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中国「格差地帯」の学生たちに見た、 古き良き日本人の面影 日本の若者が知る由もない 中国人女子の悲し過ぎる「格差事情」
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投稿者 軽毛 日時 2016 年 4 月 27 日 16:00:35: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

2016年4月27日 中島 恵 [フリージャーナリスト]
中国「格差地帯」の学生たちに見た、
古き良き日本人の面影

中国西南部の貴州省の省都、貴陽にある貴州大学。格差地帯に生きる学生たちの姿は、まるで古き良き日本人のようだった
「中島さん、無事にご到着されましたか。すみません。もしかして、出口で私が見つけられなかったのではないかと心配で、お電話をさし上げました」

 3月下旬、中国西南部の内陸に位置する貴州省の省都、貴陽にある貴陽竜洞堡国際空港に筆者が降り立ったのは、午後8時過ぎ。国内線の遅延が常態化している中国では、常にフライト時刻が気にかかるのだが、幸いこの日は定刻通りに到着してホッとした。

 貴陽にある貴州大学の男子大学生が、迎えに来てくれているはずだった。中国のかなり多くの都市に出かけたことがある筆者だが、貴州省は初めて。しかも夜の便しか取れなかったので、少し不安があった。男子大学生とは事前にSNSで連絡を取っていたので安心していたが、まだターンテーブルでトランクを待っている間に電話が鳴り、冒頭の声が聞こえてきた。

 日本の大手新聞社主催の日本語スピーチコンテストで第3位に入賞したことがある、とびきり優秀な学生だと聞いていたが、正確な日本語というだけでなく、筆者への細やかな気遣いが感じられて、まるで昔の日本人学生のようだった(昨今は、こんな気遣いができる日本人学生のほうが少ないかもしれないが)。彼が日本に行ったのは、昨年のスピーチコンテストのときの1回だけ。彼が日本人と接するのも、貴州大学に在籍するたった1人の日本人教師だけなので、感心してしまった。

貴州省で熱心に日本語を学ぶ
「昔の日本人」のような学生たち


貴州大学の正門
 大学に向かうタクシーの中での会話も非常に流暢で、しかも車内から先生に「中島さんと無事にタクシーに乗りました。今、大学に向かっています」と逐一連絡を入れている姿に感動さえ覚えた。噂に違わぬ語学力で、それは同大学で教鞭を執る須崎孝子先生の指導の賜物だろうと思った。それから貴州大学で過ごした数日間は、学生たちの学ぶ姿勢に感動すると同時に、「日本」について考えさせられることの多い日々だった。

 貴州大学は、中国の211工程(21世紀に向けて国内100の大学を重点的に育成する国家プロジェクト)の1つにも選出されている、中国西南部における有名大学。在校生は約6万人。前身は1902年に創設されており、特に農学などの分野で評価が高い。しかし貴州省といえば、中国でもGDPが低いほうに数えられる貧しい省。少数民族が多く住んでいるが、隣の雲南省に比べて有名な観光地が少なく、産業も少ない。貴州大学で学ぶ学生の半数以上は省内の出身者で、北京や上海の大学に比べるとかなり地味な印象だ。

 だが、そんな地方の大学にも日本語学科が存在する。1学年約25人×2クラスで約50人。学年によって人数はバラつきがあるが、4学年合わせて約210人が在籍しており、日本語翻訳などを専門に学ぶ大学院も設置されている。同大学では、その学生たちに対し、中国人の教師15人、日本人教師1人の全16人で日本語を教えている。

 3月下旬、以前知り合った須崎先生を頼って貴州大学に出かけてみることにした。偶然にも、筆者の訪問中に「日本文化節」という行事があり、日本語作文スピーチコンテストや寸劇、日本語吹き替え大会、日本料理の模擬店などが予定されているという。

 日本文化節は今年で10回目。2日間に渡って日本関係の行事を行うもので、中国各地の大学関係者や支援している日本企業、在重慶日本総領事なども招待される。筆者もコンテストの飛び入り審査員をさせてもらったのだが、日本語のレベルの高さ、日本への関心の高さに驚かされた。

和製アニメで声優ばりの
吹き替えを行う学生も


日本のアニメの吹き替えを行う生徒たち
 日本語吹き替えコンテストは、4〜6人くらいずつのチームに分かれて、日本のアニメの吹き替えを行うというもの。アニメの映像とともに日本語でセリフの字幕が出る。それを情感込めて吹き替えする。出しものは『千と千尋の神隠し』『APヘタリア』など、中国人に人気の作品ばかり(だが、筆者が名前すら聞いたことのない最新のアニメも多かった)。チームによって(あるいは学生によって)日本語のレベルはまちまちだが、中には字幕を一切見ないで、まるで声優ばりに吹き替えをする学生もいて、観客や審査員を笑わせていた。

 寸劇コンテストには日本語を専攻する学生だけでなく、貴州省内の他大学からも学生が参加。数分間の劇だが、セリフはすべて日本語。衣装も手づくりという本格的なもので、出しものは『鶴の恩返し』『浦島太郎』『こぶとり爺さん』などの日本昔話のほか、オリジナルの創作劇もあった。学生たちは何ヵ月も前から準備を始め、衣装づくり、セリフの発音練習、暗記に励んできたという。筆者も審査員を務めたが、衣装といい演技といい、素晴らしい内容で舌を巻いた。一部の学生の発音だけ聞き取れなかったが、それ以外はまるで日本の大学生の演技を見ているようだった。


日本語作文スピーチコンテストのポスター
 続く日本語作文スピーチコンテストにも、数多くの学生が参加した。テーマは「交通安全について」。驚いたのは、スピーチした学生の中で、家族を交通事故で亡くした経験を話した人が多かったことだ。中国では交通ルールを守らない人が少なくないが、だからというべきなのか、中国人にとって交通事故は他人事ではなく身近なものであることを知り、ちょっと複雑な心境になった。

 中には高校生が出場するものもあった。観客席の筆者の隣にたまたま座っていたのは、貴州大学から列車で4時間以上もかかるという鎮遠という田舎町にある高校で日本語を教えている男性教師だった。同教師によると、在校生は約3500人。中国の少数民族、苗(ミャオ)族やトン族出身の学生が多いが、なんと日本語学習者は全校生の約10分の1、350人にも上るという。

 数年前から中国の「高考(全国大学統一入試)」では、外国語の試験を英語ではなく日本語でも受験できるようになったこと(英語に比べて日本語での受験者数は少なく、日本語能力試験の3級レベルで受験可能と比較的ハードルが低いこと)、日本のアニメが好きで、日本語を学んでみたいという高校生が多いこと、などの理由から日本語は人気が高く、高校でも日本語を選択する学生が増えているという。

 貴州省の高校では9校で日本語を教えているとのことであり、この教師も「自分も故郷の高校で日本語を教えたい」と、以前働いていた貴陽から田舎に帰ったと話してくれた。

「こんな田舎にも日本語を学ぶ学生がこれほどいて、しかも高校生にも広がっているのか……」

 筆者は驚きを禁じ得なかった。おそらく、こうした現象は周辺の雲南省、四川省、広西チワン族自治区などにおいても似たような状況だろう。昨年、筆者が湖南省長沙に出かけた際、日本語の専門学校で学ぶ20歳の女の子との日々を描いた記事「日本の若者が知る由もない中国人女子の悲し過ぎる『格差事情』」をダイヤモンド・オンラインに寄稿し、大反響を得たが、日本には中国内陸部の話はほとんど伝わってこない。国家プロジェクトや大事件ならともかく、庶民レベルの話となればなおさらだ。まったく伝わってこないと言ってもいい。北京や上海から数千キロも離れた内陸部でも、日本に対して熱視線を送っている学生がこれほどいることを、筆者も今回初めて知った。

浪人の習慣がない中国では
望まぬ学科に進学させられることも

 むろん、日本語を学ぶすべての学生が「日本が大好き、日本語が好き」だと思っているわけではないことも、ここで少し触れておかなければ誤解を生むだろう。中国の大学入試は日本とは異なり、先に触れた「高考」での一発勝負で決まる。中国の大学入試制度は複雑なので説明は省くが、たとえば、ある大学の英語学科の人気が高く、合格点に達しなかった場合、自動的に他学科(たとえば日本語学科、フランス語学科など)に回されてしまう場合がある。

 中国では浪人はあまりないため、本人が望まない学科に進学することになる。日本語学科を希望しなかったのに日本語学科に入学した学生のモチベーションは非常に低く、先の須崎先生によると「4年間学んでも、まったく身につかないこともある」という。もちろん、そういうことはあり得るだろう。

 だが、少なくとも筆者が直接出会った学生たちは、日本に強い興味を持ち、日本語学習に熱心に取り組んでいたことは確かだった。ほとんどがアニメやドラマの影響だが、日本の経済力、日本人の礼儀正しさ、日本の風景の美しさなどに憧れて、まだ見たこともない日本を心から尊敬してくれている学生もいる。

 余談だが、中国は6年も前にGDPで日本を追い抜き、世界第2位の経済大国になったにもかかわらず、貴州省に限らず、今回旅先で出会った多くの中国人から「日本の経済発展はすごい」という言葉を耳にした。現実はどうであれ、彼らのイメージの中での「日本」の存在感はまだそれほど薄れてはいないのかもしれない、と筆者は感じた。筆者が日本の未来について少し悲観的な話をすると、彼らは一様に悲しそうな表情を見せ、筆者が彼らの夢を壊そうとしているかのようで、少し申し訳ない気持ちになった。

 中には、冒頭の学生のように、すでに通訳レベルに到達するほど高い能力を持つ学生もいる。しかし、残念ながら、彼らが身に付けた能力を発揮できる場は、ここ貴州省では非常に少ない、というのが現状だ。

 日本への交換留学制度を使って、優秀な学生は日本のいくつかの大学に留学できる仕組みになっているが、提携先の日本の大学から貴州大学にやって来る学生はほとんどなく(中国の大学に来たがらない)、一方通行の交換留学が続いており、学生たちが須崎先生以外、生身の日本人と会話する機会はほとんどない。

 中国内陸部を管轄する在重慶日本総領事館によると、貴州省に住む日本人は約30人。詳細は不明だが、日本語教師数名と中国人の配偶者、日系企業の駐在員などだが、比較的大きい日系企業となると、水処理事業を行う野村マイクロサイエンスなどごくわずかしかなく、1〜2人程度の連絡事務所しかない。このような状態だから、日本語ができる大卒の中国人を採用しようという企業もない。3年前、隣接する広西チワン族自治区に拠点がある日系企業に3名採用されたが、日系企業への就職自体、彼らにとっては夢のまた夢だ。

 須崎先生によると、学生に人気があるのは公務員、教師など地方でも安定的に働ける就職先だが、実際は日本語とは一切関係がない貴州省内の民間企業に就職していくケースが大半だ。先に紹介したように、望まないまま日本語学科に進学した学生も混ざっていること、日系企業への就職が現実的には厳しいことなどから、4年間、学生たちの学習意欲を保ち続けていくことは至難の業だ。

 そのため、須崎先生は「日本語の上達というよりも、学生たちには、ただ日本を好きになってほしい、と願ってやっています」と話していたが、これほど日本との接点が少ない中では、苦労が多いだろうと推察し、同じ日本人として頭の下がる思いだった。

中国人の人生は、生まれ落ちた
場所や家庭によって決まる

 貴州省で数日を過ごした後、上海に移動した。上海では東華大学で日本語を教える先生と会う機会があった。同大学も上海の名門大学の1つで、日本語学科では貴州大学とほぼ同数の1学年約50人が学んでいるという。1学科の人数としては中国の大学では「どちらかというと少ないほう」だそうだが、同大学の日本語学科の場合、上海での日系企業への就職率は非常に高く、「就職にはまったく困らない」との話だった。

 上海には日系企業が約9000社あると言われており、中国最多。事業規模や業種も多岐に渡っており、中国経済の悪化や日系企業撤退の傾向があってもなお、「上海では日本語人材は必要不可欠」(同大学の先生)なのだ。貴州大学からも、日本語を使う仕事を求めて、上海や深セン、広州などまでわざわざ職探しに出かけていく学生もいることはいるが、そこまでする学生は少ない。筆者が見たところ、上海と貴州の学生の能力差はそれほどないと思ったが、地域間格差が大きく、それが影響していると思った。

 中国人の人生は、生まれ落ちた場所や家庭によって決まる――。

 そのことは、筆者も中国取材のたびに何度も味わってきたことだが、今回もそうした現実を目の当たりにした。遠い貴州から日本を想う若者たちにとっての「日本」。そして、そのことをまったく知らないでいる私たち。外国から見た「日本」という国の存在について、考えさせられた数日間だった。

http://diamond.jp/articles/-/90361

2015年8月24日 中島恵
日本の若者が知る由もない
中国人女子の悲し過ぎる「格差事情」
ジャーナリスト・中島恵
湖南省の専門学校で出会った
哀しくも健気な女子専門学校生


寮は8人部屋で簡素な2段ベッドが4つと、勉強机と椅子のセットが8つ。気温35度でもエアコンはない
 上海から空路で約2時間。中国南部の内陸部に位置する湖南省に行った。湖南省と言ってすぐにピンとくる日本人は少ないと思うが、ここは毛沢東、胡耀邦といった中国共産党の政治家たちを生んできた土地柄。気温が高く、辛い料理が有名だ。

 今夏、筆者は同省のとある専門学校を訪ね、学生たちと共に短い寮生活を送った。ここで1人の農村出身の女子学生(20歳)と知り合った。彼女を通して、改めて中国の厳しい現実を知った。

「中島老師(先生)、ようこそいらっしゃいました」

 おかっぱのツヤツヤとした黒髪、華奢でかわいらしい女の子が、モジモジしながら女子寮の入り口で迎えてくれた。筆者の大きなスーツケースを他の女子学生らと共に3Fまで階段で運ぶと、丁寧に自己紹介してくれた。彼女の名は黄さん。高校卒業後、この二年制の専門学校に進学し、卒業したばかりだという。筆者はここで学生たちと交流したり、日本語を教えさせてもらう予定で、黄さんは筆者のお世話係としてそばについてくれた。

 寮は8人部屋。北京や上海の大学では最近は4人部屋も多いと聞くから、ここはまだ古いタイプだ。簡素な2段ベッドが4つと、勉強机と椅子のセットが8つ。ちょうど夏休みに入ったため、筆者は8人部屋を1人で使わせてもらえることになった。しかもエアコン付き。他の学生たちは気温35度でもエアコンなしだ。

 到着してすぐ、寮の担当教師からバケツとシーツを買いに行くようにと言われた。そういえば、以前取材した広東省の部品工場でも「バケツは必須」と言われたことがあった。かつて内陸部からはるばる出稼ぎにやってくる若者たちは、ボストンバックとバケツも持参した(昨今はスーツケースに様変わりしているが)。荷物や洗濯物を入れる桶として、また掃除の際にも幅広く使用できるからだ。だからバケツと言われても驚かなかったのだが、ここでは洗濯(手洗い)用の小さな桶で十分だった。

 学校近くには数軒、雑貨や食品を売る売店があり、そこで最も小さい3元(約60円)の桶とシーツ(28元=約600円)を購入。部屋に戻ると黄さんがすぐに袋を開けてシーツを取り出すと、洗面台に持って行ってジャブジャブと水洗いし始めた。

「えっ? 何してるの? 新品なのにどうして洗濯するの?」

 私の素朴な質問に彼女は笑いながら「中国では新品のものでも、最初に洗ってから使います。ほらっ、これだから」と言って、小さすぎる桶からはみ出したシーツを指差した。流れ出ていたのは大量の染料。溶け出した鮮やかなブルーが水に広がっていた。

 以前、中国で買ったぬいぐるみを枕元に置いていたら顔に湿疹ができ、皮膚科に通っても治らなかったという話を、日本人の友人から聞いたことを思い出した。中国では強い農薬を落とすための野菜専用の洗剤があり、多くの家庭でこの洗剤を使っていることは知っていたが、新品の寝具や洋服もまず一度洗ってから着ると聞いて、驚いた。

 黄さんはその専門学校で日本語を学んでいた。高校卒業時、成績はよかったのだが、大学に進学するほどの経済的余裕はなく、一時は看護師の専門学校に進学することも考えたが、「看護師は給料が安すぎる」という周囲の反対で断念。日本のアニメやドラマが好きで、「日本語を学べば都会に出て、よい就職先があるのでは」と考えて、日本語を学ぶことにしたという。2年間学んだといっても彼女の日本語は理解不能なものが結構あったが、日本には好感を抱いているようで、日本人女性(筆者)と初めて接触するのを楽しみにしていたと話してくれた。

両親が共働きで出稼ぎは当たり前
久しぶりに会った母の顔がわからない

 故郷はバスで6時間も離れた山間部。何も産業がない地域で、老人と子ども以外は沿海部に出稼ぎに出ているという。黄さんの両親も中学卒業と同時に広東省にある部品メーカーに就職。そこで出会って結婚した。1人っ子政策を実施している中国だが、農村では2人以上子どもを持つことが少なくない。黄さんにも姉と弟がいる。女の子が2人続いたので、おそらく両親は後継ぎである男の子が欲しくて3人の子を産んだのだろう。

 といっても、彼女は両親と暮らした記憶はほとんどない。祖父母と姉、弟と5人で暮らしていて、両親が田舎に帰ってくるのは1年に1回、春節(旧正月)のときだけだったからだ。

「小さい頃、両親のことはほとんどわからなかったです。祖父母もあまり親の話はしませんでした。5歳くらいのとき、おばあちゃんに『あの人、誰?』って聞いたら、それが母だったんです……」

 この話を聞いたとき、筆者は軽いショックを受けると共に、以前行った中国人の子育ての取材を思い出した。「やっぱりあの話は本当だったのか……」と。

 中国では一般的に男女共働きで、専業主婦は非常に少ない。育児の主な部分は自分か夫の祖父母に任せっ切りで、母親は出産後、仕事に復帰するのが普通だ。日本では考えにくいことだが中国では当たり前の現象であり、中国の祖父母も、孫の世話は自分たちの仕事だと思っている。「子育て=家族全員でするもの」という観念があるからで、母親1人に子育ての負担が集中することはない。そういう意味では、中国は働く女性が生活しやすい環境ともいえるが、農村の場合は状況が異なる。

 母親、もしくは両親共に都会に出稼ぎに行っている場合、子育ては100%祖父母の仕事になる。都会ならば夜や週末は父母の元に帰れる子どもも、農村では1年に1回、数日程度しか親に会えない。そのため、親の顔を知らないで育つ子どもは珍しくない。戸籍制度の問題もあり、戸籍のない都会にいる間は社会保障や福祉、正当な教育を受けられないため、子どもは田舎に預けるしかないのだ。

「死ぬことが長年の夢だった」
中国に6100万人もいる留守児童

 そうした子どもたちは「留守児童」と呼ばれ、中国共産党系の組織が発表した資料によると、人口13億7000万人の中国で約6100万人もいるといわれている。そのうち約920万人が、1年間に一度しか親に会うことができない。

 今年6月にも、中国で最も貧しいといわれる貴州省で、留守児童だった4人兄妹が農薬を飲んで自殺した、という悲惨なニュースが流れたばかりだ。父親は出稼ぎ労働者で、母親は家出。14歳を筆頭として5歳までの子どもたち4人だけで暮らしており、この家には祖父母もいなかった。14歳の子どもは「死ぬことが長年の夢だった」と走り書きを書き残しており、この子たちがいかに厳しい環境で暮らしてきたかがわかる。

 こうした留守児童の取材のときも衝撃を受けたが、今、目の前にいるこの可愛らしい黄さんもその1人だったと知り、私は話を聞きながら自分の目が潤んでいくのがわかった。ごまかしてご飯をかき込んでいると、彼女はこちらをちらちらと見ながら、「でも、私は幸せなんですよ。祖父母は優しいし、近所にたくさん(同じような境遇の家庭で育った)友だちがいましたから。全然平気です」と笑っていた。そして「だって、私は専門学校にも進学させてもらえたんですから。これも両親が長い間、故郷を離れて働いてくれているお蔭です」ともつけ加えた。

 専門学校の学費は1年で約1万元(約20万円)。彼女はきれいに折り畳んで大切に財布にしまっている学費の領収書を見せてくれた。私立なので国立の大学や専門学校よりも学費は高いが、長女は中学を出てすぐに広東省に出稼ぎに行ったため、優秀な次女には進学をさせてあげたいという両親の希望もあって、この学校を選んだという。

「うちは少しずつ裕福になっているんです」。そう彼女は言ったが、専門学校の1年目と2年目の夏には、他の学生が故郷に帰省するのを尻目に、自分だけ広東省の工場にアルバイトに行った。この町から夜行バスで13時間。両親が働く工場で臨時に雇ってもらい、母親と同じベッドで寝て、1日12時間働いて、1ヵ月で3500元(約7万円)の収入を得た。

 食事代などのお小遣いは毎月決まった額ではなく、足りなくなったときだけ両親に話すという。両親は筆者と同世代の40代半ば。中国人ならば、今や老人でさえ持っているスマホも持っていなくて、ガラケーしかないという。中国人のコミュニケーションツールとして幅広く普及している微信(中国版ライン)もできないので、週に1回電話をかけて近況を報告しているという。

 父親は電話のたびに「お金は足りているか?」と聞いてくれるが、彼女は両親に心配かけたくないと話していた(そんな彼女でも、他の若者と同じくスマホだけは持っていた。寮に近い携帯電話ショップで、一番安い900元(約1万8000円)のスマホを買ったという)。

 彼女によると、6歳のときから自分の衣服の洗濯(手洗い)をやり、7歳のときから祖母を手伝って料理もしていた。農村では当たり前のことだという。この学校の教師の家で家庭料理をご馳走になる機会があったのだが、そのときも彼女が手際よく料理している姿を見て、祖母が彼女をどのように育てたかが目に浮かぶようだった。

お金がないのに精一杯客人をもてなす
今の中国にもこんな純朴な子がいるのか……。

 ある日、一緒に夕食を食べて寮に帰る途中、洋服を売る露店の前を通りかかった。彼女がそこで立ち止まったので、2人で吊るしてあるTシャツやブラウスを見て歩いた。どれでも2枚で50元(1000円)。筆者は思いついて、「今回のお礼に好きな洋服を買ってあげる。どれでも遠慮なく選んで。さあ」と言ったのだが、それを聞いた彼女はさっと表情を変えて「いいです。本当にいいです。たくさん持っていますから……」と言って手を振り、急いで立ち去ろうとした。

 食事のとき、朝ご飯(屋台で売っている蒸まんじゅうや餃子)は1元か2元なので、いつも彼女が買ってくれた。筆者がどんなに「私が買うから」と言っても「ここは中国。先生は日本からきたお客さんなんですから」と言って、どうしても譲らなかった(その代わり、15元、20元と値段がはる昼食や夕食のときには、自分には払えないとわかっていたのだろう。お財布を出さなかった。もちろん筆者が払うのでよいのだが、いつも申し訳なさそうにしていた)。彼女はそういう子だった。

 彼女との会話は筆者にとってとても新鮮で、北京や上海の取材で出会う若者とは大きく異なっていた。今どきこんなに純朴な子がいるのかと感心させられることが多かったのだが、その中でも特に印象深い出来事がある。1日だけ遠出して毛沢東の生家に旅行したときのことだ。

 学校の職員が車を出してくれることになった。旅行といっても自動車で1時間の距離だったが、黄さんは前夜から「中島老師、私、うれしくて眠れないです」とウキウキしていた。しかし、乗り込んで20分くらいすると、黄さんは急に具合が悪くなってしまった。乗りもの酔いだ。聞けば、20歳になるまで自動車に乗ったことはほとんどなく、乗り物といえば、長距離バスしか経験がないという。

 専門学校からバスで20分乗った先にある大型のショッピングセンター(学校の他の生徒たちはそこに行って、カラオケをしたり食事をしたりすると話していたが)にも行ったことがないということだった。「うちは少しずつ裕福になっているんです」と彼女は言ったが、節約してつつましく暮らしていた。

 毛沢東の生家は、平日だというのに大勢の観光客で賑わっていた。周辺地域からの団体観光バスが何十台もやってきていて、ゲートから生家まで30分以上も行列に並ぶほど混雑していた。おみやげコーナーには、3000元(約6万円)、4000元(約8万円)という値札がついた毛沢東の銅像のレプリカや、毛沢東の顔を印刷したトロフィーみたいなもの、マグカップや関連書籍などがズラリと並んでいて、それを2人で眺めていたときだ。

 いくつかある安いおみやげの中に、2つで5元(約100円)という、破格に安い金メダルがあった。おもちゃのような安くて軽い記念メダルで、表には「毛主席故居留念」と書いてあり、中央に名前と日付を刻むことができるようになっている。店員が「名前を刻字するよ。さあ、記念にどうだい?」と勧めてきた。

 すると、彼女は金メダルを手に取り、店員に「1枚には中島恵、もう1枚には黄江(弟の名前)と刻字してください」と言ったのだ。筆者は驚いて、「いいよ。私は要らないよ。本当に要らない」と何度も断ったのだが、聞かない。仕方がないので「じゃあ、私があと5元払うから、自分の分も記念につくったら」と言うと、「私は今日ここに来られただけで幸せなんです。こんなところには、一生来られないと思っていたから。弟には普段何も買ってあげられないから、すごくいい記念です」と言うと、筆者に1枚プレゼントしてくれた。

 その金メダルは今、この原稿を書いている筆者のパソコンのすぐ横に置いてある。

北京の女子とはまるで別世界の住人
改めて感じる厳し過ぎる中国の格差社会

 その後、北京に移動して同世代の中国人に会った。彼女の話をするとみんな驚き、中には涙ぐむ子もいた。中国のテレビのニュースなどでは「留守児童」の問題をかなり取り上げているが、都会の多くの中国人は実際そういう場所に行ったこともないし、交流する機会はない。同じ中国人とはいえ、一生に一度も交わることがない別世界の存在だ。

 北京の女の子は私の著書にも登場するエリートで、この秋から高校3年生。両親は大学教授と官僚という家庭で育った1人っ子だ。進学校の国際クラス(英語で重点的に勉強するクラス)に入り、アメリカの大学に進学を予定している。毎月のお小遣いは500元(約1万円)で、それ以外に親のクレジットカードも使用できるなど、何不自由のない暮らしをしている。都市部では、このような子は珍しくない。

「私は本当に幸せなんですね……。私たち、同じ中国人なのに……」

 北京の女の子が声を詰まらせながら言った言葉が、厳しすぎる中国の格差社会を物語っているように聞こえた。
http://diamond.jp/articles/-/77120/
 

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コメント
 
1. 2016年4月28日 23:22:45 : 6mL9Mchyhg : hVEKQoTUNDg[3]
日本人も生まれた場所、家庭で大方人生は決まります、世界どこでも同じ。

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