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生活保護政策を行うのは厚労省だが、財務省がその中身に大きな影響を与えている
生活保護政策を決めるのは誰? 財務省・厚労省「綱引き」の中身
http://diamond.jp/articles/-/89289
2016年4月8日 みわよしこ [フリーランス・ライター] ダイヤモンド・オンライン
生活保護政策を行う官公庁は、もちろん厚労省だ。しかし厚労省が単独で生活保護政策を決定できるわけではない。時の政権・財務省・地方自治体などとの数多くの関係の中で翻弄される生活保護政策を、やや長期的に眺めてみると、「厚労省のバックボーン」や「少し前の財務省の『社会保障とにかく削減』ではなかった姿」も見えてくる。
■被災障害者への関心から 「そうだ、生活保護政策研究しよう!」
私が社会保障に本気で取り組み始めたきっかけは、2011年の東日本大震災だった。
2005年、42歳で中途障害者(障害者手帳取得は2007年)となった私は、日本の不完全な社会保障や障害者福祉に直面することになった。2011年3月は、生存や生活の危機からは脱していたものの、職業キャリアは消滅しかけていた。そのままだったら、「難病や中途障害をきっかけとした生活保護利用」という良くあるパターンをたどる人々の一人になっていただろう。しかし、
「自分と似た人たち、災害がなくても障害で困っている人たちが、災害でさらに大変なことになっていないわけがない」
という思いから、私の著述業キャリアは自然な形で再開され、テーマは「障害者の被災」から生活保護へと展開した。
生活保護という制度と関わる人々に取材し、本連載『生活保護のリアル』『生活保護のリアル〜私たちの明日は?』を執筆しつづけるうちに、「生活保護政策は誰が決めているんだろう?」「生活保護基準の『決められ方』は、現状でいいのだろうか?」「生活保護基準の『高い』『低い』は、どう評価すればいいのだろうか?」「生活保護基準を低くした時、生活保護を利用している本人たち以外に『損』する人はいないのだろうか?」といった疑問が湧いてきた。どの一つも、世界中で多数の研究者が長年取り組んできている難問である。隙間時間に少しずつ調べているうちに、
「もう、生涯の課題として、公的扶助(生活保護)に取り組むしかないな」
という気持ちになり、博士号取得を目指した研究を大学院で行おうと決意した。「特定のテーマに対して検討し結果を示す」という場面では、学術研究の方法は非常に強力なのだ。
ずっと「理系」だった私は、「文系」の学問の方法論を「実は全然といってよいほど知らない」という情けない状況だったが、2014年4月、立命館大学大学院先端総合学術研究科(以下、立命館先端研)の一貫制博士課程3年次に編入。予想通り「文理の壁」で苦戦することになり、現在も職業と学業の両立で悩み続けているけれども、2年目の年度末となる2016年3月、なんとか、最初の査読付き論文を世に送り出すことができた。
論文のタイトルは、「生活保護基準決定に関する厚生労働省への財務省の影響に関する検討(2001-2009) − 『物価スライド』および『水準均衡方式』において参照する所得階層を中心に」であり、立命館先端研の紀要である「Core Ethics」誌に掲載された。近日中に、同誌サイトで全文が無料公開されるはずである。
しかし私の脳内では、この論文は「着ぐるみ頂上対決!! ゴジラ(中の人は財務省) vs.キングギドラ(中の人は厚労省)」のようなものである。
■「財務省の言いなり」ではない 厚労省の価値観と判断とは?
今回の論文は、小泉純一郎内閣が成立した2001年から、2009年、民主党政権への政権交代が行われる直前の時期を対象としている。内容を3行で述べると、
1. 2004年、財務省は厚労省に「生活保護基準の物価スライド」「生活保護基準を低所得側2%に合わせる(現在は低所得側10%)」「母子加算廃止」「老齢加算廃止」の4つの要請を行った。
2. 厚労省は、すぐに老齢加算を廃止した。母子加算は「イヤイヤながら焦らしながら」という感じで廃止した(が、2009年に完全廃止されて半年後、民主党政権により復活して現在に至る)。物価スライドにもなかなか応じなかった(2013年、別の名目[指標「生活扶助相当CPI」]で実質的に導入)。「生活保護基準は低所得側の10%を参照して決める」は断固として死守し続け、現在に至っている。
3. 厚労省は、世の中で思われているほど財務省の言いなりになっているわけではない。独自の価値判断が維持されている。
である。
財務省の求めた「生活保護基準の物価スライド」とは、年金の「物価スライド」と同様に、ということである。年金に「物価スライド」がなければ、たとえばインフレ時の物価高騰に対応することはできない。物価スライドは1973年、「狂乱物価」と呼ばれたインフレ時に導入され、引き続いたインフレに対応した基礎年金増額が可能になった。インフレに合わせて増額された。生活保護基準も同様に増額改定された。そうしなければ「米が買えず餓死」「灯油が買えず凍死」といったことが起こりうるからである。デフレの場合に同様の考え方と手続きによって給付金額を下げてよいかどうかは、絶えず議論され、現在も議論や検討が続いているところだ。
しかし生活保護基準は、1984年以来、低所得側10%の最上位にあたる世帯、貧困率の計算で用いる「貧困ライン」に概ね相当する世帯の消費支出を参照して決定されている。「消費を参照」という形で、物価水準は間接的に参照され、生活保護基準に反映されている。その上に「物価スライド」、特にデフレ時の「物価スライド」を行うことは、「デフレの影響を生活保護世帯に対しては二重に見積もり、生活保護基準を過剰に下げる」ということになりかねない。2013年、厚労省はついに実質的に応じたのであるが、9年間は応じなかったことになる。しかも名目は「物価スライド」ではなく、「生活保護世帯特有の消費を考慮した」であった。ただし、妥当に考慮されたかどうかは、現在、生活保護基準引き下げ撤回を求める訴訟での争点となっている。
財務省の2つ目の要請、「生活保護基準を『貧困層』に合わせるのではなく、『極貧層』に合わせるように」の根拠は、2004年時点では「生存が脅かされかねないラインといえる階層は、所得の下位4%以下」というデータであった。憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」に対して正面からケンカを売っているようなものである。この後さらに「生活保護の利用者は、人数で国民の概ね2%程度なのだから、低所得側2%に合わせられるべきだ」という主張が加わり、現在に至っている。この「利用者の人数から生活保護基準を定める」は、現在も続いている主張の一つであるが、「理由になってない!」の一言で切り捨ててかまわない。もう少し丁寧に反論するなら、
「それって、生活保護費のうち利用者の生活費(生活扶助)の話ですよね? だったら、全歳出の2%を生活扶助に回していいってことになりますね? すると約2兆円になります。他の扶助を合わせたら、生活保護費の国庫負担全体で約4兆円になります。生活保護費予算は『今より多いくらいでもいい』ってことですね?」
ということになる。
この要請に対しては、厚労省は現在も、「断固」「きっぱり」という感じで反論を行いつづけている。たとえば2013年の社保審・生活保護基準部会報告書では、「もっと高い所得階層を参照してもいいくらいなんです!」という内容の主張が、諸外国の例の紹介とともに行われている。
■厚労省が守ったもの、犠牲にしてもいいと思ったものは?
2016年時点から振り返ると、厚労省に「『生活保護基準は低所得側10%を参照して決める』だけは何としても守り抜かなくては」という戦略的判断があった可能性は高い。財務省の4つの要請のうち、応じた場合に最も破壊的な影響が考えられるのは、「低所得側10%」だからだ。また物価スライドについても、「物価を含めて低所得層の消費生活を考えた上で生活保護基準を決定する」という1984年以来のポリシーそのものを切り崩すものであるという観点から、「簡単に応じるわけにはいかない」という判断になったであろう。とにもかくにも、1984年に導入された「水準均衡方式」と呼ばれる生活保護基準の決定方法と「低所得側10%」という当時の参照対象を維持することによって、2013年まで、「1984年時点よりも相対的にひどい生活しかできなくなる生活保護基準」となることだけは避けられてきたのだ。
しかしながら厚労省は、老齢加算の廃止には「あっさり」、母子加算の廃止には「イヤイヤ」「しぶしぶ」という様子ながら応じてしまっている。「骨を守るためなら皮くらい切らせるのは仕方がないかなあ」という判断で、老齢加算や母子加算の廃止に応じたのではないか? という構図も見えてくる。万一、逆に、
「厚労省は老齢加算と母子加算を守ったが、生活保護基準については財務省の意向を尊重し最も貧しい2%に合わせて定めることにした」
という選択が行われていたら、生活保護を利用している人々や制度そのものに、どれほど壊滅的な影響が及んだことだろうか? もちろん私は、老齢加算も母子加算も廃止してほしくなかった。物価スライド(生活扶助相当CPI)を理由とした2013年以後の生活保護基準引き下げも、実施してほしくなかった。そもそも、「究極の選択」になること自体が奇妙なのだが、厚労省の優先順位づけは「誤り」とまでは言えない気がする。
とはいえ、老齢加算や母子加算の廃止によって直接インパクトを受ける生活保護利用者たちにとっては、もしも厚労省職員に「もっと大事なものを守るためなんだから、ガマンしてほしい」と直接言われて頭を下げられたとしても、到底、認めがたく許せない仕打ちであろう。しかも、「認められない」「許せない」といっても、生活保護利用者たちにできることは非常に限られており、選挙・審査請求・行政訴訟・集会・デモ程度だ。その限られた手段で、声をあげ行動を起こそうとすると、大きな大きなバッシングに吹きさらされることになる。
■社会保障の意義を認めていた2001年の財務省 なのに「なぜこうなった」?
2016年現在の財務省は、社会保障削減や反福祉のシンボルのような存在になってしまっている。しかし、私が今回の論文を執筆するための文献調査を始めた時に最も驚いたことの一つは「ちょっと前の財務省は、けっこう良いことを言っていたし、実行させようとしていた」という事実だ。
もちろん財務省にとっての社会保障は、減らせるものなら減らしたい大きな負荷である。戦前も戦後も、大蔵省時代も、2000年に財務省が発足してからも、このことは変わらない。生活保護においても、厚生省は当初「濫給より漏給」という方針で、「とにかく必要な人には生活保護を。本当は不要な不届き者にも少しは利用されるかもしれないけど、それへの対策は後回しに」という運用をしていた。しかし現在の制度が発足した1950年(昭和25年)直後から、大蔵省は厚生省に「給付抑制を」という圧力を加えはじめた。厚生省が「適正化」という名目で申請抑制・給付抑制を行いはじめたのは、わずか4年後の1954年(昭和29年)であった。その後も、大蔵省が「生活保護基準を高め、もっと多くの方々に利用していただきましょう」という方針を採ったことは一度もない。逆に「生活保護基準をなるべく上げず、できれば下げましょう。利用者はもっと減らしましょう」という方向性での動きなら、数えきれない。
しかし、小泉純一郎内閣が成立し、「聖域なき構造改革」が開始された2001年、財務省・財政審は、社会保障に「景気の自動安定化機能(ビルト・イン・スタビライザー)」というポジティブな側面があることを重視し、「社会保障制度や税制等を通じて(例えば,不況による税収減や失業給付の増加により),制度改定等を伴わず自動的に景気変動を緩和する仕組み」である社会保障制度を縮小したり費用削減したりするにあたっては,影響を考慮した上で慎重に実施するべきだと述べているのだ(参照)。社会保障が景気の「ビルト・イン・スタビライザー」であるということは、世界の定説であり常識である。2001年時点での日本の財務省は、定説や常識に大きく外れる方針は示していなかった。その方針が大きく転換されたのは、翌2002年のことである。2016年現在から2001年を振り返ると、「なぜこうなった」の一言に尽きる。
■生活保護制度には利用者が影響を与えることができない
今回の論文では触れなかったが、制度・政策の変化を考えるにあたって重要な問題の一つに、「影響を与えることができるのは誰なのか?」がある。
生活保護には、「制度の利用者が、制度に影響を与えにくい」という大きな特徴がある。
通常、あらゆる公共サービスは、利用者の評価にさらされるものである。利用者の中には、いわゆる「クレーマー」もいる。しかし一般的に、利用者の困惑やネガティブな評価は「なくすべき問題の指摘」「改善すべき面の提案」として受け止められる。医療・介護・教育・保育・ゴミ処理・公共施設運営……どこにも、例外は見いだせないだろう。しかし、生活保護だけは例外なのだ。生活保護という制度の第一義的な利用者は生活保護を受給している本人たちであるにもかかわらず、利用者本人たちの声よりも、「納税者の声」「市民感情」に耳が傾けられる。この不思議な状況は、実は「納税者」や「市民」にもメリットをもたらさない。
この状況はこのままで良いのだろうか? 状況を変えることはできるのだろうか? 引き続き、考えていきたい。
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