投稿主さま、こんばんは。 この問題は日本国民の生活に深く関わっていることから、大変重要なテーマなのですが、どこも取り上げないですね。つまり、既得権益を得ている集団からは、接して触れて欲しくない事実だと言う事です。 この問題の発端は、意外なところにありました。 甦る“昭和”、世界初・小型四駆「くろがね四起」…超レア、1000万円で復元目指す http://www.asyura2.com/09/news8/msg/1018.html 投稿者 ピノキ 日時 2014 年 3 月 17 日 21:56:45: ●当方の投稿です。 http://www.asyura2.com/09/news8/msg/1018.html#c2 (一部、転載します。) 戦前の日本の自動車を決定付けた法律をもうひとつ紹介する。 自動車製造事業法 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E8%A3%BD%E9%80%A0%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E6%B3%95 ●この法律を作ったのは、アベコベ首相のおじいさんであった岸信介氏であった。これまで日本GM、日本フォードを軸に発展していた日本の自動車産業から、これらアメリカ系資本が完全に閉め出されたのである。これにより政府の認可会社となったのは、日産自動車、豊田自動織機自動車部(トヨタ自動車)、東京自動車(いすゞ自動車と日野自動車)の3社であった。日産自動車の鮎川義介氏は日本GMとの合併を勧めていたが、陸軍に脅迫されて断念した。 日本側はアメリカ車を締め出すため、アメリカから輸入される自動車部品の輸入を妨害した。これに対しアメリカ側が、日米通商航海条約第一条違反だと抗議した。 (転載終了) ★日本GMの販売網が潰されたことから、当時の日本国内のGM(シボレー)販売店が、トヨタに鞍替えしたのです。これが戦後のトヨタ・ディーラーの原点になったと言うのです。このあたりの経緯については、日本の自動車評論の草分けである五十嵐平達(いがらし へいたつ)先生が詳しいのですが、もう亡くなられて16年になるのですね。 五十嵐平達 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%B5%90%E5%B9%B3%E9%81%94 ●どの業界でも評論家はいますが、彼らは雑誌や専門誌に記事を書いて生計を立てていますね。これら雑誌や専門誌は、広告主の意向に逆らうことができない。問題は、ここなんです。輸入車を主に取り扱う雑誌だと、読者を価格や維持費の高さから逸らせる方向に持っていく。1980年代は、輸入車の人気が盛り上がり、多くの若者が飛びつきましたが、高い輸入車を長期ローンで購入して生活が困窮した例が多かったようです。 五十嵐先生も、晩年はトヨタ博物館の構想から開館まで深く関わっておられましたが、日本の自動車販売網をつくったトヨタが給料を出していたようなものですから、批判記事なんて書けませんよ。日本の政治を批判するジャーナリストが、次々と報道の世界から追放されている状況と同じです。 ●当方、古いシトロエンの愛好家ですが、1980年代に当時の西武自動車販売に見に行って、あまりの高さに買えずに悔しい思いをしましたが、ニュージーランドに行ったら、数は少ないものの走っていましたから、ある方から個人購入して手に入れました。普通の価格でした。夢がかなってよかったのですが、そこまでしなければ念願の自動車が手に入らないと言うのは、絶対におかしいと思います。 当時の西武自動車販売では、金持ち相手の商売をしていましたね。日本は右ハンドルなのに、わざわざ左ハンドルを輸入して、「ガイシャ」イコール高級車として売っていた。これはフォルクスワーゲンを売っていたヤナセも、他のディーラーも同じでした。 考えたら変な話ですよ。シトロエンだって、フォルクスワーゲンだって、大衆車です。それが日本では、日本車と違いを際立たせるために、わざわざ左ハンドルを輸入する。こんなの、ニュージーランドやオーストラリアでは、認められません。交通法規に適合したハンドル位置の自動車でないといけない。 (註 最近は中古車に限って、左ハンドルでも許可されているそうです。) ●日本がメーカー系列販売を続けているのは、追求すると最後はトヨタに行き着きます。でも、こんなこと誰も書かない。つまり、余程都合が悪いと言うことです。
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