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日本人を苦しめる「一億総ランキング社会」という病 下り坂のこの国で大らかに生きるには?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48766
2016年06月02日(木) 週刊現代 :現代ビジネス
日本人は、ひたすら坂を上ることばかり考えてきた。だが実は、坂道は上りよりも下りのほうがきつい。足をすべらせて転げ落ちないために、どう心構えをすべきか。「そろそろと」がキーワードだ。平田オリザ氏と内田樹氏が語り合う。
■若者は絶望している
内田樹 平田さんの新刊『下り坂をそろそろと下る』は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の書き出しを模した「まことに小さな国が、衰退期をむかえようとしている」の一文から始まります。原文は「衰退期」ではなく「開化期」ですが、これを読んで背筋が寒くなりました。
平田オリザ なるべく多くの人に話題にしてもらいたくて、有名な司馬さんの文章を引用したんです。
内田 「警世の書」は巷にあふれていますが、これほど穏やかな文体のものは読んだことがありません。だからこそ怖い。平田さんの静かな口調からは逆に、「もう崖っぷちまで来ている」という危機感が伝わってきます。
平田 多かれ少なかれ、日本人は「もう日本は経済成長しない」と感づいています。この事実を受け入れることは辛いし、寂しいことですから、耐えきれずに「日本は世界一優れた国だ」と言い募る人や、中国・韓国を罵倒する人も現れている。
現実をきちんと直視して、滅びに向かう「下り坂」を少しでも緩やかにするために何をすべきか。それを真剣に考えざるを得ないほど、日本は危機に陥っていると感じます。
内田 '11年の東日本大震災の直後には、私を含め多くの人が「もう今までのようなやり方は通用しない。これからは物質的な豊かさより、皆で助け合って穏やかに暮らそう」という方向にシフトすると思った。
でも、全然そうならなかった。むしろ、今となっては3・11も「なかったこと」にされているのではないか、と思うほどです。
この「3・11を忘れる」という流れの中で、日本人の思考停止が急激に進んだような気がします。不愉快なことは聞かない、見ない、考えない。でも、それでは、現実の困難さを分析し、対処することはできません。
平田 私は大学の教え子や、演劇をやっている若者と話す機会も多いのですが、彼らはすっかり絶望しています。「東京五輪が終わったら、日本はどうなるんですか」と真顔で聞かれるんです。
その東京五輪にしたって、エンブレムや新国立競技場で、大人たちがあんな茶番を繰り広げている。
今の若者はバブルを知りませんし、アベノミクスに期待してもいませんが、「そうは言っても、日本はちゃんとした国だ」と思っていたわけです。約束を守り、計画を実行できる国だと。
でも、そうではないということが明らかになってしまった。「自分たちの国はこんなにひどかったのか」と、自信を失っています。
■戦争を期待する財界人
内田 安倍総理は「これからも右肩上がりの成長が続く」と口では言うけれど、本人も、もう自分の言葉を信じていない。
若者が失望しているのは、日本がどんな難局に直面しているかについて、指導者たちがウソをついているからです。安倍総理や日銀の黒田総裁の様子を見たら、「こんな白々しいウソをついて隠し通さなければならないほど、日本は危機的なのか」と普通なら思うでしょう。
平田 正直に言ったら、選挙で負けますから。実際、ある政治家に「もう経済成長はムリですよね。何でそう言っちゃだめなんですか」と聞いたら、「それで選挙に勝てますか」と言われました。
本の中でも触れましたが、かつて日本人は、「日本は小国である」と、ちゃんと身の丈を知っていた。
私は'62年生まれですが、親や先生から「日本は小さくて弱い国だ」と教わって育ちました。「たとえGDPが世界2位になっても、日本には資源がないんだから、教育をしっかりやって、貿易で頑張っていくしか生きる道はないんだよ」と。
内田 私が子供の頃は、親に「何か買ってくれ」とねだっても「ダメ」と言われる。「どうして」と食い下がると、「貧乏だから」。さらに「なんで貧乏なの」と聞くと「戦争に負けたからよ!」と言われましたね。
平田 でも、貧乏だったけど「明日は絶対に今日より良くなる」と大抵の人が思っていた。
内田 何しろ、幸・不幸の比較対象が戦争ですからね。兵隊に取られたり、空襲で逃げ回ったり、食べ物がなくて飢えた経験と比べれば、「前よりずっと良くなった」と誰でも言いますよ。豊かさっていうのは物質的な豊かさだけじゃありませんから。
平田 それが今や、若者たちが「このままでは再び戦争が起きるのではないか」という心配までするようになっています。
内田 それは正しい直感だと思います。グローバル資本主義が成長の限界に達した時、さらに成長を目指すなら、もう戦争しか手立てがないんです。戦争が起これば、建物も道路も鉄道も上下水道も、生活に必要なものはすべて破壊され、作り直さなければいけない。だから、戦争した国は急激に経済成長できるのです。
国土を破壊し、国民を殺してカネを儲けるという倒錯した発想ですが、ビジネスマンは本気でそれを考える。ある財界人が「どこかで戦争でも起きてくれれば」と漏らしたそうですが、これは彼らの本音でしょう。
TPPも「経済効果14兆円」といいますが、これも国民がこれからまだ何百年、何千年と使い続けるはずの「手を付けてはいけない」自然や伝統文化を当座のカネに換え、短期の経済浮揚効果を狙うだけのものです。
この状況に抵抗するために、平田さんは「文化を守らねばならない」と書かれていますね。
■少子化の本当の理由
平田 橋下徹さんが大阪府知事だったとき、貴重な本をたくさん所蔵していた大阪府の国際児童文学館を廃止しました。
当時、周囲の人たちは橋下さんに「絵本を読み聞かせることが子供たちにどれほど大事か」を説明したんですが、橋下さんは「オレは読み聞かせなんてされたことがない」と聞く耳を持たなかった。そういう文化に愛着のない人たちが政治の中枢にいて、日本の持っている有形無形の資産を切り売りしているわけです。
内田 愛着がないどころか、彼らは文化を憎んでいるように見えます。橋下前市長は、大阪が世界に誇る伝統文化である文楽を、「カネにならない」という理由で執拗に攻撃していましたから。
平田 もうひとつは、今東京の大学に通っている学生たちは、ほとんど富裕層の子弟なんです。中高一貫校出身の子も圧倒的に多い。
その学生たちに、例えば授業でホームレス支援のことを話すと、関心を持つ子は多いんですが、実感がない。生まれてこのかた、周囲に貧乏な家の子が一人もいなかったからです。中には「ホームレスなんか自己責任でしょう」とあからさまに言う学生さえいます。
私はそういう学生に、どうにかして実感を持ってもらおうと、「子育て中のお母さんが、昼間に子供を保育所に預けて芝居や映画を観に行っても、後ろ指を指されない社会を作る」というスローガンを考え、今回の新刊でも中心に据えました。文化の格差が広がっていることも、深刻な問題として取り上げています。
内田 「身に付いた文化や教養の有無で所属する社会階層が決まる」という実感が、まだ日本人には乏しいのかもしれません。
英・仏のような階層社会では、階層ごとに身に付けている文化が違います。言葉づかいも服装も、マナーも趣味も違う。貧乏人が高尚な文化にアクセスすることは禁じられています。
パリのイスラム系移民の子供たちは、図書館も美術館も書店もないところで生まれ育つんです。文化を身に付ける機会そのものがないから、文芸や美術や音楽の才能があっても、それに気づくことさえできない。
日本もそんな階層社会に向かいつつあるということでしょう。貧困層を制度的に差別するのではなく、文化に触れる機会そのものを奪うことで、自動的に社会の最下層に釘付けにするような仕組みができつつあります。
平田 少子化が進み、恋愛が苦手な若者が増えていると言われて久しいですが、これも日本から文化が失われていることと関係があると思うんです。
最近、門外漢の私に「少子高齢化について何か話してくれ」と依頼する方が増えているのですが、私はいつも「『若者が減ったからスキー客が減った』と言うけれど、それは違う。『スキー客が減ったから若者が減った』のだ」という話をします。私たちの世代までは、スキーは若い男が女の子を一泊旅行に誘う格好の口実だった。これが減ったら当然、少子化は進みますよね。
平田 スキーはもちろんひとつの比喩ですが、他にも男女の出会いの場でもあった、街の古本屋さんや喫茶店やライブハウスといった場所が、どんどんなくなっています。その一方で、自治体が慣れない婚活パーティを開く。そもそも「婚活パーティです」と言われた時点で、若者は行きたくないのに。
内田 恋愛は「何だか面白そうな人だな」「もう一度会って、もっと話したいな」という漠然とした直感に導かれて始まるものです。学歴だの身長だの年収だのというデータで探すものじゃない。
平田 それに、昔は学校をサボって雀荘に入り浸ったり、タバコを吸っている不良の高校生が進学校にも必ずいたものですが、今は皆無です。不良文化がかっこいいという意識もありません。
地方では、高校も普通科・工業科・商業科と偏差値できれいに輪切りになっていますから、「お嬢様が不良に恋をする」ということも起こり得ない。
内田 昔の高校生がすぐに不良っぽくふるまったのは、端的にその方が「もてた」からです。お坊ちゃんも不良少女に恋をした。そういう階層間交流の感情があったんですよね。それが、「平等な社会」という雰囲気にも多少は貢献していたと思います。
■不満ばかりを抱かずに
平田 「下り坂をそろそろと下る」というのは、要するに「下り坂を大らかな気持ちで下る」という意味なんです。サボったり迷ったり、時には人生を棒に振るかもしれないけれど、バカなことをやってみる。そういう人を、世の中のほうも切り捨てちゃいけません。
内田 今の日本で求められているのは、そういう大らかな人生経験とは正反対の、精密な「査定」です。野心や才能がある若者ほど、「自分の能力がどれくらいの市場価値を持っているのか」「オレは同学年で何位か」を知りたがる。
これは、社会全体が「格付けの高い人には多くの報酬を与え、低い人には何も与えない」のがフェアだと信じ込んでいるせいです。この「格付けに基づく資源分配主義」は、もはや信仰です。
平田 私も日本人ですから、特に外国と比べれば、やっぱり日本は安全で住みやすい国だと思います。だから、日本がイヤだということではなくて、むしろ「日本はいい国なのに、なぜ最近の日本人はこんなにたくさん不満を抱くようになったんだろう」と不思議なんです。
それはやはり「無理やりにでも経済成長しなければいけない」とか、「誰かが得をしているときは、自分は損をしている」といった強迫観念が染みついているからでしょう。そこから逃れる術を見つけなければなりません。
下り坂を下るのは、確かに辛いことかもしれない。でも、下り坂から眺める風景にも「坂の上の雲」とは違った味わいがあると、私は思います。
「週刊現代」2016年6月4日号より
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