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『脳が壊れた』(新潮社新書)
『最貧困女子』著者が脳機能障害に! 自分が障害をもってわかった生活保護の手続もできない貧困女性の苦しみ
http://lite-ra.com/2016/08/post-2485.html
2016.08.10. 『最貧困女子』著者が脳機能障害に! リテラ
本サイトではこれまで貧困と格差というテーマに取り組んできたが、特にルポライター鈴木大介氏による『最貧困女子』(幻冬舎新書)や『最貧困シングルマザー』(朝日文庫)は大きな反響を呼んだ。それは、こうした作品が従来の風俗ルポや貧困本にない視点をもっていたからだろう。
これまでタブーとされてきた貧困女性とセックスワークの関係、その背後にある搾取、さらに貧困の陰にうつや統合失調症などの精神疾患や発達障害、知的障害があることを明らかにしたのだ。しかも、単に興味本位で取材をするのでなく、彼女たちと同じ目線に立って、時には取材対象である女性たちに生活保護を受給できるよう説得し、動く。決して上から目線の“取材者“ではなく、時に絶望的な状況や、誰ひとり救えない自分の非力を嘆く鈴木氏の筆致には貧困への憎しみ、絶望感があり、そのルポは政府や行政への静かな反乱ともいえるものだった。
そんな貧困の深層に切り込み続ける鈴木氏だが、2015年初夏に突然、脳梗塞を患い、緊急入院してしまったのだという。幸い脳梗塞は軽度だったが、残ったのが高次脳機能障害(高次脳)だった。しかし、そこで鈴木氏は“意外な気づき”を発見する。それが自分の高次脳の症状とこれまで出会った数々の最貧困者たちとの“共通点”だ。
鈴木氏が発病後上梓した『脳が壊れた』(新潮社新書)は、発病から後遺症に苦しみ、家族や友人たちの助けで自分を“再発見”していくルポだが、その中で鈴木氏は自分を襲った“怪現象”(高次脳)の数々を記している。その最初の体験が「半側空間無視」だった。
「僕は自分の左側の世界を『見ていても無視』したり、左側への注意力を持続するのが難しい脳になってしまったようなのだった」
その症状は鈴木氏を“挙動不審な人間”にしてしまったという。なぜならその障害のせいで人の目を、人の顔を見て話せなくなってしまったからだ。
「最悪なのが、会話をしている相手が真正面にいても、どうしても僕は相手の顔を正面から見て話すことができない。右方向に首ごと顔を逸らせて、視線もなぜか右上方を凝視してしまうのだ」
こうした症状に襲われた鈴木氏だったが、しかしそれはある被取材者と同じものだと気づく。振り込め詐欺のダシ子(集金役)から組織売春の見張り役をしていたヒサ君だ。ヒサ君は人と話す際、決して目を合わせず、不自然に目を顔ごと逸らしたり、そっぽを向いた状態で目だけをチラ見するような若者だった。
「ヒサ君は少し言葉も不自由な感じで、呂律の回らない言葉をゆっくりと苦しげに押し出すように話す子だった。目線は常に対話の相手に向けられることはなく、いまの僕と同様に、身体ごと相手から不自然に視線をそらし、なぜか口笛を吹くかのように口先を尖らせて、視線を泳がせて会話をするのだ」
鈴木氏は取材時、ヒサ君の仕草、空気の読めない態度に、頭をひっぱたいてやりたいとイラついたというが、しかしヒサ君の挙動不審は高次脳と共通する症状で、しかもこうした行動は止めたくても自分ではどうにもならない、本当に苦しくストレスがたまるものだと初めて気づいたという。
鈴木氏を襲った高次能は「半側空間無視」だけではない。気になる人を凝視してしまう、注意力・集中力の欠如、物事を順序立ててできない、自分の行動や作業を制御できない、猛烈な焦燥感や不安などなど。これら鈴木氏の高次脳の症状は、まさにこれまで出会ってきた困窮者たちの姿だった。
「あれ? この不自由になってしまった僕と同じような人を、僕は前に何度も見たことがあるぞ?
それはうつ病や発達障害をはじめとして、パニック障害や適応障害などの精神疾患・情緒障害方面、薬物依存や認知症等々を抱えた人たち。僕がこれまでの取材で会ってきた取材で出会ってきた多くの『困窮者たち』の顔が、脳裏に浮かびました」
「恐らく後天的な脳の機能障害である高次脳機能障害の当事者認識とは、先天的な発達障害、または精神疾患、認知症等々、大小の脳のトラブルを抱える『脳が壊れた人々』の当事者意識と、符合するのではないか」
それは鈴木氏が取材をした貧困女性たちの共通する“不可思議”な言動を読み解くものでもあったという。例えば女性に生活保護を受給させるべく鈴木氏が同行支援をした際、女性は約束の時間に来ない、役所に提出する書類の説明をするとフラフラと寝てしまう、音読しても理解できない──それらについて鈴木氏は安定剤などの薬を服用しているかと思っていたというが、発病後の鈴木氏はこんな疑問をもつのだ。
「彼女たちの症状は、あまりにも『漫画が読めなくなってしまった』僕と、合致するのだ。貧困とは、多大な不安とストレスの中で神経的疲労を蓄積させ、脳梗塞の後遺症で高次脳機能障害となった者と同様なほどに、認知判断力や集中力などが極端に落ちた状態なのではないのか?」
また売店のレジで小銭を出そうとしても、目のピントが合わず、指が思うように動かず小銭を落としてしまった鈴木氏は、ある取材者が同じように小銭をバラ撒いてしまった光景を思い浮かべる。
「何年も執拗に続いた夫のDVと離婚のショックからメンタルを深く病み、精神科から処方される抗鬱薬に依存するようになっていた彼女は、床に落ちた小銭を震える指先で一枚一枚集めながら、ぼたぼたと大粒の涙を床に落とした。(略)いま僕は痛いほど彼女の気持ちがわかる。
トラウマチックな体験や強い精神的ダメージは、目に見えないが脳に傷となって残り、結果として様々な認知のズレを生む」
そして鈴木氏が最も恐れた症状が喜怒哀楽の感情の起伏が極端に激しくなりコントロールが効かない「感情失禁」とそれに由来する「話しづらさ」だった。
鈴木氏は口の周辺の麻痺といった身体的原因だけでなく、感情を司る脳の部分が損傷したため、噴出する感情のままに言葉を発し続けたり、叫んで走り出しそうになる衝動に駆られたという。さらに注意欠陥により、会話に合理性が欠けてしまう。
しかしそれはコニュニケーションが下手で相手の言葉尻をブチきり、自分のことばかりを一気に話して周囲から排除される少女たち、そのものだった。
「僕の場合は暴走する感情に任せた会話はルール違反だと感じて抑制しているわけだが、なるほど彼女たち、好きであんなに言葉のナイフをめったやたらに振るっているわけじゃなくて、感情が乗ると言葉を自律的に抑制できなくなるのかもしれない。それで集団から浮いたり、他者から悪い印象を持たれるのが分かっていてもやめられないとしたら、それはそれで、とても孤独で苦しい経験に違いない」
コミュニケーションが苦手で“生きづらい”といわれる人々、貧困や強いトラウマから挙動不審になってしまう人々、様々な障害をもつ人々。それらと高次脳機能障害とは酷似していた。
「高次脳機能障害者の多くはこの不自由感やつらさを言葉にすることもできず自分の中に封じ込めてただただ我慢しているのかもしれない。それは高次脳と症状の出かたが酷似している発達障害や精神疾患などの患者も同様だろう。だとすれば、世の中にはいったいどれほどの数の、『言葉も出ずに苦しんでいる』人々がいるのだろう」
鈴木氏は本書を「発達障害や鬱病をはじめとする精神疾患・障害の当事者の言葉の代弁でありたい」と記し、その克服のためには自分を許容してくれる周囲の助けが必要だとしている。
現在、鈴木氏は未だ高次脳機能障害が残っているものの退院し本書を書き上げるまでになっている。ルポライターとしては様々な困難が今後もあるかもしれない。しかしこうした希有な体験をした鈴木氏だからこそ、これまで以上に貧困や障害に苦しむ人々に寄り添った新たな視点での作品が生み出されるかもしれない。
鈴木氏の今後の活躍、そして作品に期待したい。
(伊勢崎馨)
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