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(回答先: 新産業革命の光と影 変化受けとめて安全網を 投稿者 あっしら 日時 2016 年 2 月 20 日 04:44:34)
2016年02月15日 (月)
視点・論点 「人工知能をいかに進めるべきか」[NHK総合]
東京経済大学教授・東京大学名誉教授 西垣 通
近年、人工知能すなわちAI(アーティフィシャル・インテリジェンス)が注目を集めています。クルマを自動運転したり、外国語を翻訳したり、また、人間と会話するロボットの話題などがマスコミによく登場します。人間のようにものを考える機械というのは、昔からの人類の夢とも言えますが、これがまさに実用化の段階をむかえた、という声も聞こえてきます。とくに、ビッグデータ分析、つまり膨大なデジタル・データを処理するために人工知能が有力と見られていることは特筆に値するでしょう。
しかしながら一方、その危険性を指摘する意見も無いではありません。われわれは、この新しい技術とどのように付き合っていけばよいのでしょうか。
人工知能は半世紀以上にわたって研究されてきましたが、現在は第三次人工知能ブームと言われています。
第一次ブームは一九五〇年代から六〇年代で、この時のキーワードは「論理」です。文字や数字などの記号による論理操作を高速でおこなうことによって、人間の思考のシミュレーションを実行しようとしたのです。具体的には、パズルを解いたり、簡単なゲームをしたりする試みがなされました。しかし、人間の思考も社会の成り立ちも、厳密に論理的なものではないので、実用化にはほど遠かったのでした。
そこで、一九八〇年代の第二次ブームの時は、「知識」がキーワードになりました。知識命題をたくさんメモリに貯め込んでおいて、それを論理的に組み合わせて問題を解決しようというわけです。とくに専門家の代わりをするエキスパート・システムが評判になりました。しかし、現実には人間の知識はさまざまな曖昧さや論理的矛盾を含んでいるので、この試みも十分には成功しませんでした。
さて、現在の第三次人工知能ブームのキーワードは「学習」あるいは「統計」です。はじめから正確な論理処理をめざすのではなく、大量のデータを統計的に処理しながら、学習を重ねて問題解決能力を高めていこうという考え方です。とりわけ、これまでコンピュータにとって苦手だった画像や音声のパターン認識に有効なことは見逃せません。数年前からトピックスになっている深層学習(ディープ・ラーニング)は、人間の脳に似た構造のニューラルネット・モデルを用いるので、大変期待を集めています。やがて人工知能が、人間のように判断し、人間に代わって仕事をしてくれるという予測も出てきました。
中でもセンセーショナルなのは、米国の未来学者レイ・カーツワイルが主張している「技術的特異点(シンギュラリティ)」という予測です。これは、約三〇年後に、意識をもつ人工知能があらわれ、その知力が人間をしのぐだろうということです。この特別な時点二〇四五年がシンギュラリティと呼ばれるのです。
いったい、どのようにしてこの時点を算出したのでしょうか。カーツワイルの主張は、コンピュータの能力が指数関数的に増大していくという仮説にもとづいています。確かに半導体回路の集積密度は約一年半ごとに倍増してきました。人間の脳細胞の数はせいぜい一千億個くらいですから、近い内に人間の脳をしのぐ性能のコンピュータが出来るだろうというわけです。それだけでなく、人工知能が自分でさらに高性能の人工知能を作成する、という考え方が出てきました。そうなるともう、われわれ人間には及びもつかない世界が広がるでしょう。これが今、欧米で大騒ぎになっているシンギュラリティ予測なのです。
カーツワイルは楽観主義者で、三〇年後にユートピアがくると言います。しかし欧米には、これを大きな危機と見なす否定論者も少なくありません。たとえば車椅子の物理学者ホーキング博士や、マイクロソフト社の設立者ビル・ゲイツなどは、人工知能が人類にとって恐ろしい脅威になるのではないか、と警告を発しています。意識をもつ機械が意思決定をおこない、人間を支配する反ユートピアなんてゴメンだ、というわけです。いったい未来はユートピアか反ユートピアか、どちらなのでしょうか。
しかし、頭を冷やして考えてみましょう。私は、シンギュラリティ予測は外れると考えています。まず、カーツワイルの主張は人間の知力を単純にとらえすぎています。計算能力だけなら、とっくの昔から人間はコンピュータには敵いません。でも人間の知力は多様で、経済理論をつくったり、政治哲学を論じたり、恋愛小説をつくったり、絵を描いたりします。集積密度の増大カーブだけで比較できるはずはありません。さらに、意識をもつコンピュータなど、まだ存在しないし、今後うまれる見通しもありません。そもそも意識とは何かさえ、よく分かっていないのです。だからシンギュラリティ予測など、神様のかわりに人工知能を超越者と見なす、一神教的な妄想にすぎないのではないでしょうか。
ここで注目すべきなのは集合知です。集合知というのは、たくさんの人々の知識や意見を上手に組み合わせることにより、問題を解決しようという考え方にほかなりません。そこでは多様性がポイントなのです。ネットを活用した集合知はとくに期待されています。ビッグデータのなかには多様な人々の声が蓄積されていますから、これを統計的に分析すること自体、一種の集合知の探求とも言えるでしょう。
大切なのは、集合知をまとめあげる際に、人間が最終的判断をすることです。むろん、人工知能を活用することは重要なのですが、コンピュータに問題を丸投げしては絶対にいけません。なぜなら、現在の人工知能の核心は統計処理であり、したがって、一種の推測にすぎないからです。コンピュータを使っても、かならずしも論理的に正しいとは言えないのです。人工知能に人工知能をつくらせるなど、論外と言えるでしょう。
実用化段階を迎えた人工知能の研究で重要なことは、ドラえもんみたいなロボットがほしいなどといった、空想を追いかけることではありません。本当にわれわれの生活に役立つ、身近な技術をきちんと開発していくことなのです。
とりわけ大切なのは、法的責任や倫理、プライバシー、セキュリティなどといった、社会的な問題を十分に検討することです。たとえば、自動運転のクルマや介護ロボットが事故をおこしたら、どう処置すればよいのでしょうか。人工知能による金融操作で多額の損失がでたら、誰がいかに責任をとるのでしょうか。
ネットにあふれるビッグデータを人工知能により活用していくためには、技術にくわえて、人間と社会についての本格的な研究が求められているのです。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/237814.html
- 人工知能 可能性と課題 あっしら 2016/2/20 04:47:47
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