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この国に子どもを育てる気はあるか? 一刻も早く高度経済成長の「幻想」を捨てよ! 下り坂の「下り方」を白熱対論
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48424
2016年04月17日(日) 平田オリザ,藤田孝典 現代ビジネス
待機児童問題が大きな注目を集め、国家の姿勢が問われている。「この国はもう、子どもを育てる気がないんじゃないか」「日本社会は分断され、階層化が進む一方だ」。
先日、この国の新しいかたちを模索する著書『下り坂をそろそろと下る』を上梓した平田オリザ氏と、若者の「見えない貧困」をえぐった著書『貧困世代』を刊行した藤田孝典氏。この国の現実を直視し、そのうえで未来を志向するお二人に、この国に行方を語ってもらった――。
■想像力が欠落している国、日本
平田 今回上梓した『下り坂をそろそろと下る』の校了作業をしているとき、子育て中のお母さんが書いた「保育園落ちた」という匿名のブログが大きな話題を呼びました。私の主宰する劇団にも小さい子どもを持つ俳優がたくさんいますが、あのブログは子育て世代の切羽詰まった真実の叫びだと思います。
平田オリザ 1962年東京都生まれ。劇作家、劇団「青年団」主宰、東京藝術大学COI研究推進機構特任教授
藤田 私にも子どもがいるのですが、認可施設には入れなくて、しばらく無認可の保育園に入れていましたから、「保育園は落ちるのが当たり前」という感覚でした。でも、あのブログを読んで改めて思ったのは、保育園に落ちることは決して当たり前じゃないし、むしろおかしいということ。多くの子育て世代がそのことに気付いたからこそ、あれだけ大きな議論になったのでしょう。
平田 それだけ切実な問題にもかかわらず、政府の反応は極めて鈍いですね。安倍首相は、待機児童の解消について問われた国会答弁で、「保育所」のことを「保健所」と言いました。ただの読み間違いだと言い訳するのかもしれませんが、この問題に対する関心が低いと言われても仕方ないでしょう。ああいう答弁を見ていると、この国はもう、子どもを育てる気がないんじゃないかとさえ思う。
藤田 平田さんはかねて指摘されていますが、リーダーというのは、社会的弱者の声を聞きとる力が求められています。ところが、今の政府には小さな声に耳を澄ませようという姿勢が見られない。他者への思いやり、想像力というものが極端に欠落しています。
藤田孝典 1982年茨城県生まれ。社会福祉士、NPO法人ほっとプラス代表理事、聖学院大学人間福祉学部客員准教授
平田 国民の間でも、保育園問題については意見が分かれていますね。この前、ツイッター上での議論を見ていたところ、「子どもを産むのは覚悟のうえだろう」というつぶやきがあったので、とても驚きました。
僕らの世代の感覚だと、「覚悟」というのは、演劇をやるとか、音楽家を目指すとか、そういう人が持つべきものでしたから。子育てというごく普通の営みにまで覚悟がいるのか、と。
藤田 本当におかしな話ですよね。私の新著『貧困世代』でも書きましたが、今の日本では、結婚して子どもを産むという、ごく当たり前のことでさえ、「ぜいたくなこと」だとみなされてしまう。
平田 そんな国は珍しいでしょう。海外に目を転じると、子育て世代のために様々な優遇政策がとられています。
たとえばフランスでは、子どもを3人以上もつ親は、美術館などの文化・レジャー施設の料金が大幅に割り引きされます。これは子どもと一緒でなく、親がひとりで利用するときでも適用されます。子育て中であっても、子どもにかかりきりになるのではなく、演劇や美術、映画や音楽といった「文化」に触れる機会を失わないように配慮しているんです。
■出生率2.81の「奇跡の自治体」
藤田 欧州は「生存権」をとても大事にしているのでしょう。そもそも生存権とは、単に生きているだけではなく、「健康で文化的な最低限度の生活を営む」権利のことです。
しかし日本の場合は、そうした文化や芸術に接する権利を軽視している。生活保護を受けている人がコンサートに行ったり、映画を見たりしていたら、「生活保護のくせに、ぜいたくだ」などと言われてしまう。
平田 社会全体がギスギスしているように感じます。保育園に受かったお母さんが、子どもを預けて昼間から街を歩いていると、すぐに目を付けられる。もし映画なんか見ていたら「あの人は仕事をしていないのに、子どもを預けている」なんて保育園に密告されるから、有給休暇も取れないし、いつも働いているふりをしなければならない。
藤田 誰だって本音を言えば、ゆとりをもって暮らしたいんでしょうけど、他人がやっているのは許せない。社会全体が「こうあるべき」という考えに支配されている気がします。
平田 そうした風潮が蔓延する一方で、国はあてにならないんだから、自分たちで子どもを育てる環境を整備しようという企業や団体も増えてきましたね。
じつは僕も1990年代の半ばごろ、「結婚・出産しても女優を続けられる劇団にする」と宣言したんです。それで、子育て中の俳優には割り当てられる仕事を少なくして、稽古場に子どもを連れてこられるようにした。団員同士も服を譲り合ったり、ベビーカーを使いまわすなど、相互扶助しています。
それだけのことでも効果はあったようで、今、うちの劇団には40人くらい子どもがいます。地方公演のときなどは俳優たちが忙しいので、一番ヒマな僕が子どもたちの宿題を見てあげています。
藤田 それは助かるでしょうね(笑)。政府に期待できない以上、同じような境遇の人同士が情報や物を交換する「人間関係の豊かさ」が重要な時代ですね。ただ、自力でそういうネットワークを築けない人にとっては、国が子育てしやすい社会保障政策をとってくれないと行きづまってしまう。
平田 おっしゃる通りですね。本来、これは政治の問題であり、国が取り組むべきことです。しかし、今の政府の対応はどうにもズレている。
たとえば、安倍政権は税制を優遇して、親子三世代が一緒に暮らす「三世代住宅」を促進しようとしていますが、これは「おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に暮らせば孫の面倒を見てくれるだろう」という、日本の古い家族観に囚われた発想であって、今の時代には合わないんじゃないかと思う。
その点、地方自治体の中にはきめ細かい政策を取り入れているところもあります。岡山県の北東部にある奈義町では、地元出身の若い夫婦向けに、入居費の安い公営住宅を用意しています。こうすれば、一緒に暮らすわけではないけれど、おじいちゃんやおばあちゃんに孫を預けることもできる。
なぜこういう施策をとったのか。地元の方に聞いてみると、三世代で暮らすことを嫌がるのはお嫁さんじゃなくて、むしろお姑さんのほうだそうです。お姑さんたちは自分が若いころ、嫁姑問題で辛い思いをしたから、同じような思いを嫁にさせたくないし、自分だって嫁に気を遣いたくない。そこで今のような仕組みを作ったそうです。
藤田 よく考えられていますね。
平田 こうした政策が奏功したのか、奈義町は昨年、出生率2.81という奇跡的な数字を叩き出しました。この町はおもしろいところで、人口は6000人と少ないのに、建築家の磯崎新さんがデザインした現代美術館があったりする。そういうセンスのよさが、若者を惹きつけるのかもしれません。
■「文化資本」の格差が日本を分断する
藤田 人間をその土地に根付かせるには、最低限の住まいを社会保障で用意することが必要だと思います。ヨーロッパの多くの国では、若者のために公的な低家賃住宅を整備し、家賃補助制度を充実させている。そうやって住まいを提供することで、若者が親元から離れ、自分たちの「世帯」を作るようになる。そして世帯が増えれば、子どもも自然と増えていくというわけです。
平田 住宅問題については、日本でもやれることはたくさんあるんですよね。地方であれば、空いている公営住宅もたくさんあるから、改装しておしゃれにするとか。あとは、東京をはじめとする都市部は家賃が何しろ高いから、公的な補助も必要でしょう。
藤田 私は、医療や介護のみならず、住まいや教育といった、人間にとっての「ベーシックニーズ」と呼ばれるものは市場原理に任せてはいけないと思います。
平田 教育に対する社会保障も、日本ではほとんど手が付けられていませんね。
藤田 ええ。2012年度の調査によると、大学生のうち、半数を超える52.5%もの学生が奨学金を利用しています。今の学生の半分は、借金を背負った状態で社会に出なければならないのです。
また、親からの仕送り額も減っていて、1990年には12万円ほどあったのに、2000年代に入ってからは10万円を切る水準まで下がりました。こうなると、学生たちは遊ぶためではなく、生活のために長時間のアルバイトをせざるをえません。
なかには、アルバイトのために授業やテストを欠席せざるをえないという本末転倒な事態も起こっている。経済的に豊かな親の子はじっくり勉強できるけれど、そうでない子は教育を受ける時間を奪われてしまうんです。
平田 私は全国の大学や高校で演劇のクラスを持っているので、「教育格差」の問題は肌身に感じています。とりわけ懸念しているのは、2020年度から実施予定の「大学入試改革」によって、教育格差がますます広がるだろうということです。
『下り坂をそろそろと下る』でも触れましたが、入試改革の骨子は、従来のように詰め込み型の知識をテストするだけでなく、集団でディスカッションさせるとか、グループで芝居を作らせるなど、プレゼンテーション能力やコミュニケーション能力を問う試験を課すというものです。グローバル化した社会ではいずれの能力も求められますから、この方向性じたいは間違ってはいません。
ただ、そうした試験制度になると、都市部の子ほど有利になります。わかりやすい数字をあげると、演劇を学べる高校は3年前の数字で50校ほどありますが、そのうち8割を東京、神奈川、大阪、兵庫の都市部が占めています。
藤田 地方の子は演劇を学びたくても地元では学べないわけですね。
平田 私は美術や演劇、音楽などの素養を「文化資本」と呼んでいますが、都市部の子は幼いころからそうしたものに触れる機会が多い。しかし地方だと、そもそも美術館の数も少ないし、お芝居やコンサートが開かれることも少ない。だから能力が高くて勉強ができる子であっても、地方に住んでいると文化資本を高めることができない。
今でさえ官僚の経歴を見ると、ほとんどが東京の富裕層出身でしょう。今後はその流れがますます加速します。そして官僚が都会の富裕層出身ばかりになると、先ほども話題に出てきた、社会的弱者の暮らしに対する想像力が働かなくなってしまう。
藤田 一方、シングルマザーのお子さんなどは塾にも行けないし、教材を買ってもらうこともできない。勉強すれば社会的に成功できるかもしれない、という夢を持つことができない。
対する富裕層の子も、ひたすら勉強してエリートになることを宿命づけられているという面ではつらいんですけれど、両者が交わることはない。日本社会は分断され、階層化が進む一方です。
平田 先日、ある教え子の学生が「貧しいのは自己責任だ」という趣旨の話をしていて、とてもショックを受けました。
今の時代、ふつうに大学を出ても、もしかしたら「ブラック企業」に就職するかもしれないし、仕事のストレスでうつ病にかかって働けなくなるかもしれない。たとえ一流企業に就職できたとしても、親の介護が必要になって働けなくなるとか、誰でも貧困に陥る可能性はあるわけです。しかし富裕層の学生には、そうした想像ができない。だから「自己責任」なんて言葉を軽々に口にしてしまう。
■高度経済成長という幻想
藤田 ところで、今夏の参院選から選挙権の年齢が18歳に引き下げられ、約240万人の新たな有権者が生まれますね。若者たちの声が国政に反映されるのでしょうか。
平田 最初の選挙次第でしょうね。何らかの影響を与えることができれば、政治家も若者の意見を無視できなくなる。だから若者たちには、ぜひ投票に行ってほしい。若い世代の投票率が高いということを示さないと、政治家の若者軽視の態度は変わりません。
藤田 ぜひ選挙に関心を持ってほしいですね。ただ、18歳から20歳くらいの若者だと、自分の身の回りのことで精いっぱい。社会や政治のことは上の世代に任せておけばいいという人も多いんですよ。おまけに今の若者はみんな公務員を目指すような安定志向で、社会を変えようという気持ちのある人が少ない。
平田 階層の固定化が進んでしまったために、自分たちが「社会を変えることができる」というイメージを持てないのでしょう。
藤田 そんななかで「アベノミクス」などという大きなスローガンを聞くと、「よくわからないけど、任せておけば景気が良くなっていいんじゃないか」という幻想を抱いてしまう。
平田 若者に限らず、少なからぬ国民がアベノミクスに期待していますね。安倍政権が、約40%という岩盤のような高い支持率を保っているのも、国民が高度経済成長期の幻想から抜け切れていないことの表れでしょう。
確かに戦後の日本はアメリカの庇護のもと、大量生産、大量消費することで経済成長してきました。しかし、今やそのシステムは制度疲労を起こして機能しなくなっている。これからの日本に必要なのは、『貧困世代』でお書きになっていますが、「脱近代化」であり、「脱工業化」を目指すことだと思うんです。
藤田 少子高齢化がますます進むのだから、社会のシステムを変えなきゃいけない。そこはみんな気づいているはずなんです。でも、「一億総中流」と言われた時代の記憶がどうしても忘れられない。特に、政治的に力を持っている60〜80代の人はいまだにその幻想に囚われているんだと思います。
平田 工業立国の時代なら、教師の言うことを聞いていい学校に入って、安定した企業に入って上司の言うことを聞いていれば給料が上がって、クルマも家も買えた。でも、よく考えるとそうしたモデルって、実は1960年から90年くらいまでのたった30年ほどしか機能していないんですよ。
それに、今の時代は産業構造の転換も早いから、若いころ身につけた技術で一生食べていくのも難しい。昔は旋盤工でずっと食べられたけど、今は違う。だから必要なのは「転職できる能力」なんですが、そこが見落とされている。
ずっとネジを作ってきた人に「仕事がなくなったから介護をやってください」と言っても、大変なことですよ。
藤田 日本の場合は、職業訓練のメニューも限られていますからね。
平田 たとえばデンマークは失業保険の期間が2年と長くて、職業訓練でボランティア体験をさせたり、演劇のワークショップを受けさせたりと、コミュニケーション能力を高めるところから始めるんです。
藤田 ヨーロッパだと、失業するということは、それほど大した話とは受け止められないですよね。なぜかといえば、職業訓練のメニューが豊富に用意されているから。失業したとしても、日本に比べると別の仕事に就くことが比較的容易だからです。ところが日本の場合は、「失業した」「もう首をくくるしかない」となってしまう。ヨーロッパの人から見たら、仕事がないくらいで、なぜ死ななきゃいけないのか理解できないでしょう。
平田 安倍政権の雇用政策は本当に矛盾していると思うんです。企業が世界で競争するためには、どうしても賃金を抑えなければならない。すると必然的に非正規雇用は増える。これはもう、産業構造がグローバル化しているんだから仕方ないとしましょう。でも、そうであるなら、非正規雇用の人が失職しても次の仕事を見つけやすいように就労支援を充実させればいいのに、それをやらないで、「一億総活躍社会」などと言い出しているから、おかしいことになる。
藤田 非正規が増えるということは、雇用を解体してしまうということですよね。そうするなら、代わりに社会保障を充実させることが不可欠です。雇用保険の期間を延ばすとか、職業訓練の内容を充実させるべきなのに、そこにはまったく手が付けられていない。
■まずは「現実」を直視しよう
平田 もう、成長社会じゃないということを前提にして、どうやって社会の制度を変えるか考えなきゃいけない時期に来ています。
司馬遼太郎さんが『坂の上の雲』(文春文庫)でお書きになった明治時代の日本は、坂を上っていく時期だった。けれど今の日本は、転ばないように気をつけながら、上り切った坂をゆっくりと下っていく時代です。
藤田さんは前作の『下流老人』で高齢者の現実を書き、今回の著書では若者を取り巻く苛酷な現状を描いた。受け入れがたいかもしれないけれど、今の日本に必要なのは、そういう「現実」をまず直視することでしょう。
藤田 なんだか今回の対談は、全体的に暗い内容になってしまいましたね(苦笑)。ただ、世界を見ると、これまでの新自由主義的な経済成長を重視する政策に対する、カウンター勢力が台頭してきています。
アメリカの大統領候補者争いで注目を集めた民主党のバーニー・サンダースとか、イギリス労働党党首のジェレミー・コービンは、格差の是正や社会保障の充実を訴え、多くの若者から支持されている。日本もいずれ、ああいう政治家が現れるのではないかと期待しています。
平田 日本の政治家も変わってほしいですよね。私は、今のこの国の社会を表わす言葉は「競争と排除」だと思いますが、これからは「寛容と包摂」の精神を大切にしてほしい。
藤田 経済が成長すれば、みんな幸せになるという時代はもう終わった。これからの日本は価値観を多様化して、それぞれが自分なりに幸せな居場所を見つけられるような社会を作っていきたいですね。
(構成/平井康章)
読書人の雑誌「本」2016年5月号より
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