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日銀、06年1〜6月の議事録公表 量的緩和解除要因に外圧も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160715-00000006-fsi-bus_all
SankeiBiz 7月16日(土)8時15分配信
日銀は15日、2006年1〜6月の金融政策決定会合の議事録を公表した。3月の会合で量的金融緩和策の解除に踏み切ったが、市場予想(4〜6月)より早かったため、当時はさまざまな憶測を呼んだ。議事録では、円安に対する海外各国の警戒感という“外圧”も緩和解除を急ぐきっかけになったことが判明した。
◆国際社会の冷視線
日銀は当時、当座預金(民間の銀行が日銀に預けるお金)の残高を目標とする量的緩和策を世界で初めて導入していたが、消費者物価指数(生鮮食品を除く)の安定的上昇などの条件を満たせば解除する方針を示していた。
だが同年1月の会合では、水野温氏審議委員が「(量的緩和による)低金利が他国に迷惑を掛けているという論調が(世界の)中央銀行の中である」と指摘。福井俊彦総裁も量的緩和が招く円安に言及し、「『これを単純にエンジョイするのか』という感覚が(国際会議の)共通の認識」と呼応した。
3月の会合で、水野氏は「異常な金融政策の枠組みを長期間継続すると、金融機能低下という副作用が大きくなりすぎる」と主張。他の会合メンバーも「条件は満たされている」(岩田一政副総裁)と解除に賛意を示した。
これに対し、中原真審議委員は「(消費者物価の)プラス基調が安定的に定着したと判断するのはやや躊躇(ちゅうちょ)を感じており、解除を急ぐメリットはない」と反論した。
政府と日銀の“温度差”も深刻化。当時、政府高官は記者会見などで「デフレが続いている」として緩和継続の必要性を唱えていたが、水野氏は会合で「政治的な圧力が強いときは、日銀は自主的に金融政策を決定できないという誤解を与えかねない」と反発した。
政府側の出席者が「政府内部の意見を調整する必要がある」と一時中断を求めるハプニングも発生。29分後に再開されると、「判断を尊重する」と理解を示した上でゼロ金利の継続を求めた。結局、9人の会合メンバーのうち、反対票を投じた中原氏と欠席1人を除く7人の賛成で5年間の量的緩和策に終止符が打たれた。
◆現在と重なる難題
緩和解除後を見据え、前年から議論されてきたインフレターゲット(物価目標)について、須田美矢子審議委員は「日銀の目標ではなく、各委員の(目安としての)理解であることを共有できなければ公表には反対」と主張。結果的に「1%を中心とする0〜2%程度」とあいまいな表現にとどまったものの、中長期的に望ましい物価上昇率を初めて示した。
日銀はその後、政府の意向を無視して06年7月にゼロ金利を解除、さらに07年2月にも利上げに踏み切り、結果的に08年のリーマン・ショックを経てデフレに逆戻りした。
安倍晋三首相は当時の緩和解除と利上げを批判。より大胆な現在の金融緩和につながったが、年明けからの円高や英国の欧州連合(EU)離脱問題で再びデフレ懸念が強まる。
米財務当局は大統領選を控えて通貨安競争を強く牽制(けんせい)している。日銀は28、29日の会合で円安を招く追加緩和に踏み切れるのか、10年前と同様に難しい判断を迫られている。
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