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出光興産本社が入居する東京・丸の内の帝劇ビル(資料写真、出所:Wikipedia)
混乱の出光〜政府の産業統制はうまく機能するのか? 社風は水と油、上から構造改革を促すも将来性に疑問符
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47725
2016.8.29 加谷 珪一 JBpress
石油元売り大手の出光興産と昭和シェル石油の合併をめぐる、出光経営陣と創業家の争いがヒートアップしている。
今のところ双方が譲る気配はまったくないが、ここまで事態がこじれたのは、両社の社風があまりにも違いすぎることに加え、合併話そのものが、政府からの要請という少々不自然な形でスタートしたからである。同社をめぐる混乱は、政府の産業政策をめぐる根本的な課題を浮き彫りにしたともいえそうだ。
■日本型経営の典型である出光
出光興産と昭和シェル石油は2015年11月、合併に関する基本合意に達しており、2017年4月の合併期日に向け具体的な協議を進めようとしていた。状況が大きく変わったのは、今年6月に開催された出光興産の株主総会からである。出光の創業家は総会において、昭和シェル石油との合併に反対する方針であることを表明し、同社は大混乱に陥った。7月以降、創業家と経営陣が話し合いを続けてきたものの、議論は平行線のままとなっている。
8月に入って創業家側はさらに攻勢を強めている。買収相手である昭和シェル石油の株式40万株を市場で買い付け、昭和シェル石油の株主にも名を連ねたからである。このままでは出光側が取得する昭和シェルの株式数が全体の3割を超えるため、公開買付以外に合併の道が閉ざされてしまうという仕組みだ。これは創業家側が絶対に合併を認めないという姿勢を強調したと捉えてよいだろう。
では、出光創業家はなぜここまで頑なに合併に反対しているのだろうか。それは同社の社風と、これまで同社がたどってきた経緯が大きく関係している。
出光興産は創業者の出光左三が1911年(明治44年)に設立した出光商会を前身としており、現在でも創業家が株式の約34%を所有する典型的なオーナー企業である。佐三は「大家族主義」を掲げており、社員は家族のように付き合うことをモットーとした。このため同社には定年制度がなく、労働組合も存在していなかった。出勤簿もない代わりに残業代を支払うという概念すらなかったといわれる。よくも悪くも日本型経営の典型ともいえる企業だったのである。
当然のことながら外国企業による買収などもってのほかであり、外部からの干渉を防ぐため、以前は株式の上場すらしていなかった。だが80年代のバブル期に過剰な設備投資に邁進。バブル崩壊後は、有利子負債が2兆円を越え経営危機が囁かれるようになった。
こうした状況を打開するため上場が模索されるようになり、2006年に同社は株式を上場。定年や残業など各種規定も整備されたが、家族主義的な体質はその後も続いた。ちなみに石油業界では出光のような国内資本をベースにしたグループのことを民族系と呼んでいる。
■水と油の合併を要請した経済産業省
一方、昭和シェル石油はシェルという名前からも分かるように外資系企業である。同社の筆頭株主はザ・シェル・ペトロリウム・カンパニー・リミテッド、第2位の株主はアラムコ・オーバーシーズ・カンパニー・ピー・ヴィとなっている。両社はロイヤル・ダッチ・シェル・グループの関連会社とサウジアラビアの国営石油企業の関連会社であり、同社の経営は国際的な石油メジャーにがっちりとグリップされた状況にある。
家族主義を掲げ日本型経営を追求してきた出光と、典型的な外資系企業である昭和シェルが合併するというシナリオは通常では考えられない。水と油ともいうべき両社が合併を協議するきっかけとなったのは、政府による合併要請である。今回の騒動の根底には政府による民間への経営介入という問題があり、これが状況をややこしくしているのだ。
国内の石油業界は設備過剰の状態が続いており、再編やリストラが必至といわれてきた。本来であれば、過当競争に陥った企業は自ら合理化や合併の道を模索するはずだが、日本の石油業界の動きは極めて鈍かった。経済産業省は合理化を進めるよう、何度も業界に促してきたが、業界は痛みを伴う改革を望まず、目立った動きを見せなかった。
こうした状況に業を煮やした経済産業省は「エネルギー供給構造高度化法」に基づき、設備削減や製油所再編を強く業界に要請するに至った。つまり政府による上からの構造改革である。その結果、本来であれば交渉のテーブルに付くはずのない両社が合併を協議する結果となった。
出光の経営陣は、監督官庁である経産省と日常的なコミュニケーションがあるはずだが、出光の創業家はそうではないだろう。政府主導の合併に対して温度差があるのは当然の結果かもしれない。
■資本の論理で日本型ムラ社会を守る珍しいパターン
さらにいえば、出光の上場をめぐる会社側と創業家との過去の確執が尾を引いている可能性もある。
出光が上場する際、出光の創業家は上場に激しく反対したといわれている。上場すれば家族主義的な社風が薄まってしまうことに加え、持ち株のシェアが下がることで会社への影響力も低下してしまう。
創業家が上場を受け入れた詳しい経緯は不明だが、上場を承認しない場合、債権を引き上げるという銀行からの圧力に屈し、渋々上場を決断したともいわれる。上場に伴いバブル期の放漫経営の責任を取る形で、創業家の出光昭介会長(当時)が辞任しているが、現在、創業家代表として合併に強く反対しているのは、この昭介氏である。
一般的には、資本家が企業のグローバル化を強く求め、資本の論理を全面に押し出して経営陣と対立することが多い。かつて日本の株式市場を震撼させた村上ファンドなど、いわゆるモノ言う株主はその典型である。
しかし、今回のケースは、政府からの要請とはいえ経営陣が外資系企業との合併を模索する中、日本型経営を守ろうとする創業家が資本の論理を使ってグローバル化を阻止するという珍しいパターンである。
一部報道では創業家のワガママとの見方もあり、半分はそうかもしれない。だが、株式会社のガバナンスをめぐる議論においては、こうした感情論は排除する必要がある。出光が数ある会社形態の中から、わざわざ株式会社という制度を採用している以上、同社の所有権は株主にあり、会社の方向性についても最終的には株主が決定しなければならない。選択した結果が会社の利益成長にとってマイナスだったとしても、最終的にその責を負うのは株主というのが株式会社の大原則である。
ただ、出光創業家が同社のオーナーとして適切にガバナンスを行ってきたのかという点については疑問の余地がある。石油業界において合理化が必要であることは再三指摘されてきたことであり、経産省による経営介入が行われるまでこれを放置してきたという事実は重い。
■政府による経営介入で強い企業は作れない
政府が経営にどこまで介入すべきなのかという点については様々な考え方がある。
日本では、事前に有望な分野を絞り込み、集中的に産業政策を実施すれば高い成果が得られるという認識が強く、官庁主導で特定分野を支援する政策が主流であった(ターゲティングポリシー)。この考え方は、科学技術が未熟な途上国では有効に機能するが、高度なイノベーションを必要とする先進国ではうまく機能しないというのが国際的なコンセンサスになっている。
つまり、市場の先を見通すことは原理的に不可能であり、自由な経済活動を推奨することによってしか、革新的なイノベーションを起こすことはできないという考え方である。簡単に言えば、事前に計画してグーグルやアップルは作れないという話である。
経産省は戦後一貫して政府主導の産業政策を提唱してきたが、その結果はあまり芳しいものとはいえなかった。通産省主導の国家プロジェクトは多くが失敗に終わっているのが実情である。
その経産省も1990年代には市場メカニズムを重視した産業政策に舵を切ったかに見えた。民間によるベンチャー投資を推進するための各種法整備を行ったのはその好例といってよいだろう。だが、肝心の企業側の動きは鈍く、最近では、かつての統制型産業政策が復活しているようにも見える。石油業界に合併を強く要請したのはこうした動きの表れといってよい。
もし政府の思惑通り合理化が進んだとしても、政府からの要請でしか合理化を進められなかった企業の将来性には疑問符が付く。
今回の一連の騒動を、当事者としてどう終結させるのか、まさに日本企業の底力が問われているといってよいだろう。最終的に企業の競争力を形づくるのは政府の産業政策ではなく、企業自身の不断の改革努力であることを忘れてはならない。
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