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老後の心配は無用、若者にお勧め田舎生活
頭と体が日々鍛えられ、健康で長生きできる秘密とは
2016.8.1(月) 多田 朋孔
一面の黄色いじゅうたん、印カシミール地方でカラシナが満開
インド北部カシミール地方スリナガル郊外で、満開を迎えたカラシナ畑(2016年3月28日撮影)〔AFPBB News〕
今回は老後の不安がある人に農村に住んで農作業をしながら生活することをお勧めしたい理由を実例を基に書いてみたいと思います。
これは私が新潟県の中山間地に住んで体験したことがベースです。ですから、すべての方に当てはまるかどうかは分かりません。でも、多くの方に参考になるのではないかと思います。
農作業は人間の健康や脳にとても良い効果があると思います。その理由は主に次の3点が挙げられます。
(1)体を動かす
(2)頭を使う
(3)喜びがある(やりがい、生きがいにつながる)
生活の中で自然に鍛えられる体
これらを一つひとつ具体的な実例を挙げながらご説明しましょう。
(1)体を動かすについては、説明するまでもないと思いますが、農作業は体力を必要とします。作物によって体積や重さが違いますし、機械を使う作業からほとんどすべて人手に頼る作業まで多種多様ですが、全く体を動かさないで収穫までできる作物はありません。
例えば、私はお米を販売できるぐらいの面積の棚田を耕作していて、野菜は自分たちの家族が食べる分プラスαでお小遣い稼ぎ程度に販売する程度に作っています。
田んぼに比べて耕作面積が圧倒的に少ない野菜用の畑でさえ、肥料まき、植え付け、草対策、収穫、ものによっては支柱を立てたりネットで囲ったりと作物が無事育つための環境づくりをします。
お米については、農繁期はとても重労働になります。
田植えの際は田植え機に乗る以外にも苗を運ぶのですが、これが水分を含んでいて重たい。また、中山間地では田んぼの水の管理が地味に大変です。
自然の水を田んぼに流し込むために鍬やスコップで溝を掘って誘導したり、田んぼの畔から水が漏れているのをふさいだりと、農作業の華やかな部分に隠れた、作っている人しか分からない作業にかなりの時間と労力が割かれています。
上の写真は水源から水を引っ張ってくるために水路を掘って沢の流れを変えている様子です。去年までは雨が降るとすぐに元の流れに戻ってしまったので、かなり大がかりに土を移動させました。また、木を切って行き来しやすくしました。
家庭菜園でさえ、貯蔵できる野菜を一気に収穫する際には一仕事です。
農作業は適度に(農繁期はかなり)体を動かすのですが、お年寄りも(中には80歳前後の方もいます)こういう作業を日々やっています。
都会から移り住んだばかりの時に、「この人たちには満員電車で出くわしても席を譲る必要はないのではないか?」とさえ思うほど近隣に住むお年寄りの方々は達者です。
また、体を動かすと疲れるので自然と早く眠たくなり、早く寝ると朝は明るくなったら目が覚めるという事で自然と早寝早起きが習慣になるのですが、これも健康のためにはとても良いことだと思います。
農作業は脳トレでもある
(2)頭を使うについてですが、意外と農作業は頭も使います。
農作業にとって私は最も重要なのは段取りだと思うようになりました。どの作物にも植え付けの適期というのがあって、適期に植えて適期に収穫するということが作物の生育にかなり影響します。
これは屋外での栽培に関してであり、野菜工場などは私は経験がありませんが、別だと思います。
そして、その適期に合わせて植え付けまでの下準備をする必要があります。例えばお米であれば、植える時に丁度いい苗の大きさになる時期に種を撒きます(すじまき)。
すじまきをする前に芽が出るタイミングをそろえるために浸種と芽出しをするのですが、これがそれぞれ摂氏10度より少し高い水に積算温度が100度になるまで浸します。
例えば10度の水であれば10日間で積算温度100℃になります。その後、32度のお湯に16時間浸けて芽が少し出た状態にします(ハト胸状態と言います=下の写真)。
こういう作業があると、一夜漬けなどはできません。計画的に少しずつ準備をしないと絶対に間に合わないのです。したがって、スケジュールを逆算して予定を立てます。ほかにももっと様々な準備がありますが、本題からそれるので割愛します。
また、肥料を撒く際にもチッソ、リン酸、カリの成分計算をして撒く量を決めます。ここでは算数の計算をします。
このように農作業は結構頭を使います。自分で主体的に考えて頭を使っていたらそうそうボケないのではないでしょうか。
(3)喜びがある(やりがい、生きがいにつながる)という点については、作物を育てるとわ分かりますが、日々成長していく姿を見ると無条件に喜びを感じます。また、よく地域の方がこのようなことを言います
「農業は1年に1回しか経験できないから俺もまだ完全に分かったとは言えない。毎年勉強だ」
これは私も実感していますが、毎年自分自身が農作業についてもっとこうやった方がいいなという学びがあり、自分自身の成長を感じることもできるのです。
多くの人は成長することで喜びを感じると思います。これを読んでいる方の中にもロールプレイングゲームでレベル上げにハマったり、新しい武器や防具を手に入れたら嬉しくなるという経験がある方は多いのではないでしょうか?
農作業は作物も日々成長するし、自分も年々成長するということで、現実世界で成長を2倍楽しめるというものです。
しかも、作った作物を売ることができれば、実益にもなります。これも喜びの1つだと思います。作物を売った際の喜びとしては、金銭的なものもそうですが、それよりも食べた人から「美味しい」と言ってもらえた時の喜びの方が大きいです。
私が住む飛渡地区には「食と農を考える飛渡の会」という会があり、地区内の生産者の方々から野菜を仕入れて市内の飲食店や学校給食に出荷していますが、生産者の方の中にはこの野菜の出荷の活動に非常にやりがいを感じて一生懸命に取り組む方がいます。
そして、そういう方は若手の農家や地域おこし協力隊などとの交流も積極的に行っていて、世代を超えて会食する機会が結構あります。これも喜びにつながっていると思います。
以下の写真は公民館で会食している時の様子です。老若男女が一緒になって和気あいあいと食事とお酒を楽しんでいます。都会ではこういう機会はそうそうないと思います。
盛り上がってくるとアカペラで歌い始めることもあります。
このように、農作業をずっと続けているお年寄りの方々は非常に元気で80歳を超えても現役という方が私の身の回りだけでも何人もいらっしゃいます。
そして、こういう方々の中には自分だけが元気というだけではなく、周りの人達も元気にしたいという方もいらっしゃいます。
1つの象徴的な例として飛渡地区には「あわせおけさ保存会」という会があります。この会の方の中には70〜80代の方も数多くいて、年に数回、様々な施設に慰問に呼ばれて踊りや歌を披露しています。私もこのメンバーの一員です。
70代〜80代のメンバーの方からすると、自分より若い人に対して慰問で踊っているという場合もあるわけです。ここに、これからの高齢者福祉についての1つの答えがあるのではないかと思います。
年金が出るかどうか分からない我々のような世代は、「高齢者医療や介護に対して高いお金がかかるけどどうなるのだろうか」とどうしても不安になります。しかし、あれこれ悩むより、その予防策として農村に住み、農作業をやるのはいかがでしょうか?
これは自分の実感としてとても効果があると思います。自分自身が都会に住んでいた時に比べると年は取ったけど明らかに体力はついたと感じています。
私自身が田舎暮らしを始めた理由の1つには老後の健康を考えてということもあります。十日町では「ピンピンコロリ」という言葉があります。これは昨日までピンピンしていた人が次の日にはコロリと死んでしまったという意味です。
私自身もどうせ死ぬなら「ピンピンコロリ」と死にたいですし、実際に親戚が「ピンピンコロリ」で亡くなったある方は(話題が話題なのであえて名前は伏せます)、「いい死に方をしたもんだ。俺もああいう死に方をしたい」とおっしゃっていました。
また、健康面だけではなく、実際に食べ物を作ることができるようになるのも重要です。今でこそ日本には食べ物があふれていますが、今後もこの状態が続くとは限りません。
日本は今後どんどん人口が減っていき2050年には9700万人にまで減ると言われてます(現在1億2700万人)。逆に世界全体の人口は今後も増え続け、2050年までには90億人を超えると言われています(現在約73億人)。
GDP(国内総生産)は人口に相関しますし、まだまだ発展の余地のある国が発展していくことで、日本のGDP順位は今後落ちていくでしょう。そうなるといつまで外国の食べ物が安く入って来るかは分かりません。
そういうリスクを考えても自分で食べ物を作れるようになっておくことは老後の不安を軽減させる1つの方法だと思います。
私が田舎暮らしを始めたもう1つ理由に、自分で食べ物や生活に必要なものを自給できるようになるというのがありますが、それは今の世の中の状況を踏まえてのことです。
長期的に考えれば、若いうちから農村に住んで自分自身の老後と子供や孫の世代が安心できるような生活を自分の手で守れるようにした方がいと思います。
しかも、現代は田舎暮らしがとてもしやすい時代になっています。少なくとも私の住む新潟県十日町市では山の奥でもネット環境は十分整っており、買い物もネット通販でほぼ何でも家まで届くようになっています。
うちの妻は私が2010年に田舎暮らしを始めるという時に最初は「カフェでお茶ができない」と言って猛反対していたほど田舎暮らしに対して不安を持っていました。
しかし、今ではスマホで子供の服などもいろいろ探せるうえに、カエルやホタルなどの生き物も豊富なので「子育てにもってこい環境だ」とまで言うようになっています。
田舎には孤独感がない
ネット環境が整い、SNSが発達しているので、私自身も都会で生活していた時代の友人や知人とのつながりは切れていません。それどころか、SNSが発達していなかった時代に比べるとコミュニケーションを取る頻度は増えています。
都会に住んでいた頃は仕事が忙しくて近くに住んでいても全然会ってなかったような人とも、SNSでは好きな時にメッセージを送ってやり取りができています。
また、車があれば移動の面でも都会に住んでいた時よりも快適です。
たとえコンビニエンスストアまで片道車で15分かかったとしても、山を下りる時に事前に何をどこでするかという段取りを組んで効率よく動けば不便さは感じません。むしろ段取り力を高めることにつながっています。
都会と違って街中に車を置く際にも、ほぼ無料ですし、駐車場を探し回る必要もありませんし、渋滞もなく非常に快適です。
そうは言っても田舎には仕事がないので移り住むのは不安だという意見もあるでしょう。ですが、これも団塊の世代が大量退職した今では実は仕事は十分にあります。
人口5万5000人規模の十日町市では私が2010年に移り住んだ時はハローワークの求人情報を見ても月給20万円を超える仕事はほとんどありませんでした。ところがです。
今は20万円台後半〜30万円台の仕事もちらほらあります。今は有効求人倍率がバブル期の水準まで高まっている時代ですので若い人手は田舎でも重宝されています。
田舎特有の人間関係にさえ慣れれば都会に住むよりも生活はしやすいというのが都会と田舎の両方に住んでみて実感することです。
結構いろいろな人から「田舎に住むのは不安があります」という話を聞きますが、人とのコミュニケーションさえしっかりと取れる人であれば何にも心配する必要はありません。
裏を返せば、「都会の人間関係に疲れたので人里離れた田舎で暮らしたい」という人はむしろ都会に住んだ方がいいと思います。
地方に若い女性が少なくなって、将来消滅してしまう自治体があるという話もありますが、実はネット環境と物流システムと車の利便性が整っている農村はある意味子供を育てやすい場所です。
ですので今の長期的な目線で今の人口減少社会を明るく乗り越えていくために農村に住む子育て世代が増えるのはとても良いことだと思います。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47410
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