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原油価格下落に耐えきれなくなったシェール業者が続出?(写真:Peruskyi Petro/PIXTA〈ピクスタ〉)
原油価格反騰は「チキンレース決着」の証し?
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160303-00107723-shikiho-bus_all
会社四季報オンライン 3月3日(木)19時6分配信
2月22日、ある海外メディアはソブリン・ウエルス・ファンド・インスティテュート(SWFI)が配信したリポートの内容を紹介した。それによるとSWFは昨年2134億ドルの資金を全世界の株式市場から引き揚げたが、原油価格が1バレル=30〜40ドル台で低迷するようなら、今年は4043億ドルの資金を引き揚げる可能性があるというものだった。
1973年の第4次中東戦争の勃発を受けて原油価格は3ドル台から10ドル台へとハネ上がり、非資源国である日本の高度成長は終わりを迎えた。第1次オイルショックである。
78年にはイラン革命を受けて原油価格が30ドル台へと高騰した。その第2次オイルショックから2年近く経過した81年の東京市場はオイルマネーの流入に沸きかえった。優良大型株の株価があっという間に上昇、数倍となる銘柄も珍しくはなかった。怒涛のような相場が沈静化してしばらく経ったある日、手にした株券(現在は電子化されている)の裏側にサウジアラビア通貨庁(SAMA)と記載されているのを見て複雑な思いに駆られたことを思い出す。
逆に、オイルマネーの流出が株式市場を圧迫した局面もあった。湾岸危機が収束した91年から92年にかけては、イラクに侵攻されて多大な損害を受けたクウェートが、復興資金の手当てのために株式市場から資金を引き揚げるのではないか、との警戒が広まったのである。
日経平均は89年末の3万8915円から92年8月の1万4309円まで63%強の値下がりと戦後最大の暴落を演じた。最大の要因はバブルの破裂というもっぱら国内の事情ではあったが、その裏側にオイルマネーがいたことは想像に難くない。
当時、市場関係者の多くがクウェートの動きを探ろうとしたが、徒労に終わった。オイルマネーは厚いベールの向こう側にいる。こうした資金の運用を受託する機関や担当者には通常以上に厳格な守秘義務が課せられ、暗黙のことではあるが、情報の漏えいには死をもってあがなうという一文もあると聞いた。
もちろん、SWFのすべてが中東・産油国のものではなく、同じ産油国ながら漁業にも注力するノルウェーや中国、韓国といった国も含まれている。とはいえ、よくぞこんなに詳しい数値を集計したものだと、SWFIには敬意を表したい。
■ 米国内の原油リグ稼働数は減少続く
SWFIのリポートが配信されて間もない2月24日、米国ノースダコタ州バッケン地区で最大手の一角を占めていたホワイティング・ペトローリアム(WLL)が、シェールガス・オイルの生産を全面的に停止すると発表した。同社は1年近く前から苦境に追い込まれて身売り先を探す一方、資金手当てのために普通株の売り出しや社債の発行計画を打ち出すなど苦闘の日々を送ってきており、本業の資源探査・コンサルティングに回帰する道を選択したようだ。このままでは破綻を余儀なくされるとの判断にいたったのだろうか。
同月29日には同国ワイオミング州グリーンリバーで天然ガスの探査や生産を行ってきたウルトラ・ペトローリアム(UPL)をめぐって、連邦破産法の申請の可能性が取りざたされた。WLLの株価は15年3月18日の41.57ドルから16年2月25日の3.35ドルへと1年も経たずに10分の1以下の水準へ下落。UPLにいたっては15年5月4日の18.04ドルから16年2月19日に0.18ドルと、100分の1まで落ち込んだ。株価としてはすでに“死に体”である。
石油輸出国機構(OPEC)の盟主であるサウジアラビアは他の産油国からの減産提案を退け続けてきたが、周知のように2月16日、ロシア、ベネズエラ、カタールと増産凍結で合意した。経済制裁が解除されて増産に取り組もうとするイランもこれを支持し、原油価格反発への期待が市場に広がり始めた。
だが、その矢先の同月23日、ヌアイミ・サウジアラビア石油鉱物資源相が改めて減産を否定、市場を落胆へ追いやった。その翌日にバッケン地区という米国屈指の優良鉱区を基盤とする上場企業が生産の全面休止を発表したのである。
ベーカー・ヒューズ(BHI)社は週ごとに米国内で稼働しているリグ数を集計・公表している。それによれば、ピークは14年10月の1609基。その後、15年1月に24年ぶりの減少へ転じて以降、ほぼ一貫して減少を続けてきたが、15年12月にはわずかながらも増加する場面があった。
しかし、運転資金などの借り換えのヤマを迎えるとみられる3月が近づくに連れて再び、減少ピッチを速めて2月26日時点では400基とピークの4分の1以下になった。サウジアラビアの強硬姿勢を受けてギブアップを決めた業者もあったのかもしれない。
15年からのウエスト・テキサス・インターミディエート(WTI)原油先物の値動きを振り返ると、下げ基調の中でも幾度か反発を演じる場面があった。上昇率が最大だったのは15年8月24日の38.24ドルから同月31日の49.20ドルまで値上がりした局面の28.6%。特に27日から31日までの3日間で27.4%の上昇率を記録。これはイラクがクウェートに侵攻した90年8月以来のものだったが、この急騰をもってしても市場の流れは変わらなかった。
■ 足元の反騰率は15年の急上昇時を上回る
一方、足元ではWTIが2月11日の26.21ドルを起点にして3月1日には34.40ドルまで値を戻した。上昇率を計算すると31.2%に達する。
産油国と消費国の双方にとって重要なのは価格の絶対水準だろう。30ドル台でひと息つける産油国などあるはずがない。しかし、投資・投機という観点に立てば重要なのは値動きであり、15年には見られなかった反騰率を示していることの意義は大きいのではないか。
15年12月から16年2月まで、主要国の株価は月の折り返し点あたりまで下げに見舞われ、月末に向けては戻すパターンを繰り返している。月替わりから3日ないし4日経ったあたりから始まるという共通点もある。そうした周期性に産油国の換金売りが影響している可能性が高いということは以前にも指摘した。
この点には3月も引き続き留意する必要があるだろうが、原油を取り巻く情勢に大きな変化が見られ始めたことにも注目すべきだろう。こうした中で、SWFIの調査結果が現実のものになるのかどうか。株式相場はこれから重要な局面を迎えようとしている。
せがわ・つよし●新日本証券(現みずほ証券)に入社後、株式投信の運用業務、情報部門、自己売買部門のマネージャーなどを歴任。さくら証券にエクイティ部 部長として勤務後、2001年4月に新光証券(現みずほ証券)にストラテジストとして入社。独立後は経済番組のコメンテーターとして活躍し、現在は瀬川投資研究所代表。市場関係者への丹念な取材や緻密なデータ分析に基づいた独自の相場解説で人気。
※当記事は、証券投資一般に関する情報の提供を目的としたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。
瀬川 剛
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