生活保護のリアル〜私たちの明日は? みわよしこ 【第39回】 2016年2月12日 みわよしこ [フリーランス・ライター] 「子ども医療費無料化」でも病院に行けない貧困層の現実 今回は、「子どもの医療費無料化」をテーマとして、貧困層にとっての医療費負担の意味を考えてみたい。生活保護では医療費は原則無料だが、「自費負担を導入したい」という財務省の意向は、年々、強くなってきている。医療費に少額といえども自己負担があったり、「後で戻ってくる立て替え払い」であっても立て替えるための費用が必要であったりすることは、貧困層に何をもたらすのだろうか?「子どもの医療費は無料」でも 医療から遠ざかる子どもたち 今回は、多くの自治体で無料化されていることになっている子どもの医療費を通して、
「自費負担がないから、不要なはずの医療の利用が行われ、患者と家族の問題行動に歯止めがかからない」 という都市伝説を検証してみたい。 というのは、生活保護の医療費については、一部自費負担や償還払い(立て替え払い)の導入が長年検討されてきており、2015年6月、財務省が「一部自費負担」を導入したいという強い意向を示したからだ(参考:財政審「財政健全化計画等に関する建議」35ページ)。もしも実現されたら、何が起こるのだろうか? 子どもの医療費は、大人が自分自身のために支出する医療費とは異なる側面を持っている。特に子どもが小さいうちは、医療が必要かどうかを考え受診するかしないか判断するのは、子ども本人ではなく親だからだ。自分のことなら、結果がどうあれ「自分が決めたんだから」と納得できるかもしれない。しかし、子どものに対する親としては、そんなに簡単に割り切ることができるだろうか? 「病院に行って、お医者さんに何か言われるのはイヤ」を理由として、親が必要な医療を子どもに与えないことは、「医療ネグレクト」そのものでもある。 長野県飯田市の病院で副院長を務めている小児科医・和田浩氏(60歳)は、 「よく『子ども医療費無料化』という言い方をしますが、そもそも「無料」ではない場合も多いのです」 と指摘する。飯田市では現在、中学生までの子どもの医療費に対する助成が行われており、「一定の負担金」を除く全額が助成される(参考:飯田市「子ども福祉医療費助成制度について」)。 「長野県では、『償還(立て替え)払い』となっています。健康保険での患者の2割(乳幼児)・3割(小中学生)の自己負担は、いったん医療機関の窓口で支払う必要があるのですが、支払った立て替え分は数カ月後に金融機関の口座に自動的に振り込まれるシステムです。『いちいち申請しなくて良い』というわけです」(和田氏) しかし、全額が払い戻しされるわけではない。 「長野県では1件500円の自己負担があります。病院で受診したら1件、薬の処方を受けて院外薬局で処方を受けると1件なので、院内処方ではなく院外処方の場合、1000円になります。だから、たとえば風邪だと、あまり戻ってこないんです。あるお母さんが、自分の子どもたちの医療費の自費負担が、どの程度戻ってきたかを計算してみたところ、50%以下でした」(和田氏) 長野県に住む子ども5人の母・Fさんは、子ども5人にかかった医療費の窓口支払い分と戻ってきた分を比較した。助成された部分は50%以下であった この家庭の場合、子どもたちの病気は、自己負担が1件平均1000円以下で収まる病気だったということになる。慢性疾患で通院が続いているのではなく、「風邪」「お腹をこわした」程度の病気ばかりだったのなら、むしろ喜ぶべきなのかもしれない。
「もちろん、重い病気で、たくさん検査をしたりすれば、立て替え分が戻ってくる比率は高くなります。でも、一時立て替えする費用も大きいわけです」(和田氏) その一時立て替え分の持ちあわせがなかったら? 「『病院にかかれない』ということになります。お母さんお父さんたちの話を良く聞いてみると、『お金のないときには、子どもを病院に連れて行くのをガマンする』ということが、少なくないんです。でも、それを医者には言わないんです」(和田氏) そもそも医療機関に現れない人々・現れることのできない状況を、医療機関や医師が把握することは可能だろうか? 「……医者は『お金がないので病院に行けない』という人々がいるということを、しばしば知らないままでいます。県の担当職員も、そういう実態を把握できていないだろうと思います。小児科医には『子どもの病気を治す』以外にも数多くの役割があるのですが、まずは来てもらえないと、役割を果たすことは困難です」(和田氏) 地方自治体判断で窓口での一時負担を軽減すると、国からの地方自治体への医療費助成がペナルティ的に減額される(国民健康保険療養給付費等負担金調整交付金の減額調整)のだが、日本の多くの県で、子どもの医療費は窓口での一時負担がない現物給付となっている。低所得層に対する一時負担の弊害が認識されてのことであろう。現在は国レベルで、その「ペナルティ」をなくす方向での検討が進められているところだ。 ところで、和田氏のいう「小児科医の役割」とは、何だろう? 「子どもの病気を治す」だけではない 小児科医の役割 「小児科医の重要な役割の一つに、『親に対する教育』があります。若いお父さんお母さんは、人間の身体や病気に対する十分な知識を身につけてから親になるわけではありません。お子さんを連れて病院に来られる機会は、そういったことを一つ一つ知って学んでいただく機会でもあります」(和田氏) たとえば、「自己負担がなくて無料だからといって、必要のない薬を欲しがる」という「問題行動」の背景には、しばしば知識不足の問題がある。医師が「不要」と判断しているにもかかわらず、患者は「必要」と思ってしまうことは、医師と患者が受けてきた教育や持っている知識の差によっても起こる。 「子どもの風邪の多くは、ウイルス性で自然に治ります。抗生物質は必要ありません。もともと日本は抗生物質を使いすぎる傾向があり、結果として抗生物質の効かない『耐性菌』が増えています。なので、心ある小児科医は、『抗生物質の使用は必要最低限にしよう』と考えています。でも親の方は、抗生物質を飲めば治り、飲まないと治らないと思っていることがあります。そういう親が『抗生物質は出してくれないんですか?』と言ったりするんです」(和田氏) さらに運が悪ければ、「不要な薬を欲しがる問題患者」とされてしまう。 「ウイルスと細菌の違いを知らない方が、親になって初めて、その違いから来る問題に直面するわけです。納得していただく必要があるんですが、『きちんと、分かるように伝える』が上手ではない医者もいます」(和田氏) もちろん医学的には「ウイルス性の風邪に抗生物質を使うべきではない」が正しい。 「でも、正しいことを『正しい』というと、それで親とぶつかることにもなります。まずは親の『こういう心配があるので、こうしてほしい』という思いを聞いて受け止めた上で、『でも、この場合は抗生物質出しても効かないし意味がないんです。それに耐性菌が増えることになり、お子さんにとっても良くないんです』と分かっていただいて、学んで成長していただく。小児科医には、そういう接し方が必要です」(和田氏) しかし、時間も気力も説明のスキルも必要だ。 「とても、時間がかかります。でも、医療機関の側は時間が足りません。私はだいたい、1時間で8〜12人を診ています。相談に時間がかかりそうな患者さんは、午前の最後に来てもらって、こちらが昼休みの分だけ時間の余裕がある状況で診るなどの工夫をしています。でも、もっと多くの患者さんを診ざるをえない医師もいます。時間がない中で、正しいことだけを伝えようと思うと、一方的に、押し付けがましくなりがちです。医師には、その悩みがあります」(和田氏) 相手が「問題患者」でなくても、コミュニケーションのすれ違いは、さまざまな理由で起こりうる。では、たとえば深夜の時間帯に「自費負担無料だから、時間外料金かからないし、混んでないし」と病院を訪れる「コンビニ受診」患者はどうなのだろうか? 「コンビニ受診」の背景にある 親たちの「時間の貧困」という問題 「夜間に、緊急性がないのに病院を受診する『コンビニ受診』で、地域の中核病院の小児科がパンクして小児科医が疲弊するという実態は、結構ありました。地域によって状況は違いましたが」(和田氏) 背景にある要因の一つは、自費負担が完全にゼロ円の場合、診察時間内の受診でも時間外受診でも患者側の金銭的コストは変わらないことだ。 「そういう現実を見て、小児科医の中から『窓口負担はあったほうがいい』という意見が出てきました。安易な受診・投薬・検査は良くないから、と。その小児科医たちは、正義感から、善意で言っていたのです。断じて『貧乏人は医療を受けられなくてもしかたない、必要なことなんだ』と思っていたわけではありません」(和田氏) 小児科や小児科医が疲弊してしまうと、受診する親子たちも多大なデメリットを受けることになる。 「でも、貧困層は忙しいんです。シングルマザーのダブルワークやトリプルワークは、普通です。昼間に子どもを病院に連れて行くことができず、夜にしか連れていけないということもあるんです。お金の問題だけではありません」(和田氏) 夜間に子どもを病院に連れて行ったことで責められる親たちは、昼間に連れて行こうとすれば収入機会を失うことになる。病気の子どもに治療を受けさせず、どうしようもなくなってから救急車を要請したら、「なぜ、こんなになるまで放っておいたのか?」と責められことになる。どの選択肢も救いがない。「究極の選択」だ。 「正義感を持っている善意の小児科医たちは、窓口での自己負担のために病院にかかれず医療を受けられない子どもがいる事実を知りません」(和田氏) 親も子も「自分は貧困状態で困っています」と声をあげることはない。自己負担によって病院を訪れる機会が減れば、困窮している親子の存在は、さらに見出されにくいものとなる。 「私も、数年前までそうでした。『そこまでのことはないだろう』と思っていました。だから、世の中の共通認識にすることによって、状況を変えられるだろうと思っています」(和田氏) 親たちの「自己肯定感」を 育んでいくことの大切さ 和田氏が心がけているのは、貧困層の親たち、特に母親たちの自己肯定感を高めることだ。親にかぎらず、貧困層には、生活・態度・服装・言葉遣いなど数々の「突っ込まれどころ」を持つ人々が多い。医療機関に行けば、「予約していたのに、すっぽかす」「定期通院が必要な持病を抱えているのに、発作の時しか来ない」「服薬や生活指導の指示を守らない」といった問題も発生する。和田氏はこのような問題に対して、 「自己肯定感が低くて、健康な生活をしようというモチベーションが低められてしまっている場合もけっこうあるのではないかと思っています」 という。「予約をすっぽかす」には、「その日、持ち合わせがなくて病院に行けない」もあるということだ。 「100点満点からの減点法で『あれができてない』『これもできてない』ではなく、そこまで頑張ってきた事実を誰かがきちんと指摘して、『頑張ったね』と言うことが必要だと思います。到達点は低いかもしれませんが。お母さんたちの自己評価は、貧困層にかぎらず、概して低いです。『お母さんだから、出来て当たり前』と世の中に思われていることって、実は大変な努力の連続なんです。『子どもに毎日ご飯を食べさせる』とか。その事実を指摘されることで、エネルギーが湧いてくる方、多いと思います。特に貧困層だと、世間からのバッシングがあって、さらに大きなストレスを抱えていますから」(和田氏) 和田氏は、このことを説明するときに、よく「コンビニ弁当」を例えに使うそうだ。 「忙しくて疲れているお母さんが、コンビニ弁当を子どもに食べさせると『子どもにコンビニ弁当なんて』と非難されがちです」(和田氏) 30年ほど前、新聞の投書欄で読んだ専業主婦の投稿を思い出す。夕方にスーパーに買い物に行ったら、仕事帰りの母親が出来合いのおでんを購入していたことに「なぜ我が家の味を作らないのか。子どもがかわいそうだ」と憤慨する内容だった。当時、大学生だった私は「私は卒業したら就職して、子どもを持っても仕事を手放さないつもりだけど、忙しくてお惣菜を買ったら、こんなふうに専業主婦に非難されるのか」と暗い気持ちになった。 「もしも独身で一人暮らしだったら、『今日は疲れて、晩ごはん作る余力ないから、もう寝ちゃえ』という選択ができます。でもお母さんが、子どもに何も食べさせないわけにはいきませんよね? コンビニにお弁当を買いに行くことにだって、それなりの努力は必要です。そこで誰かに『またコンビニ弁当』と言われると、自己肯定感が下がって『どうせ自分はダメだし』となってしまいます。でも、誰かに『疲れているのに、コンビニ弁当とはいっても、とにかく子どもにご飯を食べさせた。最低限のことはやったよね』と言われると、お母さんは『私、頑張ったんだ』と思えます。そう思えたら、『次は、もうちょっと頑張ろうかな』と思えたりします」(和田氏) それがないと、どうなるのか。 「仕事に疲れて、ストレスが多くて、自己肯定感も低い中では、『日々のコツコツした努力をしよう』と思い続けるのは難しいと思います。そういう人たちは、『自分は、世間の人に助けてもらったりもして、よりよい生活をする価値がある』『自分の子どもは、より健康的な生活を送る価値のある子どもである』とは思えなくなっていることが多いですから。学校の健康診断で異常や治療の必要性を指摘された子どもを、貧困層の親が医療機関に連れて行かないことがしばしばある背景にも、自己肯定感の低さが関係していると思います。今痛くなくて、日常生活に困ってなければ、お金も時間もないから後回し。『いよいよ』という段階にならないと行かなかったりするんですよね。貧困層ではない場合、『放っておくと痛くなるし大変なことになるし、今すぐ、早め早めに病院に行っておいて、健康な生活が送れるようにしよう』となるのですが」(和田氏) 長野県の子どもの医療費は、冒頭で述べたとおり、自己負担全額の一時立て替え払いや「1件500円」の自己負担が、貧困層の親たちにとって受診の大きな足かせとなっている。500円を超えた立て替え分は後日戻ってくるのではあるが、それでも、「立て替え払いが必要で、若干の自己負担もある」による問題は小さくない。 生活保護の医療が同様の方向に舵を切られてしまったら、「健康で文化的な最低限度の生活」から「健康」が消えることになりかねない。強引な指導によって、肉体の健康が維持されたとしても、精神を病んでしまうかもしれない。健康でなくなれば「文化的」も危うくなるだろう。残るのは「最低限度の生活」、もはや「生活」と呼ぶにも値しない「とりあえず死んでないんだから文句ないでしょ?」レベルの生存だろうか? 次回は、別府市の「生活保護ならパチンコ禁止」に対するペナルティに関する続報を予定している。別府市で起こったことは、別府市の立場からの見方・日本の生活困窮者支援制度が「困った人々」「感心しない人々」をどう扱ってきたかの歴史的経緯などとともに、より詳細に検証してみる必要があるだろう。 http://diamond.jp/articles/print/86121 なぜ、「邪悪な性格」の持ち主は成功しやすいのか? 2016年02月12日 トマス・チャモロ・プレミュジック ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの経営心理学教授。 サイコパシー、ナルシシズム、マキャベリズム…精神科学の分野では、この3つが「邪悪な人格特性」としてセットにされる。そして高い職位と経済的成功を得た人々の間で、これらの特性がより顕著に見られるという。邪悪な性格は、成功にどう関係するのか。
「すべてのサイコパスが刑務所にいるわけではない。一部は取締役会にもいる」。これは犯罪心理学者のロバート・ヘアが講義中に述べた、有名な言葉である。なお、その講義には「身近にひそむ捕食者たち」という見事なタイトルがついていた。 サイコパシー(精神病質、反社会的人格障害)は、人格の「邪悪な3大特性(dark triad)」と呼ばれるものの1つである。残りの2つはナルシシズムとマキャベリズムだ。 これらの特性は、臨床的に診断される人格特性とは異なり、人口全体で正規分布していることに留意すべきである。つまり、誰もがこれらの傾向を、低・平均・高の程度はあれども持っているが、それでもまったく正常でいられる。その特性が顕著でも、それだけでは仕事や私生活において問題があることにはならないのだ。そして、邪悪な3大特性が反社会性を示唆する一方で、キャリア上ではさまざまなメリットももたらすことが、最近の研究でわかってきた。 サイコパシーには一般に、不正直、自己中心的、無謀、非情といった傾向が見られる。 マキャベリズムは、うわべだけの魅力(愛嬌の良さや話のうまさなど)、人心操作、偽り、冷酷さ、衝動性などと関連している。この特性が高い人は倫理観に乏しく、「目的は手段を正当化する」と考えたり、「人より先んじるためには、多少のごまかしはやむをえない」という考えに賛同したりすることが多い。 ナルシシズムは、誇大妄想、過大な(ただし往々にして不安定で脆い)自尊心、他者を思いやらない利己的な特権意識などと関連している。その語源であるナルキッソスの神話が示すとおり、ナルシストは非常にわがままで自己愛に溺れやすく、そうなると他者を思いやることが難しくなる。 ナルシストには魅力的な人も多く、「カリスマ性」と呼ばれるものはナルシシズムが持つ対人的に望ましい側面だ。イタリアの政治家シルビオ・ベルルスコーニ、カルト教団「人民寺院」の教祖ジム・ジョーンズ、そしてスティーブ・ジョブズなどがその典型である。 ドイツの代表的な企業数社を対象とした最近の研究で、ナルシシズムは給与水準と正の相関を示し、マキャベリズムは職位の高さおよびキャリアの満足度と正の相関を示した(英語論文)。これらの相関は、人口統計的属性、在職期間、組織の規模、勤務時間の影響を調整した後でも有意なレベルにあった。 それ以前の別の研究では、15年間もの継続的調査によって次のことが判明している。サイコパシーやナルシシズムの特性を持つ人は組織階層の上位に多く見られ、経済的な成功度も高い(英語論文)。これらの発見と一致する研究として、ある推定によると、臨床レベルでサイコパシーと判断される人々が企業の取締役会に存在する割合は、全人口に占める割合より3倍も高いという(英語論文)。 これはまた、ビジネス界におけるサイコパスに関する古くからの概念にも通じるところがある。精神科医でサイコパシー研究の先駆者であったハーベイ・クレックレーは、1940年の古典的名著The Mask of Sanity(正気の仮面)の中でこう指摘している。サイコパスのビジネスマンは勤勉に働き、しごく正常に見える。ただし、「不倫、他者への冷酷さ、暴飲、過度のリスクテイク」が周期的に見られる。 なぜ、こうした悪しき輩が成功するのだろうか? その一因は、彼らの持つ暗黒面には、明らかにポジティブな部分もあるからだ。正と負の両面を併せ持つ性格について調べたある研究によると、外向性、新しい体験への積極性、好奇心、自己肯定感などは、一般に邪悪な3大特性を持つ人のほうが高い(英語論文)。また、3大特性は競争力を高める傾向もある――ただし、仕事で協力や利他的行動をしないことによってではあるが。 さらに別の研究では、サイコパシーとマキャベリズムは、威嚇と誘惑という2つの手段を助長することが示された(英語論文)。こうした戦術で潜在的なライバルを怯えさせ、上司を魅了するのだ。このことは、これらの特性の持ち主になぜ演技がうまい人が多いのか、そして(短期的な)性的関係に成功しやすいかの理由にもなる。 次のページ 彼らの成功は集団の犠牲で成り立っている ここで重要なのは、邪悪な特性による個人的成功が、集団の犠牲によって成り立つということだ。 邪悪な3大特性には確かに、適応力を高める効果がある(だからこそ悪しき輩の成功につながる)。しかしその成功には代償が伴い、代償を払うのは組織である。邪悪な特性には、進化論で言う「ただ乗り」の要素が見られる。そして環境が(政治的な意味で)汚れ堕落していけばいくほど、この種の寄生的な人格は繁栄する。 意外ではないが、邪悪な3大特性と職場でのいじめの相関を示す研究は数多い(英語論文)。また、あるメタ分析による研究では、邪悪な特性とマイナスの職務行動(窃盗、常習的欠勤、離職、破壊行為など)との間に強い関連が示された(英語論文)。この優れた研究は、1951年から2011年までに発表された邪悪な3大特性に関するすべての科学論文を分析した。その結果、マキャベリズム、ナルシシズム、サイコパシーはいずれも、マイナスの職務行動と関連し、組織市民行動(組織への自発的で無償の貢献行動)の欠如ともつながりが見られた。さらにマキャベリズムとサイコパシーは、「実際の職務パフォーマンス」と負の相関を示した(「キャリア上の成功」ではなく)。 また別の研究によれば、架空投資詐欺、インターネット詐欺、横領、インサイダー取引、汚職、不正行為は、すべて邪悪な3大特性と関連している。 しかし、よく言われるように「何事もほどほどがよい」というのも事実だ。ある研究は、(軽度ではなく)中程度のマキャベリズムが、最も高度の組織市民行動につながることを示している(英語論文)。その理由はおそらく、マキャベル的な人が政治力や人脈づくり、上司への対応に長けているからだろう。 軍のリーダー候補(士官候補生)を調べた別の研究では、特に優秀なリーダーは、ナルシシズムのポジティブな面を示しながら、悪しき面を抑えていたという(英語論文)。自負心と自己肯定感は高いが、人心操作と印象操作(自分を実際より大きく見せる)の傾向は低かった。 こうして見てくると、邪悪な特性とは「強みを発揮しすぎた結果」だと思えなくもない。適応力と短期的な成功には貢献するが、長期的には問題をもたらすのだ。特に、本人に自覚がない場合は厄介だ。 つまり邪悪な特性とは、人間の「有益にも有害にもなる人格特性」を表している。確かにそれはキャリア上の武器になることもあるが、それによる個人の成功が大きいほど、チームの被害も大きくなる。 チームや組織でライバルに勝つことが最大の目的であるのなら、邪悪な3大特性の持ち主がリーダーになるような事態はなるべく防ぐほうがいい。性格はキャリアを発展させる重要な要因ではあるが、邪悪な特性が有効なのは個人レベルであって、集団には寄与しないのだ。 HBR.ORG原文:Why Bad Guys Win at Work November 02, 2015 ■こちらの記事もおすすめします 腐ったリンゴは例外ではない:倫理観の低い従業員をマネジメントする法 堅実な「リスク回避型」の人が、危険なリスクテイカーに変わる時 トマス・チャモロ・プレミュジック (Tomas Chamorro-Premuzic) ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの経営心理学教授。ホーガン・アセスメント・システムズのCEO。コロンビア大学の教授も兼務する。 http://www.dhbr.net/articles/-/4111?page=2
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