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なぜ親子3人は利根川で入水自殺しなければならなかったのか
生活保護申請直後に一家心中、行政の責任論だけで語れない深層
http://diamond.jp/articles/-/95683
2016年7月15日 みわよしこ [フリーランス・ライター] ダイヤモンド・オンライン
2015年11月、困窮の末に生活保護を申請した高齢の夫妻と娘の一家3人が、申請から4日後に入水心中を試みた。なぜ、一家は保護開始を待てなかったのだろうか? 生き残った娘は、どのような判決を受けたのだろうか?
■生活保護を申請した一家は
なぜ4日後に一家心中を決行したのか?
2016年7月10日の参院選は、改憲勢力の圧勝に終わった。私が最も気になるのは、日本国憲法第25条に定められた「健康で文化的な最低限度の生活」の今後だ。
何らかの理由によって実質的に「使えない」あるいは「使いにくい」社会保障・社会福祉は、人を殺す。あるいは人を傷つけ、部分的に殺す。これは「言葉のアヤ」ではなく、現在の日本で、現実に起こりつづけている出来事だ。
今回は、2015年11月に埼玉県で発生した一家心中未遂事件と、生き残った娘・Nさん(47)に対する裁判および判決を、生活保護ケースワーカー経験・社会福祉を専門とする大学教員経験を持つ寺久保光良氏のコメントとともに見てみよう。
2015年11月21日、Nさんは、認知症の母親(当時81歳)・頚椎圧迫から歩行が困難になっていた父親(当時74歳)とともに利根川で入水自殺を図った。両親は溺死したものの、Nさんは死にきれず生き延び、裁判の被告となった。産経新聞記事には、Nさんに父親が「一緒に死んでくれるか」と切り出し、入水したとき母親が「冷たいよ、死んじゃうよ」と抵抗したことなどが、生々しく紹介されている。
Nさんは、事件4日前の11月17日、居住地の市役所に生活保護を申請した。
74歳の父親は、バイクに乗って新聞を配達する仕事を続けていたが、入水自殺した2015年11月に退職。頚椎圧迫による運動障害で、バイクに乗れなくなったからだ。11月末には手術を受ける予定となっていたが、唯一の稼ぎ手を失った一家が父親の手術などの医療費を支払い、ついで今後の生活を維持するためには、何があればよいだろうか? もしも満額の老齢基礎年金があったとしても、生活保護を利用しないわけにはいかないだろう。そして、両親は無年金高齢者だった。
Nさん自身も、「働ける」と言える状態ではなかった。Nさんは高校中退後、就労していたりしていなかったり。記事には「仕事中に人の目が気になる」という記述がある。安定した就労を継続するにあたっての障壁が、何かあったのかもしれない。また2003年、母親が認知症など高齢に伴いやすい病気を患って以後、Nさんは献身的な介護を続けていた。3年前からは全く就労せず、母親の介護に専念していたという。
唯一の働き手であった父親が働けなくなった一家。介護・看病を必要とするのは両親の2人となり、担い手はNさん1人。一家が生き続けるためには、社会保障・社会福祉の利用しかないだろう。
もちろん、そんなことは本人たちが最もよく理解していたはずだ。Nさんは11月2日、父親が退職する前に市役所を訪れ、生活保護の申請について相談した。市役所職員の説明を受けたNさんは、その日のうちに母親の要介護認定の手続きをしたという。Nさんが実際に生活保護を申請したのは、約2週間後の11月17日だった。父親が一家心中について口にしたのは、翌18日のことだった。
さらにその翌日、生活保護申請から2日後の19日、市役所職員は、実情を調査するために自宅を訪れている。私には、かなり速い対応であったと感じられる。Nさんが申請した時点で、一家の状況の深刻さは認識され、「早期の調査と保護決定が必要」と考えられていた可能性もある。遅くとも14日後の12月1日までには、「一家の誰も知らなかった先祖の遺産2000万円が見つかった」といったことでもなければ、保護開始となっていたはずだ。
しかし、一家を心中に踏み切らせる直接のきっかけとなったのは、皮肉にも、市役所の迅速な対応であった。
なお、市役所の対応は、雨宮処凛氏の記事「利根川介護心中未遂事件?『本当は生活保護なんて受けたくなかった』。逮捕後、三女が漏らしたという言葉の意味」に詳しい。本文中で雨宮氏も指摘しているとおり、むしろ良心的かつ迅速な印象を受ける対応だ。
■救いの糸だったはずの生活保護
市役所からの調査が心中の引き金に
生活保護を開始するにあたってNさん一家の状況を調査するために訪れた市役所職員は、特に何か、嫌がらせめいたことをしたというわけではなさそうだ。前掲・産経新聞記事によれば、訪問調査の様子は、次のとおりであった。
『翌19日、申請を受けて市役所職員が生活保護受給の審査のために自宅を訪れた。家族の生い立ちや、これまでの自分の生活を細かく聞かれた。「仕事を転々として、高校も中退で惨めだと思ったけど、父も同じような感じで。親子で似たような人生だと、また惨めに思った」。唯一の希望となるはずだった生活保護だったが、N被告はこの訪問をきっかけに「死ぬ日を早めよう」と決めたという』
この記述からは、市役所職員(生活保護ケースワーカーまたは相談員であろう)が、圧迫感を与えず不愉快な思いをさせないように配慮を重ねて、淡々と生活歴の聞き取りを行っていた可能性が高いと思われる。しかし、もしもそうであったとしても、相手がそう感じるとは限らない。生活保護申請の場面で、申請した本人が行政に開示を求められる経歴や情報には、本人が「誇れない」「できれば語りたくない」「恥ずかしい」と思っていることがらが、かなりの確率で含まれる。しかし、語らなくてはならない。
市役所職員に尋ねられてNさんが語るのを父親が聞き、父親が語るのをNさんが聞き、二人が母親について語るのを互いに聞く数時間は、Nさんが「惨め」と繰り返すように、必死に寄り添ってかばい合って生きてきた自分たち家族が世間から見てどのような存在なのか、「世間目線」で再認識させられる残酷な時間であっただろう。
この訪問調査について、元生活保護ケースワーカー・元山梨県立大学教授の寺久保光良氏は、
「生育歴を根掘り葉掘り聞かれることで、彼女の自尊心が余計に傷ついてしまったのでは」
「生活状況や資産を聞いて必要か否かを判断すれば十分。さまざまな過去を抱える人がいる中で、聞き取り時は利用者への配慮が必要」
とコメントしている(2016年6月24日、埼玉新聞記事。Web未掲載)。
また2016年6月21日、初公判での被告人質問を報道した朝日新聞記事も、「生活保護調査『惨めになった』 利根川心中、三女初公判」と、生活保護開始までの調査が申請者を傷つける可能性をタイトルで訴え、さらに記事中で
『生活保護で「お金の面は何とかなる」と考えていたが、父の病状悪化で悲観的になったと供述し、「母だけ残しても可哀想だし、家族一緒じゃないと意味がないと父に言われた。一人生き残って申し訳ない」と述べた』
と、父親の病状悪化で悲観的になっていた当時の心情、さらに父親が「家族一緒じゃないと意味がない」という考えの持ち主であったことを紹介している。一家心中へと至ったのは、これらが最も不幸な形で複合してのことであろう。
■あまりにも「上から目線」の判決文
求刑の懲役8年に対し、弁護側は執行猶予が妥当と訴えた。しかし、懲役4年の実刑判決が下った。
判決文には、
「本件犯行に至る経緯、動機には、酌量すべきものがある。そうであるとはいえ、社会的な援助を受けて生きることもできたのに、認知症であったにせよ死ぬことに同意したわけではない母の殺害と、父の自殺をほう助する決断をした上、自ら心中の実行時期を早め、(略)主体的かつ積極的に本件犯行を行った被告人は、生命を軽視していたものといわざるを得ず、(略)相応に非難されなければならない」
とあり、さらに「酌量減軽を検討すべき事案であるといえるが、執行猶予に付すべき事案であるとまではいえない」としている。
引用した判決文を一読して、私は怒りのあまり言葉が出なかった。アンダーラインは、特に怒りを覚えた部分だ。背景には、生活保護を「恥」とする意識や家族主義がある。一家の生活の中で、おそらくNさんの無意識のレベルに深く植え付けられたそれらの意識や考え方が、「主体的」「積極的」にNさんが獲得したものであるはずはない。「一緒に死んでくれ」と父親に言われたNさんが逆らわなかったことを考えると、一連の出来事は、
「世の中からは『隠された』存在である一家が、強固な『血のつながり』による絆で結びついており、絆ごとブラックホールに飲み込まれようとしていた。最後の力を振り絞って『隠されていない』世界の生活保護に救いを求めた一家は、『隠されていない』世界の眩しい光とエネルギーによって『隠された』世界へと強く跳ね返され、心中に追いやられた」
と解釈すべきではないだろうか? この視点からは、裁判と判決も
「『隠されていない』世界が、『隠されていない』世界の規範で、『隠された』Nさんの『隠された』ゆえの悲劇を裁いた」
と見ることができる。
このことは、社会学用語の「サバルタン」を用いて説明することもできるのだが、正直に白状すると、何度か判決文を読みなおした私は、心のなかで「一体何様? 何だよ、そのエラソーな上目線は!」と叫んでしまった。
なお、Nさんは亡くなった夫妻の三女にあたり、姉が2人いる。しかし結婚している姉たちに、母親の介護や仕送りを行う余裕はなかった。Nさん一人が「血縁」の結界から離れられなかったゆえの悲劇、とも見ることができる。もしもNさんが両親のもとを離れていれば、両親は地域・行政が支えるしかない。もしもそれが可能だったら、「他人行儀」が同時にもたらす風通しによって、親子3人での心中という悲劇は避けられたはずだ。
■「社会的な援助」は絵に描いた餅
なぜ、そうなってしまうのか?
もちろん、一家心中(未遂)より、「社会的な援助を受けて生きる」の方がより望ましい。問題は、どの程度の実現可能性があったかだ。
雨宮処凛氏による記事「参院選と、利根川一家心中事件の裁判。」には、
「介護保険料を払っていなかったことから、介護サービスに引け目を感じていたこと、お金がないから母を施設に入れられないと思っていたことも裁判で明らかとなった」
とある。Nさんの両親は無年金だったため、介護保険料が「天引き」で徴収されていたわけではない。
介護保険料を1年以上滞納すると、介護サービスの利用料は、いったん全額自費負担となる。後に9割が返還されるのではあるが、困窮により介護保険料を払えない家庭にとっては、実質「介護保険は使えない」ということになる。
「保険料を払っていないないのに使えている」という人が目立つようでは、「だったらバカらしいから保険料を払わない」という人々が増え、保険制度は維持できなくなる。だから、未納・滞納に対する制裁の存在を、一概に「悪」とするわけにはいかない。この点は、「何かを払っている」を前提としない生活保護のような「扶助」と「保険」が大きく異なるところだ。
しかし、「保険」の保険料を払えない人々のためにあるのが「扶助」だ。健康保険料・介護保険料・年金保険料を長期に未納・滞納のままにせざるを得ない人々にとっての救いの糸は、日本のほとんど唯一の「扶助」、生活保護しかない。
Nさん一家が施設入所も含め、介護保険を利用できる道は、生活保護しかなかった。生活保護のもとでなら、介護保険が未納でも、支払うべき費用の全額が生活保護の介護扶助の対象となる。
問題は、Nさんと父親が、「介護と医療の費用も、生活保護を受ければ心配しないでよくなる」ということを理解できるように説明されていたかどうかだ。市役所職員が
「保護開始になるという前提で申し上げますと、とにかく、介護や医療について、お金のことは心配しなくていいんですよ」
と何回も繰り返して、やっと「安心していいのかも」と思われるかどうか、というところだろう。
さらに気になるのは、生活保護について、Nさんが「惨め」と繰り返したことだ。困窮状態にあって、保険を利用することが実質不可能で、したがって生活保護しかないという状況の人々は、さらに生活保護のスティグマ感(烙印感・恥の意識)を乗り越えて、申請し、保護開始となって、やっと生活保護で暮らすことが可能になる。
困窮している人が、困窮によって「惨め」「恥ずかしい」という思いを募らせ、「恥を受け入れるか、生きるのを諦めるか」の究極の選択を迫られる。これが、まっとうな先進国の姿だとは、私には思えない。
次回は、両親の介護がきっかけとなって離職・住宅喪失、さらに生活保護を必要とするに至った男性に、たどって来た道・現在・思いを語っていただく予定だ。ブランド企業に勤務する企業戦士であった男性は、介護によって、どのように「生活保護しかない」という状況に至り、そして脱却したのだろうか?
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