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カリスマ婚活アドバイザーは見た 現代ニッポン婚活の病理
【第1回】 2016年7月12日 植草美幸 [結婚相談所マリーミー代表]
婚活女性の4割が患う「医者と結婚したい病」の歪んだ理由
今週から連載スタートです。結婚相談所「マリーミー」の代表として、成婚率80%という驚くべき成果を挙げるカリスマ婚活アドバイザーの植草美幸さんが、婚活の成功例・失敗例と共に、婚活テクニックを紹介すると共に、婚活の現場を通して垣間見た、「病理」とも言える日本の恋愛事情の特殊性を読み解いていきます。
?結婚相談所は、日本の男女関係の縮図だと私は日々感じている。私がこの業界に飛び込んでかれこれ7年。おかげさまで約80%という成婚率で紹介ができている状況だが、それだけに日々さまざまな男女が私のもとを訪れている。
?この連載では私が仕事を通じて感じている日本社会の“病理”ともいえる部分をお話ししようと考えている。
?まずは、一つ目の“病”からお話ししたい。
「“お医者さま”を紹介してください」――
?こう言って、結婚相談所に駆け込んでくる女性はとても多い。結婚相談所に来る女性で、「医者と結婚したい」と考える人は、私の体感では全体の4割程度だと思う。
?この業界に入って一番びっくりしたのが、日本の女の子たちは「医者が大好き」ということだった。
?相談所に来た人には初めにアンケートを書いてもらうのだが、そこに結婚したい相手の職業を書く欄がある。ここに「医者」と書く人はとにかく多い。
?私はこうした女性たちを「お医者さま病」と呼んでいる。他の条件は何も問わない、ただただ医者と結婚して地位と名誉だけがほしい、そんな病気だ。
老後が不安だから
医者と結婚したい女性翻訳者
?ある日、私のもとにやってきたある女性もまた、お医者さま病の一人だった。
?その女性は40歳代半ば、年収は300万円、翻訳業で細々と暮らす生活。どうしても医者と結婚したいという理由は、「老後が不安だから」と明快だった。
?彼女は40歳代であり、医者の妻になりたい女性たちの中では、年齢で圧倒的に不利。前の結婚相談所では5年間医者を探し続けたがダメだったという。
?それでも「結婚相手は医者でなくてはならない」という条件は譲れなかった。
?そして彼女は、あらゆる手を尽くした。
?まず、同年代くらいまでとしていた年齢制限を取っ払い、50歳代もOKとした。
?次に、エステ、ヘアサロン、ファッション、メイク……あらゆる面から相当な若作りにチャレンジ。10センチのハイヒールにショートパンツ、胸の谷間を見せて峰不二子のような出で立ちに。老後のために貯めていた自身の蓄えを取り崩し、「医者との結婚」に執念を燃やした。
?その努力が実り、無事にバツイチ・50歳代の開業医と結婚することができ、プロポーズの言葉は、「もうお金の心配はいりませんよ」だった。まさにあっぱれというしかない。
25歳を超えると
もう若さは武器にできない
?こうした40歳代の女性が医者と結婚するのはかなりのレアケース。じつをいうと、男性医師は「34歳までに男女の子どもを3人作る」という暗黙のルールがあるため、ほとんどが20歳代で結婚している。
?よって、結婚相談所に来る男性医師は、忙しさで相手を見つけられなかった人か、婚期を逃した人であり、数はかなり限られている一方で相手は選び放題。特に男性は、女性に若さを求めるため、医者との結婚は男性が40歳代以上で女性は20歳代前半という組み合わせがほとんどだ。
?結婚相談所ではどの方にも「あなたの強みは何ですか?」と聞くが、もし25歳で「若さです」と答える人がいたら、「あなたは若いとは言えないのよ」と伝えている。
?なかでも、医者と結婚したいという女性は多すぎて、20歳そこそこの美人が山のようにいる。20歳代半ばでは年齢で勝負できなくなるためプラスαの魅力が必要になり、30歳代ではほぼ結婚不可能となるのが現実だ。
?さらに近年、医師の国家資格が男女比1:1になったこともあり、男性医師が減っているため、争奪戦はさらに激しくなっている(逆に女医は余っている)。それでもなお、医者との結婚にこだわる女性は後を絶たない。
専業主婦にとっての
「自慢できる夫の職業」ヒエラルキー
?なぜそこまでして女性は医者と結婚したがるのだろうか。経済力の面だけで見れば、外資系企業に勤める男性や経営者で年収5000万円という人もあり、医者よりもずっといい人もいる(医者もだいたい年収平均1000万円以上ではあるが)。
?けれどもこの両者であれば、医者が選ばれることのほうが断然多い。これはなぜなのか。
?私が思うに、女性にとって、特に専業主婦を目指す人にとって、「自慢できる夫の職業」にはヒエラルキーがあり、そのピラミッドの頂点にいるのが「医者」なのである。
?なお、医者であれば、年収、勤務医か開業医か、専門は何か、ということは問わないようだ。あまり職業を知らないというのもあると思うが、「医者」というのは説明不要でわかりやすい「お金持ち」のアイコンなのだ。
?要するに、「お医者さま病」の女性たちは結婚で「お金持ち」の象徴を手に入れたいと思っている。自慢できる結婚がしたいだけなのだ。
(余談だが、結婚情報サービス業者や相談所の中には「医者なら入会金・月会費無料」などにして女性が群がるよう集客しているところもある。医者の男性会員にしてみれば、所詮無料だから登録しているのであって、本気で婚活する気があるのかどうか不明確である。)
?相手より上に立ちたい、と考える女性は本当に多い。結婚適齢期の女性だけではなく、日本女性全体に蔓延る、一種の病だと私は思う。それが、結婚相手という形で現れたのが「お医者さま病」なのではないだろうか。
?これは、じつは結婚当事者の女性だけの話ではなかったりする。別のお医者さま病の女性の話をしよう。
?ある日、うちの相談所にやってきたのは、22歳の女性とその父親。地方からわざわざ父親が娘を連れてきたのだった。
?父親は開口一番、「女房が娘に『医者と結婚しなさい』と言ってるんだけど、何とかしてくれないかな」と言うのだ。「どうしてお医者さまなのですか?」と聞いても、「いやあ、女房がさ、『医者が命』っていうからさあ……」というばかりだ。
?この家庭は、父は弁理士で、母は専業主婦。父親も立派な職業であるにもかかわらず、母親はそれを大した職業とは思っておらず、「一番立派な職業は医者」という考えを持っているようだった。あげく、娘の前では「お父さんはそんなに仕事ができないから……」と馬鹿にする始末。しまいには、娘を医者と結婚させたいと考えるに至ったようだ。
「自分の好きな人」より
「お母さんが好きだと思う人」
?最近の女性と接してきて思うのは、母親と娘の距離感が非常に近いことだ。遊びに行くのも一緒、ご飯を食べに行くのも一緒、行った先での定番のネタは「お父さんは三流だから」という父親の悪口だ。無意識かもしれないが、そうした密な関係性により、娘も「自分の好きな人」と結婚したいと考えるより、「お母さんが好きだと思う人」を選びがちだ。
?それにしても母親はなぜ娘を医者と結婚させたいのか??それは、自分が医者と結婚したかったという裏返しではないだろうかと私は分析する。彼女自身が医者の妻になりたかったのであり、その夢を娘に刷り込んでいる。父親のほうは、それを察しているかはわからないが、妻の口うるさい要求を満たすために娘を医者と結婚させなくては、と動いているにすぎない。
?さて、『医者が命』という“お医者さま病”の母親を持ってしまった女性の結末はというと、彼女のルックスはいまいちだったが、年齢としては若いほうだったので、無事40歳代の医者と結婚することができた。ついに母親は念願の「自慢の婿」を手に入れ、自分の結婚の時には得られなかった、周囲からの羨望のまなざしを手に入れることができたということだ。
?しかし、女性たちはなぜそこまで「夫の職業」でうらやましがられたいのか??それについては、次回お話しすることにしたいと思う。
http://diamond.jp/articles/-/94752
【第26回】 2016年7月12日 吉田典史 [ジャーナリスト]
高学歴負け組社員はなぜ自分の「負け」を認めないのか?
社会人に対して主に戦略、組織変革、リーダーシップなどを教える、中央大学大学院教授の磯村和人さん(51)に取材を試みた。今回と次回は、その際のやりとりを紹介しながら「学歴」について考えたい。
磯村さんは高校に進学することなく、大検(大学入学資格検定試験)を経て、1983年に独学で京都大学に合格した。父や兄(東大医学部へ現役合格、現在は医師)とともに、「中学校の管理教育と戦う家族」として新聞やテレビなどで報じられた。その奮闘が、1984年放送のTBSドラマ『中卒・東大一直線 もう高校はいらない!』のモデルとなり、一躍有名になった。
その後、研究者としての人生を歩む。自らの稀有な経験もあり、学歴やその価値、さらに会社員などのキャリア形成や人事のあり方などについても研究する。
磯村さんは、「日本の社会には学歴を私的に利用する人がいる」と指摘する。その意味を聞いていくと、「学歴病」の真相が浮き彫りになってくる。読者諸氏は、この「学歴の私的利用」をどのように感じるだろうか。
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学歴とキャリアという2つの
座標軸で会社員を捉える
仕事でうまくいかない会社員の中には、自分の学歴を言い訳にして、「負け」を認めない人もいる。なぜ日本には学歴を「私的利用」する会社員が多いのか
筆者 日本の会社員の中には、学歴に影響を強く受けている人が多数いるように思えます。その一例が、昇進・昇格で同世代の社員に負けている人たちが、10代の頃の学歴の話を持ち出したりすることです。
磯村 そのような思いになることは、わからないでもないのです。日本では、学歴のインパクトが様々な意味で強いと思います。
たとえば、「○○大学に入学する」という目標が明確であるし、合格できた場合の達成感がありますね。学力は成績や偏差値で示されるし、予備校などが発表する「偏差値ランキング」もあります。
しかも、10代という多感な時期に経験しますから、その人の意識に残りやすいのだと思います。受験にはゲーム感覚もありますから、面白い一面もあります。ある意味で、ハマリやすいと言えるのでしょうね。
筆者 確かに、そのような面はあると思います。
磯村和人(いそむら・かずひと)・中央大学教授
1965年、徳島県脇町(現 美馬市)生まれ。1983年、京都大学経済学部に入学。1987年、京都大学経済学部卒業。同年、京都大学大学院経済学研究科(現代経済学専攻)修士課程に入学。1989年、京都大学大学院修士課程修了。1992年、京都大学大学院博士課程経済学研究科単位取得退学。2003年、京都大学博士(経済学)。福島大学経済学部助教授(1992〜2002)、ビクトリア大学経営学部客員研究員(2000〜2001)を経て、2002年に、中央大学の専門職大学院国際会計研究科教授に37歳で就任。専門分野は、経営学や社会学。大学院では、主に戦略、組織変革、リーダーシップなどを教える。磯村さんの家族が管理教育と闘う日々や、兄弟が独学で東大・京大の現役合格を果たす方法をまとめたのが、『奇跡の対話教育』(光文社)。亡き父の著書である
磯村 学歴とキャリアという2つの座標軸で会社員を捉えることができます。
高学歴でキャリア形成もうまくできている人は、その意味では大きな不満はないのでしょう。一方で、学歴が立派でもキャリア形成に満たされない思いの人がいます。そして、高学歴とは言えなくとも、キャリア形成で成功している人もいますね。
この双方で、ライバル意識を持つことがあるのではないでしょうか。たとえば、「今の会社や職場、仕事はともかく、卒業大学の入学難易度は、私のほうが高い!」という人がいます。一方で、「会社や仕事などでは自分のほうが上。実力があるのはこちらだ!」という思いの人もいます。
このあたりは、「勝った」「負けた」といった意識が錯綜しているところであり、衝突を誘発しやすいのだと思います。
筆者 出版界をここ十数年見ていると、その通りです。象徴的なのが、出版社で「記者」と名乗る社員です。彼らの中には、就職活動時に全国紙を希望していた人もいます。
なかには、こんなことを話す人もいます。「大学生の頃、全国紙などに記者職(新卒の採用)として入ることができたが、あえて受験しなかった。受けていたら合格した」「自分は、大手新聞社の記者たちと同じ大学・学部を卒業している」――。
私には、就職試験という労働市場で認められなかった時点で、彼らは「競争に負けた」としか見えないのです。ビジネスは、結果がすべてですから。しかも、現時点での仕事の能力も高いとは言い難い人がいます。それでも、本人たちは競争に負けたことを頑なに認めようとしないようです。
問題解決能力の習熟度で
「中間層」が多い日本人の特徴
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磯村 おそらく、「負けた」とは思っていないのでしょう。そのような人が現れるのは、日本の社会のあり方も影響していると思います。米国と比べると、日本は人材の層の分布に特徴があります。
目立つのは、中間層が厚いことです。たとえば、16〜65歳の成人のITを活用した問題解決能力の習熟度レベル別分布(OECD国際成人力調査)の結果があります。
日米を比較すると、日本はレベルが最も低い「レベル1未満」がとても少ないのです。1ランク上がった「レベル1」になると、米国が多くなります。日本は、その上の「レベル2」が多い。最上位である「レベル3」と「レベル1未満」が少なく、この中間層が多いことに特徴があるのです。
筆者 義務教育が行き届き、高校進学率などが高いから、社会の底上げができているのでしょうね。
磯村 ITを活用した問題解決能力に限らず、日本は米国と比べると、各々の能力差が小さいと言えます。その中で競争をするわけですから、自ずと不満が生じやすいのです。
競い合う相手との差が大きい場合は、不満はあまり感じないでしょう。たとえば会社員の場合、専門的な知識などを兼ね備えた医師をライバル視することは少ないと思います。
ところが、競い合うのが会社員で、しかも同じような職業で、年齢も近いときには、状況が変わってきます。たとえ仕事のレベルやキャリアに差がついたとしても、「負けた」とは認めない傾向があるのではないか、と思います。しかし、不満は残るわけです。それを解消する1つが学歴なのではないか、と私は見ています。
負けを認めたがらない会社員が
得意とする「学歴の私的利用」
筆者 妙なライバル意識ですね。
磯村 少なくとも米国などと比べると、競争の質が相当に違う国ではあるのです。
社会がある意味で均質化し、能力差の基準が厳密に示された階層によって組織が設計されていないのが、日本の特徴とも言えます。こういう場合、「勝った」「負けた」という意識を持ったり、互いの差を感じたりすることがあまりないのです。
たとえば、私は前職(福島大学)で助教授をしていました。そのとき上にいたのは教授です。教員の間では事実上、助教授・教授の2つの階層しかありませんでした。能力やキャリアが異なる多様な人材を2つだけの階層に分けてしまうと、私自身、意識の面で大きな差を感じなくなるように思いました。
筆者 互いに圧迫感を感じないでしょうか。
磯村 それが日本的な競争力の強さとも言えるのだと、私は思います。
筆者 会社員にはなぜ、「負け」を認めようとしない人が現れるのでしょう
か。
磯村 「負け」を認めなくとも、自分を正当化することができるからではないか、と思います。たとえば、その1つが「学歴の私的利用」です。
入学難易度の高い大学を卒業した人が、自分よりも難易度の低い大学の卒業者にキャリア形成で逆転されたとします。そのとき、自分のプライドなどを守る言い訳として学歴を使うことがあるように思えます。「自分は○○大卒だから、あの社員よりも力はある。本来はもっと認められていいのだ」というように。
筆者 自分で自分を慰めるのですね。
磯村 学歴は目に見えるものですから、本人としては納得感があると感じ取っているのでしょう。社会には学歴にハマリやすい人が多数いる以上、その言い分は確かに一定の説得力を持つのです。
その逆もあります。キャリア形成などで十分に勝っているにもかかわらず、たとえば「自分は、あの人よりも入学難易度の低い大学を卒業した」と、今も負けていると思い込む人です。
筆者 「学歴の私的利用」は、社会の隅々にまで浸透しているように感じます。
磯村 学歴のスクリーニング機能が強く社会に効いている、と思います。学歴は、社会の広い範囲で、多くの人に適用でき、普遍性が高い上に、その結果が明確です。人の評価に使いやすく、他に代わるものがなかなかない。だからこそ、「学歴の私的利用」をする人が減らないとも言えます。
「学校歴の競争」で昇進・昇格が
決まる企業なんて、実は少ない
磯村 社会学者などの調査では、高卒と大卒の会社員の間で、賃金や昇進・昇格などの面で一定の差があることは、かねがね指摘されてきました。確かに、その意味での学歴格差はあるのだと思います。
しかし大卒者の場合は、どこの大学を卒業したかという「学校歴の競争」の結果で、賃金や昇進・昇格が決まる会社は少ないと私は思っています。
筆者 確かに少ないのでしょうね。一方で、卒業大学・学部で出世などが決まっていることを信じたい人もいると思います。一定のレベルを超えた大学を卒業したものの、今の自分に劣等感や不満がある人に……。
磯村 「学校歴の競争」の結果、昇進や昇格で一定の差がついたとするならば、それは心理的な要因が大きいのではないか、と思えるのです。
たとえば、東大・京大などを卒業していると、ある程度の自信を持ち、仕事などに取り組むことができる傾向はあるように思います。それが成果を生み、人事評価などにも表れるのではないでしょうか。
筆者 仕事の結果は、意識の現れとも言いますからね。
磯村 「学校歴の競争」で言えば、「○○大卒だから、〜になった」と捉えることがあります。
しかし、そのようには言えないことも多々あります。たとえば、「あの人は京都大卒だから役員になった」と見ることは、実態に即していないことがあるのではないかと私は思うのです。そのように言える場合もあるのかもしれませんが、「高い業績を残し、多くの人から認められる存在だったから役員になった」とも言えるのではないでしょうか。むしろ、そのようなケースのほうが多いと思います。
筆者 「学歴の私的利用」をする人は、その厳しい現実を受け入れることに抵抗感があるのかもしれませんね。
大学受験に失敗すると
リベンジしにくい日本社会
磯村 「学歴の私的利用」が浸透するのは、大学受験時に希望する結果を出すことができなかった場合のリベンジやリカバリーがなかなかできないことも、背景にあるように思います。
たとえば、特に文系などの大学院に進み、MBAなどを修了しても、それが社会で正しく評価されていないことも少なくありません。修士や博士号を取ったとしても、企業への就職ではマイナスになることすらあり得ます。これでは、その人の努力が報われないのです。
本来は、最終学歴で判断するべきだと私は思うのですが、必ずしもそのようになっていないのです。結局、卒業大学がある意味で「修正できない差」として意味を持つことになります。その結果として、学校歴が重視されるのでしょう。
筆者 「学歴の私的利用」にそれほどに固執する文化があるということは、キャリア形成などで不満を抱えたり、問題にぶつかっている人が多いということですね。
磯村 その意味では、日本の企業社会は厳しい実力主義なのだとは思います。
http://diamond.jp/articles/-/95199
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