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ゼロからわかる「奨学金問題」 〜負担すべきは、国か、親か、本人か 対立する“3つの教育観”
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48628
2016年05月17日(火) 小林雅之 現代ビジネス
■社会問題となった奨学金
奨学金をめぐる議論がここ数年、かまびすしい。一方で、日本学生支援機構奨学金の回収が厳しいというキャンペーンが張られ(奨学金問題対策全国会議など)、他方で、2016年3月には新しい制度として、「所得連動返還型奨学金返還制度」の導入が決定された。
こうした中、特に最近は、「給付型奨学金」の導入が焦点になっている。これについては、「日本には大学生向けの公的な給付型奨学金がないので、創設せよ」という主張と、「諸外国とは国情が異なるので、他国と比較するのはいかがなものか」(麻生太郎財務大臣の2016年3月28日の参議院予算委員会での答弁)という対立がある。
この対立は、単に給付型奨学金についての見解の相違ではない。背景には、教育費の負担をめぐる考え方の相違がある。それは、教育観の相違でもある。
現在は、この教育観の相違によって、意見が分かれているといっていい。この問題は根深く、教育観ひいては社会観の対立に起因していると言えるのである。
■教育費負担の考え方
それでは、教育費負担の考え方、その背景にある教育観とはどのようなものであろうか。ここでは、大きく、教育費負担について、3つの考え方に分けてみたい。
教育費負担は主として次のように分けられる。まず第1に公的負担か私的負担か、第2に私的負担は民間負担か家計負担か、第3に家計負担は親負担か子(学生本人)負担か、といった区別である。
民間負担には、企業、慈善的(寄付、財団など)負担もあるが、その割合は高くない。したがって、教育費の負担は、公的負担、親負担、子(本人)負担の3つが主なものである。
実際には、多くの国ではすべて1つの負担というよりこの3つの負担を組み合わせている。
図1:GPDに占める高等教育の負担割合(OECD Education at Glance 2015)
現状では図1のように、GDPに対する高等教育費の公的支出の割合で、OECD諸国の中でも日本は最低水準にある。これまではこのことが高等教育費の公財政支出を求める根拠とされてきた。
しかしこれだけでは論拠として十分ではない。日本の公財政の負債は、GDPの2倍を超え、主要国の中でも最悪である。こうした状況の中で、単に高等教育費の増加を主張しても、財政当局からは「無い袖はふれない」という回答しか返ってこない。さらに、国民は高等教育費の公財政負担を求めていないという主張がつけ加えられる。
■3つの教育負担と教育観
国際的に見ると、教育費の負担については、図2のように、先に見た3つの考え方があり、それは教育観の相違が背景にある。
図2:3つの教育観と高等教育費の負担割合
第1に、教育費の「公的負担」は、「教育は社会が支える」という教育観に根ざしている。これを教育費負担の「福祉国家主義」と呼ぶこともできよう。スウェーデンなどの北欧諸国で広く見られる考え方である。
第2に、「学生本人負担」は、教育は個人のためであるという教育観が背景にある。これは、教育費負担の「個人主義」と呼ぶことができる。アメリカやイギリスやオーストラリアなどアングロ・サクソン諸国で広く見られる教育観である。
これは、自己責任という考え方であり、教育は個人の責任であるから、教育費は学生本人が負担することになる。といっても学生本人はほとんど稼得力はないから、在学中はアルバイトや貸与(ローン)で学費や生活費をまかない、卒業後にローンを返済することになる。
第3に、教育費の「保護者負担」は、親や保護者が子どもの教育に責任を持つべきだという教育観が背景にあり、教育費負担の「家族主義」と呼ぶことができよう。日本・中国・韓国などで強い教育観である。
■公的負担から私的負担、親負担から子負担へ
もちろんこれらは理念的な捉え方で、現実には各国ともこの3つの負担方法が混在している。特に最近では、公的負担から私的負担、親負担から子負担へと移行している傾向にある。
この背景には、福祉国家主義を貫く北欧諸国などを除けば、大学進学者が増加するのに対して、いずれの国も公財政が逼迫しており、教育費の公的負担が難しくなっているという事情がある。
このため、私的負担を求める国が多くなっている。しかし、授業料を高額にして、家計負担を重くすることは、教育機会に悪影響を与える恐れが強い。
つまり、ただでさえ無理して教育費を捻出して我が子を進学させている低所得層にとって、これ以上の負担は難しい。
図3のように、家計可処分所得に対する授業料の比率は、国立大学・私立大学とも増加傾向にあり、これ以上の負担を家計、とりわけ低所得層に求めるのは難しくなっている。これに対して、ローンやアルバイトで教育費をまかない、卒業後にローンを返済するという自己負担を採用する国が増えてきたのである。
図3: 家計可処分所得に対する授業料の比率の推移
現在の給付型奨学金に対する立場は、家族主義+個人主義+福祉国家主義の3つの教育観が混合したものである。ただ、その比重が異なる。伝統的には、家族主義であることは共通しているが、それに対して、福祉国家主義の方向に向かうのか、それとも個人主義(自己責任)かで大きく分かれているようだ。
日本では、伝統的に家族主義の教育観が強いため、教育費も親が負担するのが当然であるという考え方が続いてきた。
図4のように、高等教育費の家計負担割合は、チリに次いで2番目に高い。このことが、裏を返せば、教育費を公的に負担することはないという考え方に結びついている。
図4:高等教育費に占める家計負担の割合(OECD Education at Glance 2015)
特にすべての者が進学するわけではない大学の教育費については、私的に負担すべきだという考え方が強くなることになる。このため、これまで公的給付型奨学金の創設が見送られてきたということがあると思われる。
これに対して、給付型奨学金は、貧困の連鎖を打ち切るための福祉政策であるという考え方は、福祉国家主義の教育観である。ここでは、教育機会の均等のため、経済的な理由で進学できない個人や家族に対して、支援を行う福祉的な施策として給付型奨学金が位置づけられる。
しかし、最近では、アメリカの影響を受けて、伝統的な家族主義に対して、個人主義的な教育観がかなり主張されるようになった。この考え方では、奨学金は現行のようなローンで十分であり、給付型奨学金は必要がない、あるいはきわめて限定的なものに留めるべきだということになる。
さらに、限定の方向は、メリットベース(スポーツや学業などの優秀者)を対象とするべきであり、福祉的なニードベース(経済的必要度)に応じたものは、極力少数に留めるべきだと考えられる。
個人主義の場合には、経済的な理由で進学できない個人や家族に対して、支援を行うという点では福祉国家主義と同じであるが、あくまでフェアな競争という考え方による。
つまり、進学のための競争や卒業までの学習にハンディキャップを負うことは、フェアな競争ではない。学費や生活費の調達のためにアルバイトなどを過多にしなければならないとしたら、ハンディキャップを負うことになるからだ。
したがって、その場合に経済的な支援を通じてハンディキャップを解消することは重要だが、給付である必要はなく、ローンで十分ということになる。これが、日本の公的奨学金がローンであり続けている背景にあるもうひとつの考え方だと思われる。
しかし、ローンに依存することは、卒業後のローン負担や回避という問題を生じさせる。
重いローンの返済を避けるために、ローンを回避して、進学先をたとえば、生活費のかからない自宅からにする、あるいは、4年制大学ではなく、2年制の短期大学や専門学校に進学するというような進路選択をする、ひいては進学そのものを断念することが、各国でみられるようになり、大きな問題となっている。
所得の低い人ほど、ローン回避する傾向がある。私たちの調査でも図5のように、低所得層ほど「将来の返済の負担を恐れてローンを借りたくない」というローン回避傾向があることが明らかにされている。
また、私たちの調査による推計では、毎年、高卒後進学しなかった者のうち、約6〜7万人は「給付型奨学金があれば進学したい」としている。こうした者は、進学を断念することにより、結果として十分な所得が得られないことになる可能性が高い。
図5:所得階層別ローンを借りない理由(高校生保護者調査2012)
■所得連動返還型奨学金と給付型奨学金
これに対して、給付型奨学金が最も望ましい学生への経済的支援の方法であることは言うまでもない。
しかし、給付型奨学金は財源が常に問題となる。それに対して、最近オーストラリアやイギリスあるいはアメリカが導入しているのが所得連動型ローン返済制度である。この制度は、奨学生本人の卒業後の所得が低いと返済額が低くなるため、返済の負担が少ないというのが最大のメリットである。
しかし、このことは裏を返せば、低所得層は返済額が低くなるため、生涯かけても返済総額を返済しないケースが出ることを意味する。つまり、所得連動返済型は、未返済(デフォルト)の可能性を内在している制度である。このため、この未返済額に対しては国庫負担が必要である。
日本でも3月、私が主査を務める文部科学省の所得連動返還型奨学金制度有識者会議は、日本学生支援機構第一種奨学金について「新たな所得連動返還型奨学金制度の創設について(第一次まとめ)」をとりまとめた。
この案は、図6のように課税所得がゼロ(年収約117万円)の場合には2,000円、それ以上の場合には課税所得の9%を返還年額とするというものだ。
最も奨学生数の多い私立自宅生の場合、従来の返還月額は、14,000円である。これが2,000円からと大幅に引き下げられる。年収約410万円までは、これまでの返還月額より低くなり、負担は大幅に軽減される。とりわけ20代、30代の若年層や非正規雇用者などは所得が低く、この制度の恩恵を受けることができる。
図6:新所得連動型奨学金返還制度(第1種私立大学自宅の場合)
出典:文部科学省「所得連動型返還型奨学金制度有識者会議「新たな所得連動返還型奨学金制度の創設について(第一次まとめ)」。
このように所得連動返還型は、所得が低い場合には、返還総額を返還しない場合があり、その点では、給付型の要素を持っているといっていい。しかし、現在さかんに俎上にのぼっている給付型奨学金は、所得連動返還型だけでは解決しない低所得層の進学を支援するための制度であり、似て非なるものである。
所得連動返済型は、卒業後の本人の所得によって、返済額が決定される。これに対して、給付型奨学金は、一般に進学時や在学時の経済的困難に対して支援するものであり、本人の家計(一般には親や保護者)の所得が基準となる。低所得層で貸与総額をすべて返還できなければ、その残額は実質的には給付型奨学金となる。
しかし、低所得層は所得連動型奨学金だけでは、高い学費と生活費すべてカバーできず、進学や生活が困難である。特に、貧困が深刻な生活保護やひとり親家庭、児童養護施設出身者あるいは家計急変者(親や保護者の死亡、リストラなど)などについては、所得連動型奨学金だけでは明らかに不十分であり、給付型奨学金が必要である。
しかし、給付型奨学金は、渡しきりになるため、納税者の理解を得ることが何より重要になる。とりわけ、誰が誰に支給するのか、つまり支給主体と受給主体を明確にする必要がある。そのためには、何のための奨学金か、その理念を明らかにすることが求められる。
現在、政府や各党で検討されている給付型奨学金では、それらをどこまで具体的に示すことができるかが問われているのである。
小林雅之(こばやし・まさゆき)
東京大学大学総合教育研究センター教授。東京大学大学院教育学研究科満期退学、博士(教育学)。日本学術振興会奨励研究員(東京大学教育学部)広島修道大学人文学部講師同助教授、放送大学教養学部助教授、東京大学大学総合教育研究センター助教授をへて現職。著書に『大学進学の機会』(東京大学出版会)、『進学格差』(筑摩書房)、『教育機会均等への挑戦』(東信堂、編著)など多数。
誰もが進学可能な印象とは裏腹に、統計調査では、大学進学にあたって様々な格差があることが浮かび上がってくる。各国との比較をふまえ、現状認識と同時に、日本の教育政策に再考を促す一冊
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