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財務省(「Wikipedia」より/っ)
財務省、過去30年の政策すべて失敗で不況と税収減招いた罪…失われた権力と能力
http://biz-journal.jp/2016/08/post_16257.html
2016.08.11 文=小林敬幸/『ビジネスの先が読めない時代に 自分の頭で判断する技術』著者 Business Journal
結果からみれば、大蔵省・財務省(以下、財務省で統一)が主導してきたこの30年間の経済政策が失敗だった。“ザイムショノミクス”の蹉跌だ。
これだけ悪い実績が積み上がると、これから財務省の主導する政策に乗るのは、政治家も国民も蛮勇がいる。むしろ迷ったときは、財務省の意向と反対の道を進むほうが安全にみえる。一時成果をあげたアベノミクスも、つまるところ反ザイムショノミクスだった。8月2日に閣議決定された経済政策も、どれだけザイムショノミクスに反しているかで採点するのが、もっとも簡単で正確な分析になるだろう。
バブルの発生をさかのぼれば、1980年代に進めた金融自由化、85年のプラザ合意による急激な円高とその円高不況をカバーするための金融緩和、さらにその資産バブルへの対応が遅れてバブルが起こってしまった。
そして、バブル潰しのための過度の金融引き締めと消費税導入(89年)により、今度は不況の傷が深くなりすぎた。その際、金融自由化を目指しながらも、「一行もつぶさない」とした金融の護送船団方式をとったことにより、モラルハザードを起こし金融システムの傷を深め、バブル崩壊後の立ち直りを長期化させてしまった。さらに、97年にバブル後の不況から脱出する前に消費税を5%に増税して、経済をさらなる不況に導いた。
バーナンキ前FRB(米連邦準備制度理事会)議長をはじめとするアメリカの有力な経済学者は、これらの日本の経済政策を「完全な失敗」として認識して反面教師とし、リーマンショック(2008年)後の対応で正反対の政策がとられた。
つまり、資産市場のバブルには早めに対応すること、一旦バブルがはじけると大幅な金融緩和を行い、大胆な景気刺激策を続けること。そして、「大きすぎてつぶせないだろう」とばかりに過度に巨大なリスクを負うモラルハザード的な金融機関は、つぶすのもやむを得ないことであった。
最近では、14年に消費税を8%に増税したのも失敗だったであろう。11年に国民的合意がとれた震災復興予算を関係のない案件にまでバラ撒くことで、政治家や他省庁からの求心力を確保し、消費税の増税に持ち込んだようにすらみえる。
それぞれの政策は、その時においては正しいか、あるいは「やむを得ない」と思われるものであった。しかし、今から振り返ると、最悪のタイミングとやり方で、「正しい政策」とは正反対のことを実施してしまったとしかいいようがない。
■財務省の強大な権限の喪失
80年代から今日にいたるまで、財務省の組織的な課題は、財政再建であった。その組織目標を個々の官僚が身を挺した犠牲をも厭わず追求してきた。これ自体は、まさに国益であり、財務省という組織の本源的存在意義なので、なにもやましいものではない。
そしてこの間、2度の非自民党政権も含めて極度に流動化した政治をみながら、組織的に粘り強く、ときには機をみて果敢に財政再建に向かう政策を通してきた。消費増税が典型的な例だ。政権の様子をみて関連法案を通せるときには、何がなんでもがむしゃらに通してきた。
しかし、個々の政策が実施されたタイミングは、最悪になってしまった。それは、流動的な政治の波間を縫って、増税の政策を通すことだけに集中し、流動的に変化する経済の状態をみずに政策を実施してしまったようにみえる。まるで政治は流動的だが経済は岩のように固定的で、「良い」ことはいつやっても「良い」のだという前提を置いているかのように。
財務省の歴史を振り返ってみれば、80年代までの高度成長期においては、インフレと高成長により莫大な税の自然増収があるので、バラマキ予算が実施できた。社会福祉や公共事業の予算を膨らませながらも毎年のように減税をしても、財政の黒字を保てた。そこでは、個々の経済政策に軽重をつけて大盤振る舞いできる財務省が、対政治家においても対他省庁においても、圧倒的な力を持っていた。その場合、大蔵省が経済政策の総合調整機能を果たしていたといえるだろう。
しかし、80年代に低成長期となり税の自然増収がなくなると、予算配分もままならない。特に80年代に行われた、各省の予算伸び率を前年比ゼロにする「ゼロシーリング」の導入は、予算編成における財務省の強大な権限の喪失を意味した。たちまち政治家や他省庁が言うことをきかなくなったのを、財務官僚は肌で実感したことだろう。
安定的な税収の確保は国益であり、組織の存在意義でもあるとともに、自分たちの職業的ステータスの基盤でもあったのだ。
■経済政策の総合調整機能を担うに足る能力も失う
そこで、安定税収の確保、つまり消費増税を悲願として、政治の状況を小まめに観察して、通せるときには一気に通すスタンスをこの30年取り続けた。それが、すべて経済政策としては裏目にでてしまった。税収確保のために政治的変化の洞察に集中するあまり、経済もまた生き物で日々流動しており、あらゆる経済政策において「タイミングがすべて」であることを組織的に無視し忘却してきた。
結果として経済が不調となり、税収そのものもかえって減少し、さらに財務省への求心力を失うことになってしまった。つまるところ、経済政策の総合調整機能を担うに足る政策提案能力も政策実現能力も失ってしまった。
この状況を理解して、財務省とは別に経済政策の総合調整をしようとしたのが、小泉政権下の経済財政諮問会議であり、現実に一定の成果を上げた。今振り返っても、この時期に大きな経済政策の失敗は見当たらない。ただし、これは経済財政諮問会議を主導した小泉首相と竹中大臣という、ユニークな個性に依存した体制であった。
■求められる「反省」
やはり、経済を安定的に成長させていくには、どの政党が政権を担当しようとも、組織的に、つまり官僚組織として経済政策の総合調整ができる体制をどう構築するかが課題になる。それは、財務省が組織と意識を変えるのか、あるいはほかの機関がそれを担うのかという問題でもある。
いずれにせよ、ここまで結果がはっきり出てしまったのだから、官僚自身が組織的にこの30年間で財務省が主導した経済政策を反省しつつ振り返ってみるべきだ。そして、今一度、政治だけでなく経済も流動的であることを再認識して、その上で政策の立案と実施の方法を組み立てるべきだろう。
(文=小林敬幸/『ビジネスの先が読めない時代に 自分の頭で判断する技術』著者)
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