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戦後、焼野原の日本はこうして財政を立て直した
途方もない金額の負債を清算した2つの方法
2016.8.15(月) 加谷 珪一
空襲で焦土と化した東京。本所区松坂町、元町(現在の墨田区両国)付近で撮影されたもの(資料写真、出所:Wikimedia Commons)
今から71年前の今日、日本は終戦を迎えた。太平洋戦争は民間人を含めると300万人を超える犠牲者を出したといわれるが、経済的な損失も計り知れないものだった。戦費総額は国家予算の74倍に達しており、空襲によって生産設備の50%以上が失われていた。
この天文学的なレベルの経済損失を日本政府はどのようにして穴埋めしたのだろうか。
実質ベースの戦費総額は国家予算の74倍
太平洋戦争(日中戦争を含む)の名目上の戦費総額は約7600億円だった。日中戦争開戦時のGDP(当時はGNP)は228億円なので、戦費総額のGDP比率を計算すると33倍、国家予算(一般会計)に対する比率では何と280倍という数字になる。
現実には過大な戦費調達から財政インフレが進んでおり、実質ベースで再計算すると約2000億円程度に減少する。それでもGDPとの比率では約8.8倍、国家予算との比率では74倍となり、途方もない金額であることに変わりはない。
終戦前年の1944年における政府債務残高は約1520億円あり、同年のGDPは697億円だった。政府債務のGDP比は約220%と計算されるが、これは現在の日本とほぼ同じ水準である。当時の日本経済の基礎体力は小さく、この水準の債務残高は持続不可能であった。
政府の借金は何らかの形で清算しなければならない。財政に魔法の杖はなく、最終的には「国民から税金で徴収する」か、「インフレという形で預金者から強制的に預金を奪う」かのどちらかとなる。終戦後の日本の場合、その両方によって、一連の負債を清算した。
封鎖された預金に対して最高で90%の税金
当初、政府は預金封鎖と財産税によって国民から税金を徴収することで債務を返済しようとした。これは銀行預金を封鎖して預金を引き出せないようにし、封鎖した預金に対して財産税をかけるという仕組みである。
預金封鎖は1946年2月に突然、実施された。金融緊急措置令によって、銀行の預金は生活に必要な最小限の金額を超えて引き出すことができなくなった。また、日本銀行券預入令が施行され、銀行に預けない貨幣が無効となった。最低限度を引き出す場合には、すべて新円となったので、旧円をタンス預金することは不可能であった。
政府はその9カ月後、財産税法を施行し、封鎖された預金に対して財産税を徴収している。預金が少ない人は25%程度だったが、高額の預金を保有している人は、最高で90%にも達する税金が課せられた。
財産税と同時に実施された戦時補償特別税(戦争に関する政府からの支払いの踏み倒し)と合わせると、5年間で487億円が徴収された。1946年の一般会計予算は1189億円だったので、複数年にまたがっているとはいえ、予算額の4割に達する金額を徴収した計算になる。現在の金額では約40兆円程度ということになるだろう。当時の国富は約4000億円しかなかったので、国全体の資産の1割以上を政府が強制徴収したわけである。
財産税では足りずインフレ課税も
一連の財産課税によって多くの人が資産を失うことになった。だが、財産税で処理できたのは債務全体の3分の1程度であり、膨大な債務を清算するにはまだ足りない。政府は望むと望まざるとにかかわらず、「インフレ課税」による債務整理を選択する以外、道がなくなってしまった。
インフレ課税というのは、インフレを進める(あるいは放置する)ことによって実質的な債務残高を減らし、あたかも税金を課したかのように債務を処理する施策のことを指す。具体的には以下のようなメカニズムである。
例えばここに1000万円の借金があると仮定する。年収が500万円程度の人にとって1000万円の債務は重い。しかし数年後に物価が4倍になると、給料もそれに伴って2000万円に上昇する(支出も同じように増えるので生活水準は変わらない)。しかし借金の額は、最初に決まった1000万円のままで固定されている。年収が2000万円の人にとって1000万円の借金はそれほど大きな負担ではなく、物価が上がってしまえば、実質的に借金の負担が減ってしまうのだ。
この場合、誰が損をしているのかというと、お金を貸した人である。物価が4倍に上がってしまうと、実質的に貸し付けたお金の価値は4分の1になってしまう。これを政府の借金に応用したのがインフレ課税である。
現在、日本政府は1000兆円ほどの借金を抱えているが、もし物価が2倍になれば、実質的な借金は半額の500兆円になる。この場合には、預金をしている国民が大損しているわけだが、これは国民の預金から課税して借金の穴埋めをしたことと同じになる。実際に税金を取ることなく、課税したことと同じ効果が得られるので、インフレ課税と呼ばれている。
日本は巨額の戦費のほとんどを日銀の国債直接引き受けという形で調達したことから、市中には大量のマネーが供給された。戦時中は国家統制でマネーの動きが抑制されていたが、戦争終了とともにこの巨額のマネーが動き出すことになった。これに加えて、国内の生産設備の半分が空襲などで使いものにならない状況となっている。巨額の財政赤字に、極端な供給制限(モノ不足)が重なった状態であり、常識的に考えてインフレが爆発するのは当たり前である。
終戦直後から、物価が落ち着きを見せる1952年までの間に、名目上の消費者物価は約100倍に値上がりした。日中戦争開始時点から比較すると300倍近くの値上がりである。現実には闇市場が横行しており、終戦時の市場価格はすでに45倍程度になっていた。そこからの物価上昇率ということになると約7倍である。
逆にいえば、終戦後からのインフレで国民が持つ預金の価値は7分の1になり、政府が抱える膨大な債務も実質的に削減された。戦争直前に200%を超えていた政府債務のGDP比は、1952年には13.2%まで減少しており、日本政府は一気に健全財政に変身したのである。
誰から奪うのかという違いでしかない
政府が作った過大な借金は、いつかは、何らかの形で清算しなければならない。基本的に国民から税金を徴収する意外に清算の方法はなく、直接的な課税とインフレ課税の違いは誰から取るのかという点だけである。
直接的な課税の場合、税金は納税者から徴収することになる。終戦直後の日本であれば、財産税の課税だったので、財産を持っているすべての人から税金を徴収した。財産税を逃れることができたのは、預金や資産を持っていない低所得層だけだった。
もし消費税の増税で手当てするなら、モノやサービスを消費する人の負担で穴埋めが行われ、所得税を増税するなら、お金を稼いだ人の負担で穴埋めが行われる。税の種類を決めるという行為は、誰が負担するのかを決めるという行為にほかならない。
間接的なインフレ課税の場合には、負担するのは預金者ということになる。インフレ課税の場合には、課税されたことが明示的に示されないので、課税が実施されても多くの人は気付かないかもしれない。
このところ、日銀の量的緩和策の限界が指摘されるようになり、一部ではヘリコプターマネーの導入が囁かれている。具体的には、政府が元本や利子の支払いを必要としない債券(無利子永久債)などを発行し、これを日銀が引き受けるといった形が想定されているようだ。
ヘリコプターマネーが導入された場合、かなりの確率でインフレになる可能性が高い。現在の日本において制御できないほどのインフレになるのかは何とも言えないが、仮に一定のインフレが進んだ場合には、政務債務の問題がある程度解決する代わりに、預金者から見えない形で巨額の税金が徴収されることになる。
このようにインフレには政務債務の削減を通じた課税という作用があり、これを無視してインフレ政策について議論することはできない。インフレというのは実質的な「増税」であることを忘れてはならない。
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