<マイナス金利>「銀行、企業、家計に恩恵」 大和総研試算毎日新聞 2月23日(火)21時45分配信 ◇「年1兆5000億円超のメリットある」 マイナス金利政策は銀行、企業、家計のいずれにも恩恵をもたらす−−。大和総研は23日、マイナス金利の影響についてこんな試算をまとめた。銀行は日銀への国債売却でもうけることができ、企業と家計はローンの利払い負担が減る。利子が減るデメリットなどを差し引いても年約1兆5000億円超のメリットがあるとした。 10年国債の利回りが0%に低下するケースを想定して試算した。 銀行は、日銀に預けている当座預金の一部の金利がマイナスになることで年656億円の収益減となる。貸出金利や住宅ローン金利の低下で金利収入が年6264億円減少する一方、預金金利の引き下げによるコスト抑制は1765億円にとどまるため、本業である貸し出しの収支も悪化する。 ただし、金利が低下すると、国債を売買する際の価格は上昇する関係にあるため、銀行は保有する国債を高値で日銀に売却できる。これで1兆5714億円の利益が生じ、差し引き1兆559億円の収益増加につながる。大和総研の小林俊介エコノミストは「マイナス金利に伴う銀行の収益悪化が懸念されているが、日銀が国債の大量買い入れを続ける限り、銀行は国債の売却益で損失をカバーできる」と指摘している。 企業と家計は、預貯金の利息収入が減るものの、設備投資や住宅購入などでお金を借りる際の金利軽減効果の方が大きく、差し引きで企業では1723億円、家計では3219億円の恩恵がある。もっとも、メリットがあるのはお金を借りる場合のみで、預金も借金もない場合はほとんど影響はない。【中井正裕】 【関連記事】 <マイナス金利のマイナス効果 陰り出てきた「異次元緩和」> <社説:マイナス金利 逆に不安を広げている> <消費に異変 百貨店「友の会」人気 車販売、ローン0%攻勢> <マイナス金利に必要な心構え> 最終更新:2月23日(火)22時44分 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160223-00000098-mai-brf 社会的に成功しても埋まらない「充実感」の格差 〜社会性と自分性 “マネジメント”からの逃走 第36回 2015年11月10日(Tue) 若新 雄純 満足しているのに、充実していない人 現代において、「格差」という言葉は、単に「程度の差がある」ということをいうのではなく、社会問題の意味合いをもって使われます。 その「格差の問題」ですが、これまでは、生活の“水準”や教育・福祉など公共サービスの“レベル”など、社会的な基準で測ることができるようなものがほとんどでした。 しかしここのところ、社会的に与えることができる・保障することができるような外的なものではない、人間一人ひとりの精神的・内面的なものの格差が、深刻な問題になりつつあるように感じます。
その1つが、「充実感」の格差です。 例えば、「社会的に立派な仕事や役職に就いていて、給料などには満足している。でも、毎日会社にいくだけで、人生がまったく充実していない」というような人がいる一方で、「給料は安いけど、趣味があり、友達もたくさんいて、毎日が充実している」というような人もいるわけです。 つまり、社会的な水準やレベルが満足できるところまで高いからといって、それに連動して人生の充実感も高まるというわけではないということです。社会的・経済的な「勝ち組」の中にも、「充実感の負け組」が存在します。 ソーシャルメディアの投稿などを見ていても、充実感を求める人、あるいは充実感をやたらと顕示する人が増えているように感じます。 今どき、「こんないい車に乗っている」とか「ブランドものを買った」というような生活水準の“満足アピール”はダサいみたいです。一方で、「友達たくさんで、ご飯を食べに行った」とか「休日の趣味でこんな楽しいことがあった」といった“充実アピール”があふれています。 「レベルアップ」では埋まらない格差 若新雄純(わかしん・ゆうじゅん) 人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任助教 福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施し、さまざまな企業の人材・組織開発コンサルティングなども行う。 若新ワールド http://wakashin.com/
本当に充実感のある人は、それを人にアピールなんてしないのでしょうが、いずれにしても、その充実感の格差はどんどん広がっているようです。 この格差は、勉強や仕事を頑張って社会的に「レベルアップ」すれば埋まる、ということではありません。それが、この問題の複雑なところです。 充実感の高い人は、いろいろな趣味を持っていたり、仕事とは別の活動を楽しんでいたり、人間関係が良好だったりと、人生に「幅」や柔軟性が見受けられます。そして、どのような仕事に就いているにせよ、それと日々の暮らしとをつなげたり、バランスをとったりすることが上手にできているようです。つまり、高いか低いか、ということではないのです。だからこそ、格差を埋めるのはなかなか難しい。 そして、日々の充実感なるものは、年収や生活水準のように数値化できない、非常に主観的であいまいなものです。「心が充たされません」という人に、他人としてどうアドバイスすればいいのか。的確な答えなんて存在しません。 仕事においては、資格を取って、スキルアップして、給料やポジションを上げていけばいいということではありません。仕事を通じて新しい情報や価値観に触れることができたり、想定外の経験があったり、同僚やお客さんと信頼関係ができるといったようなことが、自分の精神的な豊かさをつくっていきます。 社会性と自分性 このような、自分にとって主観的で内面的なものは、先輩のアドバイスや専門家の知識を取り入れて訓練したところで、決して充実しないわけです。むしろ、人から与えられた手法や基準を意識すればするほど、それにとらわれて窮屈になり、疲れてしまいます。 自分の内面的な世界を広げたり、深めたりしていくためには、社会的な水準やレベルを追い求めるのではなく、自分の心の声や感覚に素直に向き合うことで、人生の途中段階、プロセスを楽しまないといけないのだと思います。僕はこれを、社会性に対して、「自分性」とよぶことにしています。 社会的には損をするのかもしれないけど、どうしてもこだわりたいこと。人から見たらムダなことかもしれないけど、やってみたいこと。一度立ち止まってでも、自分の中で納得がいくまでしっかりと考えてみたいこと。 自分を尊重して、内面を充実させるための行為や決断は、短期的には社会的なデメリットがあることかもしれません。もちろん、仕事や生活を維持するためには、なにもかも自分の感覚通りに決断するわけにもいきません。 複雑な社会環境の中で、いろいろなものとのバランスをとりながら「自分性」を高めていかなければならない。そんな難しい時代になってきました。 http://president.jp/articles/-/16619 なぜ、エリートほど激しく「嫉妬」するのか? プレジデント 2月23日(火)15時15分配信 なぜ、エリートほど激しく「嫉妬」するのか? 写真・図版:プレジデントオンライン ■嫉妬心のネガティブとポジティブ 他人の成功や幸せに直面にすると、僕たちは「嫉妬」という複雑な感情を抱きます。この感情は、専門分野では「社会的比較ジェラシー」と呼ばれていて、学校の成績や出世の順番など、相手との「社会的な比較」のなかで生まれるようです。 強い「ジェラシー」が生じると、多くの人はそれを「ウザい……。こいつ死ねばいいのに」などといったマイナスのネガティブな感情に変えてしまいます(下方比較)。しかし、一部のポジティブな人は「スゴいな。自分も頑張ろう! 」といったプラスの感情に変えることができ(上方比較)、複雑な競争社会の中でも良好な人間関係を築いていけるというのです。 この、嫉妬心のネガティブとポジティブの境目はなんなのでしょうか。 ある研究によると、この「社会的比較ジェラシー」なるものは誰に対しても生じるわけではなく、自分が関心を寄せる分野で、自分と類似性の高い身近な他者が少しだけ優位な場合に最も経験するものだといいます。 「類似性の高い身近な他者」が“少しだけ優位な場合”というのがポイントで、例えば、全国的に活躍するぶっちぎりにすごい成功者などに対してはあまり嫉妬心が起きません。一方で、自分と同じ会社の身近な同僚のちょっとした仕事の成功には、はげしく嫉妬してしまうということです。 これは、なんとも面倒くさい話です。 ■境目は「自尊心」 そもそも、僕たちはなんで「他者の優位」に対して嫉妬してしまうのでしょうか。 海外のある研究によると、「他者の優位」は自分の「自尊心」というものを激しく脅かしてしまうようです。つまり、嫉妬心は自分を守ろうとする“防衛反応”の一種だというのです。 そして、その嫉妬心が「死ねばいいのに」といったマイナスのものになるか、「僕も頑張ろう! 」というプラスのものになるかにも、「自尊心」が大きく関わっています。簡単にいうと、自尊心が低い人は、「他者の優位」に対して拒否や攻撃といったネガティブな行動を起こしやすく、一方で自尊心が高い人は、挑戦的でポジティブな行動を起こしやすいというわけです。 さて、嫉妬による行動をポジティブにもネガティブにも変える「自尊心」とは、一体どのようなものなのでしょうか? 自尊心(self-esteem)とは、自分を大切にできる気持ちのことをいうのですが、「“ありのまま”の自分を受けいれる力」が関係していると考えられています。この“self-esteem”については、日本のある研究者が説明に用いた「自己肯定感」という言葉がよく使われるようになりました。 これは単に、“自分に自信がある”というような意味ではありません。 自尊心や自己肯定感は、「社会的に評価されたり認められたりしているという『条件』がなくても、自分の存在には価値があると感じられること」、つまり自分の「無条件肯定」といいかえることができます。例えば、学校での成績が低かったり、会社でのポジションが低いなど「社会的比較」における条件は悪くても、信頼できる昔からの友達がいたり、家族に愛されていたりという人は、自分の存在そのものを認めることができ、高い自尊心を持てているようです。 ■エリートは自尊心が低い!? 「無条件肯定」の真逆にあるのが、「条件付き肯定」です。それは、自分が社会のなかでどれくらい有能な力を持っているのか、といった社会的比較の指標のなかで、自分の価値を“条件的”に認めることです。僕たちは学校で、テストでいい点数をとるとほめられ、勉強が苦手な場合でもスポーツでいい順位をとれば評価されてきました。それは、社会人になっても変わることなく、常に比較されながら「条件付き肯定」を奪いあう戦いをくりひろげています。 そんな社会的条件の階段を上りつめたのが、俗に「エリート」と呼ばれる人たちです。なんと彼らは、「自分は社会的に有能だ」という実感や強い自信は持っていても、自尊心や自己肯定感は低いということが多いようなのです。 なぜなら、「エリート」と呼ばれる人たちは常に“高い条件”で社会的に認められてきたために、人生の中で「無条件の自分」の価値を意識したことが少なく、「条件を失う」ということがとんでもなく危険なことだと感じてしまうようなのです。そして、身近なところに自分よりもさらに条件的に優れた人間が現れると、自分の存在価値や自尊感情が脅威にさらされて、ネガティブな嫉妬心に火がつき、時には攻撃的な態度に出てしまうのです。 社会に出て仕事や活動をしていれば、「社会的比較」や「条件」は永久につきまといます。それ自体は仕方のないことだと思います。しかし、嫉妬のたびに相手を拒否したり攻撃したりしていては、人間関係は不調になり、当然仕事もうまくいきません。 どこにいけば、社会的条件抜きの“ありのまま”の自分に出会うことができるのか? どうすれば、「無条件の自分」を認め、自尊心を高めることができるのか? そして、どうすれば、自分より条件的に優れた人間を歓迎し、健全なコミュニケーションをとることができるのか? 挨拶ひとつ取っても、所属や肩書の説明が必要な(気がしてならない)「条件だらけ」の都会で働くビジネスマンにとっては、とんでもなく難しい問題なのかもしれません。 若新雄純=文 前へ 1 2 次へ 2/2ページ 【関連記事】 社会的に成功しても埋まらない「充実感」の格差 〜社会性と自分性 「よけいなこと」に集中し、カオスから価値をつくる 〜アクセンチュアの挑戦(後編) ズレた若者を、あえて採用する 〜アクセンチュアとの取り組み(前編) 福井県鯖江市に17名の若者が体験移住 〜「ゆるい」というまちの魅力 「不完全」への投資価値 〜カリスマファンドマネージャーと語る(後編) 最終更新:2月23日(火)15時15分 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160223-00017453-president-bus_all&p=2
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