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後継者として指名していたかに見えたが……〔PHOTO〕gettyimages
ソフトバンク孫社長の選択は「正解」だ〜大物経営者の引き際を考える "単なる社長"と"ゼロをイチにする社長"の差
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48978
2016年06月23日(木) 山崎 元「ニュースの深層」 現代ビジネス
■ソフトバンク「アローラ氏退任」の衝撃
驚くべきニュースが飛び込んできた。
孫正義氏が、能力と人柄に大いに惚れ込んで三顧の礼と巨額な年俸をもって迎え(前職のストックオプションの埋め合わせとして必要だったのだろうが)、事実上後継者として指名していたかに見えたニケシュ・アローラ副社長が退任するという。
報道によると、孫氏は、自分がもっと社長を続けていたいという心境になったのだそうだ。
必ずしも創業者とは限らないが、事業を新しく構築し、長らく会社の成長を主導してきたような大物経営者の引き際は難しい。
あらかじめ筆者の結論を言うと、今回の孫氏の選択は「正解」だと思う。真の大物経営者は、彼のビジネスにあっては取り替えの利かない生き物なので、体力と情熱が続く限り自分の事業に関わるのがいい。
現役でご活躍中の方が多いので具体的な名前を挙げることは控えるが、俗に言う「プロ経営者」のような人物に事業を無難に引き継ごうとすると、大物経営者にとっては物足りなく、社員から見ると頼りなくなりがちだ。
結果、そのような「プロ経営者」の応援団になってくれるのは、自分のポジションが大切な社外取締役くらいという情けない状況になって、いったん身を引きかけた大物経営者が最前線に再登場するような仕儀になりやすい。
■セブンの乱ははたして良かったのか?
先般、大いに関心を集めた、セブン&アイ・ホールディングスの「カリスマ」こと鈴木敏文会長の退任劇は、事例として興味深い。
日本人の生活スタイルを変えたという評価が過大ではないコンビニエンスストアという業態を作り、セブン・イレブンを長年主導してきた鈴木氏が、会長から身を引く必要など全くないように見えた。しかし、彼が実行したかった人事案が承認されなかった経緯をもって、突然会長職を辞することになった。
ご本人が全面的に否定しているので、決めつけるわけには行かないが、自らの次男を取締役に抜擢して、「世襲」を狙っているかのごとき憶測を受けることになったのは、彼の弱点であり、油断であった。
また、井阪隆一セブン・イレブン社長(当時)を退任させるに当たって、その理由付けには、世間的に見て無理があった。こうした弱点を、創業家に突かれて退任する心境になったというのが、今回の経緯だったのではないか。
セブン&アイ・ホールディングス全体にとって、これが良かったのかどうかは、今後の主として井阪氏の手腕と創業家である伊藤家の差配次第だろう。
いったん鈴木氏の影響を排除すると決めた以上、井阪氏を中心とする組織を作り、彼を持ち株会社のトップに据えた判断はビジネス常識的には妥当なものだが、それで事業が時代に適応して成長できるかどうかは「お手並み拝見」というしかない。
ただ、かつての鈴木氏並みの新ビジネス・モデル構築は相当に難しいのではないか。鈴木氏には自分が関わることができるだけ関わって、彼が理想とする事業像を追い求める選択肢があったようにも思う。
他方、たまたま同じ名字だが、独特のビジネスを育てた軽自動車の雄スズキの鈴木修元CEOは、燃費データの不正問題の責任を取ってCEOを返上することにしたが、代表権のある会長にはとどまり、引き続き事業を主導することを選択した。
三菱自動車が日産に飲み込まれるなど、業界が構造変化に直面しているときに、身を引くわけには行かないと考えたのだろう。ご高齢ではあるが、事業への意欲と判断力は健在のようであり、行けるところまで行くという選択肢に違和感はない。
違和感がないという意味では、ご同業の三菱自動車の相川哲朗社長は、三菱グループの「プリンス」的なお血筋ではあるが、根深い不正問題の謝罪と引き替えに首を差し出すことについては、惜しいという感じも、不自然だという感じもない。
■両者の差は何なのだろうか?
「ゼロをイチにする経営者」と「単なる社長」
ゼロからイチを作り出すようなビジネス・モデルの創造こそが、有望な事業の源泉であり、それは、追随者と距離がある分、独占的な利潤を享受できるからだ、というのがペイパルなどの創業者で有力ベンチャー投資家でもあるピーター・ティールの名著『ゼロ・トゥ・ワン』(関美和訳、NHK出版)の主旨だった。
日本では、鈴木敏文氏のセブン・イレブンがそうだし、ファーストリテイリング社・柳井正氏のユニクロなどもそうだろう。
こうした新しいビジネス・モデルの創始者のアタマの中には、新しいモデルを考えた思考プロセスの印象が残っているし、何よりも自分が作ったビジネスに関して誰よりも深く考えてきた分、そのビジネスの事情がぎっしりと詰まっているはずだ。
経済の世界で言うところのイノベーションは、「新結合」などという訳語が当てられることがあるくらいのものなので、一人のアタマの中にいつでも引き出すことができる形で詰まっている情報が多い方が、そこに辿り着く幸運を得る可能性が大きいにちがいない(イノベーションは計画的・手続き的に確実に生まれる種類のものではない)。
一見小賢くて、プレゼンテーションとジジ殺しが上手いコンサンルタント上がりのような人物の及ぶところではない。
老境に差し掛かった大物経営者は、「後継者」や自身の「高齢リスク」などを問われる場合が多い。また、判断力の衰え、成功体験への固執などが非難される場合もある。
しかし多くの場合には、中途半端な誰かに後を任せることに気を回すよりも、自分が持っているポテンシャルを使い尽くすことに注力する方が、会社のためでもあり、ひいては社会のためではないだろうか。
一つだけ言えることがあるとすれば、自分の息子や子飼いの部下などについて、「それなりのポストに就けたら、ポストが人を育てるので、きっと成長するだろう」という甘い期待を持たないことだ。自分を上回る人物が出るまで、自分が引くわけには行かない、というくらいの覚悟を持つのがいい。
ただし、これを、「ゼロをイチに変える」能力の気配がまったくない凡庸な社長にやられると、会社にとっても社会にとってもありがたくないのが大変難しいところだ。
会社と社会の双方にとって、「ゼロをイチにする経営者」と「単なる社長」を正しく区別して、適切に扱うことが重要だ。
両鈴木氏、柳井氏の他にも、日本電産の永守重信社長、信越化学の金川千尋会長など、今後の成り行きを注目したいスーパー経営者がいる。一般論として、こうした方々には、できるだけ長く活躍して欲しいものだ。
事業のスケールはやや小さくなるが、大塚家具を去って匠大塚を新たに作って古巣に挑む大塚パパこと大塚勝久氏にも期待したい。
なお、結果的に会社が傾いたり、かつて輝かしかったビジネス・モデルが陳腐化したりした場合、会社は確かに困るかもしれないが、社会はそのビジネス・モデルによって成長して、誰かがその後継となるビジネスを実らせるのだから、会社の行く末は、社会にとってはたぶんご本人が心配するほど重大な問題ではない。
忘れてはいけない。ソフトバンクの孫社長は、まだまだ若い。身を引くことなど考える必要は全くない。
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