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週刊現代企業・経営
一代で年商500億を超えた「新しい億万長者」たちの仕事哲学
急成長のヒミツを徹底調査!
才能と努力と情熱、そして運。どれか一つが欠けても、「年商500億円」の壁は容易に乗り越えられない。それを一代で成し遂げた億万長者たちの見識と金銭哲学、創業者ならではの悩みに迫る——。
夢を追って脱サラした営業マン
一代で年商637億円の戸建て分譲会社を築き上げた『三栄建築設計』の小池信三社長(48歳)は、大手住宅販売会社のトップ営業マンの地位をいとも簡単に捨てた。'93年、25歳の時だった。
「'90年、平成バブルの真っ只中に、大手不動産仲介会社『三井のリハウス』(三井不動産リアルティ)に入社しました。
地元・福島の商業高校を卒業した後、上京して浪人生活を送っていましたが、将来何をしたいという目標があるわけでもなく、進学を断念してしまったんです。そこで学歴とは関係なく、実力で評価してもらえる仕事に就こうと、不動産業界に興味を抱きました。
当時は大手でも学歴不問で採用していましたし、宅地建物取引主任者(現・宅地建物取引士)の資格を取って、大手不動産仲介会社に入社しました。
『三井のリハウス』を選んだのは、トップセールスマンになって支店長の推薦が得られれば、海外勤務ができたからです。外国で働くことに憧れていたんです」
小池社長は、入社してすぐに頭角を現す。初年度から営業成績がトップになり、その後もトップの成績を維持し続ける。
「他の営業マンとの違いは、普通はお客様に住宅を売るだけのところ、私はお客様が住んでいる家の売却と新居の購入のどちらもおこなっていたことです。これだとダブルで手数料を稼げますから、営業成績も上がっていきました。
20歳そこそこで年収は1500万円くらいあったでしょうか。でも、バブルが崩壊して、会社が海外事業からの撤退を決めたので、会社を辞めることにしました」
小池社長には疑問に思っていることがあった。東京23区内の戸建てで1億円もの物件でも、住宅に個性がなく、あまりに安普請であることだ。個性的な分譲住宅がないのであれば、自分でつくって売ろう。しかも一般のサラリーマンが購入できる価格で。
小池社長は起業の道を歩み始めた。
「建売住宅をつくっている会社の場合、ほとんどがコスト削減を重要視しているので、間取りやデザインをパターン化しています。手間ひまがかからず、建材を大量購入できるので、コストを抑えられるからです。
でもそれがはたして、お客様のニーズに合っているのか。住宅はお客様の『人生の夢』です。それが他人と同じようなものでいいのか。私たちは『同じ家は、つくらない。』を信条にオンリーワンの家づくりを続けてきました」
三栄建築設計の業績は創業以来ずっと右肩上がりで、リーマン・ショック後の厳しい時期でも増収増益。'12年には東証1部に上場を果たす。その約2年後、会社を危機が襲う。小池社長が株価操縦の疑いで、証券取引等監視委員会から強制調査を受けたのだ。
「結局、株価操縦はなかったという結果になりました。ただ、その疑いだけで金融機関からの借り入れがストップしてしまいました。
調査は10ヵ月くらい続き、とても辛かったですが、うれしかったのは、社長が逮捕されるかもしれない事態になっても辞める社員がいなかったことですね。
資金繰りは厳しかったのですが、増収増益こそストップしたものの売上高はほとんど落ちませんでした。そこで逆に銀行からの借り入れがなくてもやっていけそうだと考え、無借金経営を目指すようになったのです」
これからは海外進出を本格化させると、小池社長は言う。ついに長年の夢が実現するのだ。
「個性的な家づくりを、アジアなどの海外にも展開していく予定です。2年前には米ロサンゼルスに支店を開きましたが、個性を大切にする米国では当たり前のように受け入れられています。
稼いだカネの使い途ですか? 庶民のための家をつくっているという自負もあって、庶民感覚をもっていなければならないと思っています。高価な時計が欲しいわけでもありませんし、あまりおカネを使っていません」
中卒だからできたこと
本誌は今回、東京商工リサーチの協力を得て、一代で年商500億円以上の企業を創業した社長を選別。上位50社に取材を申し込んだ。
一覧を見ると、ソニーやホンダ、任天堂など、すでに世界に羽ばたいた日本企業とは違う、「新しい創業者たち」がずらりと並ぶ。アパレルや量販店、飲食店やドラッグストア、アミューズメント業界など、私たち消費者から近い業態の創業社長が多いのが特徴だ。
巨万の富を築いた経営者は何を考え、日本社会を見て何を思うのか。取材に応じた実業家たちの本音を紹介しよう。
愛知県発祥の中古車販売会社『ネクステージ』の広田靖治社長(43歳)も小池社長同様、大学を出ていない。それどころか、定時制高校も中退した中卒経営者だ。
「よく不良にならなかったなと言われますが、家庭の事情により中学2年生からアルバイトを始め、おカネを稼ぐ楽しさを知って夢中になりました。仕事と学業でどちらが楽しいかといえば、その頃は働くほうが圧倒的に楽しかったのです。
今は学歴や教育の差が格差を拡大させていると言われますが、それを解消するには、若い人は早い段階から働くことを勧めたいですね」
広田社長はガス給湯機器の訪問販売の会社に入り、必死に営業をすることでトップセールスマンに。その頃、趣味の車好きが高じて、自動車販売に興味を持つ。
「当時の若者は、私も含めて自動車に多くのおカネをかけていました。仕事の空き時間にも中古車販売店を訪れていたのですが、そんな中、ある思いが強くなった。販売店の営業マンはなぜ、こんなにも仕事に対してやる気がないのか、ということです。
訪問販売の自分は何軒もドアを叩いても顔さえ見てもらえないことがほとんどなのに、彼らはお客様が勝手に来てくれる。なぜ、もっと熱心に営業しないのか。
これを見て自分ならもっと売れると確信し、自分で会社を始めることにしました。学歴がないので、メーカー系の販売店には採用してもらえませんでしたからね」
'96年に23歳で1号店をオープンさせ、「専門性」を売りに業績を伸ばす。たとえば、創業当初は「ボルボ」の専門店から始めたという。メジャーな車種ではないが、それゆえに専門店はなく、一方でマニアが存在するからだ。資金力がない中で、他店と差別化を図るにはそれが最適だった。
「最大のピンチは11年ほど前に訪れました。多店舗展開が進む中で、弊社のビジネスモデルを真似する会社も出てくる。その結果、業績が頭打ちになってしまったんです。
そこでビジネスモデルを大転換しました。通常、中古車販売会社はオークションから100万円で仕入れた車を150万円で売ることで利益を出していました。弊社は100万円で仕入れた車を、そのまま100万円で売ることにしたのです。
どこで利益を出すか。それは販売時に付随して購入していただくアクセサリーやパーツなどです。
仕入れはオークションですから、会社の規模が大きくなっても、それによるメリットはありません。しかし、アクセサリーやパーツは大量に売れば売るほど、仕入れ原価が安くなり、規模のメリットが享受できるのです」
結果はすぐに出た。車の価格が下がったことで来店者数が3倍に増えた。車本体の価格が安くなった分、購入客がオプションをつけてくれるため、業績は一気に拡大し、今につながっている。
「あまりに安く売っていることから、周辺の同業者からは嫌がらせを受けたこともありました。ただ、私たちは違法なことをしているわけではないし、むしろ中古車業界の不透明な部分をなくしたいと思ってこのやり方をしている。
そのことが次第に理解され、北海道から熊本まで全国62店舗に広がり、年商1000億円を目指せるところまできました」
成功を収めた今も、広田社長は満足することはない。根底にはこんな「金銭哲学」がある。
「おカネを稼ぐことは人一倍好きですが、使うことにはあまり興味がありません。むしろ事業を大きくして収益を拡大させることが一番の欲求です。稼ぐことの楽しさを知ってしまったら、買い物で得られる喜びなど比べ物になりませんよ。
強いて言えば、将来的には社会のためになる事業をしたいと考えています。母子家庭の貧困が社会問題になっていますから、そこで役立つ活動ができればいいですね。
会社を経営する中で、国に対する義務を果たせるのが、納税です。節税に熱心な経営者を否定するつもりはありませんが、決められた方法で正直に対処するべきだと考えています。節税で利益を残すより、もっと事業を大きくして利益を増やすほうが気持ちいいではないですか」
常識にとらわれない経営
福井県坂井市に本社を構えるディスカウント店「PLANT」の三ッ田勝規社長(74歳)も金銭には恬淡としている。
同社はスーパーマーケットとホームセンターの良さをあわせ持つ「スーパーセンター」を標榜し、北陸を中心に19店舗を展開する東証1部上場企業だ。
「妻と2人でやっていた頃は、問屋に払うカネがなく、銀行も貸してくれずに困ったこともありますが、おカネへの執着はありません。
そもそも私は1000万円以上の現金をいまだに見たことがないのです。本部と各店舗には金庫がありますが、興味がないので、中を覗いたこともない。
唯一の趣味は車の運転ですかね。米最大の小売業『ウォルマート』の視察も兼ねて、今も毎年のようにレンタカーで米国やカナダの田舎町を一人で駆け巡っています。3週間ほどの日程で、田舎を1万キロ走ります。通訳もつけず、ナビは使わずに道路地図を見ながら見知らぬ土地を運転する——その緊張感が堪らないんです。
妻は止めてくれと言うけれど、これだけは止められません」
成功した経営者の多くは、「仕事が趣味」と口を揃える。三ッ田社長と同じく、北陸地方に本拠を置くドラッグストア「ゲンキー」の藤永賢一社長(53歳)もご多分に漏れず「仕事の虫」だ。
「東京の小さなスーパーでアルバイトをしていた時、そこの店長から勉強会に行ってみないかと勧められたんです。それがイトーヨーカ堂やイオンを指導し、チェーンストアの神様と呼ばれた経営コンサルタント・渥美俊一先生のゼミでした。
自分でもやれるんじゃないかと思い、東京・赤坂にあったドラッグストアに就職したんです。そのままバイトを続けていましたので、夜中はスーパーで昼間はドラッグストアという生活。睡眠時間は2時間で、一週間でも14時間しか寝ていない、そんな生活でした」
藤永社長は26歳で地元の福井県坂井市に戻り、ドラッグストアを開業。当時は福井にドラッグストアなどなく、市販薬は定価で売られていた。そこに東京の価格を持ち込んだため、なぜこんなに安いのかと評判になり、業績は拡大していく。
目下も過去最高益を更新するなど、業績は好調だ。ただ、藤永社長は日本社会の先行きには若干の不安を感じている。
「日本経済は成熟してきていますから、再びベンチャー魂がよみがえることは難しいと思います。国家もある時は若々しいですが、だんだんと年をとって大人になるように、成熟すると人にやさしくなったり、文化的になったりするわけで、経済的には伸びが鈍化します。
この流れは当面変わらないでしょう。再び高度成長期に戻れるかというと、そんな処方箋はないと思います。何とかやりくりするしかないという時代に入っているのではないでしょうか」
劇的かつ安定的な成長が見込めない時代に、自らが一代で築いた事業をどう次代に引き渡すか。明日公開の「後編」では、創業者が共通して抱える課題に迫る。
「週刊現代」2016年9月3日号より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49561
アメリカ経済の現状をどう見るか?「利上げ」実施の可能性を読む
マーケットは忘れた頃に「反転」する
安達 誠司
プロフィール
8月雇用統計の結果次第では
当初は無難なスピーチに終始すると思われていた8月26日の「ジャクソンホール会合」でのジャネット・イエレンFRB議長の講演だったが、ハト派の期待を見事に裏切り、「米雇用が改善し、追加利上げの条件は整ってきた」という、かなり踏み込んだタカ派的内容となった。
その後も、スタンレー・フィッシャーFRB副議長が、利上げに前向きな発言を繰り返すなど、ここ数日の間に、市場では、9月利上げの思惑が急速に台頭しつつある。
とはいってもイエレン議長をはじめとするFRB高官は、すでに9月利上げを決めているわけではなく、あくまでも9月2日発表予定の8月雇用統計の結果次第ということになろう。
8月雇用統計で、特に非農業部門の雇用者数が景気拡大局面の目安である年率20万人増以上のペースで拡大を続けていることが確認できれば、9月20、21日のFOMCで追加利上げを決定するのではないかと考える。
6月時点で発表されたFOMCメンバー、及び地区連銀総裁による経済見通しによれば、2016年12月末時点でのFFレート予想の中心値は0.9%で、現時点の実効FFレートは0.35〜0.40%程度なので、追加利上げによって、実効FFレートは0.60%〜0.65%程度になると予想される。
さらにいえば、9月に利上げが実施されれば、FRBは、年末までにさらにもう1回、利上げの機会を模索することになるのではなかろうか。
繰り返しになるが、利上げ実施の有無は経済指標、特に雇用関連指標の結果に依存しており、「初めに利上げありき」ではない。そこは、2006年の日本の出口政策失敗の教訓をよく学んでおり、ここまでもかなり慎重に進めてきたし、今後もかなり慎重に検討していくことであろう。
したがって、8月雇用統計の結果が思わしくなければ、当然、利上げは見送られるだろう。
利上げを実施するための根拠
ところで、米国経済の現状については、見方が大きく分かれている。
個人消費や住宅投資といった家計行動にフォーカスすると、米国経済は堅調に推移しており、昨年12月の利上げの影響もうまく吸収できているという解釈となる。
一方、設備投資や生産といった企業活動にフォーカスすると、IT投資を中心に設備投資が半年以上、減少を続けており、さらには生産も大きく減少している(もっとも、生産の減少はシェールガス等の鉱業部門の減少によるものであり、製造業部門の生産は増えている。ただし、生産の伸び率は鈍化している)。
企業活動の減速は、原油価格の低下によるシェールガスの採算性悪化と生産減、及び、ドル高による輸出の低迷によるものであり、これは、FRBの量的緩和政策の縮小・停止(いわゆる「テーパリング」)をきっかけに起こったと考えてよいだろう。
したがって、このような企業活動の不振はFRBも十分に覚悟の上で金融政策を行っているはずだ。そのため、企業活動の不振、及び、これにともなう経済全体の成長率の悪化を理由に利上げ路線を転換させるとは思えない。
つまり現時点では、いわゆる「長期停滞論」的な考えがFRBの金融政策に大きな影響を与えるとは考えにくい。もし、FRBが利上げ路線を転換させるとすれば、それは個人消費や雇用環境の悪化が顕著になった時点であろう。
その一方で、利上げを実施する根拠はいくつかある。まずは、「フィリップス曲線」の変動パターンの変化である。
「フィリップス曲線」とは、縦軸にインフレ率、横軸に完全失業率をとり、インフレと雇用の関係を図示したものである(図表1)。アメリカのフィリップス曲線は安定性に欠ける側面があるが、それでも、金融政策面で大きなインプリケーションを有すると考える。
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そこで、2011年1月以降の「フィリップス曲線」を描いてみると、2015年9月までは「左下方」にシフトしていた様子がみてとれる。「フィリップス曲線の左下方へのシフト」とは、完全失業率とインフレ率(ここではコアPCEデフレーターの対前年比上昇率)がともに低下する局面を意味している。
通常、景気が回復する局面では、雇用環境の改善が賃金上昇へ波及することが多いため、インフレ率も上昇し始める。
だが、企業部門で何らかのプロセスによって「(全要素)生産性」が高まると、賃金がある程度上昇しても企業利益も拡大するため、企業はそれほど急激に販売製品・サービスの価格を引き上げる必要はない。
そのため、完全失業率とインフレ率の同時低下が実現することがある。2011年1月から2015年9月にかけての米国では、まさにこれが起きていた可能性がある(ちなみに、この傾向は1990年代半ばから後半にかけての「ITブーム」の際にもみられた)。
だが、2015年10月以降、この「左下方へのシフト」は終わりを告げ、フィリップス曲線は左上方へシフトし始めるようになる。これは、完全失業率の低下と同時にインフレ率が上昇することを意味する。
要するに、景気過熱によって雇用が逼迫し、賃金上昇圧力が高まってきて、企業収益を圧迫し始めている状態である。これは将来のインフレ圧力につながりかねない状況なので、一般的にはFRBによる利上げをサポートすることになる。
このような米国の雇用環境の変化を別の指標でみてみると、労働分配率の上昇という形で表現できる。「労働分配率」は企業が生み出した付加価値のうち、賃金等で雇用者に分配される割合を指す。労働分配率の上昇は、雇用の逼迫で賃金上昇圧力が高まり、企業収益が圧迫されていることを意味する。
最近の米国の労働分配率の動きをみると、リーマンショック以降、企業による雇用削減の影響から極めて低水準で推移していたが、2015年10-12月期以降、急上昇している。これは、前述の「フィリップス曲線の左上方シフト」とほぼ同じタイミングである。
これらの指標は、米国では、様々な構造問題(例えば、労働参加率の低下など)を抱えながらも、雇用が逼迫し、将来的にインフレ率が上昇する可能性が出始めたことを意味している。
すなわち、金融危機を克服し、「フォワード・ルッキング」で考えてもよい局面では、FRBが利上げを実施してもよい環境になりつつあることを示していると筆者は考える。
もちろん、リーマンショック後の米国の成長トレンドがリーマンショック以前よりも緩やかであるという中長期的問題は残されているが、それはFRBの取り扱う問題ではないということなのであろう(フィッシャー副議長は、経済の正常化プロセスの中で生産性のトレンド回復によって長期停滞はやがて克服されるであろうとみなしているようであるが)。
マーケットの「ならわし」
ところで、この労働生産性は米国の株式市場や債券市場の行方を占う上でも重要な指標になりうる。例えば、労働分配率の上昇局面では、株価指数の上昇率は鈍化する傾向にある(図表2)。
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これは、労働分配率の上昇は、逆にみれば、資本分配率(配当や企業成長のための内部留保への分配の割合)が低下することを意味するので、ある意味当然である。
さらにいえば、労働分配率の上昇局面では、米国のイールドスプレッドが低下する傾向がある(図表3)。
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ここでは、「イールドスプレッド」を「株式の益利回りから長期金利(10年物国債利回り)を引いたもの」と定義している。「株式の益利回り」とは、「1株当たり利益」を株価で割ったものであり、PER(株価収益率)の逆数(すなわち、1/PER×100%)に等しい。
現在、米国のイールドスプレッドは約2%強で推移している。ただし、労働分配率の上昇と比較すると、その水準は幾分高いことがわかる。すなわち、両者の関係が今後も成立すると仮定すれば、イールドスプレッドはさらに低下する可能性が高いということになる。
イールドスプレッドが低下するためには、株式の益利回りが低下するか、長期金利が上昇する必要がある。そのうち、株式の益利回りが低下するということはPERが上昇するため、通常の場合では、株価が上昇することを意味する。ところが、労働分配率と株価上昇率の関係を考えると、株価が加速度的に上昇するとは考えにくい(両者は逆に動くことが多いため)。
したがって、イールドスプレッドの低下が実現すると仮定すれば、米国の長期国債が今後、上昇する可能性があるということになる。
ここのところ、世界的な低金利が話題になっているが、マーケットではそれを「構造的」なものとして考え始めているような気がする。だが、低金利を「半永久的なもの」とみなし始めると、得てして金利が反転し始めるというのもまたマーケットの「ならわし」である。
米国では、グリーンスパン元FRB議長が、「米国長期金利反転上昇懸念」を唱える数少ない識者のようだが、米国の長期金利が意外と上昇するリスクを考えておくべき状況かもしれない。
2016年6月23日、誰もがその結果に驚愕した英EU離脱の国民投票。メディアはイギリス経済の崩壊を煽り「第二のリーマン・ショック」が近いとの声も聞こえたが、そうしたシナリオはほんとうに正しいのか?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49602
自分を不運と思うな! 伊集院静「幸せだけの人生などない」
さぁ、これからだぞ
週刊現代講談社
毎週月曜日発売プロフィール
文・伊集院 静
弟を海難事故、前妻を病で失った時、途方に暮れたことがあった。しかし、今、伊集院氏は言う。「幸せだけの人生などない」。あなたの周りの誰もが辛い時間と遭遇している。それでも、懸命に生きている。
願いは届かなかった
子どもを亡くした親、若くして連れ合いを失った夫や妻。そういう近しい人との別離に直面した人が遭遇する哀しみというのは、周りの人間の想像をはるかに超えている場合がほとんどです。
残された者は、その死を信じたくない、受け入れたくない。それが当たり前の感情です。
多少気持ちが落ち着いてからも「なんであの子だけが」「なぜあの人が」と考えるのは仕方がないことでしょう。
しかし、その思いにいつまでもとらわれ過ぎていると、いつしか「あの子は不運だった」「あの人を亡くした私も不運だわ」という考えに至ってしまいます。
こうなると、心配する周りの人がどれだけ助けの言葉を差し伸べても、「いいの、私は不運だから……」とどんどん哀しみの淵にはまり込んでしまう。まるで出口のない袋小路に迷い込んだようになるのです。
実は、そういう思いにとらわれている人が世の中には多いのです。特に東日本大震災や熊本の震災で、突然近しい人を奪われた人の中に、そう考えてしまっている人が多い。そして何より、かつての私自身がそうでした。
伊集院氏自身、大学生の時に、弟を海難事故で亡くしている。弟はまだ17歳、高校2年生だった。そして、35歳の時には、当時の妻・夏目雅子さんを白血病で失っている。
伊集院氏は「大人の流儀」シリーズの第6弾『不運と思うな。』の中で、二人の死についてこう書いている。
〈死の数年は、弟、妻を不運と思っていた。今は違う。天命とたやすくは言わぬが、短い一生にも四季はあったと信じているし、笑ったり、喜んでいた表情けを思い出す。敢えてそうして来た。それが二人の生への尊厳だと思うからだ〉
弟を亡くしたのは大学2年の時です。探検家を目指していた彼は、台風が近づく海にボートで漕ぎ出して遭難しました。10日後に遺体が見つかるまで、「生きて帰ってきてくれ。弟の命が助かるのなら、俺の体の半分くらいは天にくれてやってもいい」と願ったのですが、ついには叶いませんでした。
前妻は、27歳の若さでこの世を去りました。医師から「明日死んでもおかしくない」と言われ、209日間の入院でしたが、その間、私は仕事を休み、妻の傍らに寄り添いました。
アメリカで先端治療を受ければもしかしたら、と言ってくれる人もいましたが、当時の私にそんな大金は用意できない。
最後のアタックがはじまる前夜、銀座通りでワインを買ったんです。まだワインを飲む人が少なかった時代ですが、パリで二人で飲んだんです。いいものを飲ませてやりたかったのですが仕事も休んでいましたし、もう手持ちの金もありませんでした。中位のワインを買ってタクシーで帰る時、金がないというのは情けないもんだと初めて思いましたね。
弟の捜索中、そして、妻の病室に詰めているときにも生還を願いはしましたが、願いはやはり届かなかった。
私は、特に妻の死に直面した時、激しく動揺しました。
それからの一年は飲むだけ飲んで、博打を打つだけ打った。「なんだ、博打ってつまらないものだな」とは思わなかったけど、それで喪失感を埋められるわけじゃなかった。
あれから30年が過ぎて
弟、前妻以外にも多くの友を半生の中で亡くし、年齢の割にはそれが多過ぎて、私のほうに問題があるのではないかと考えたこともあります。
考え続けた結果、「いつまでも俺が『不運だ、不運だ』と思っていたら、死んでいった人の人生まで否定することになってしまう。短くはあったが、輝いた人生だったと考えないといけない」と思い至ったのです。というより、そうするしか生きる術がなかった。
これは「故人を忘れろ」ということとも違います。近しい人との別れというのは、忘れようとしても忘れられるようなものじゃありません。
私はいまでも、弟や前妻の命日のスケジュールは空けておくようにしています。
別に墓参りをするわけじゃないけれど、ワイワイ騒がしい時間を過ごしたくはないんです。ひとり、心の中で亡くなった人の笑っている顔や楽しい思い出に浸れればいい。その時には哀しいことは思い出さないようにしています。
山口の実家で一人暮らしをしている母は、90歳を超えましたが、いまでも毎日、仏壇の中の弟の写真に語りかけています。成績も優秀だった自慢の息子でした。その弟を亡くした当時、母の憔悴ぶりは大変なものでした。
それが今では、写真に向かって「今年もツバメが渡ってくる季節になりましたよ」と、なんとも穏やかな言葉をかけている。不幸な別れをいつまでも不運と思わない心の持ち様が、母の前向きな生き方の大本にあるのだと思うのです。
今年、私が前妻との最期を書いた『乳房』という作品を脚本にした芝居が上演されました。
関係者から私に「ぜひ見に来てください」という申し出があったんですが、私にだって、ナイーブなところがあります。
確かに前妻の死から30年が経ちました。しかしそんな芝居を簡単に観られるほどの年月ではない。近しい人の死というのは、そんなに簡単なものじゃないんです。
とはいえ、私は再婚しています。再婚するとき、「前の奥さんについての取材を受けないこと」を条件にしていた妻の気持ちを傷つけるようなこともしたくない。
前妻についての取材は、妻の許可をもらってから受けるようになりましたが、だからといって妻が前妻のことをまったく気にしなくなったのかどうかは分かりません。
自宅のテレビを見ていると、急に「夏目雅子特集」なんて始まったりすることがある。そんなときには努めてテレビから離れたり、競輪のビデオにチャンネルを切り替えたりしています。
悲しむのは三回忌まで
読者の中にも、奥さんや旦那さんを亡くした人はいるでしょう。
日本では、人が亡くなって満2年の年に三回忌の法要をする習慣があります。
実は、近親者を亡くした人が一番辛いのがその2年目くらいだそうです。だから、その年に三回忌が設けられている。三回忌の法要の場で、周りの人が「どう、元気になった?」と心配してくれる様子を見て、「そろそろ元気にならないといけないな」という気持ちを持てるようになる。法事というのは、そういう役目を持っています。
だから奥さんや旦那さんを亡くした人は、まずは三回忌を無事に終えることを考えてほしい。それができたら、新しい人生を模索してみることです。もちろん再婚したっていい。故人もそれを咎めはしない。
今回の本を東日本大震災で家族を亡くした方々も読んでくれたようで、読者の一人から、ある日こう言われました。
「自分は家族を失って不運だと思うことが今でもあるけれど、考えてみたら、若くして亡くなってもそれは寿命であって、その短い寿命の中にも必ずまぶしい季節があったはずですよね」
たとえ三つで亡くなった子どもだって、その目で素晴らしい世界を見たはずです。だから「たった三つで死んでしまって可哀想だ。不運だった」という発想ではなくて、「精一杯生きてくれたんだ」という発想をしたい。そうしてあげないと、その子の生きた尊厳もないし、死の尊厳も失われてしまうのです。
「さぁ、これからだぞ」
私が書いた『不運と思うな。』は、なにも身近な人を亡くした人だけの話じゃありません。
実は世の中の九割五分の人は、それほど恵まれた環境の下には生まれていません。家が裕福だったり、すごい才能を持っていたり、誰もが振り向くような男前や美人といった恵まれた星の下に生まれてくるのはほんの一握りの人だけです。
かく言う私にも、「なぜ俺ばかりが……」と考えていた時期がありました。「なぜ俺は在日の家に生まれちゃったんだ」とかね。
恵まれた環境で生まれたわけではない大半の人は、人生の中で少し上手くいかないことがあると、自分の生まれや家柄、才能や学歴などに原因を探そうとしがちです。つまり、世の中の九割五分の人は、人生が思うようにならない「原因」として挙げられるものをいくつも持っているわけです。
しかし、そういう人たちが「俺っていくら頑張ってもダメなんだよな。だって家柄が悪いから」とか「どうせ学歴がないから」と思い始めたら、もうダメです。不運を理由に現状を受け入れてしまっては、人生はいい方向に転がっていきません。
「不運」と思ってしまうと、その人の人生はマイナスからのスタートになってしまいます。そうではなく、ゼロからのスタートだと思えばいい。
ギャンブルが長続きする人間は「この前の負け分を取り返す」という発想はしません。負けてもこういうこともあるという、ゼロの感情をうまく作れるのです。
「オレには財産も才能もない。ルックスだって平凡だ。何もないゼロの状態だ。ゼロからもう一度巻き返すんだ」と考えられれば、人生の景色はずいぶん変わってきます。
これは若い人だけの話じゃないですよ。週刊現代を読むような中高年だって同じです。
例えば、長年働いた会社を定年退職する年になった。ここまで働き抜いたからには、何かいい人生が待っている。そう思っていたのに、いざ退職してみると自分の知らない間に、退職金の半分は息子のマンション購入の頭金に充てることになっている。
残りの半分も「これまであなたを支えてきたんだから」といって女房が趣味に使うことが決まっていた、なんていうことがザラにある。こんな思いをしている人は少なくないでしょう。
しかしそこで「なんだ、俺の人生ってこんなものなのか。運がなかったな」という発想をしてしまうとその後の人生すべてが暗くなってしまいます。
そうではなく、「ここからもうひと頑張りしよう」という発想ができるかどうかが、いい人生を送れるかどうかの分かれ目なのです。新しい仕事を見つけて金を稼ぐのもいいし、金のかからない生きがいや趣味を見つけてのめり込むのもいい。
私はと言えば、世の中のサラリーマンが退職する60歳から仕事量を3倍に増やしました。この年になると、体力気力は衰えますが、視野が広がるし、今まで決めつけていたことにも柔軟に対応できるようになります。
毎朝、「今日、懸命に書けば今まで書けなかったものが書けるかもしれない」「今日は素晴らしいことに出逢うぞ」と自分に言い聞かせて、一日をスタートしています。
「さあ、これからだぞ」と思っている限り、不運など入り込む隙はありません。
愛する人と別れ、大切な家族をなくし、夢破れ、道を失っても、人はまたいつか、ちがう幸せを手にする。生きる勇気が湧いてくる。感動の1冊!
「週刊現代」2016年9月3日号より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49564
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