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マツダの初代ロードスター
「中古車で十分」の先に起こる日本の不幸化
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160530-00000024-zdn_mkt-bus_all
ITmedia ビジネスオンライン 5月30日(月)8時6分配信
この連載の重要なテーマは日本の自動車産業のゆくえである。クルマが売れる、売れないの話は、日本経済がもっと強くなるためにはどうしたらいいのかという視点で書いているつもりだ。当然それは企業だけが儲かればいいという話ではなく、国民全体が豊かで幸せになることへとつながっている。
もちろん読者の個人個人に同じ視点の持ち方を強要するつもりはないから、そこは自由に読んでいただいて構わない。ただ新車の売れ行きの話をすると非常に多く目にするコメントがあり、ちょっと気になっているのだ。
●低所得時代のクルマ選び
「新車なんて買えない。中古車で十分だ」
それは、日々生きていく中で、高いリアリティを持つ言葉だと思う。正直な話、筆者も個人的に同感なのだ。中古車で十分。というより、それがベターな選択肢だと思う。何よりもない袖は振れない。選択肢がないのだから仕方がない。
会社員として生きていくとしたら、毎年のベースアップが当たり前という時代はもう失われて久しいし、むしろ会社の業績いかんによっては給料が下がる心配をしなくてはならない。転職しようにも、給料が上がるのはどんどん限られた層のものになっている。今や給料が増えるどころか、何かあって会社を辞めざるを得ないとき、経験を生かした転職ができるだけでも恵まれた人だと言える。未来に対する安心材料はいっこうに増えていく気配がない。
「閉塞した状況を打破するためには起業しかない。アニマルスピリットを持ってチャンスをつかめ」という声は常にある。日本という国の活力や競争力を考えたとき、この国には起業家がまったく足りてないというのも事実である。だから起業して成功した人はヒーローのようにもてはやされていたりする。
しかし、実態としてその成功率がどんなものかと言えば、起業1年後の生存率が40%。5年後は15%。10年後は6%。20年後になるとわずか0.3%に過ぎないと言われている。実はこの数字、国税庁の2005年調査だということであちこちで引用されているが、元ソースがどうやっても見つからない。筆者も散々探したが、同じように困っている人が見つかるのみだ。しかしながら、税理士などの現場を見ている人たちの実感として概ね正しそうだという声もあるので、一応信用することにすると、起業した1年後には半分は敗者になっているし、10年後の生存率は1割を割り込む。この数字を見て起業に挑もうとするのは酔狂だ。
つまり、収入増をアテにした作戦はどうやっても立てられない。となれば、現実的な対応策は出費を減らす以外にない。企業経営でもそれは同じだ。売り上げアップや高付加価値化は常にミズモノで、成果が出るかどうかはやってみるまで分からない。やれば必ず成果が上がるのはコストダウン、つまり出費の抑制だ。企業も人も、お金を使わないことこそが最も確実な「負けない方法」なのである。だから出費を抑えるという意味で「中古を買うのは正しい」のだ。ギャンブル的要素もあるので、一概には言えないケースもあるが、それはまた別のテーマとして書くことにする。
●キーワードは合成の誤謬
さて、節約は堅実な戦法であるとして、皆でやるとどうなるだろうか? 経済の世界には「合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)」という言葉がある。部分の最適化が全体最適と相容れないケースの話だ。例えば、映画館で火事が起きたとしよう。個人の生存を考えればできるだけ早く逃げ出すことが正しい。最初に脱出するのと、最後に脱出するのではリスクが違う。だから個人の最良の選択肢は「誰よりも先に逃げ出す」ことになる。しかし、全員が同じことを考えれば、狭い出口に人が殺到し、将棋倒しになって誰一人助からないということも起きかねない。こうした場合に全体最適化をするためには退出順序を決め、全体の効率を上げて「最後の人を最も早く脱出させる」方法を考えることだ。
日本人はこういうことが比較的得意である。例えば、電車の乗り降りの際、降りる人を優先して左右に分かれて出口を広く開け、降りる人の退出を最速化することが、結局は乗り込む人が最も早く乗れる方法だということをほとんど誰もが知っていて、駅員が整理を行わなくても自然にフォーメーションが実行されている。世界的にも恐らくは希なことだと思う。仮に単語としては知らなくても、日本人は合成の誤謬を実践レベルで知っているのだ。
こうした合成の誤謬の観点から冒頭に記した中古車購入の話を見たらどうなるか? それはもう言うまでもないだろう。新車が売れなくなってメーカーの業績が下がる。業績が下がるからサプライヤーを含めた自動車産業従事者の給料が下がる。労働人口の10%を占めると言われる自動車産業従事者の所得低下は消費を押し下げてほかの産業の業績も下げることになる。こうして国民大部分の給料が下落すれば、より中古車指向が強まっていき、そのスパイラルは再度日本を深いデフレの淵へ飲み込んでいく可能性があるのだ。
個人の判断としては正しい「消費の抑制」が、合成の誤謬によってさらなる個人経済の悪化に循環的につながってしまうのである。ここで「だから個人がお金を使わなくてはいけない。新車を買え」という結論を出すのは短絡的に過ぎる。全員がそうすれば確実に状況は変わるが、気の早い人だけが頑張って新車を買ったとしても、多数派が追随しない限り結果は変わらない。結果として全体最適化につながらなければ、個人的判断の間違いになるだけのことだ。
●出口はあるのか?
こういう状況だから出口は簡単ではない。ほかの指標を見ても分かるのだ。これだけ税収が足りないと言いつつ、なぜ国の借金が増え続けていくのか納得がいかない人は多いだろう。それはこういうことだ。個人が消費を抑制し、企業がコストダウンをして内部留保を貯める。それは金融機関にどんどん貯め込まれる。貯め込まれたお金には当然金利が発生するので、銀行は何か運用しないわけにはいかない。
個人も企業もお金を使う気はないので、国に使ってもらうしかない。もし誰も使う人がいなければ預金金利を払えず銀行が潰れるのだ。それは銀行という企業の問題ではなく金融システムの崩壊だ。となれば国が国債を発行するしかない。そして国債を発行して財源を用意してしまった以上何かに予算を付ける。そうやって「国民の借金」が増えていく。
生活者としての実感と正反対の話だが、今世界中で起きている現象は「金余り」だ。だから日本は国債残高がどんどん増えていくし、余ったお金の運用先を求めているから、常に世界のどこかでバブルが発生することになる。
という遠回りをして、ようやくクルマの話に戻る。「新車が売れないと言ったって、それは中古車が使い物になる間だけでしょ?」という人もいる。それはその通り。機械である以上寿命があるので、中古車はやがて淘汰される。その間新車が売れなければ、未来の中古車の供給は減り、中古の競争率が高くなる。新車と違って相場商品である中古車の受給が引き締まれば、中古車がどんどん値上がりすることになり、価格差がなくなって新車の売れ行きが戻るのだ。だから一時的なものに過ぎないという見方は正しい。
しかし、企業経営というのはそういう波に弱い。「要らない」と言われて新車生産を調整してきたところで、突然新車が売れるようになっても生産量には限界がある。ましてや「要らない」と言われている間に生産設備自体を処分してしまう場合だってある。
そうなればもう簡単には元に戻れない。財の生産装置としての自動車メーカーを健全に維持していくためにはコンスタントな需要があることが理想なのだ。働いている人だって「来年給料を倍払うから今年は無給で働いてくれ」と言われたら干上がってしまう。企業も同じだ。
「中古車で十分」という言葉の向こうにはこういう問題が横たわっているのだ。マツダ・ロードスターなどはこの問題に直面していると言っても良い。初代NA型以来、最新のND型まで、クルマとしての本質的価値は変わらない。変わらないということは素晴らしいことだが、ユーザー側にしてみればどうしても新型を新車で買わなければならない理由は乏しい。ロードスターの最大の敵は旧型ロードスターなのだ。
価格も程度も幅広く、選り取り見取りだ。しかし、あまりにも多くの人がそういう合理的な判断をすると、25年続いたロードスターの歴史が途絶えてしまう。中古のロードスターを合理的に選択しておいて、いざ「NE型は出ませんでした」となったとき、「あんな名車の生産を止めてしまうなんておかしい」と叫んでも後の祭りである。
さてこの話、処方せんは何もない。こうすればそうならないという方法があるわけではないのだ。個人としての合理的選択を否定したら自由経済が立ちいかない。だからただ1つ、合理的選択をするときに合成の誤謬という視点を思い出してほしい。そういう考え方があるということを多くの人が知ったら、消費の仕方が変わるかもしれない。
なぜなら電車の乗り降りだって同じだからだ。誰か一人だけ脇に避けても、効率は改善せず、その人の乗り込む順番が遅くなるだけだったはずなのだ。しかし、日本人は多くの人のマナー向上という方法で、全体最適を実現して見せているのである。救いがあるとしたらそれは知恵だけなのだ。
(池田直渡)
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