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日本経済メルトダウンを防いだ3.11日銀の闘い - 岩本沙弓 現場主義の経済学
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160310-00166195-newsweek-int
ニューズウィーク日本版 3月10日(木)18時30分配信
ここ2回ほど日銀の金融政策について思う所を忌憚なく述べさせていただきました。論旨は以前からお伝えをしております通り、金融政策で出来ることには限界があるという点に変わりなし。日銀は必要な時に必要なだけ資金供給をする、それこそが重要であり、そうした万全の機能を日銀は有しています。平常時に、むやみやたらに量的緩和をしなくても大丈夫であることは日銀自らが証明をしています。
日銀が必要とあらばふんだんに資金供給をする準備も能力も有していることについて、その端的な事例は白川総裁時代にありました。3.11東日本大震災で被災した東北の金融機関から短期金融市場を通じて緊急かつ大量の資金ニーズが出て来ることは震災直後から予想されました。大規模な災害となれば先行き不安から市場参加者ならずとも手元に資金を置いておきたいというのが心情です。こうしたニーズに迅速かつ適切に対応していくことが金融当局に求められるわけですが、特に金融機関が日々資金の融通を行っている短期金融市場はこうした緊急事態には即座に反応しますので、不安定になりがちです。そこで流動性の確保が非常に重要となってきます。その流動性を供給するのが日銀であり、英語では「ラスト・リゾート(last resort=頼みの綱)」、日本語では「最後の貸し手」と中央銀行が称される所以でもあります。
地震が発生したのは11日金曜日の午後3時前。ほぼ当日の資金の決済は決まっているような時間帯ですから、本格的な資金ニーズが出て来るのは週明けとなります。事実、14 日月曜日の短期金融市場では、市場参加者が資金放出(貸出し)を控えたため、金融機関同士での取引が成立しにくい=資金が欲しいと思っている金融機関に資金が渡らない状況でした。当時の記録(「東日本大震災直後の金融・決済面の動向:データに基づく事実整理」日本銀行決済機構局より)として、無担保コール取引(もっとも代表的な金融機関同士の取引)の取引高は前営業日対比で3割程度減、日本国債清算機関のレポ取引の債務引受高も2010〜2011 年の期間で最低水準まで、流動性が急低下していました。それに対して充分な供給を即時実施したのが当時の白川日銀です。
被災者には急場を取り敢えず凌ぐ現金が必要でしたし、企業間の資金決済が滞れば経営状態に問題のない企業までも連鎖倒産を含めたリスクが発生します。例えば被災地の現場の日銀仙台支店では上記に書かれてある通り、震災直後から窓口をあけ直ちに約400億円もの現金を支払い、阪神淡路大震災の4倍近い量の引き換えを行っています。
被災3県の金融機関からの声として、日銀はいくらでも必要な現金を即座に渡してくれるということを私自身も耳にしましたし、現地の金融機関はそうしたお金を被災者の方々に懸命にお渡ししているとも。実体経済に着実に届く、まさに血の通った資金供給です。
こうした震災直後の金融市場の動向や資金供給の様子、決済機能維持に関する客観的データを残し、かつ誰もがアクセスできることは、将来的に未曾有の災害が発生した際に何よりの備えとなるはずです。過去の経験が未来に生かされる手段でもあるでしょう。
客観的データの保存と言えば、この度、首都大学東京・渡邉英徳研究室と岩手日報社が共同で取り組んだ、岩手県における震災犠牲者の「地震発生時」から「津波襲来時」までの避難行動をまとめたデジタルアーカイブ「忘れない〜震災犠牲者の行動記録」の発表がありました。
こちらは犠牲者1326人の避難行動を航空写真・地図と組み合わせて可視化したものです。サイトには「犠牲者の声なき声を可視化し、一人でも貴い命を失わないよう、震災の教訓として後世に残していくことを企図しています」とされています。岩手県の達増知事の「深い悲しみの記録だが、後世に対して大きな価値を持つ記録」との紹介コメントが心を打ちます。
金融機関と日銀の間で資金が滞留すれば(さらにマイナス金利を課せば)、資金は実体経済とはかけ離れた金融市場や資本市場へ、あるいは海外への投資へと周りかねない――金融緩和に浮かれ、株価の動向の一喜一憂する現在の日本の様子にデジャブを覚えるのは私だけでしょうか。
浮れた状況に警鐘を鳴らす声もありましたが、9.11から5年後の2006年、米国は住宅バブルのピークを迎えるようなステージで完全に浮足立っていました(昼間から高級シャンパンを開けるNYの証券マンの様子がテレビに映され、「こういう映像が流れるようになるとそろそろピークだよね」と同時の同僚と会話した記憶が)。わずか5年前にあの悲惨な同時多発テロが同じ場所で起きたとは考えられないと当時、愕然としたものです。
翻って我が国。震災直後の5年前、あの時の我々はこのような5年後を描いていたのか――震災の日にあたり、あらためて考えてみたいと思います。
岩本沙弓
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