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2016年10月6日 中島 恵 [フリージャーナリスト]
中国人エリートが東大留学する本当の理由
近年、日本の東京大学を目指す中国人エリートが絶えない。なぜ、中国人エリート層はわざわざ海を渡り、東大への留学を目指すのか。実際に、東大で学んでいる中国人留学生たちにインタビューを重ねると、意外な本音が明らかになってきた。(ジャーナリスト 中島 恵)
自分の経歴を表に出したくない
東大留学中の中国人女子学生
東大留学を「人生リベンジの場」「起死回生の場」「一発逆転の場」として捉えている中国人は多い(※写真はイメージです)
「私、中国ですべての志望校に落ちてしまって……。中国の大学入試の当日、風邪で熱があって意識朦朧としていたんです。結果は……惨敗でした……。それで意にそぐわない無名の大学に入学したんですけど、ずっと後悔していたんです」
東京大学本郷キャンパス内のカフェで、うつむき加減でこう語り出す26歳の中国人大学院生――。
今年5月、東大に留学中の中国人を探していたとき、知り合いの紹介でたまたまこの女子学生と出会ったのだが、最初に彼女から“条件”をつけられた。それは、現在の研究科や指導教授名、中国の出身大学名などの詳細を記事に書かないこと。
なぜかというと、あまり自分の経歴を表に出したくない理由があるからだ。
「自分の学歴がずっとコンプレックスだったんです。北京にあるその無名大学に通うようになって、性格も暗くなって、高校時代の友人ともあまりつき合わなくなりました。このまま私は三流の人生を歩むのかしら……って思って悲しんでいたとき、大学で日本人の先生と出会いました。その先生の影響で日本に憧れるようになり、日本留学をして“人生をリベンジしたい”と考えるようになったんです」
中国では浪人は一般的ではない。その頃は海外留学も現実的には考えられなかったので、挫折感を味わいながら悶々と過ごしていたが、あるとき、学会で北京にきていた東大の教授と偶然知り合う機会があった。その教授に頼み込み、なんとかして、まず研究生として東大に入ることはできないか、と頼み込んだ。結果、来日することができ、一心不乱に勉強して、東大大学院修士課程(文系)に入学することができた。
彼女は目を輝かせて言う。
「今は晴れ晴れとした気持ちですね。東大以外の日本人に会えば『すごい。勉強ができるんですね』と尊敬のまなざしを向けられるし、中国に帰ったら帰ったで、中国人からの『日本の東大に留学しているなんてすごい。天才!』とおだてられ、誇らしげな気持ちになります。とてもうれしいし、自分が生まれ変わったような気持ちになります」
第1志望に落ちるという苦い経験が
東大進学のきっかけになった
もうひとり、理系の中国人大学院生の声も聞いた。その女性もまた、中国の大学入試で第1志望に落ちるという苦い経験が、東大進学のきっかけとなった。
しぶしぶ進学した大学での専攻が思いのほか、面白く、「もっと勉強したい」という意欲を掻き立てられた。その分野で最も進んだ研究をしていたのが東大の教授で、教授のホームページにあるメールアドレスを見て、アタックしたのだ。決め手は「教授の研究内容が自分と合っていること、東大は日本でトップの大学であること、中国政府の奨学金が最大4年間受給できること」の3点だったという。
『中国人エリートは日本をめざす なぜ東大は中国人だらけなのか?』(中島 恵著、中公新書ラクレ)好評発売中。
私はこのほど発売した拙著『中国人エリートは日本をめざす 東大はなぜ中国人だらけなのか?』の取材のため、東大に留学する多数の中国人にインタビューする機会があったが、彼女たちのように、日本留学を「人生リベンジの場」、「起死回生の場」、「一発逆転の場」として捉えている留学生が非常に多いことを初めて知った。
中でも日本一の大学、東大に入学することは中国人にとっても大きな夢だ。日本には「学歴ロンダリング」という言葉があり、最初に入った大学がイマイチでも、編入してもっと偏差値の高い大学に入り直したり、有名な大学院に入れば、最終学歴は高くなるというケースがあるが、中国人の場合、国内では編入という制度はなく、国内で一流の大学院に行っても、日本よりも競争率が激しいので、必ずしもよい就職口があるわけではない。
彼らは欧米留学も含めて、海外に留学することによって初めて「学歴ロンダリング」が可能になるし、他の人よりも抜きん出て、ステップアップできる、と考えている。
むろん、前述の理系の大学院生のように、学部で学んでいくうちに学問への興味が湧き始めて、もっとレベルの高い大学への進学を目指す、ということもあるので、一概にネガティブな理由ばかりではないし、学歴ロンダリングではないケースもたくさんある。「もっと勉強したい」、「やり直したい」という学習意欲を持ち、努力して日本の最高峰の大学を目指してやってきてくれることは、日本人としてありがたいことだ。
東大留学生の約45%が中国人
特に大学院に多い
そういう中国人が多いからだろうか。今、東大には数多くの中国人留学生が在籍している。まさに「東大の大学院は中国人だらけ!」といっても過言ではないことをご存じだろうか。
東大のホームページによると、学生数は学部、大学院合わせて約2万6500人(16年5月現在)。表にある通り、そのうち、留学生数は約3300人。さらにその45%が中国人で占められているのだ。
内訳を見ると、学部生は約130人(研究生を含む)だが、修士課程は約630人、博士課程は約720人と、圧倒的に大学院生が多い。私が知り合った中国人も、上記の2人を含めて、全員が大学院生だった。
東大北京代表所よると、「中国人留学生数は05年は657人だったが、15年には1268人になった」という通り、10年で2倍に膨れ上がっているが、その理由はいくつかある。まず、中国人側にとって、東大をめざす理由の1つは、「東大は北京大学よりもレベルが上。どうせ大学院に行くのなら、東大の大学院に行ったほうが、後々いい就職口があるし、箔がつく」と思っていることである。
英タイムズ誌などが毎年発表する世界大学ランキングなどを見ると、東大のランキングはジリジリ落ちており、15〜16年のランキングでは北京大よりも下なのだが、取材した中国人たちは「日本は経済でも教育でも、何でも中国より優れているのだから、“先進国の日本”でいちばんの大学は、中国の大学よりも上に決まっているはず」と疑わない。
経済的に豊かになり高学歴者が続出
海外一流大学博士号が出世の条件?
隣の芝生は青く見えるということなのかもしれないが、今の中国では「留学」自体が大ブームで一種のステータスとなっており、「日本でいちばんいい大学=東大」に留学することは、母国の大学院に行くよりもきっと高い付加価値があるはずだ、ブランドとして聞こえがいい、と受け止められている。
また、中国のトップ大学は、文系なら北京大学、理系なら清華大学で、数年前までならば、学者を志す学生はそのまま同大学の大学院に進学するだけで十分だった(留学も今ほど容易ではなかった)。だが、近年は、経済的に豊かになり、高学歴者が続出。「北京大学大学院で博士号」を取得する人は珍しくない存在となってしまった。
高学歴化、留学が当たり前になってきた中、「中国のトップ30以内の大学で教授職を得ようとするならば、海外の一流大学で博士号を取ることは暗黙の了解。それ以外は熾烈な競争のある教授ポストを得ることはできない」(前述の理系の大学院生)とまでいわれている。海外の一流大学といえば、ハーバードやスタンフォードなどの欧米の有名大学が真っ先に思い浮かぶが、日本でも東大だけは別格であり、その中に含まれている。
前述したように、中国で希望する大学に落ち、落ちこぼれそうになって起死回生を狙う留学生にとって、欧米の大学は高根の花でも、東大ならば中国でも非常に有名であり、友人たちに自慢することもできる。
もちろん、起死回生組ではなく、北京大学、清華大学を卒業した元々のエリートにとっても、東大は十分満足のいく進学先だ。北京大学で学び、現在は東大大学院博士課程に在学中の女子学生は「北京大学卒で日本の大学院に行くならば、東大以外には考えられないでしょう」と話していた。
東大や東大生を描いた人気アニメも影響
東大も中国人留学生を歓迎
なんだかんだいって、中国人にとって、日本は距離的に近く、同じ漢字圏で文化的にも近い。アメリカよりもずっと身近な国であり、東大や東大生を描いたアニメ『ドラゴン桜』や『イタズラなKiss』、『ラブひな』が中国の若者の間で人気があるということも影響している。
一方、東大側から見ても、中国人留学生にきてもらうことはウェルカムだ。個人的なルートで複数の東大大学院の教授(主に理系)に話を聞いてみたところ、ある教授はこう耳打ちしてくれた。
「日本人の大学院進学率は年々減少しているのが現状。18歳人口の減少という深刻な問題もあって、もうなかなか“優秀な日本人”がみつからないのです。もはや理系の大学院は中国人留学生がいないと維持していけないほど。だから、東大に限りませんけど、日本の大学院はどこもかしこも中国人ばかりになっているんですよ」
「とくに毎日実験データを記録しなければならない研究室であれば、なおさらでしょう。中国人は嫌だとか何だとか、そんなことはもういっていられない。物理的に研究室を回していくマンパワーが必要なのです」
一口に理系といっても分野は幅広いが、いずれにせよ日本人の大学院進学者が減っている今、教授の中には「学生を求めてわざわざ海外まで出掛けていく」ことは珍しくないという。学部生を一から育てるよりも、そのほうが手っ取り早いからで、海外の学会で出会った優秀な人材に自ら声を掛け、“一本釣り”をする教授もいるそうだ。
つまり、東大といえども、大学院の研究室を維持・運営していくのは大変なことで、最も留学生数が多く、日本と同じ漢字圏で、総じて優秀な中国人留学生がそのターゲットとなるのは、ある意味で当然の結果なのである。
東大は05年に東京大学北京代表所を設置し、優秀な中国人学生の東大への受け入れを積極的に行っている。博士課程(理系)に在籍する知り合いの男子学生は「北京事務所で数学と英語の小論文、面接の試験を受けた」と話しており、もっと中国人が「留学しやすい環境の提供」に努めている。
このようにして“需要”と“供給”がマッチし、東大をめざす中国人エリートは後を絶たない。もしかしたら、数年後、東大の博士課程は9割が中国人!? なんていうことも、現実味を帯びてくる時代がやってくるのかもしれない。
http://diamond.jp/articles/-/103717
米国の高卒白人男性、大卒との賃金格差拡大
トランプ氏の主張めぐる議論に拍車か
大卒と高卒の収入格差はここ数十年広がり続けている
By BEN LEUBSDORF
2016 年 10 月 6 日 12:22 JST
労働者階級の白人男性の稼ぎは何十年にわたって減り続けており、大卒の白人男性との差はますます開いている。
これは、米国勢調査局の元職員が立ち上げた経済専門の調査会社センティア・リサーチによる新たな分析結果だ。5日に発表されたこのリポートは、賃金や給料に関する連邦政府のデータを分析したもので、高卒の白人男性と、少なくとも学士号を取得した白人男性とを比較した。
分析では、1996年当時に25歳から44歳だった人と、その18年後の2014年に43歳から62歳だった人を比較し、各自の収入が時間とともにどう変化したかを大まかに追跡した。収入はインフレ調整された、指定された年齢群内で平均値が算出された。労働参加率などの要因の変化を反映するためだ。
結果は、顕著な差をあらわにした。高卒白人男性の1人当たりの収入は1996年から2014年までの間で8.9%減少した。一方、大卒以上の白人男性の収入は同時期に22.5%増加した。
センティアは、これ以前の18年間、つまり1978年から1996年までの期間でも似たトレンドがあると指摘。つまり、この期間中に高卒白人男性の収入は10.7%減った一方で、大卒以上の白人男性のそれは30.4%増えた。
リポートの共同執筆者であるゴードン・グリーン氏は、「これは、長年起きてきたことの継続を示している」と述べた。同氏によると、米国の工場労働者の数は1970年代終盤のピーク以降、何百万人も減少。「スキルを高めたり、新しい技術を学んだりしなかった人々は、なかなか仕事が見つからず、それまでよりも少ない収入を受け入れざるを得なかった」という。
トランプ氏の主張めぐる議論に拍車か
大卒の学位を持たない白人男性の中に共和党の大統領候補であるドナルド・トランプ氏を強力に支持する人がいることは、決して偶然でないように見える。ニューヨーク出身のビジネスマンであるトランプ氏は、不法移民や自由貿易協定を批判し続けているからだ。
トランプ氏は7月21日の共和党全国大会で行った指名受諾演説の中で、「わたしは解雇された工場労働者や、ひどく不公平な貿易協定によって破壊されたコミュニティーを見てきた。わが国で忘れられた男性や女性たちだ。彼らは一生懸命働いているのに、もはや声を失っている。わたしは、こうした人々の声になる」と述べていた。
センティアの分析結果は、長年の証拠と軌を一にしている。それは、大学の卒業は、より高い収入という形で生涯の配当をもたらすこと、そして大卒と高卒の収入格差はここ数十年広がり続けているということだ。先月公表された国勢調査局のデータによると、大卒者のインフレ調整後の収入は1990年代初め以降増え続けているのに対し、それ以外の人々の収入は減っている。
今回の分析論文をきっかけにして、トランプ氏が有権者、とりわけ労働者階級の白人男性にアピールしているのは、経済不安があるためだとする議論に拍車がかかりそうだ。
エコノミストのジェド・コルコ氏は最近の分析で、白人男性、高齢者、それに比較的低学歴の人々は、今後雇用が減ると予想される職に就いている公算が大きいと指摘した。また、ホワイトハウスのエコノミストらが今夏公表した調査報告は、労働年齢の男性で働いていない人が増えているという何十年にもわたるトレンドを浮き彫りにしている。そのうち職を離れるペースは、学校教育をさほど受けていない男性が最も急だった。
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https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwis7KznxcXPAhUG2mMKHedPB6QQFggeMAA&url=http%3A%2F%2Fjp.wsj.com%2Farticles%2FSB11248959841534934584204582356990105552620&usg=AFQjCNE92fJjePBUe6TcWf4dEREVJY4iJg
限界集落の汚名返上、年間32億円稼ぐ小さな村 高知県馬路村:6次産業のモデルケースにIターン者急増中
2016.10.5(水) 大和田 一紘
経営力がまぶしい日本の市町村50選(44)
人口の10倍以上に上る“応援団”
安芸郡馬路村は高知県の東部にあり、高知龍馬空港から車で約2時間ぐらいかかる山奥に位置する村で人口はおよそ900人(2016年5月推計)。総面積の約96%が山林に覆われており、魚梁瀬杉(やなせすぎ)という銘木を中心に林業で栄えてきた歴史がある。
馬で行く以外に交通手段がないというのが村名の由来とされるが、県内34市町村の中で2番目に人口が少なく、規模だけを見れば「限界集落」と呼ばれる町村と大きな差はない状況である。
そんな中、2003年に提唱した「馬路村 自立の村づくり宣言」のもと、子供たちが元気に遊び、楽しく通学できる村づくりを目指し、保育園2園(36人)、小学校2校(37人)、中学校2校(12人)を有していることは注目に値する。
実際人口1人当たりの教育費は高く(財政コーナー参照)、その一方で学習塾はないため、住民がボランティアで教え合うという風習もある。
柚子産業で有名な村で、その売上高は1988年の1億円から2014年には32億円へと増加し、それに伴い加工品工場にはI・Uターン者も含め従業員は80人を超えている。観光においても柚子効果で国内外から年間5万人が訪れている。
また村外から来訪した観光客らを対象に2003年から募集している「特別村民」の登録者が今年の8月に1万人を突破した。登録料は無料で、専用の“住民票”が発行されるほか、特別広報紙が年1回送られる。
来村時には馬路村農協のゆず飲料「ごっくん馬路村」を、上治堂司村長と村長室で一緒に飲める特典もある。
人口の10倍以上に上る全国各地のファンへは特産品情報を積極的に発信しており、2015年12月に本格化させた「ふるさと納税」では、6800人に申込書を送った結果、約8カ月の寄付件数約1700件のうち、約100件が特別村民からだったという。
柚子効果を林業にも
まさに柚子で知名度を上げたことによる波及効果とも言えるが、柚子産業の収入をテコにもう1つの基幹産業である林業の活性化にも取り組んでいる。
2000年に村役場が出資して設立したエコアス馬路村はいままでの林業の仕組みを変えるとともに、主に自然循環型商品として、間伐材を利用して木製トイレやうちわなどのユニークな商品づくりをしたり、林業の後継者育成も担っている。
それまでは伐採した後、下流の貯木場に運ばれて売られていた木材を、村内に貯木場を整理し、建築用材や様々な需要に対応できるように加工する製材所を充実させて間伐材を加工している。
山仕事にはできるだけ高性能機械を導入し、効率化と安全性を高めながらコストダウンに努め、生産された木材で加工・流通の流れをつくり、資源循環型森林経営を確立している。
現在では森林組合、エコアス馬路村、林材加工協同組合の雇用者数は108人に至っている。
さらには、損保ジャパンや日本興亜損害保険とは「いきいき共生の森」パートナーズ協定を2007年から継続しており企業連携により森林整備を推進している。
また東京都港区とは2011年に「間伐材をはじめとした国産材の利用促進に関する協定書」を締結したり、現在建築されている公共施設の外装木質化など、木材/木製品の需要拡大に向けた積極的な取り組みを行っている。
馬路村の全景(ウィキペディアより)
6次産業の成功モデル
今でこそ農村漁村の6次産業化が注目され、国の支援も行われているが、JA馬路村ではその言葉さえもない1979年にゆずの加工販売を始めている。
馬路村の急峻な段々畑で生産されるごつごつしたゆずは青果として評価が低く、当時のJAは付加価値を高める取り組みとして、佃煮や果汁などに加工し全国に営業をかけていた。
百貨店を回り、出来上がった商品を催事場でPRするなど、10年以上にわたって地道な営業活動を続けてきたが、その背景にはゆずの品質に絶対の自信があったからこそだろう。時間はかかっても、いつか受け入れられる確信があったという。
躍進のきっかけは、1988年にポン酢醤油「ゆずの村」が「日本の村101村展」で大賞を受賞し、全国に顧客が増えたことだった。
また、同年にゆずドリンク「ごっくん馬路村」を発売すると、味はもとより、親しみやすい商品名と素朴なパッケージで村を代表する商品となった。
農協婦人会や自分の子供たちもモニターとして、村民総動員による試行錯誤で生まれ、村民が本当においしいと思える商品に仕上げた。
代表理事組合長である東谷望史氏自ら、百貨店などの催事に年間80日以上出店するなど、30 年以上にわたる地道で粘り強い開拓活動が、今なお販路を支えている。
現在はドレッシングや調味料など約60種類の加工食品やゆずの種を利用した化粧品umajiシリーズなどが販売されている。
「村の空気を届ける」センター
村内にある約170軒の農家のほとんどがゆずを生産しているが、JA馬路村が全量買い取り加工し販売している。
主な販売先は一般流通65%、インターネット、直売所での直販が35%となっており、2006年3月に完成した「ゆずの森新加工場」にはコールセンターや配送センターも併設されて、集荷・広報・販売・クレーム対応まで総合的にプランニングしている。
また、配送センターには「村の空気を届ける」というスローガンが掲げられ、お客の名前や住所を確認することで、全国から村の商品が必要とされていることを実感し、スタッフの誇りにも繋がっている。
仕事に自信を持って取り組んでいるため工場は活気にあふれていて笑顔が絶えないが、自分たちの手で村を成り立たせている実感がそうさせるのかもしれない。車で1時間ほどの町民が馬路村で働いているケースも増えてきているようである。
現在、工場では80人ほどの従業員が働いているが、馬路村のゆずの魅力が広まったことで人口の流入もあり、Uターン就職よりもIターン就職で馬路村へ移住してくる若者も多いようである。
また、加工場などのほか、農産物直売所やパン工房などを併設し、視察者や観光客が馬路村の様々な魅力に触れることのできる交流施設にもなっている。
馬路村のイメージにぴったりと来るような施設にすることを目指し、外壁にも内装にも地元杉材がふんだんに使われている。黒く塗られた外観は雑木林の中に沈み、その規模からは考えられないほど周囲の景観に溶け込んでいる。
場内に足を踏み入れると、杉の香りが漂い、森林浴をしているようで、まさに馬路村のエキスが凝縮しているかのような空間である。
「田舎を丸ごと売り込む」
「名前も知らない村の特産品は売れない。名前を知らない村へは遊びに行けない。まずは村を売る」。東谷組合長のこんな発想から生まれた「ごっくん馬路村」のCMには、村の元気な子供たちやお年寄りを起用し、商品の背景にあるのどかな山里のイメージを全国的に発信した。
また商品に「馬路村公式飲料」と付して、さりげなく村のブランド品と謳う遊び心を加えることにより村の知名度は上がり、全国に馬路村ファンが広がった。
現在、馬路村の製品は合計90を越えるが、あらゆる製品に共通したデザインが施されている。PFポスターやテレビCMに村の子供やお年寄りを起用し、自然豊かな田舎の良さを全面に出した「村を丸ごと売り込む」という販売戦略は、林業不振が影を落とす村のイメージを変えた。
都会の人たちが「見たい、聞きたい」と思う「田舎の良さ」をアピールすることで、馬路村のゆず加工品の成長を支えた。通販の利用者リストは実に35万人に達し、商品の良さを知るリピーターが売上げの中心となっている。
商品だけでなく原料の産地である村自体をブランド化し、農業と観光を結びつけたことで、毎年多くの観光客や工場の見学者が訪れるようになった。
具体的には、村外のファンを村の仲間ととらえ、商品と一緒に、小さい挨拶文を入れるといったきめ細かい配慮もなされている。
お客の要望で、葉っぱや河原の石、地元新聞を入れたり、村の今を届けることに徹底したこだわりを持ち、お客の要望に柔軟に対応することで全国に馬路村ファンを広げている。
通信販売で全国のお客に商品を発送する際、馬路村の情報を掲載したニュースペーパーを必ず同梱するようにもしている。
内容は村の雰囲気を伝えるもので、「田植えの時期がやってきました」や「村の学校で運動会が催されました」などといった、季節ごとの情報を掲載。結果的にこれが馬路村の認知度をさらに上げていくことにつながった。
持続可能な組織へ
事業の成功によって、生産者から市場より高い価格で買い取り、加工品の販売利益も配当として生産者に還元される仕組みが整い、農家所得の向上・安定につながり、地域に雇用が生まれ、約100人がJA職員として働いている。そのうち15人がIターン職員であることも驚きである。
今後、組織が数十年にわたって成長・発展してゆくために、若手の育成や世代交代も重視している。
仕かけ人の東谷氏が馬路村の村づくりのポリシーを若手世代に伝承している。小さな村のため、飲み会の開催も容易で頻度が多く、昔の話を聞くことで若手が馬路村のこれまでの取り組みを伝承していくサイクルが生まれている。
ブレてはいけない馬路村の哲学と消費者や現場スタッフから寄せられる時代の感覚のバランスを取ることが、管理職の間で心がけられている。
国道も鐡道もコンビニもない村だが、美しい山や川といった自然を大切にする取り組みをはじめ、小さな村で生き生きと暮らす子供たちや村人の姿を“ありのままの田舎”を発信しつづけた結果と言えよう。
普段見慣れていた柚子の価値を見出し、その魅力を最大限に引き出し、6次産業(生産・加工・販売)の循環を生み出した馬路村の仕組みは地方創生のヒントになるのではなかろうか。
自分たちの村で生産されたものが町の人に喜ばれ、それが収入として還元されている。そんな自信が村民の元気につながっている。少なくとも馬路村は課題解決に約30年前から着手し、自分たちの足で生きていける知恵と技術を身につけている。
【馬路村の財政事情(2014年度)】――――――――――――――――――――――
馬路村は財政力指数※1が0.12と、全国の類似団体(28町村)の平均0.21を下回り相対的に財政力が劣っている。生産年齢人口の減少に伴う地方税の減少が主な要因である。
また、経常収支比率も、85.9%と類似団体平均の82.4%を上回りやや硬直化している。これは単独事業である簡易水道施設の大規模改修による投資的経費の増加が、公債費増による経常収支比率の増加につながったからである。
<人口1人当たりの歳出額>
○投資的経費 104万8440円(馬路村) ⇔ 28万7135円(類似団体)
また特徴的なのは、以下の通り人口1人当たりの農林水産業費や民生費、教育費への支出が類似団体平均を上回っている点である。柚子産業への積極的な拠出や、保育園、小学校、中学校が各2か所設けられ次世代育成への熱意もうかがい知れる。
<人口1人当たりの歳出額>
○農林水産業費 56万4457円(馬路村) ⇔ 11万8625円(類似団体)
○民生費 26万6357円(馬路村) ⇔ 19万6664円(類似団体)
○教育費 13万1230円(馬路村) ⇔ 10万2240円(類似団体)
※1 財政力指数= 基準財政収入額 ÷ 基準財政需要額(3か年の平均値)
基準財政収入額:自治体の標準的な収入である地方税収入の75%などを対象とする。
基準財政需要額:人口や面積などにより決められる標準的な行政を行うのに必要と想定される額。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【参照、出典】
・第21回全国小さくても輝く自治体フォーラム in 馬路村
・「地方から都市への戦略〜馬路村:高付加価値農業による雇用創出〜」
・クローズアップカンパニー「馬路村農業協同組合」(ビジネス高知)
・馬路村HP
・「地域資源を活かした食料品の販路拡大に関する調査研究」(中小機構)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48041
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