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レバノンの首都ベイルートで、シリア人アーティストが作成した合成画像を見ているジャーナリスト(2016年7月22日撮影)〔AFPBB News〕
ポケモンGOを提供する企業が負うべき責任 世界の子供たちを危険にさらすことは許されない
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47497
2016.8.1 伊東 乾 JBpress
いま仮に、シリアでポケモンGOで遊んでいた子供がいたとします。あるいはガザでも中東のどこでも構いません。
彼あるいは彼女が、探しあぐねていたポケモンやアイテム、「ピカチュウ」でも「ポッポ」でも「しあわせタマゴ」でも何でもいいんですが、それをようやく見つけ、喜び勇んで「ピカチュウ」の元に走り寄ったとして、仮にそこが地雷野だったら、いったい何が起きるのか?
AR(オーグメンテッド・リアリティ)のELSI=倫理的、法的、社会的問題を、上のようなリアルなリスク状況から検討するのは、重要な意味あることだと思います。紛争地の地雷野でなく、日本国内にも、いくらでも子供が近づくべきでない危険な場所はあるわけですから。
■ネットワーク・デジタル地図と所有物
まず初めに日本の、あるいは国際的に見てでもいいのですが、現行法規のありようを、身近な形で追体験してみましょう。
以下の話、もしピンと来ない人が居られたら、だまされたと思ってGoogleにアクセスしてご自分の住所を入力して検索してみてください。
多くのケースで、一番上に「地図」が検索結果として表示されることでしょう。
ここでさらに、上に表示されたラジオボタンの中で「地図」をクリックすると、あなたのお家が地図上で克明に表示されるはずです。
地図だから当たり前と言えば当たり前ですが、ここから先が問題です。
これから「ネットワーク地図に関係づけられた情報」というものを考えてみましょう。
グーグルの地図には「Earth」という文字とともに小さな写真が記された窓が表示されているかと思います。ここをクリックすると・・・。多くの方はご存じのように、いま表示されていた地図が航空写真で表示されます。グーグル・アース(Google Earth)ですね。
このサービスをよく考えてみたいのです。これは「写真」であって「地図そのもの」では実はありません。こういうものを「デジタル地図に関係づけられた情報」と呼ぶことができます。
さらにグーグル・アースにはストリートビューという機能がついている。
ここに進んで、もしあなたの家の目の前まで進むことができたら(できる場合とできない場合があります)、つまりこれはグーグルという企業がデジタル地図上であなたの所有物に関する情報を不特定多数に対して公開している、ということになります。
貴方の住所さえ分かっていれば、世界中の誰でも、あなた自身の知らないうちに、お家の窓にかかっているカーテンの柄まで知ることができる。
さて、読者の中に、グーグルから「ご自宅を撮影したいんですが、許可を頂けるでしょうか?」という許諾の請求をもらったという人がいるでしょうか。
もしいたら、どうか編集部までご一報いただきたいと思います。少なくとも私は、そんな許可を与えたことはありません。が、いろんなものがシッカリ写っています。
私の知り合いに、このストリート・ビューの「建物の中版」を撮影している会社の社長さんがいます。これは「映してほしい」という依頼があって撮影するものなので話が違ってきますが、街中で写真を撮ったとき、他人の家が背景に写り込んだからといって、その許諾をいちいち求める、という話には普通なりません。
ただの「写真」であれば、何の問題もないでしょう。
しかし、ここで重要なのは、その写真が「住所」あるいは周りの地理など別の情報と密接に結びついて、体系だって表示されていること、誰にでも検索可能な形でネットワーク上に公開されているという事実です。
少なくとも、日本の現行法は、ネットワーク・デジタル地図上に貴方個人の所有物である家や自動車、庭の風景などが写り込んだ形で、住所情報と組みにして写真を関係づけることを禁止してはいない。
善し悪しと別に、まずこの事実を確認するところから、オーグメンテッド・リアリティのELSI=倫理的・法的・社会的諸問題を考えてみたいと思います。
■グーグル・アースからカーナビへ:近接性proximityという別問題
航空写真を眺めてみたら、自宅と車庫の車が写っていた。これだけなら「あはは」で済むかもしれません。オフィスのパソコンでストリートビューが見えるというのも「便利な世の中になったねえ」程度かもしれない。
しかし、スマートホンで移動しながら現地で地図を見るというのは別の話です。カーナビゲーションのシステムに、見知らぬ人があなたの住所を入力すれば、最短経路を表示することでしょう。
それがタクシーの運転手さんであれ、あなたのお子さんを誘拐に来ようとする犯罪者であれ、システムは同様の情報を与え、技術は人の善意・悪意を区別することができません。
アンドロイド(Android)対応車両にスマートホンをつなげばそのままカーナビゲーションとして使えるわけですから、本質的に両者の垣根はすでに取り払われていることに注意しておきます。
すでに単機能のカーナビゲーションではなく、多様にインテリジェントなサービスが、あなた自身の所有物に関係づけられる形でネットワークを張り巡らせている。
いま極端な例でお話ししましょう。本稿を執筆中、神奈川県相模原であってはならない大量殺人事件が発生しました。現場の住所は公開されています。
この原稿を書くために、私はこの現場をネット上で訪れてみました。報道された犯人の侵入経路と突き合わせて検索して、現場の詳細がよく分かりました。
これは事件が起きた後、第三者が遠方でアクセスしているわけですが、仮にこれが、犯罪者が事件を起こす前にアクセスするのであっても、システムは正確に同じ情報を提供することになります。
あなたの家の窓の形状、どこは格子が嵌められている、どこにはない、と言った情報まで不特定多数に公開されている。不足があれば下見で補うこともできるでしょう。
で、果たして夜陰に紛れて犯罪者が家に近づいてきたとしても、手元のスマートホンには煌々と明るい昼間の現場がパノラマ写真で写し出されている。
ただ単に遠方で地図を見ている、あるいはデジタル画面を検索しているのと決定的に違う状況であるのが分かるでしょう。現場に接している、近接性すなわちプロクシミティ(proximity)があることで、情報は単なる仮想性:バーチャリティと決定的に異なるものになっている。
こういう状況、つまり現実のリアルな空間とバーチャルな情報空間が接しているのがオーグメンテッド・リアリティ、日本語では「拡張現実感」の訳語が普及しているようですが「AR」の状況にほかなりません。
物事を遊びだけで考えていては、法や社会ルールのポイントは見えてきづらい。
ARゲーム「ポケモンGO」の流行は、この「拡張現実感」状況固有の問題を全世界的に顕在化させる役割を持ったと思います。
極めて指摘しづらいことですが、今後AR特有の背景によって、多くの事件や事故が発生するのは間違いないと思います。そして、さきほどグーグル・アースの例でお話しした通り、これを規制するような法制度の整備は、現時点ではほとんど存在していません。
ARをめぐるELSIへの本格的な取り組みは、これから始まるといって全く過言ではありません。
たまたま個人的に20数年前から視聴覚コンテンツのネットワークELSIに関わってきたので、いま比較的早い段階でこの問題を取り上げているわけですが、大学の講義のような内容は次回に続けるとして、以下では冒頭の問題「シリアの子供とポケモンGO」に戻ることにしましょう。
■ロンドンからのツイッター
7月6日にリリースされた直後から、ARゲーム「ポケモンGO」は国際的に様々な波紋を呼び起こし始めました。率直に、報道に接して最初に思ったのは情報セキュリティの問題です。
プレーヤーの位置情報と個人情報の組が低セキュリティ状態で扱われる可能性が高く、先々間違いなく問題が起きるだろうと思っていると、案の定、やれ強盗が獲物をおびき出すのに使った、やれ浮気の現場がばれた・・・と、想像していたような話が伝えられてきたわけです。
というわけで先行してリリースさ れた海外でのブームを注視していたのですが・・・。
1枚の合成写真を見つけ、私は思わず手を止めました。
このページで冒頭に紹介されている、パレスチナ暫定自治区のガザで空爆に遭い、ピカチュウが死んでいるコラージュです。もとはロンドンのムスリムメディアの編集長がツイートしていました。
私はこの画像に心打たれました。ナイーブかもしれませんが、しょせんは一音楽家です。こういうものに心を動かされます。
言うまでもなく、これは「ポケモンGO」の画面としては出てこないものだし、著作権的には微妙です。でも、アンディ・ウォーホルがキャンベル缶スープやマリリン・モンローなどよりはるかに強烈に、私にはこの画面上、空爆され瓦礫の中でPikachu Deadと表示されている、黄色い塊に心を揺さぶられずにはいられませんでした。
そもそもゲームとして発売された「ポケットモンスタ―」がテレビアニメ化され、例の「光てんかん放送事故」を起こした1997年12月、30代前半の私はクラシック音楽テレビ番組の監督としてこの事故の報に接し、関連するELSI問題にコミットした経緯がありました。
ちなみにアニメソングのオーケストラ編曲も仕事として扱いましたが、粗製乱造の印象、「スカートの中」など下品な歌詞の歌で、およそ親近感は湧かなかったのも正直なところです。
この事故のほぼ直後 経緯があって大学に呼ばれて以降も、メディア認知と規制の問題、光てんかんを発症するかもしれないようなコンテンツを法規制などすべきか、といった視聴覚メディアの倫理的・法的・社会問題=ELSIと一貫して関わり続けています。
この黄色い奴は、やたらと記憶には強く残りながら、いままで率直に申してあまり良い印象を持ったことがなかった。ところが、見慣れた黄色いのが、けなげにもガザで空爆されて死んでいる。このコラージュは、少なくとも私には、かなり真っ直ぐ胸に突き刺さってきました。
ところが、見慣れた黄色いのが、けなげにもガザで空爆されて死んでいる。このコラージュは、少なくとも私には少なくとも真っ直ぐ胸に突き刺さってきました。
また、ARゲームではなく、画像コラージュとして、被災地で絶望している人、泣いている子供の横に寄り添うようにレイアウトされている。
私は生まれて初めて、ポケモンにもいいところがあるじゃないか、と思いました。と同時に、現地の子供や親の心情を思って改めて胸つぶれました。
欧州や中東でも「ポケモンGO」は広く知られる存在になっている。そして、年配としてはこういうゲームで遊びたいであろう子供たちが、空爆の脅威にさらされ、あるいは住む家を失い、家族を失い、自身も様々な目に遭遇しているだろう多くの現実を、瓦礫の中で代わりに死んでいるようなピカチュウの姿から強く感じました。
ところが、です。
■戦場で無責任にポケモンを放てるか?
私はこの7月、幾つかの案件で相当つかまっており、喫緊でない情報をチェックする余裕があまりなかったのですが、現実には紛争さなかの地域、シリアなどでもポケモンGOで遊ぶことができるらしいと知るようになり、最終的に大きく考え方を改めるようになりました。問わねばならないと思ったのは、冒頭のような問いです。
つまり「紛争地域で子供がポケモンGOで遊んでいて、もし地雷野に踏み込んで爆弾を踏んでしまったら」といったリスクにほかなりません。
昨年私はミュンヘンで開かれた国際会議で「デジタル化なくしてISILなし」「デジタル化なくしてシリア難民なし」という報告を耳にし、その実態を知って衝撃を受けました。
この話題は多岐に渡り、ここでは多くを端折りますが、紛争地域の一般市民にもスマートホンが十分普及しており、中東から欧州を目指して西へ、西へと押し寄せる難民は、ほとんど1人が1つずつ(少なくとも1家族には1つ)スマホを所有していて、それによって亡命ブローカーとの取引や支払い、どこの国境の警備が甘いといった情報共有などをしている現実を知りました。
「紛争地域で子供がポケモンGOで遊ぶというのは、十分あり得る話なのだな」
そう気がついた次の瞬間、様々な最悪の可能性が脳裏をよぎりました。
いまシリア国内やパレスチナの紛争地域がどのようなリスクに直面しているのか、私は生活感の肌合いをもって知っているわけではありません。
しかし、例えば「地雷野」のような場所があったとして、そこにポケモンなりスタジアムなどが登場し、日々脅かされて楽しみの少ない子供たちが、嬉々として「しあわせタマゴ」(ポケモンGOのアイテム名)を見つけて走り寄って行ったら、そこで信管に触れて・・・。
こうした状況はもしサーバ側が何も考えず無責任に「アイテム」や「ステーション」を発生させるとするなら、十二分に考えられるリスクにほかなりません。
残留地雷の危険性、被害の 恐ろしさついてはいまさらここで言う必要もないと思いますが、念のため、いま検索したものですが、シリアのパルミラでISILが敷設した地雷撤去のニュース(http://jp.rbth.com/multimedia/pictures/2016/04/18/585645)、ならびに日本の一般財団法人カンボジア地雷撤去キャンペーンのHPから、大変痛々しいですが、地雷の被害に遭った子供たちのページ(http://cmc-net.jp/html/osoroshisa1.html)のリンクを貼っておきたいと思います。
仮にこうしたリスクのある地域に「ポケモンGO」をリリースするのであれば、企業の社会的責任として、ここでは何の罪もない一般の人、あるいはポケモンでなく虫や鳥を採ろうとしていたような子供たちが、日常的に手や足、さらには命まで失っているという、大変残念なことですが、まぎれもない現実を直視しておく必要があるはずです。
しかし、少なくとも、報道を見る限り、そういうリスクの回避、ガザやダマスカスなど紛争地域でなくとも、日本国内の様々な場所で、また子供に限らず大人であれ、このゲームで遊ぶ可能性のあるユーザを守るリアルな配慮が十分になされているかは疑問です。
対策がなされていれば起きないだろう報道も目にする「ポケモンGOリリース1か月以内」の初期というのがいま現在の状況であるように思います。
責任の取りようのないところに、無責任無節操に情報を発信していいのか?
技術的にはいとも簡単なことです。しかし、社会的、法的、あるいは倫理的に考えれば、許されざることがたくさんあるのも間違いありません。
特段ARゲームに特化することなく、車の自動運転など様々な広がりをもつAR周辺のELSI問題を引き続き考えていきます。
(つづく)
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