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(写真はイメージ)
「ヘリコプターマネー」をコントロールする ヘイス氏や浜田氏の議論に反対する
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46860
2016.5.19 アデア・ターナー JBpress
(パリより)
世界経済の行き詰まりに直面して、元アメリカ連邦準備制度理事会の議長ベン・バーナンキ氏や、カリフォルニア大学バークレー校の経済学教授ブラッドフォード・デロング氏をはじめとする評論家の多くは、「マネーによる積極財政」を政策の候補に含めるべきだと論じている。
しかし、新札発行によるいわゆる「ヘリコプターマネーのばらまき」論は強い反論を受けている。反対論者の中にはアリアンツのチーフ・エコノミストであるマイケル・ヘイス氏や、安倍首相の特別経済顧問であり日本経済再生計画「アベノミクス」の立案者の1人である浜田宏一氏などがいる(参考「天からの新札?」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46783)。
私はヘイス氏や浜田氏の議論には反対であるが、中心となる課題に彼らが正しく焦点を当てているのは確かだ。中心となる課題というのは、通貨金融の方策としての通貨発行が過剰に行われることで招かれるリスクである。
ここでの重要な問いは、我々がそのリスクからの防衛手段としての規律と責任を制度化できるかということである。その問いに私はイエスと答える。そして私は、政策案が「通貨発行を行わないこと」ではなく、「適切な規律でコントロールできない通貨発行を行うこと」になる国もあると考えている。
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私が最近IMF(国際通貨基金)の調査資料で論じていることであるが、(私が資料で論じた)テクニカルな局面においては、通貨発行の問題を争う余地はない。通貨発行は、たとえ、国債での資金調達・マイナス金利政策といった他の政策が功を奏さないときでも、常に名目需要の刺激剤になる政策の1つである。そして、通貨発行が名目需要に与える影響力は原則として測定可能である。少額であれば、生産高や物価水準に対する潜在的に有益な刺激剤になるし、多額であれば、過度のインフレを引き起こす、というように。
これによって私は「ヘリコプターマネーのばらまき」計画遂行のための重大な問題を否定しているわけではない。もし貨幣発行によって公費が増加するのではなく減税のための資金源ができるのだとしたら、その影響力は消費者がどの程度、貯蓄分に対して消費をするか次第である(つまり安定しない消費者の貯金残高次第である)。
加えて、中央銀行による通貨発行によって民間銀行の準備金が増加するために、融資額が当初は少しずつ、その後急激に増加する、というリスクがある。
しかしこういった問題はただ、連鎖的に起こる波及効果を制限するための、通貨発行の規模や政策の慎重な実行(例えば法定の準備金要件など)に対して注意深いアプローチが必要だということを議論しているに過ぎない。
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「ヘリコプターマネーのばらまき」に関する唯一の有力な反論は、ヘイス氏や浜田氏が強調している点、つまり、行き過ぎた通貨発行による政治的リスクだ。
もし通貨発行が禁止されないとすると、政治家は有権者の機嫌を取るために、または選挙前の経済に強い刺激を与えるために通貨発行政策を実行するかもしれない。浜田氏は奇妙なことに、通貨発行政策の主唱者たちがこのリスクを顧みないと示唆している。しかし、私がIMFの調査資料で論じているように、また、バーナンキ氏の最近のブログでの投稿にも書かれているように、このリスクは「ヘリコプターマネーのばらまき」論における中心的な課題だ。
歴史上、ワイマール共和政時代のドイツに始まり、政府が中央銀行に多額の財政赤字を負担させてきた新興国経済に至るまで、高インフレをもたらす数々の行き過ぎた通貨発行が見られてきた。そこで、たとえ通貨発行が最善の政策だとされる状況下においても、行き過ぎた通貨発行のリスクが高いために全面的に禁止されるべきだ、という議論が起こる。この議論は確かに妥当だ。
しかし、妥当な議論が常に説得力があるとは限らない。結局、需要の伸びを下支えする他の政策も、どのような政策を実行するにあたっての失敗も、等しくリスクがある。ワイマール共和政を崩壊に追い込んだのは、ハイパーインフレではなく、デフレだったのだ。1932年にヒトラーが選挙を突破したとき、ドイツは急激な物価下落の真っただ中にあった。
そして、政策案が好ましくない副作用を持つ状況も生じるだろう。今日の問題の根本的要因は、2008年より前に起こった、民間部門の行き過ぎた与信拡大であった。もし我々の突破口が、急激な信用拡大を再び刺激するに足るマイナス金利くらいしか存しないならば、我々は過去の過ちを繰り返す運命にある。
そしてまた、我々が行き過ぎた通貨発行の政治的リスクを最小化するための規律と責任を制度的に構築できないというわけではない。例えば、バーナンキ氏の提案によると、独立した中央銀行が「通貨発行が明確に定義されたインフレ目標を達成するために必要である」と考えた場合には、中央銀行に最大額の通貨発行を許可する権力を与えるべきとされている。
もちろん、反対論者は、新制度について慎重な「危険な坂道」論で反論し、全面禁止のみが、規則を緩める政治的圧力を防ぐためのぎりぎりのラインであると論じるだろう。
そして、近年、行き過ぎた通貨発行を経験した国においては、このような議論が起こるのもやむを得ない。例えばいまだ多額の赤字財政の政治的圧力の中で、インフレを食い止めようと苦闘しているブラジルなどである。
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しかしもし欧州中央銀行やイングランド銀行、アメリカ連邦準備制度理事会が、単独で最大額の通貨発行を許可することができたら、これらの機関の独立が不可避的に侵害されることはないだろう。
中心的な課題は、通貨発行をコントロールできる適切な規律を制定し、維持するだけの信用が政治制度にあるかということだ。浜田氏は、1930年代初頭に日本経済を不景気から立ち直らせるために「マネーによる積極財政」の手法をとった高橋是清蔵相の例を引用する。高橋蔵相は、いったん適切な生産高と物価水準向上の状態が戻ったところで金融政策を引き締めようとしたのだが、帝国拡張のために制約のない通貨発行をしたがった軍国主義者に暗殺された。
しかし、この出来事が通貨発行の固有のリスクを表す好例だとする浜田氏の推論には説得力はない。かつてのドイツと同じように、引き続くデフレによって、日本の憲法制度は破壊されている。そしてもし高橋蔵相が経済をマイナス金利政策で刺激し、後にこの政策を方向転換させようとしていたとしても、彼も同じ結果に終わっていたであろう。
強い反民主主義勢力に直面したとき、通貨発行の禁止によって民主主義や法治主義を守ることはできない。しかし、規律ある適切な通貨発行は、デフレのリスクに対抗することができ、民主主義を守る助けになることもある。よって、通貨発行を禁止するよりも、我々は、通貨発行政策が確実に責任をもって使われるようにするべきである。起こりうる政策案は、「通貨発行をしない」のではなく「遅すぎる通貨発行」や「節度のない通貨発行」である。
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今日の日本はリスクの好例となっている。通貨発行をあまりに長い間回避したせいで、日本にはGDPの2.5倍にもなる多額の公債があり、この公債をすべて貨幣化すれば、おそらく過剰なインフレが起こるだろう。しかし、この公債が通常の意味で「返済」されるという確かなシナリオはない。通貨発行を政策として選択するのを拒みながらも、日本銀行が毎月、政府が発行するよりも多くの株式を買い取るという方法で「事実上の貨幣化」を行うことは結果として避けられないだろう。
もし日本が2003年のバーナンキの忠告に従って適切な「マネーによる財政」刺激策をとっていれば、今日の日本の物価水準は多少高くなっていたであろうし、GDPに対する債務の割合も低くなっていただろう。忠告に従わなかった日本が今とるべき方法は、累積債務の部分でも貨幣化するという避けられない事態をできる限りうまくコントロールするための、明確な規律と責任を規定するということだ。
日本に学ぶ教訓は明確だ。そしてこれは日本に限った教訓ではない。通貨発行を全面禁止して未来により多くのリスクを積み上げるよりも、通貨発行のテクニカルな局面であることを認識し、政治的リスクを最小化するべきだ。
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