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AIの進歩で必要になる人、いらなくなる人 その選別はまもなく本格化する サムスン、Siri製作者が開発する次世代AI買収
http://www.asyura2.com/16/hasan114/msg/119.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 10 月 06 日 20:57:51: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

AIの進歩で必要になる人、いらなくなる人 その選別はまもなく本格化する
2016.10.6(木) 伊東 乾
トヨタ、小型会話ロボ「キロボミニ」販売へ 1体3万9800円
東京で行われた記者会見で、トヨタ自動車が発表したコミュニケーションロボット「キロボミニ」(2016年9月27日撮影)〔AFPBB News〕
 今年もノーベル賞のシーズンがやってきました。日本は大隅先生のオートファジーの業績が「単独受賞」であることの意味を深く感じ考える必要がある、といった内容は、来週、具体的に触れるようにしますので、どうぞご期待ください。

 物理学賞を得たBKT相転移というのは、今から30年前、私が物理学生時代に携わらせていただいていた凝縮系の問題系で、あの頃はこういう問題の価値が本当には分かっていなかったな、などと思い返すだに感慨無量です。

 さて、10月8日土曜日にも私たちはノーベル化学賞受賞者、白川英樹先生をお迎えしての公開行事を行います。単にノーベル賞が出ました、報道します、と言ったレベルではなく、ノーベル賞の評価対象となるような水準の成果をコンスタントに出して行く人材育成を現実問題として検討していきます。

 東大本郷キャンパス、福武ホールで開く国立大学協会「大学改革シンポジウム」、午前中は英語のセッションですが、午後2時からの午後のセッションは日本語で分かりやすい内容を扱う予定です。

 午後のプログラムは上記の通り白川英樹先生(筑波大学名誉教授、2000年ノーベル化学賞)が「教える教育と教えない教育」のタイトルで基調講演され、近藤誠一元文化庁長官、鈴木寛元文科副大臣などのメンバーで徹底的に熟議いたします。

 国立大学法人の社会貢献事業ですので入場は無料、まだ残席ありますので、聴講ご希望の方はgakugeifu@yahoo.co.jpまでお申し込み下さい。

 今回は、2016年というタイミングで、小中高等学校と大学、それ以降の教育・研究がどのように一貫性を持ち得るか、そしてどういう人材を育てていくべきなのか、白川先生の「教えない教育」をカギとして「放し飼い」という観点から見当してみたいと思います。

チェスと未来の雇用、用済みになる人材とは?

 少し前、SNS上に「AIの普及でこういう仕事は減ったりなくなったりするが、こういう観点に気をつけていれば生き残れる」的な内容を、この原稿のブレインストーミングのつもりで打っていたところ、「そういうことを30年前、チェス界でも言っている人がいた(が実際にはチェスはAIに凌駕されてしまった)」というコメントをもらいました。

 とても良い例をもらったと思いますので、この観点ではどうしてダメなのか、SNSには記しませんでしたが、背景に踏み込んで見当してみましょう。

 ポイントは「チェスには勝ち負けがある」ということです。より正確には「ルールに従って勝ち負けを決定することができる」。

 翻って、世の中の出来事には、一般にこれはない。ビジネスにも勝ち負けはあると思いますが、残念ながら画一的なルールなど存在しません(そんなものがあったら、大変楽かもしれませんが、負け組が決まっていたらたまったものではありません。北朝鮮みたいな体制だと、そういうことになりそうです)。

 チェスは初期のコマの配置が定められ、決まったルールに従ってコマを移動させ、すべての可能性が盤面の上で尽くされている。当たり前のことですが、これが世の中と大きく違う。

 膨大ではあるけれど、有限確定な可能性を網羅して、最良手を見当することができますね?

 これを実行するうえで計算機の方が有利なのは、このルールをプログラムという「形式原語」でモデル化し、あらゆる可能性をしらみつぶしにできるからにほかなりません。

 現在私たちが使っているノイマン式の電子計算機は、限られた演算機能をフル高速で実行して、与えられた問いに答えを出していきます。

 こうしたモデルの系、プラトンならイデア界と言ったかもしれませんが、これと現実世界との間には、少なく見積もっても3つ、本質的な違い、いわばモデルと現実の「断絶」があります。

 第1は物理的な不可逆性、確率統計的な断絶と呼んでおきましょう。

 これは確率変数を導入する計算などで補おうとするわけですが、同一の条件で計算すれば、それ自身を反復できるという「モデル化された統計性」で、覆水盆に返らない現実世界とは似ても似つきません。

 第2の断絶は生命現象によるもので、生命は個体と種の保存を不文律に自律的に生命活動を維持しますが、モデルにはそういう芸当はできません。

 非線形動力学系の話題で「人工生命」というトピックスがありますが、生命現象をモデルとして再現しているだけで、それ自体が生きているわけではない。

 ウサギなどは数匹、庭の穴に放り込んでおいても勝手に増えて大変なことになります(実際子供の頃に経験しました)が、壊れた計算機が自分で勝手に直るというのは、相当限られた範囲でしか期待できない芸当です。

 第3の断絶は心や意識、あるいは感情を持つというような要素で、今回はこれを扱おうと思いますが、あえてここでは「記号論的断絶」と呼んでおこうと思います。

 以下ではフェルディナン・ド・ソシュール(1857-1913)の一般言語学、ないし記号論的な枠組みを参照して、AIで仕事を失う人と、失わない人の別を考えてみましょう。

 なお、踏み込んだ議論にご興味の方は「表象のディスクール6 創造」(東京大学出版会 2001)所収の拙稿をご参照ください。

 2000年に展開した原理的な議論で、これを用いて「東京大学知識構造化プロジェクト」というもののマクロを準備しましたが、システムフリーの基礎的な内容ですので、現下のAIやIoTの議論も普通に扱えます。

自然言語と形式言語

 それがどのようなものであれ、現在の技術で実現可能なAI、人工知能あるいはビッグデータマイニングといった類は、すべてシステム上で情報が処理されますから、そこで処理が可能な形にデ―タを整えておかねばなりません。

 何を当たり前のことを、と思うかもしれませんが、人間はそういうことがない、というのがこの話題の本質ですので、まずここから参りましょう。

 データを客観的に取り扱うためには、適切なプログラムを準備する必要があります。この計算プログラムは数式のような「形式言語」で記されており、意味が「一意に確定」する必要があります。

 形式原語、あるいは意味の一意確定、いずれも耳慣れない表現かもしれませんが、これがAIと人間を分かつ原理的な差異を生み出すのです。

 仮に計算機が、1つのプログラム表現で複数の解釈が可能なルーチンにぶち当たると、多くの場合「ミスである」すなわちバグとして演算をストップしてしまいます。

 そのような問題は「well-posed problem(よく準備された問題)」ではなく、「ill-posed problem(設定不良問題)」である。計算機で解けるよう、きちんと問題自体を刈り揃えてください、とクレームされてしまう。

 逆に、世の中の問題の大半は、数式のような形式原語で考えるなら「設定不良問題」で、解く前の段階にある、あるいは検討するに値しない問題である、と考える専門家もいたりする代物にほかなりません。

 例えば「ヘイトの問題」あるいは「人権問題」、どのような形であれ「経済問題」「格差の問題」「差別問題」さらには「環境問題」「倫理的な問題」裁判など「法律問題」・・・。

 これらすべて、単純な方程式で完備に書き下ろすことなど絶対に不可能で、形式言語を用いてwell-posedな問題に整形などされてはいません。

 無理にそうすれば北朝鮮超級の管理国家ということになるでしょう。ナチスの苛政の大半は合理化に端を発します。

 生産性が低く国の予算を浪費するだけだとして障害者や精神障害者を殺害したところから、ホロコーストはスタートし、強制労働に従事させられないと判断した者には第一食を供することなくガス室―焼却炉というのも、ほぼ形式言語で記述可能な合理性=非人間性を貫徹しただけと言うことができます。

 こういう問題は「解くに値しない」のではなく(そのように考える人も現実に研究機関内に存在しますが)適切に解決するのが難しい、しかし常に人間が取り組み続けねばならない永遠の課題と捉えるべきものです。

 少なくとも教養教育はそういう観点をしっかり有知識層に教えなければなりません。

 私の理学部物理学科時代の同級生T君は、修士修了後にとある霊感商法教団に拉致、洗脳されて地下鉄にサリンガスを散布する実行犯となってしまいました。何かの教育に欠如があったと思いますので、この20数年、その種のことに私がコミットしてきたのはご存じの方はご存じの通りです。

 この種の「解くのが難しい問題」を特徴づけるのには、様々な方法やアプローチがあります。数学基礎論、ゲーデルの論理学、脳科学からのアプローチ・・・。

 様々な方法がある中で、以下では比較的容易で、かつ汎用性が高いソシュールの記号論をご紹介しましょう。

 ちなみに記号学はアウシュヴィッツ以降、戦後の文学理論として多くの成果を上げ、とりわけフランスに端を発するポスト構造主義の議論は今もって豊かな可能性を秘めていると思われますが、そのような展開を昨今あまり多く目にしない気がしています。

「あなたのお母さんの顔を想像してみてください」

 今、節のタイトルに記した、この言葉の意味が分からないと言う人は少ないと思います。あるいは「意味がない」と言う人もあまりいないでしょう。

 「あなたのお母さんの顔を想像してみてください」

 どうか読者の皆さんも、一度騙されたと思って、ご自身のお母さんの顔を脳裏に想像してみてください。

 で、これ、設定不良的な自然言語の典型なんですね。AIは当分この種のものに太刀打ちできるメドが立たない、子供でも分かる一例として考えてみたいと思います。

 「あなたのお母さん」と言われて、100人の人がその言葉を耳にしたら、100通りの「お母さん」が別に存在することが分かるかと思います。

 「貴方」のお母さんは今、台所にいるかもしれないし、彼のお母さんはスーパーへ買い物に出かけているかもしれません。私の「お母さん」は10年以上前にこの世を去りました。

 たった1つの「お母さん」という言葉、正確には有限確定な文字の列に過ぎないものが、それを受け取る人が10人いればほぼ10通り(兄弟姉妹がいれば重複することがあるかもしれませんが原理的には10通り)の別の「顔のイメージ」が、10人の脳裏に想起されるわけですね。

 ソシュールは、この文字列を「記号表現(シニフィアンsignifiant)」と呼びました。

 これに対して皆さんが脳裏に想像したお母さんの顔は「記号内容(シニフィエsignifie)」と呼んで区別することができます。

 また、この言葉やイメージの対象である実物、台所でニンジンを刻んでいるかもしれないお母さんという実物は「指示対象(レフェラン referent)」として別個に存在するものです。

 私の母親は地上に存在しないと考えればレフェラン不在かもしれませんし、青山墓地に収めてある骨壺が母親だとすれば、それが指示対象になる場合もあり得るでしょう。

 そう、「あり得るでしょう」と今書いた通りで、自然言語の記号体系は不明確、あいまい(ambiguous)であるのが本質的な特徴になっている。

 これを先に挙げた「一意確定」と対応させて考えるなら「多義的(Polysemy)」と表現すると、よりはっきりするでしょう。

 自然言語のポリセミー、多義性が厄介なのは、随時随所で意味を生成することができる点にあります。

 どういうことか?

 これは「ナニがナニしちゃったから、アレ、ナニしといて」みたいな言葉が、随所で無定義に通用するという、私たちの日常で随時使われている「ナニ」にほかなりません。

ゲノムと多義性

 長年連れ添った夫婦がお茶を飲んでいるとします。新聞に目を落としたまま、お父さんが、

 「お母さん アレ取って」と言うとき、奥さんが、

 「アレじゃ分かりません」と言うのは、意味が解らないのではなく、奥さんの機嫌が悪いらしい、といった別の意味をも含意するでしょう。文学や雄弁術、あるいは卓抜した小説表現などは、こうした指示詞の自在、多義性の文化を誇ります。

 翻って、一意確定な記号処理に面目躍如たる電子計算機は、こうしたことが本質的に苦手です。

 同じ文字列が様々な意味に解釈され得ること・・・。この「難しい問題」に計算機が大きくアプローチしたのが、ヒトゲノムの解読にほかなりません。

 たった4組の塩基記号だけで、私たちの命のすべてが「書かれている」というのは改めて驚くべきことで、ここで発達した「自然言語処理」の技術が今、私たちが常用する検索エンジンやSNS、さらには様々なビッグデータマイニング、AIの技術にも基礎を与えています。

 で、もっとも進んだ自然言語処理の技術も、十分に察しが悪いわけです。

 居間でお父さんが「アレ取って」と言うとき、指示される可能性がある100の対象を、お母さんはほぼ完全に聴き分けることでしょう。

 現在 のノイマン式電子計算機を用いた人工知能やビッグデータ・マイニング
で、こうした「問題」を解くうえで原理的な困難に直面しています。と言いますか、そうした原理的な問題が解決されない限り、ここ当分の間、人工知能は、こうした自然言語の生成する多義性に、ほぼ完全に無力なままにとどまるでしょう。

 AIで失われる職種とは、一意確定に記号処理できる範囲のジョブ、タスクにほかなりません。

 逆に、AIやIoTが進めば進むほど、選択的に「人間の持ち分」として残るであろう要素は、ソシュールの意味で多義的な文脈の中で意味を判断する業務、そしてそれに責任を取る職種であることが、原理的に、まず外れないと言えると思うのです。

 だから、白川先生の「教えない教育」、逆に言えば「自ら調べ、自ら感じ考え、自ら学ぶ」タフな地アタマを育てる「放し飼い」の教育、人材育成が、2020年代以降の21世紀国際社会で、決定的に重要と考えられるわけです。

 この先の議論になるかどうかは分かりませんが、何にしろこうした準備を経たうえでの議論は、国立大学協会「大学改革シンポジウム」で展開したいと思います。

 10月8日土曜、東大本郷キャンパス福武ホールにお運びいただける方には会場で、また遠隔の方には次回以降の稿で、続きをご一緒したいと思います。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48054


 

Samsung、Siriの製作者が開発する次世代型AIシステム「Viv」を買収
2016年10月06日 by Matthew Panzarino
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Samsung がVivを買収することに合意した。VivはAIのアシスタントシステムで、Dag Kittlaus、Adam Cheyer、Chris Brighamが共同創業した会社だ。彼らはSiriを制作し、2010年にAppleに売却している。この3人は、AppleがSiriを買収した翌年にAppleを去り、2012年にVivを創業した。買収額は分かっていないが、情報が入り次第お伝えしたい。

VivはSiriより拡張的で、強力なバージョンとして開発された。

Vivは買収後も独立した会社として運営を続け、Samsungと彼らのプラットフォームにサービスを提供するという。

Vivの特徴は2つある。1つは相互に連携する性質だ。Siriといった他のエージェントは最近になってようやく、それぞれ分断された情報をアプリやサービス同士でやりとりし、ユーザーの一連の指令と結びつけることができるようになってきている。これにより、人が実際に話すのに似た会話形式の複雑なクエリにも対応することができるようになる。

2つめは、Vivのバックエンドシステムのプログラムの性質にある。プログラム合成からの「ブレークスルー」ができるようになり、VivのAIは新しいタスクをこなすのに、独自のコードを自ら書くという。「自らを構築するソフトウェア」は、複数の点において新しい概念と言えるものではないが、早くにAI分野でこの技術を発表し、大きな反響を呼んだ会社の1つがVivだった。Vivはこれを「ダイナミック・プログラム生成」と呼び、Vivがユーザーの意図を理解し、過去に行っていないタスクでも、進行しながらタスクを実行するためのプログラムを作成することを可能にする。

Vivは今年開催されたDisrupt NYカンファレンスで、初めてこのシステムをライブデモで披露した。

「全ての指令をコードで書く代わりに、何をしてほしいか説明するだけでいいのです」とデモの後、Kittlausは私のインタビューで話していた。「Vivのアイデアは、開発者はすぐに欲しいと思う体験を構築できるようにすることです」。

KittlausがAppleを去った時、彼は「Siri Is Only The Beginning(Siriは始まりにすぎない)」という記事を書いた。その中で、彼は「AIでカンブリア爆発が起きます。数多の既存システムと新規のシステムでAIが活用されるようになります」と記した。

「ユビキタスであること」。Kittlausは、VivがSamsungの傘下になった理由としてそう話す。なぜSamsungなのかと彼に聞いたら、彼はこう説明した。

「彼らは1年で5億台の端末を出荷しています。前回登壇した時、あなたは私たちの目標について聞いたと思います。私はユビキタスであることと答えました。

近年、市場で何が起きているかを見た時、そしてVivを広く届けるための準備ができたことを鑑みると、これが理にかなうことだったのです。私たちのビジョンはSamsungの事業と一致し、私たちのコアテクノロジーという資産を広く届けることを考えた時、今が最適な時期で、Samsungが最適なパートナーでした」。

Samsungはもちろん、スマートフォンの売上高をめぐってAppleとトップシェアの座を競っている。単体のメーカーとして、Appleに挑戦している競合は彼らだけだ(利益に関してはAppleに遠く及ばない)。Samsungのスマホは売上不振により、利益もしばらくの間低調だったが、最近発表した2つの盤石なモデルで持ち直しつつあった。だが、その売上はバッテリーの爆発でリコールしているGalaxy Note 7のために台無しになった。

それ以外でも、Samsungは自社スマホのソフトウェアの運命をどのように進めるかという難題を抱えている。Googleはますます直接的な競合になりつつある(少なくともGoogleはそうなる施策を打っている)。Samsungにとっては、Tizenや他のAndroidベースのソフトウェアパッケージを使用するより、自社のハードウェアとそのためのソフトを所有する方が未来は明るくなるだろう。Googleのアップデートや機能を借り受けなくてもよくなる。

「この買収はモバイルチームが行ったものですが、他の全てのデバイスにこれを適応することの意義も明らかです」と SamsungのSVPを務めるJacopo Lenziはインタビューに答えた。「私たちから見ても、クライアントから見ても、Samsungの全体で持つスケール感を活かすことで、この取り組みの意義と本当の力を引き出すことができます。また、私たちとコンシューマーとの豊富なタッチポイントも活かすことができます」。

Vivを買収することで、SamsungはSiriとGoogle Assistantと競合するのに十分な力を得ることができる。1つ難点は、Vivはまだローンチしていないということだ。現実世界でVivが通用するかどうか、現時点で言及することはできない。ただ、この12ヶ月の間で、AI駆動のアシスタントがいかなるモバイルプラットフォームでも役立つかが分かってきた。AppleのAirpodsは長時間着用可能で、複数のビームフォーミングを行うマイクでは正確な音声入力を実現し、Siriと驚くほど相性がいいということが分かった。もしSamsungがこの領域で競合を買いたいのなら(当たり前のようにそう思っているだろう)、Vivと彼らのチームを買収するのはこれ以上ない選択肢だ。

この買収はモバイルグループが行ったものの、それ以上に連携できる可能性も大いにある。Amazon Echo、Google Home、Appleのスマートホームハブがそれぞれのサービスを仕込んでいる様子を見れば、大手企業がいかに熾烈にユーザーの自宅のテーブル上のスペースを巡って競っているかがわかる。Samsungの発表は、モバイルやウェアラブルの他にも、自宅にある家電にも注目を集めさせる内容だ。

Samsungは2014年、およそ2億ドルでSmartThingsを買収している。Vivというクロスプラットフォームの不可知な知性を、SmartThingsの主力となる製品群にも実装するというのは理にかなう話だ。さらに、Samsungは洗濯機や冷蔵庫といった家電も多く扱っている。「IoT」はどんどん従来の意味での「IoT」ではなくなるだろう。「IoT」なんてアホらしい名称もそろそろなくなるだろう。実際には、ほとんど全てのものが通信機器やマイクロプロセッサーを搭載し、端末がユーザーと周りの状況を把握することでユーザーの生活に溶け込むことを保証するようになる。

「具体例はありませんが、私たちはAIがカスタマー体験を進化させるだろうと考えています。特にAIを端末やそのシステム、あるいはIoTに組み込むほど、それが顕著になるでしょう。ここで重要なのは、ユーザーがこのようなテクノロジーと本当に関わりたいと思う方法を実現することです。それはシンプルな会話形式のインターフェイスです」とLenziは言う。

ここでいう知性とは、単に端末の知性ではなく、それらをコントロールする頭脳のことであり、Vivはその知性を与えることができるだろう。

Googleがさらに機能を追加しているAndroid、あるいはiOSとの差別化を図るために、SamsungはVivを自社のエコシステム内に閉じ込めるかと、私はKittlausに聞いた。

「それは絶対にありません。このシステムと理念は、できる限りオープンであり、できる限り多くの部分に価値を付加していくことにあります。もちろん、Samsungが持つサービスとデバイスの両方における存在感をフルに活用し、それらと連携することで、体験を本当に良くできると思います」と彼は答えた。

「これに取り組み始めた最初の日から、私たちが目指しているのは、前回登壇した時に話したように、世界がこのシステムを使って新たなマーケットプレイスを形作ることです。それが次のパラダイム、ウェブサイト、モバイルアプリ、そして今回はこの取り組みにつながりました」。

「今、人々が市場で見ている基本の状態から、世界中の異なるマーケットの異なる端末を用いて人々が自分からこのシステムにプラグインするために、オープンなシステムが必要です。そのようなスケールが実現した時、このアシスタントがユーザーのために何ができるようになるか想像してみてください」。

「アシスタントがこなせるタスクの数は、数十から千になり、万になり、将来的にはもっと増えるでしょう。そのようなスケールに達するために必要なのは、そのために必要な多様なテクノロジーやプラットフォームを考えぬくことです。私たちは過去4年間、それに費やしてきました」。

Samsungが単に自社のプラットフォームにAIアシスタントを加えること以上の施策を検討していると考えるなら、その証はすでにいくつかあるようにも思える。プレスリリースには、「VivでSamsungはカスタマーに対し、新たなサービス体験を提供することが可能になります。例えば、ユーザーインターフェイスをシンプルにし、ユーザーの状況を理解して、ユーザーにとって最も適切で、有意義な提案やレコメンドができるようになります」とある。

宣伝文句でもあるが、この先を予見させる言葉でもある。

Samsungの様々な端末のソフトウェアにVivを搭載した場合、どのように他社との差別化につながるか、とKittlausに聞いた。彼は「外には広大なエコシステムが広がっています。この取り組みでは、私たちはポスト・アプリ時代に向かってゆっくりと進み出すということが1つです」と言った。

「Samsungはこの全く新しい分野を牽引できる位置につけています。どこからでも利用できるアシスタント、シームレスなインタラクション、会話型のコマース、私たちがこれまで話してきたことが実現するためには、新たなバックボーンが必要です。これらを組み合わせることで、クリティカルマスを獲得する機会が得られます」。

SamsungによるVivの買収は、AppleやGoogleが提供するような音声駆動のアシスタントを開発するためというよりも、音声駆動のインターフェイスを作るためということなのだろう。それは、スマホ、ホームハブ、ドアノブ、冷蔵庫に至る全ての端末に一貫して存在することになるのかもしれない。AIでカスタマーを獲得し保持することを目指す、少数の会社と同様にSamsungをそれを目指しているのだろう。

もし、Apple、Amazon、GoogleがAIをOSやデバイスの中核に据え、デバイスは単にそのコアに紐づく電化製品というコンセプトを煮詰めることができるなら、私たちにもできないことではないというのがSamsungの考えのようだ。

[原文へ]

(翻訳:Nozomi Okuma /Website)
http://jp.techcrunch.com/2016/10/06/20161005samsung-acquires-viv-a-next-gen-ai-assistant-built-by-creators-of-apples-siri/


アクセンチュア、AIで金融業務効率化を支援 専門チーム結成
2016/10/6 19:41 
 アクセンチュアは人工知能(AI)などを使って金融機関向けに業務効率化を支援する専門チームを立ち上げたと6日発表した。銀行や証券、保険では振り込み・送金、与信は人間が主に手掛けている。AIや「ロボティック・プロセス・オートメーション」(RPA)と呼ぶ業務自動化の仕組みを導入すれば業務全体で約50%の事務量削減につなげられるという。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ06HSQ_W6A001C1TI5000/
 

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コメント
 
1. 2016年10月06日 21:18:13 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[2833]
>3つ、本質的な違い、いわばモデルと現実の「断絶」

>第1は物理的な不可逆性、確率統計的な断絶
>同一の条件で計算すれば、それ自身を反復できるという「モデル化された統計性」で、覆水盆に返らない現実世界とは似ても似つきません。

問題を近似的に解決する上で、反復可能性は本質的な違いにはならない

だから擬似乱数によるMCシミュレーションや、遺伝的アルゴリズムなどが、

ほぼ∞の計算量を必要とするサラリーマン巡回問題などの近似解法において有用なのだ

それに物理乱数やメルセンヌ素数を知らないわけではあるまい

>第2の断絶は生命現象によるもので、生命は個体と種の保存を不文律に自律的に生命活動を維持しますが、モデルにはそういう芸当はできません

 ウサギなどは数匹、庭の穴に放り込んでおいても勝手に増えて大変なことになります(実際子供の頃に経験しました)が、壊れた計算機が自分で勝手に直るというのは、相当限られた範囲でしか期待できない芸当です

これも現在の技術からの単なる類推に過ぎず、今回のノーベル賞が示唆する分子機械が実現すれば

機械と生命の区別など完全に意味はなくなる

昔の、生命と物質は本質的に異なるといった妄想と同じだろう


>第3の断絶は心や意識、あるいは感情を持つというような要素 「記号論的断絶」と呼んでおこう
>形式原語、あるいは意味の一意確定、いずれも耳慣れない表現かもしれませんが、これがAIと人間を分かつ原理的な差異を生み出す
>「あなたのお母さんの顔を想像してみてください」
>設定不良的な自然言語の典型なんですね。AIは当分この種のものに太刀打ちできるメドが立たない

ここにもAIが(意味を確定され)設定された問題しか解けないという、先入観があるが、

Deep Learningが、これまでの限界を突破して、チェスや将棋、囲碁で人を打ち負かせるようになったように

マルチ階層でのDLを可能にすれば、多重意味の処理や、自分で意味を創造(定義)することも可能になるだろう。

と言うか、そもそも人間の脳も、所詮は、ニューロンという、ほぼデジタル処理システムを

多重かつ超並列に動かしているのだから、似たようなものだ

>AIやIoTが進めば進むほど、選択的に「人間の持ち分」として残るであろう要素は、ソシュールの意味で多義的な文脈の中で意味を判断する業務、そしてそれに責任を取る職種であることが、原理的に、まず外れないと言える
>だから、白川先生の「教えない教育」、逆に言えば「自ら調べ、自ら感じ考え、自ら学ぶ」タフな地アタマを育てる「放し飼い」の教育、人材育成が、2020年代以降の21世紀国際社会で、決定的に重要

まだ暫くの間は、そうした状況は続くかもしれないが、いずれAIがそうした問題も人間以上のパフォーマンスを発揮できるようになるのは時間の問題だろうな


2. 2016年10月06日 21:25:08 : 3E76uVCkj6 : nVgKMnZYopg[252]

 自動運転なども 大きな効率化になるよね〜〜

 ロボットは 24時間 ノンストップで 日本中の高速道路を走り回ることになる

 ===

 宅配便なども 都心のマンションでは 一か所に 500世帯などと 集配効率が 極端に良くなる

 ===

 21世紀は AI(ロボット)の時代で  人間は「遊んで暮らす」時代なのだ
 


3. 2016年10月06日 23:06:55 : Qk0z0gVGLY : lQZkNLxHm_4[632]
生産効率が上がるほど「分配」をうまくやらないと革命になる。

日本はその対策に人口減少という愚策を採って国を滅ぼしそうだな。


4. 2016年10月07日 20:22:47 : UriUMyAuHw : pFoFQvN3BG0[115]
送るのだ いらない奴を 戦場に

5. 2016年10月08日 00:20:10 : 86bGpQzdOw : @ceBE@dGfj8[4]
>これも現在の技術からの単なる類推に過ぎず、今回のノーベル賞が示唆する分子機械が実現すれば
>機械と生命の区別など完全に意味はなくなる

材料が金属であろうが分子であろうが機械は機械。
生命は「代謝」である。機械は「代謝」しない。

>昔の、生命と物質は本質的に異なるといった妄想と同じだろう

生命とは物質の存在形態の一種である。
同列に比べて比較するものではない。


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