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破産経験者の私が語る「貧乏生活ほどお金がかかる」という現実
破産経験者の私が語る「貧乏生活ほどお金がかかる」という現実
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160816-00010000-biz_lifeh-life
ライフハッカー[日本版] 8月16日(火)12時10分配信
皮肉なことに、お金がないときほどお金がかかります。筆者は破産を経験しているので、その意味が身に染みてわかります。
お金がないと、食品の大量購入ができなかったり、長持ちする高品質の物が買えなかったり、電子機器をレンタルせざるを得なくなったりします。しかし、これらはすべて、長期的に見るとお金を損しています。さらに、お金がない状態が続くことで避けられないコストもあり、いっそう抜け出すのが困難になるという悪循環に陥ります。
■食費を下げることはできるが、ヘルシーな食生活にはお金がかかる
学生に聞けばわかるように、お金があまりなくても、食べ物にありつくことはそれほど難しくありません。インスタントラーメンは、1パック20セントで売っています。問題は、ヘルシーな食べ物を食べること。インスタントラーメンの20%はただのカロリーで、残りの80%は塩分です。1年間それしか食べなければ、長期的な健康は深刻なリスクに見舞われるでしょう。
筆者が破産していたころは、まさにそういう生活でした。健康よりも時間が大事で、家で料理するなんてもってのほか。ほとんどファーストフードで済ませていました。私の中では、不健康な食べ物の序列ができていたものです。お金があるときは近所のお店で2ドルのホットドッグを、ないときは何日もインスタントラーメン続き。スーパーで売っているノーブランドのソーダはオレンジジュースや牛乳よりも安いので、水以外の飲み物と言えばいつもそれでした。
そんな食生活を何年も続けていては、身体にいいはずがありません。その後なんとか稼げるようになったものの、悪習慣から抜け出せずにいます。ソーダは未だに手放せません。家でまっとうな料理を作れるようになるまで、かなりの時間がかかりました。「お金ができたら変わるから大丈夫」と言うのは簡単ですが、実際には、根付いてしまった悪習慣を断ち切るのは至難の業なのです。
ハーバード公衆衛生大学院の研究によると、ヘルシーな食生活は、そうでない食生活よりも、1日当り1.5ドル(月45ドル)お金がかかります。お金があるときなら、それは大した差ではありません。しかし、最低賃金(7.25ドル)で週40時間勤務をしている場合、その違いは収入の3.6%にもなります。勤務時間がもっと短くて、たとえば週32時間だとしたら、4.5%。しかも、税金を引かれる前の金額でです。
収入の5%近くもの差が出るのであれば、4ドルのオレンジジュースよりも1ドルのソーダを選ぶのは無理もありません。家賃を払えない状態で、「長期的な健康」なんてものを考えられるはずがないのです。
このように、お金がないときは、「長期的」な視点を持つことはできません。会員制の大型スーパーで買うほうがお買い得なのは重々承知です。でも、その年会費を払えない。ホットドッグやインスタントラーメンばかりでは寿命が縮まることぐらいわかっています。でも、大家さんに家賃滞納で追われないためには、それで生き延びるしかないのです。もうちょっと早くから自炊していればマシだったかもしれませんが、米労働統計局によると、680万人の米国人が生活のために複数の仕事をしている状況です。私もその1人だったので、ヘルシーに生きるための時間がありませんでした。貯金をするお金も、当然ありませんでした。
■安い車は修理費がかかり、公共交通機関は時間がかかる
仕事があっても、職場まで通勤できなければ意味がありません。車を持つと、初期コストを払ったあとも色々な費用がかさみます。公共交通機関は、どの町でも整備されているわけではありません。
お金がないと、この「移動手段」には隠れたコストが2つあることに気がつきます。1つ目は、車には高額な修理費が避けられないこと。私はブレーキパッドの交換時期を無視していたせいで、キーキー音が鳴るようになりました。その音は嫌でしたが、お金が出ていくことはもっと嫌でした。そこで、音楽を大音量でかけてごまかしていたのです。
車にもよりますが、ブレーキパッドの交換には平均145ドルがかかります。それは、1カ月分の食費に相当します。それに当時は、光熱費を払うお金もなかったので、無視し続けていました。
そんなある日、ついに金属と金属がすれるひどい音が発生するようになってしまいました。ローター交換には、ブレーキパッドの交換に加えて数百ドルかかります。それまで出費を先延ばしにしてきましたが、そのせいでもっと高額なコストを支払わなければならなくなったのです。この経験から、メンテナンスを怠るほど、修理費用がかさむことを学びました。
「待つ」しか選択肢がないこともままありました。「お金はあるんだけど、ほかのことのために取っておかねば」ではなく、文字通りお金が足りないときです。車の修理に145ドル必要なのに、銀行の残高は12ドル。それでも仕事には行かなければなりません。第3の選択肢など存在しないのです。
公共交通機関もいいのですが、必ずしも全都市で整備されているわけではありません。たとえあっても、今度は異なるコストがかさみます。それは、「時間」。車なら15分のところでも、バスだと1時間かかることもよくあります。バスを1本逃せば、さらに10〜15分のロス。1日に数時間の自由時間があるとしても、バスに乗ることでそのほとんどを奪われてしまうかもしれないのです。それでは、食事の準備や洗濯にかける時間すら見つけられなくなってしまいます。
仕事に行く行為のために仕事を続けられなくなるというのは何とも皮肉ですが、関連コストを払えるだけのお金がなければ、そのような状況は現実になりうるのです。
■這い上がるには身なりも重要だが、最優先ではない
その重要性にもかかわらず、高い服を買うことは軽視されがちです。食べるお金もないのに、いい服なんて買えるわけがないでしょう。確かにそうかもしれません。でも、身なりにお金をかけないことは、かなり大きな社会的コストを支払っているのと同義です。
10年ほど前、私はWalmartで働いていました。大方の小売業と同じで、制服を自分で買わなければなりませんでした。当時の制服は、紺色のシャツにカーキのズボン。どちらも持っていなかったので、そこで働くためだけに、お金をかける必要がありました(まだ給料ももらっていないのに)。私の仕事は駐車場のカート収集係。ジョージア州の厳しい太陽の下では、ネイビーブルーのシャツがすぐに色あせてしまいました。さらに、1日中歩いているので、3ヶ月で靴がダメになってしまいます。みすぼらしいだけでなく、焼けた舗装道路に文字通り足が触れていることも珍しくありませんでした。
色あせたシャツにボロボロの靴。それでも十分ひどい身なりでしたが、それはあくまで勤務時間中の話。職場を出た私は、もっとひどい身なりをしていました。でも、私の被服費の大半は、仕事の制服に消えてしまいます。つまり、ほかの仕事を探すにしても、いちばんマシな服装が仕事の制服ではどうにもなりません。制服の交換サイクルに対応しながら、余所行きの服が買えるようになるまでは、かなりの時間がかかりました。と言っても、けっきょく小売店で小額ローンを組んでもらって買ったのですが。破産中にお金を借りるのはよくないというアドバイスはわかりますが、求人に応募するための服さえ買えない状況では、ほかに選択肢はなかったのです。
周囲の人たちは勝手です。お金がないのにいい服を着ていたら「お金に無頓着なやつ」と言われ、逆にみすぼらしい服装をしていたら評価が下がります。特に、仕事の面接ではそれが顕著。服装次第で、面接に通るか通らないかが決まることだってあります。悲しいけれど、有名ブランドの服を着るだけで周囲からの視線が変わるのが、私たちが生きている世界なのです。
服装のコストは、社会的プレッシャーだけではありません。単に洗濯をするだけでも、お金と時間がかかるのです。洗濯機や乾燥機が家になければ、コインランドリーに通う必要があります。そのためには、1回1回の料金だけでなく、貴重な時間をかけなければなりません。それは、仕事やスキル習得のための時間、家族と過ごす時間などを削ることを意味します。
何よりも最悪なのが、周囲からの視線です。私には、ひどい身なりで出歩かなければならないときの、周囲からの視線の冷たさが身に染みてわかります。いろいろな人から、新しい服を買えと言われます。言い方は丁寧だとしても、服が色あせていることを指摘されると、まるで怠けているから新しい服や靴が買えないのだと、遠回しに批判されているような気がしてしてしまうのです。
しかも、身なりに注意を払うことは、実用的ではなく虚栄のように思われることがあります。食は実用的。住も実用的。交通手段も実用的。では、新しい服は? 破産して文句を言っているのに、新しい服でお金を無駄遣いするなんて。そんな意見は無視してしまいましょう。周囲の反応を変えることはできませんが、少なくとも、「無駄遣い」と言うような人は無視してもかまいません。
■手数料、塵も積もれば山となる
低所得世帯にとって、手数料を避けることは生死にかかわります。それだけでカテゴリー化していいほど、手数料はあちこちで発生しているのです。銀行の口座維持手数料、支払いの遅延手数料、カード利用手数料、手数料を支払えないことへの手数料。それらがみな、貧しい家族ばかりにのしかかります。
ここ数年でいちばん大きかったのが、借越に対する手数料です。デビットカードで支払いをしたとき、残金が足なかった場合、35ドルの手数料をとられるのです。こんなひどい話ってあるでしょうか? お金がないからお金を取られるなんて!
もっとも、破産中はまた話が異なります。銀行の取引ひとつひとつに、過剰なほどに注意が必要です。金額だけでなく、時期も大切です。たとえば今日電気代を支払うと来週処理が実行されるような場合、それまでは見た目よりも残金が少ないことに気をつけなければなりません。私の銀行は90年代からずっと同じソフトウェアを使っているようで、「残高」欄には未使用の金額を表示しようとしているものの、まったくもって信頼できません。私にできることは、全取引を手書きで書き残しておくこと。それを忘れたり計算を間違えたりしたら命取りでした。
さらに悪いことに、その銀行が、取引の発生した時間順ではなく、金額の大きいものから先に処理するのです。たとえば残高が150ドルのときに、間違えて160ドル使ってしまったとします。内訳は150ドルの電気代と、2.5ドルの取引を4つ。電気代を最後に支払ったにもかかわらず、それが最初に処理され、残高が0ドルということが何度かありました。すると、2.5ドルの取引それぞれに、35ドルの借越手数料がかかるのです。正しい順序で処理されていたら1回分で済んだはずなのに、その4倍の140ドルも支払わなければならないなんて。いえ、確かにそれは、私のせいかもしれません。でも、先に入金したはずの金額が反映されておらず、その後の引き落としが発生してしまうケースもありました。お金がある人には些細なことかもしれませんが、私にとっては数週間分の生活費にかかわる問題でした。
手数料が発生するのは銀行だけではありません。毎年、自動車の登録料を取られます。特にお金がなかった年は、登録料を払うことができませんでした。それなのに、職場は家から1マイル。でも、働かなければ食べることができません。登録か食べ物かで迷った結果、私は後者を選びました。登録期限を1週間過ぎたとき、警察に止められました。でも、すぐに支払うようにという警告だけで済みました。さらに1週間後(まだ登録料を払えるお金を得ていないうちに)、また止められました。2度目の違反だったので、100ドル近い出頭通告を出されました。おかげでいっそう支払いが困難になり、クリスマスに親戚からもらったお金で、ようやく支払うことができました。
貧しいときに限って、さまざまな手数料がかかります。それらが積もり積もって、もともとお金がないあなたをさらに追い詰めます。そして、それらの手数料を払えないことで、新たな手数料が発生します。言うなれば、貧乏生活にはお金がかかるのです。
もちろん、責任は私にあります。登録の切れた車で仕事に行かず、歩けばよかったのではないかと言う人もいるでしょう。実はしばらく、それも試したのです。でもある日、雨に打たれ、ケータイが壊れてしまいました。当時の私は、Androidの記事を書く仕事にありつこうかという時期でした。つまり、その節約方法は、私のキャリアを台無しにしてしまったかもしれないのです。
このように、お金がないことは、とても厳しい状況です。もちろん、何とか負担を軽くする方法はありますが、ミスの許容範囲はかなり狭まります。それに、何とか収支を合わせるためだけに、たくさんの努力が必要です。週に何十時間も財布の中身とにらめっこしなければ、1カ月分のミスにつながりかねないのです。
この話は、私の個人的な経験にすぎません。私よりもずっとひどい経済状況の人もいるでしょう。私の場合、最悪のときでも手を差し伸べてくれた人がいたこと、そして思いがけない権利を得られたことが幸運でした。でも、そうでない人にとっては、ミスを犯すことは命取り。どんなに熱心に働いても、貧しいサイクルから抜け出すことはほぼ不可能になってしまうのです。
Eric Ravenscraft(原文/訳:堀込泰三)
Photos by Hajime NAKANO, Magharebia, Lara604, Paul Swansen.
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