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ダメ社員を日本一に導いた「勝者の哲学」〜キリンビール「お荷物支店」はこうして奇跡の大逆転を遂げた
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49258
2016年07月31日(日) 週刊現代 :現代ビジネス
■受け身の組織からの脱却
―「'95年 高知の夜は漆黒だった」。まるで小説のように始まる本書は、元キリンビール代表取締役副社長の田村さんが当時「お荷物」的存在だった高知支店に支店長として赴任し、全国でもトップクラスの支店に育てあげた成功体験を元に書かれたビジネス書です。
'11年にキリンビールを退職した後、多くの場所で講演する機会がありました。すると、一生懸命に仕事をやっているのに数字が落ちてしまう、仕事にやりがいを求めても、それができない空気があるという声をよく聞きます。
そういう方々に高知で学んだことを話すと非常に反響があり、できることなら多くの方に伝えたいと思ったのが本書を記したきっかけです。
―高知支店は当時、全国のなかで最下位クラスの成績にもかかわらず、メンバーに焦りの色もなかったそうですが。
成績が悪い支店を本社など上の組織は特別に管理したがるものです。高知支店も同じような状況で、上層部からの指示ばかり増えていく。しかし所詮は遠く離れた場所の会議室で決められたことです。支店自体の成果は上がらず、それでも上からの指示だからと、こなすだけの体質になっていた。
失敗から何かを学ぼうとする意欲はなくなり、上の言いなりである支店長に対しても不信感を持つという悪循環に陥っていた。だから私はまず、彼らの自発的なやる気を取り戻すことに着手しました。
―当時、ライバル会社であったアサヒビールのスーパードライの人気の波が押し寄せていて、うかうかしていられない状況も書かれています。
キリンビールはラガービールを主力に業界シェア60%を占め、長く一人勝ちという状況でした。しかし'87年にスーパードライを発売して以降、アサヒビールがシェアを確実に増やし、私が高知に赴任した'95年には、キリンビールの全国シェアは50%以下に落ち込んでいました。
そういう焦りもあり、口ではやると言ってもやらない支店員に対して「できるまで家に帰るな!」と怒鳴ったこともありました(笑)。あれには彼らも驚いたようで、私が単なる「伝えるだけの支店長」とは違い、本気だということに気付いてくれたのではないでしょうか。
―やがて'97年に入ると、高知支店は四国4県中で料飲店の開拓店数1位になるなど、ようやく社員たちの努力が実を結び始めます。
支店員のなかに仕事に対するやりがいも生まれ始めていました。しかし高知県でのシェアとしてみると前年9月にアサヒビールに首位を奪われ、社員がどんなに頑張ってもシェアはさらに落ち込み、底が見えない事態となっていました。理由はアサヒビールの好調さだけでなく、キリンビールが主力のラガービールの味覚を変更したことにありました。
家族や大切な人との思い出のなかにラガービールはあって、その人生の一部を勝手に変えるな、というわけです。私はそれまでブランドは会社の利益を上げるための源泉としか思っていませんでしたが、何のために自分たちがいるのか、考えさせられましたね。
ただ味覚変更は会社としての決定方針。それに盾突くのは自分の立場にもかかわる。この一件で、支店員たちには相当の心労を与えてしまい、病人まで出るほどに。自分はどうすべきか、正直何度も悩みました。
■社長の心を動かしたメンバーの一言
田村潤さん『キリンビール 高知支店の奇跡 勝利の法則は現場で拾え!』を上梓した
―田村さんは社長が高知支店に視察に訪れるタイミングを狙って、「味を戻して欲しい」と直談判することを決意します。しかし、事態は思わぬ展開になっていきますね。
私は社長と支店員たちの懇談会として開かれた飲み会の後で話すつもりでしたが、その飲み会の途中で女性メンバーの1人が社長に向かって、私が言おうとしていたことを切り出したんです。
挙げ句に「社長はお客様に対して卑怯です」って詰め寄って。さすがに社長もひどく怒りました。
だけど、嬉しかったですね。彼らは彼らなりに理念を持ち、それに対して責任を持てるまでに成長していた。私は彼らの思いも無駄にはできないと、あらためてラガービールの味を戻して欲しいと社長に直訴しました。
―この結果を田村さんは意外なところで知ることになります。なんと翌々日の新聞で、ラガービールの味覚を戻すという社長のコメントが掲載された記事を目にします。
驚きました。正直ダメだと思っていましたから。とはいえ、'98年1月に正式に味を元に戻すことが発表され、そこからが高知支店の本当の逆転劇の始まりでした。瞬く間に落ち込んでいたシェアが回復に転じ、同年通じての高知支店の対前年比は社内で一躍、1位になりました。そして'01年には高知県で再びシェア1位の座を奪い返します。
前だけを向いて走った高知での約6年間、私は本当に多くのことを学ばせてもらいました。
―田村さんは、経営とは現場力と理念が大事で、とくに後者は今の日本企業に足りないものでもあると説いています。
どの会社にも社会が必要とする理念やアイデンティティがあり、それがあるからこそ世に残るわけです。ところが業績が下がってくると数字に目を奪われ、忘れがちです。
自分が何者かわかっていないのに客に自分の会社を理解してもらうことなんてできません。現在、日本企業全体の競争力が落ちているのもすべてこれに尽きます。理念なくして、日本の「奇跡」は起こり得ませんよ。
(取材・文/安部次郎)
筆者はキリンビール元営業本部長。「売る」ことを真摯に考え続けた男が実践した逆転の営業テクニックとは?地方のダメ支店の逆転劇から学ぶ、営業の極意、現状を打破する突破口の見つけ方!
たむら・じゅん/'50年東京都生まれ。元キリンビール株式会社代表取締役副社長。'95年に支店長として高知に赴任後、四国4県の地区本部長などを経て、'07年に代表取締役副社長兼営業本部長に。'11年より100年プランニング代表
『週刊現代』2016年8月6日号より
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