http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/768.html
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「チュニス銃撃事件:本来の標的は観光客ではなく政権関係者:犠牲者を貫いた銃弾が過激派のものか治安部隊のものか要検証」
http://www.asyura2.com/15/kokusai10/msg/291.html
より引用:
「 チュニジアを「アラブの春」の唯一の成功例とし、今回のようなテロ事件が起きたことに対する衝撃が語られることも多いが、チュニジアとエジプトの“政変(アラブの春)”には相似性というか類似性があると思っている。
端的に言えば、旧政権内部の一部が、クーデタというわかりやすいかたちではなく、国民の政治的運動を利用することで反撃を受けることなく恐い親分を排除し、その後“時間をかけて”権力を奪取してしまうという共通性である。
エジプトのシシ大統領はムバラク時代の軍幹部であり、昨年12月に大統領に当選したチュニジアのエセブシ氏も、11年1月に国外に脱出したベン・アリー政権時代の幹部だった。
エジプトのシシ派は、青年を中心とした反ムバラク運動を“放置”することでムバラクを失権させ、その後いったんはムスリム同胞団のモルシ氏に政権を取らせシシ氏は国防相についたが、およそ1年後には反モルシの大衆運動をしかけ、それを口実にクーデタを決行した。その後、シシ氏は“正規”の選挙で大統領に当選し“政治的正当性”を手に入れた。
チュニジアも、屋台で商売をしていた青年が治安組織による迫害を理由に自殺したことがきっかけで反政府運動が高まったが、治安組織はいつもながらの弾圧には動かず、そのため1ヶ月足らずでベン・アリー大統領は国外に逃げた。
そして、11年10月に行われた選挙でアンナハダというムスリム同胞団の影響も受けている穏健的イスラム主義政治勢力が第一党になるが、野党指導者たちの“暗殺”など治安が悪化したことにより政権の体制は落ち着かず、昨年秋から年末にかけて議会選挙と大統領選挙が行われた。
この議会選挙と大統領選挙で勝利したのが、ベン・アリー大統領の与党であった立憲民主連合の幹部たちが中心になって組織した政党「チュニジアの呼びかけ」である。
エジプトもチュニジアも、ムバラク氏やベン・アリ氏といった長期独裁的執権者に政権側勢力の一部が嫌気(権益の問題や一族での権力継承問題もあるだろう)を覚え、国民の政治運動を利用することで、うまく“怖い”独裁的執権者を権力の座から引きずり降ろし、時間をかけながらも旧政権内の一部が最終的に権力を掌握する政変劇だったと言えるのではないだろうか。」
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[迫真]迷走セブン&アイ
(上)任せていただけないか
18日午後、セブン&アイ・ホールディングス本社(東京・千代田)の9階にある会長執務室。取締役の井阪隆一(58)はある決意を持って会長の鈴木敏文(83)のもとを訪ねた。
「会長を尊敬している。今後も顧問として残ってほしい」と訴える一方、「経営は私に任せていただけないか」。セブン&アイ社長への昇格が内定していた井阪はグループの全役職から退任する意向の鈴木にこう迫った。
2カ月前――。同じ執務室で鈴木はコンビニエンスストア事業を担う中核子会社、セブン―イレブン・ジャパンの社長を務める井阪に対し、社長を退くよう命じた。わずか2カ月で2人の立場は大きく変わっていた。
□ □
セブンイレブン大卒社員1期生の井阪は商品開発部門を歩み、グループ共通のプライベートブランド(PB=自主企画)「セブンプレミアム」の立ち上げで中核の役割を担った。その実績が鈴木の目に留まり、2009年に生え抜きの社員で初めて社長に就任した。
米国生まれのセブンイレブンだが、育ての親は鈴木だ。おにぎりや弁当を並べ、銀行も備え生活に欠かせないインフラに育てた。井阪を社長に据えた当初、「後継者として検討したい」と話すほど期待していた。
グループの利益の8割を稼ぐセブンイレブンは16年2月期まで5期連続の営業最高益と業績は好調だ。その裏側で2人の師弟関係はぎくしゃくするようになっていった。
鈴木は部下と厳しく接することでやる気を引き出す経営者だ。井阪には役員会などで叱責することが常態化していた。期待が大きかった分、「今のセブンイレブンからは新しい商品やサービスが出てこない。おれの考えていることをやっているだけだ」と不満を募らせていった。
井阪は米セブン―イレブンへ異動する――。15年はじめにはこんな臆測が社内で公然とささやかれるようになっていた。
□ □
鈴木の下した決断が微妙だった2人の関係にひびを入れた。セブン&アイの主要株主である三井物産グループとの取引を減らすと言い出した鈴木に対し、井阪は「セブンプレミアムの商品開発で貢献してもらっている。コンビニの取引先にまで口出ししないでほしい」と強硬に反対した。
三菱商事は三菱食品、伊藤忠商事には伊藤忠食品、日本アクセスとグループに有力な食品卸を抱える。競合との力関係で見劣りする三井物産に鈴木は満足できなかった。
15年秋の三井物産からの意外な提案も鈴木の三井物産離れを加速させたとみる関係者がいる。米マクドナルドが検討している日本マクドナルドホールディングスの株式の売却に絡み、会食の席で三井物産首脳は「興味はありませんか」と持ち掛けた。鈴木は「相乗効果がない。コンビニをまったく理解していない」と一蹴した。
その後、井阪の反対を鈴木が押し切り、セブンイレブンは三井物産系の三井食品との取引の大幅削減を決めた。代わりに食品卸3位の国分グループ本社と結んだ契約は年間1000億円を超える。ほとんど付き合いのなかった国分が一躍、大口取引先となる異常な事態。競合する食品卸のある幹部は「三井物産によほどのミスがあったなら分かるが、そんな噂は聞こえてこない」と驚きを隠さなかった。
15年末には井阪の統率力に対する鈴木の不信が一気に膨らむ事件が起きた。セブンイレブンの幹部2人に関する怪文書がグループ内で出回ったことだ。パワーハラスメントなどを指摘された幹部のうち、1人は降格となり、もう1人が代わりに昇格するという不可思議な幕引きとなった。醜聞騒動を未然に防ぐことができなかった井阪に鈴木は見切りを付けた。
鈴木が井阪に退任を求めた2月以降、2人の確執は先鋭化する。4月初旬のセブンイレブンの執行役員会議。鈴木が「今のセブンイレブンには新しいモノが何もない」と声を張り上げた。いつもなら沈黙が続くその場で「数字はしっかりとついてきている」と井阪はすぐさま反論した。
直後の7日、鈴木はセブン&アイの取締役会に井阪をセブンイレブンの社長から外す人事案を諮った。
(敬称略)
◇
セブン&アイの中興の祖、鈴木敏文氏が経営の一線から退く。カリスマ経営者の引退に至るまでの迷走を追う。
[日経新聞4月21日朝刊P.2]
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(中)人事案は私の中にある
親愛なる伊藤教授
セブン&アイ・ホールディングスは長期的な株主価値改善にやれることがたくさんあります。なるべく早く我々のメンバーと会って議論していただけませんか――。
2016年1月末、セブン&アイの社外取締役を務める一橋大大学院特任教授、伊藤邦雄(64)に1通の英文の手紙が届いた。差出人は「物言う株主」として知られる米投資ファンド、サード・ポイントを率いるダニエル・ローブ(54)。「我々と同じ哲学をお持ちのあなたの考えが取締役会において有益だと確信しています」と訴えた。
□ □
伊藤に手紙が届いたころ、セブン&アイ会長の鈴木敏文(83)は取締役の井阪隆一(58)を中核子会社、セブン―イレブン・ジャパンの社長から外す方向で動き始めていた。2月中旬には井阪本人に交代を打診。創業者であるセブン&アイ名誉会長、伊藤雅俊(91)のもとには社長の村田紀敏(72)を送り、人事案を事前に報告した。
ここで鈴木に誤算が生じる。これまで経営には口を出してこなかった名誉会長から井阪交代の人事案に理解を得られなかったことだ。
もうひとつの誤算で混迷は一気に深まる。サード・ポイントによる株式の保有が明らかになったこともあり、セブン&アイは3月に指名報酬委員会を設置した。指名委員会等設置会社ではないセブン&アイにとって指名報酬委はあくまで社外の意見を聞く任意の諮問機関であり、決定権はなかった。その指名報酬委が意思決定機関のような存在に変質していく。
最初の指名報酬委は3月30日。直前の27日にサード・ポイントからセブン&アイの役員に書簡が届く。「井阪氏の社長職を解く噂を耳にしたが、降格は理解できない」。サード・ポイントは書簡を報道機関にも公表し、井阪交代案を世間に広めるよう仕向けた。
「5期連続で営業最高益を達成した会社のトップを変えることは理解できない」。30日の指名報酬委では鈴木、村田が示したセブンイレブンの社長交代を含む人事案に委員長の伊藤邦雄、元警視総監の米村敏朗(64)の2人の社外取締役がかみついた。
□ □
指名報酬委の承認がないまま、鈴木が人事案を諮った4月7日の取締役会。ここでも社外取締役の伊藤が重要な役回りを演じる。従来の挙手に代えて、「鈴木さんの顔色をうかがい、挙手では本音が出ない」と無記名投票を提案した。結果は人事案に賛成7票、反対6票。2人が棄権の白票に回り、賛成が取締役15人の過半に届かず、否決となった。
「1人に権限が集中する体制にはしない」
「最高経営責任者(CEO)などの肩書はやめようかと考えている」
「鈴木さんを支持した村田さんが社長を続けるのはよくない。会長になるのも変じゃないか」
新たな人事案の取りまとめが進むなか、社外取締役の伊藤の声はどんどん大きくなっていく。自宅前に連日押し掛ける報道陣に対し、自らが考える人事案を語る伊藤は明らかに高揚していた。
一方、鈴木の引退表明で司令塔を失ったセブン&アイの社内の混乱はピークに達していた。事態の収束を急ぐなか、人事案は鈴木を除く全員が留任し、セブン&アイは村田、セブンイレブンは井阪が社長を続けるという方向に傾いていった。
15日に設定された指名報酬委。事前の調整のため、村田は13日、伊藤、米村と会談を開いた。井阪も含む社内の取締役がおおむね合意していたにもかかわらず、伊藤は村田の留任に反発した。その夜、伊藤は「一番常識があるのは社外取締役だから。私の中にある人事案を会社が受け入れてくれるかどうかですよ」と報道陣に話した。
翌14日、再び伊藤、米村と会談した村田は自身の退任を受け入れると申し出た。決着したかにみえた議論は伊藤の次の発言で紛糾する。「井阪さんはセブンイレブンの代表取締役会長も兼務すべきでは」。村田は「あなたはどこまで鈴木をおとしめれば済むんだ」と烈火のごとく反論した。
セブン&アイの中興の祖、鈴木は自らが育てたセブンイレブンの会長を兼務する。その鈴木と井阪をいきなり同格に扱うことに村田は我慢できなかった。徹底抗戦する構えの村田に伊藤は矛を収めた。しかし、15日の指名報酬委でも新たな波乱が起きる。
(敬称略)
[日経新聞4月22日朝刊P.2]
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(下)ビルから出てください
「あなたは経営がどんなものか何も分かっていない」。15日に開かれたセブン&アイ・ホールディングスの指名報酬委員会。社長の村田紀敏(72)は声を張り上げた。もめるはずのなかった委員会で何があったのか。
「『最高』とはどういうことですか。影響力が残るのでは」。きっかけはやはり社外取締役の一橋大大学院特任教授、伊藤邦雄(64)の発言だった。退任する会長の鈴木敏文(83)にセブン&アイは名誉職を用意する方向で調整してきた。伊藤は「最高顧問」という肩書が気に入らなかった。
20年以上にわたってグループのトップに君臨してきた鈴木。セブン&アイにとっては要の存在が突如消えることによる影響の大きさは計り知れない。指名報酬委で議論する対象は持ち株会社の取締役と執行役員、事業子会社の社長であり、退任する鈴木の処遇まで社外取締役から意見を聞く必要はない。影響力の排除を声高に主張する伊藤に村田は言葉を失った。
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セブン&アイが19日に開いた取締役会はセブン―イレブン・ジャパンの社長を務める取締役、井阪隆一(58)の社長昇格などを正式に決議した。その後に発表したグループ人事の資料に鈴木の処遇は「退任」と記されただけだった。
20日に開かれたイトーヨーカ堂の店長会議。全国から集まった店長や幹部社員を前に鈴木は「流通業に興味があったわけではない。しかし、約50年身を置いて、与えられた仕事を全うする信念を持って仕事をしてきた。セブンイレブンをつくるときも社内外で反対された」と語り始めた。「みんなが一丸となって前を見て、新しい仕事を、今何をすべきかを考えてほしい」と話し終えると、拍手がわき起こり、涙ぐむ社員もいた。
鈴木が1974年に米国から持ち込み、日本に根付かせたコンビニエンスストア。鈴木と40年以上の付き合いがあるセブンイレブン1号店のオーナー、山本憲司(66)は「銀行をつくるときも相当な障壁があったはず。それでもお客さんにとっては必ず便利だという信念で実現させた。体力が続く限り辞めないと思っていた」と話す。
7日のセブン&アイの取締役会では井阪をセブンイレブンの社長から外すという鈴木の考えた人事案が否決された。その場で「井阪を辞めさせる意味が分からない」と強い口調で発言した社内の取締役がいる。セブン&アイの名誉会長を務める創業者、伊藤雅俊(91)の次男、順朗(57)だ。無記名投票の決議でも順朗は反対票を投じた。
ひと月前の3月8日、セブン&アイは不振が続くスーパー、百貨店の店舗閉鎖を柱とする構造改革計画を発表した。閉鎖の対象にはヨーカ堂の1号店、千住店(東京・足立)も含まれていた。
北海道・東北が地盤のスーパー、アークスの横山清(80)は創業者の伊藤と家族ぐるみの付き合いを続ける。伊藤の妻が鈴木への不満を口にすれば、「やめなさい」とたしなめるのがいつもの伊藤の役回り。直近の会食の席、構造改革計画を伝え聞いていた伊藤が横山に漏らした「千住店を閉めるんだって」という言葉は寂しげだった。
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1992年にヨーカ堂の社長を鈴木に譲って以降、創業者の伊藤はグループの経営から一定の距離を置いてきた。人事案の否決後、記者会見した鈴木は自身が主導した人事案に反対し、井阪を守った創業家の判断について、「世代代わりがあった」とだけ説明した。セブン&アイの筆頭株主である「伊藤興業」は創業家の資産管理会社だ。高齢の伊藤と妻に代わり、資産管理会社を切り盛りする役目は伊藤の長女に変わりつつある。
今回の迷走劇。鈴木とともに主役となった井阪は今後、社長として巨大流通グループのかじ取りを担う。人事を巡っては井阪を支えることで利害が一致した創業家と「物言う株主」のサード・ポイント。しかし、祖業のヨーカ堂を憂う創業家、スーパーや百貨店など不採算事業の整理を求めるサード・ポイントでは描く未来図は異なる。
鈴木は「顧問」を受けるかどうか揺れている。取引先やコンビニのオーナーに慰留の声が広がる一方、「影響力が残ります。本社ビルからは出てください」と井阪から言い渡されているからだ。カリスマを追い出し、グループの全権を握る井阪が背負うものは重い。
(敬称略)
松田直樹、湯浅兼輔、豊田健一郎、宮住達朗、牛山知也が担当しました。
[日経新聞4月23日朝刊P.2]
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