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ビルマ(現ミャンマー)の戦いの中で決行されたインパール作戦は多数の戦死者を出し、退路は「白骨街道」と呼ばれるほど悲惨な戦いだった Photo:TopFoto/アフロ
戦争末期と重なる日銀徹底抗戦 黒田総裁が狙うは「一撃講和」か
http://diamond.jp/articles/-/87079
2016年3月4日 加藤 出 [東短リサーチ代表取締役社長] ダイヤモンド・オンライン
「ぜひやれと言われれば、初め半年や1年はずいぶん暴れてご覧に入れます。しかし、2年、3年となっては、まったく確信は持てません」。1941年、近衛文麿首相から日米開戦の見通しを問われた山本五十六・連合艦隊司令長官は、そう答えた。
永野修身・海軍軍令部総長も真珠湾攻撃の3カ月ほど前に、「開戦2カ年の間必勝の確信を有するも……将来の長期にわたる戦局につきては予見し得ず」と述べていた。2人とも、戦力・資源が豊富な米国という大国を相手に日本が長期戦を戦い抜くのは不可能であり、やるならば短期戦でなければならないと考えていた(『失敗の本質』中公文庫)。
同様に、2013年4月に「2年程度でインフレ率を2%にする」と宣言して開始された日本銀行の量的質的金融緩和策(QQE)は、短期決戦型の政策だった。「明確なコミットメント(約束)と大胆な行動」が国民の期待を動かすと日銀は考えた。
しかし、インフレ率は思うように上昇せず、QQEは間もなく4年目に入る。従来型の“兵器”(国債買い入れ策など)の追加投入に限界が見えてきたため、日銀は1月にマイナス金利政策の導入を決めた。短期決戦のもくろみが崩れたため、日銀は徹底抗戦を決意したようだ。
果たして、その判断は正しいのだろうか。前掲『失敗の本質』によると、インド東部のインパールで日本軍と戦ったウィリアム・スリム英第14軍司令官は、「日本軍の欠陥は、作戦計画が仮に誤っていた場合に、これを直ちに立て直す心構えがまったくなかったことである」と指摘している。
この3年弱の日本の経験を振り返ると、円安主導で物価を引き上げても、生活コストの上昇で低中所得層や高齢者の消費は圧迫されることが確認された。賃金上昇とサービス価格上昇のスパイラルを起こすべきだが、実現には時間がかかる。さらに消費者物価指数には金融政策にすぐに反応しない品目(家賃、帰属家賃、公共料金など)が多い。「2年程度でインフレ率を2%にする」という約束は、やはり無理筋だったといえる。
ただし、QQEが日本経済を明るくしたのは事実だ。円安で輸出企業中心に収益は改善し、賃金は緩やかに上昇、海外からの観光客も増えた。今、日銀が選択すべき道はインフレ2%を目指す徹底抗戦ではなく、これまでの政策の成果を強調しながら、落としどころ、つまり“講和”を模索することではないか。そうしないと、将来の出口政策はさらに困難になる。
12年8月に放映されたNHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」によると、敗戦濃厚の情勢の中、日本の政府・軍部は、米軍に反撃を加えてから講和に持ち込めば交渉が有利になるとの「一撃講和」を狙った。
しかし、それは戦略というより願望だった面は否めず、一撃が実現しないまま決断は遅れた。第2次世界大戦で亡くなった日本人は310万人だが、そのうち60万人は終戦の年の6月以降だという。
もしかすると、黒田東彦・日銀総裁は、インフレ率をある程度2%に近づけて実績をアピールしてから“講和”に持ち込むつもりなのかもしれない。
ただ、「一撃講和」実現のために、限界を超えて国債等を購入し、マイナス金利をどんどん引き下げていけば、日本の金融市場は破壊し尽くされてしまう。冷静な判断が望まれる。
(東短リサーチ代表取締役社長 加藤 出)
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