは、もしかしたらあの環境に適応できたのかもしれない。
とはいえ、彼女が通過儀礼としての新入社員の試練を突破して、超絶残業ダイヤで終夜運行する電通トレインに適応していたかもしれない近未来を、私は手放しで祝福する気持ちにはなれない。無論、死んでしまうよりはマシだが、自宅に帰れず罵倒を受け続ける生活に適応することが、若い女性の幸福な暮らしに寄与するようには、どうにも思えないからだ。
彼女は逃げるべきだったと思う。
自殺は論外として、退職、せめて無断欠勤ぐらいは試してみても良かったはずだ。
おっさんたちの中には、自宅で過ごす時間より、会社にいる時の方がくつろげるカタチで完成されている哀れな人間が数多く含まれている。
彼らは、仕事が終わっても会社に残りたがる。
会社から外に出たら出たで、帰宅途中のスナックの止まり木にしがみついてでも帰宅を遅らせようと頑張っている。
そういうおっさんたちを、一概に責めることはできない。
彼らは、自分自身から追放された会社教の信者で、その意味では、時代精神の申し子であり、タイムカードの犠牲者だからだ。
ともあれ、そういうおっさんを大量生産してしまったこの国の社会は、なんとしても、改められなければならない。
私自身は、新卒で入社した会社で課されたいまにして思えばたいしてキツくもなかったノルマをいきなり投げ出してしまった人間なので、あまり大きなことは言えない。
ただ、個人的な結論として、自分用の感想を述べるなら、逃げて良かったと思っている。
逃げた先に人生が無いと思うのは間違いだ。
逃げようが逃げまいが、どっちにしても、生きている限り未来はやってくる。
その未来から見れば、現在など、過去にすぎない。
まあ、当たり前だが。
(文・イラスト/小田嶋 隆)
緊急アンケートのお知らせ
日経ビジネスでは日本企業の労働時間の実態について、緊急アンケートを実施しています。 回答にかかる時間は5分程度です。回答は10月17日(月)午前11時までにお願い致します。 集計結果は後日、日経ビジネス、日経ビジネスオンラインなどで発表します。 ご協力いただける方はこちらから。
簡単に逃げられたら「カルト」じゃない。
それでも逃げてくれたら、と思わずにいられません。
当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。おかげさまで各書店様にて大きく扱っていただいております。日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。
このコラムについて
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明
「ピース・オブ・ケイク(a piece of cake)」は、英語のイディオムで、「ケーキの一片」、転じて「たやすいこと」「取るに足らない出来事」「チョロい仕事」ぐらいを意味している(らしい)。当欄は、世間に転がっている言葉を拾い上げて、かぶりつく試みだ。ケーキを食べるみたいに無思慮に、だ。で、咀嚼嚥下消化排泄のうえ栄養になれば上出来、食中毒で倒れるのも、まあ人生の勉強、と、基本的には前のめりの姿勢で臨む所存です。よろしくお願いします。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/101300065/
坂上忍さんの「正座」
遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」
腹を括った“戦国武将”の覚悟
2016年10月14日(金)
遙 洋子
ご相談
最近の職場に、実は違和感を抱いています。パワハラ研修などの成果でしょうか、上司たちは専ら部下に気を遣うばかりで、何というか「良い緊張感」がなくなっているような…。なごやかな雰囲気が悪いわけではありません。パワハラがいいとも思いません。しかし、自分が若い頃に感じた「ピリッとした緊張感」は、それはそれで意味があったと思うのです。「厳しい上司と必死の部下」の関係の中で学んだことはたくさんあります。繰り返しますが、パワハラがいいと言うわけではありません。ああ、この私の違和感、うまく伝わりますでしょうか…。(40代男性)
遙から
このコラムで以前書いたテレビ番組『バイキング』に出演することになった。他人事として冷静に批判やエールを送るのと違い、今度は我が事となったわけだ。
もう芸歴の長い私だが、どの番組に出るかということは、番組の状況によって日光浴に行くのか、戦場の最前線に行けと言われるのかくらいの温度差がある。日光浴系の番組とは、すでに視聴者に視聴習慣がついており、試行錯誤をせずとも何十年と生き続けられる番組だ。安定した視聴率の数字もついてきているので、そのまんま継続すればいい。つまり、尖らなくていいし、穏やかさが求められる。
それに比べ、戦場系番組とはその名の通り、数字取り合戦の真っただ中の番組のこと。それも微妙に劣勢の番組ほど必死度が高い。あの手この手で他局が安定した数字を確保する中、視聴者を"横取り"するための陣取り合戦なのだから。ダメなら?終わるだけだ。
「死ねや!死ねや!」
戦国時代に例えると、討死、だ。タレントは「ダメだったタレント」として烙印を押されるし、制作会社は外されるし、生き残るのは正社員のテレビ局員だがこれも"うまくできなかった人"という経歴がついて回る。バイキングとはまさしくそういった合戦中の真っただ中の番組だった。さしずめ戦国武将はメインパーソナリティの坂上忍氏ということになる。
かつて、司馬遼太郎の描いた戦国紀には合戦に出る武士たちに武将が「死ねや!死ねや!」と言って戦いに追いやるシーンが書かれてある。"死ねや"とはつまり、死ぬ気で戦え、生きて帰ろうとするな、死にに行け、という意味があったと書かれてある。
私の場合、なぜか関西の番組でもこういう死ぬ気で挑んでいかねば数字を取れない系の仕事が多く、消耗するぶん、結果、二桁の数字が取れた日にはスタッフたちと大宴席で乾杯するほど、まさしく「今回の戦は勝った」ことにやっと息がつげる思いを共有するのだ。
そんな私が番組を見ていて、「この武将は本気だ」と画面を通して伝わったのが、坂上忍氏だった。
そこに招かれるとは、光栄なことでもあり胃の痛む思いもする。そこが戦場であるのを見ていて予測がつくからだ。
巨大すぎる局内に入り、その割にとても効率よくできた動線に感心しつつ楽屋に入る。出演者全員の各部屋に挨拶にまわる良識派の方もいらっしゃるが、私はしない。イベントではない。数字を取るための陣営に呼ばれたことを理解していれば、挨拶は本番直前のスタジオ内でのひと言でいいと思っていた。
メイク室に入る。大勢の出演者が並び、日々あった出来事を楽しげに喋っているが、私は誰とも喋らない。芸能界に長年いるが、いればいるほど私はこの芸能界というところが好きにはなれないでいる。「テレビに出たい」ということにどれほどの意味や価値があるのだろう。それが芸能界であれ、商社であれ、銀行であれ、そこにあるのは常に他社との戦いで、それに勝たねば死ぬ。そういう競争原理のもと仕事があるので、そこに職業の違いがあるとは思わない。
出るか、取るか
ただ芸能界の場合は複雑な付加価値がつき、その原理を見えにくくさせていると思う。タレントとして売れたら成功。テレビに出演できていれば成功。といった、知名度=成功、という図式が、そこにある本質を見えにくくさせてしまう。
もしそこに成功があるのだとしたら、数字を取れて、成功、なのだ。それ以外の成功はないのではないか。個人的成功などあまり意味はなく、ある戦国武将のもと、そこでいかに戦い、いかに他局相手にいい戦ができるか、が、最終的な勝ち、なのだと少なくとも私は芸能界を俯瞰している。
それを最も実感できる当事者とはメインパーソナリティ。つまり戦国武将のみだ。他は出入り業者のようにいろんな番組に呼ばれて生計を立てているし、そうやって生きていく世界でもある。個人戦として芸能界を生き抜くか、戦国武将と共に勝利を目指すかは、もしかしたら個々の生き方の違いなのかもしれない。どちらでも生きることはできるだろうから。
でも、私があくまで番組で見た坂上忍氏の腹の括りは、「この人、本気だ」と、見ていて通じるものがあった。そこに胸が打たれた。
私を育ててくれた諸先輩方がいる。もう引退したり他界したりで、ひそかに寂しい気分で仕事を続けてきた。が、ここにまだ、あの当時の武将たちと似たオーラを放つ青年がいるではないか。
局入りするなり戦況を、つまり、数字をスタッフに聞いた。他局と格闘中だという。
私の頭の中はそれを聞くなり、メイクもヘアも、微妙に違う肩書も、漢字を間違えた名前表記もどうでもよくなった。
格闘中か。なら、戦おう…。
久々のオーラ
「誰にも挨拶しない」という私に、事務所の人間が、「せめて坂上忍さんにだけは」というので、楽屋に行った。扉を開けると、そこに、昭和の時代の芸能界の視聴率をけん引してきた先輩たちがかつて持っていた独特のオーラを放つ青年がいた。
タバコを吸いながらモクモクと漂う煙の中で(今の時代、タバコて!)真剣な眼差しで台本を読む。そこに、いまからの合戦の戦略を練る武将の姿が重なった。その真剣さは、いったん始まるとバラエティとしての笑いを提供する光景からは、視聴者は想像しにくいだろう。
真剣ながらに、あぐらをかく姿勢から、正座の姿勢へと変え、最短で最低限の礼儀の挨拶を彼は済ませた。
彼も同様なのかもしれない。挨拶などどうでもよい。来るというなら受け入れるが、今の自分はそんなことよりこれからの戦だ、というのが、台本を食い入るように読み込む険しい表情からうかがえた。
同時に、"ご挨拶"ということが芸能界のイロハのイであることなど子役の時代から叩き込まれてもきた青年であろう。だから出た"正座"なのだとうかがえる。
挨拶、で、その人物の背景がよく見える。
楽屋にいると、来られる挨拶はけっこう面倒なものだ。衣装に着替えるために素っ裸になった瞬間、たいていノックがあり、「ご挨拶に来ました」という。
慌てて服を着て扉を開け、いったい誰を待たせたのか「すみません!」と大声で来てくれた人を探す。
あるいは、ちょうどつけまつげのノリが乾く直前、このタイミング、という時に「ご挨拶です」と来られる。途中の化粧でする挨拶、特に、まゆげを一本しか描いていない時に来られる挨拶ほど辛いものはない。だから私は、来ていただく方を拒絶はしないが、心の奥では来られないほうが楽だ、という本音も抱えている。
来るほうも、若いタレントはマネージャーに"連れられて"来る。
それはしっかりしたプロダクションほど、先輩にはご挨拶をという方針を徹底しているからだ。それをまさしく現場で教え込んでいる。
あるいは、「ひとつよろしく」の袖の下バージョン。いただくものはクッキー三枚でも全部嬉しい。が、これも別になくても本番でのトークになんらかの影響があるというわけでもない。
「大人」がいない
また、リップクリームを塗りながら、階段の上から、階下の先輩である私にとがらせた口で「おはよーございまふ」といった天然系の挨拶をするタレントもいる。
本来なら、あくまで、本来ならだが、挨拶というものは先輩に上からするものではない。まして、〇〇しながら、するものでもない。が、もうそういう時代でもない。もうどうでもいい。なんだっていい。ただ、先輩として心配なのは、教えてくれる周りの大人がいない中で育つそういうタレントの行く末だ。
20代なんてまだ子供だ。教えてくれるちゃんとした大人が、特に、芸能界でいないということはそのタレントの未来の暗雲を感じさせた。そのタレントはもういない。
ある番組の本番前、初対面の先輩のタレントに「今日からご一緒させていただきます」とご挨拶した。
その先輩は、私と目も合わせず、表情も変えず、軽く、あごを数ミリ動かしただけだった。
これが、今の芸能界だ。
腹を括った本気
挨拶ひとつでその人物の背景や生き方が露出する。こういう中、"それどころじゃない"状況で、ご挨拶を"受け入れ"、なおかつ一瞬"正座"をする青年がいた。
本番前に、私はこの戦国武将に魅入られた。こういう人物がまだいる。だったらまだ芸能界にいよう、と、思えた。バイキングという番組のみどころのひとつは、坂上忍という人間の腹の括り方なのではないかと思っている。
遙洋子さん新刊のご案内
『私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ』
『私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ』
ストーカー殺人事件が後を絶たない。
法律ができたのに、なぜ助けられなかったのか?
自身の赤裸々な体験をもとに、
どうすれば殺されずにすむかを徹底的に伝授する。
このコラムについて
遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」
働く女性の台頭で悩む男性管理職は少なくない。どう対応すればいいか――。働く男女の読者の皆様を対象に、職場での悩みやトラブルに答えていきたいと思う。
上司であれ客であれ、そこにいるのが人間である以上、なんらかの普遍性のある解決法があるはずだ。それを共に探ることで、新たな“仕事がスムーズにいくルール”を発展させていきたい。たくさんの皆さんの悩みをこちらでお待ちしています。
前シリーズは「男の勘違い、女のすれ違い」
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/213874/101300034/
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