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22年間で稼働250日、もんじゅ廃炉は断腸の思い
証言
青砥紀身氏[高速増殖原型炉もんじゅ所長]
2017年3月28日(火)
高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の廃炉が昨年末、決まった。稼働から22年、事故や不祥事が相次いだ。 発電しながら消費した以上の燃料を生み出す「夢の原子炉」と期待されたが、稼働したのはたったの250日。 近年では点検漏れが頻発。現場は再生に向けて努力を続けてきたが、その思いがかなうことはなかった。
[高速増殖原型炉もんじゅ所長]青砥紀身氏
(写真=北山 宏一)
1954年生まれ。84年、東京大学工学部原子力工学科修了後、動力炉・核燃料開発事業団(現日本原子力研究開発機構)に入社。同機構次世代原子力システム研究開発部門長などを経て2014年10月から現職。15年4月、理事に就任。
もんじゅ廃炉の概要
発電しながら使った以上の燃料を生み出す高速増殖炉原型炉の「もんじゅ」(福井県敦賀市)。国立研究開発法人の日本原子力研究開発機構が運営する。建設、運営費に1兆円を投じたものの事故や点検漏れなどの不祥事が相次ぎ、稼働日数は22年間でわずか250日にとどまった。2016年12月、政府はもんじゅの廃炉を正式に決定した。
福井県敦賀市にある高速増殖炉原型炉のもんじゅ。2010年に運転を停止して以来、再稼働に対する地元の期待もあったが、廃炉が決まった(写真=共同通信)
昨年12月、高速増殖炉原型炉もんじゅの廃炉が正式に決まりました。所長のミッションは当然ながら「もんじゅ再生」でした。2010年8月の事故以来、運転を停止した状態でしたから。
ですが、最終的にそれが成し遂げられなかった。そのふがいなさには自分自身、腹が立ちます。廃炉は断腸の思いで、残念としかいいようがありません。廃炉決定からしばらく時間はたちましたが、当時から私のこの思いは変わっていません。
日ごろから懇意にしていただき、もんじゅの再稼働を期待してくださった地元の方々、特に福井県敦賀市白木地区周辺の方々には大変、申し訳ないと思っています。
規制委にはしごを外された
昨年12月21日、関係閣僚会議で廃炉の方向性が決められ、その日のうちに松野博一文部科学相から指示書が渡されました。(もんじゅを運営する日本原子力研究開発機構の)理事長、副理事長とともに私もその場におりました。私の個人的な気持ちはどうあれ、従うべきものでした。
もんじゅの廃炉については、以前から様々な報道がありました。そうした報道を見ながら「単なる風聞もある。廃炉を唱える人も当然いるだろう」というレベルで見なしていました。
状況が変わったのは昨年9月16日、自民党の茂木敏充政調会長が「廃炉は不可避」との考えをメディアのインタビューで表明したことです。同月21日には関係閣僚会議で「廃炉を含めて抜本的に見直す」という話が出ました。これは、廃炉が正式に決まる事前の出来事としては大きなショックでした。
もちろん、それまでも、「廃炉までは議論が進まないだろう」と能天気に構えていたわけではありません。
15年11月、原子力規制委員会が当時の馳浩文科相に対してもんじゅの運営主体を日本原子力研究開発機構から変更するよう勧告をしました(編集部注:規制委は「機構に代わってもんじゅの出力運転を安全に行う能力を有すると認められる者を具体的に特定すること」「もんじゅの出力運転を安全に行う能力を有する者を具体的に特定することが困難であるのならば、もんじゅが有する安全上のリスクを明確に減少させるよう、もんじゅという発電用原子炉施設の在り方を抜本的に見直すこと」の2項目について半年をメドに措置を求めた)。
これは極めて厳しい内容でした。いわば、私たち運営者は「舞台から出ていけ」ということですから。
当時、この勧告について私は「はしごを外された感がある」と報道陣の取材に答えました。所長に就任以来、現場の改善、改良を進めてきました。勧告が出る数日前、新たな改善計画を規制委にも説明をしました。さらに一歩、進めようとしていた矢先のこと。「成果を待ってはいただけないのか」との思いから、正直に感想を述べました。
確かに15年、四半期ごとの規制委の保安検査で点検不備などによる保安規定違反が続きました。しかし、それもしっかり手を打っていけば改善できると考えていました。
勧告が出ていろいろとお叱りを受けながらも、自分たちがやるべきこと、つまり、もんじゅ再生に向けた作業を続けてきました。改善計画を実行し、昨年8月にはその成果を報告書にまとめました。
ですからその直後の9月にもんじゅの見直しの方向性が出されてからは、再稼働の必要性や得られるだろう成果について、技術的な側面を含めて関係者には説明を続けてきました。最後の最後まで説明していこうという思いでした。しかし、残念ながらもんじゅの再生は最終的にかないませんでした。
資源を繰り返し使える原子力システムの原型炉としてもんじゅは1994年に初臨界しましたが、翌95年12月にナトリウム漏洩事故が起き、運転を停止しました。その後、2010年に運転再開するものの、装置の落下事故で再び運転を停止しました。22年間で稼働したのは250日間のみでした。
最初の失敗を引きずった
この22年間の時間の費やし方を振り返ってみると非常に残念でした。多くの関係者にとって後悔があると思います。1995年の事故後、再稼働まで14年がかかった。本来であれば、もっと早く稼働して、何か問題があれば検証して再稼働させる。そのために時間を費やすべきでした。
例えばロシアの高速増殖炉はナトリウム漏洩事故を何度も起こしていますが、長くても数カ月で復旧して技術と経験を蓄積していきました。
もんじゅでそれができなかったのは当時「事故を事件に変えてしまった」といわれたように、事故を隠蔽して社会的な信頼を失ったことなど、世の中の動きを読めなかったからです。訴訟もありました。(日本原子力研究開発機構の前身である当時の動力炉・核燃料開発事業団は)社会との関わり方が下手で貧弱な組織だったと認めざるを得ません。
2回目の事故から復旧するため補修工事を終えた2011年、東日本大震災が発生し、福島第1原子力発電所事故が起きました。もんじゅの再稼働は中止。12年には約1万点の機器で点検漏れが発覚しました。
点検ミスについては、現場の甘えがありました。問題が起きてから修正すればいいという甘さがまずあり、そのサイクルを回す前に点検の期限を超過してしまった。さらに、職員がシステムを理解せず、放置してしまった。
私はもんじゅ自体に致命的な技術的な困難さがあったとは思っていません。ですが、最初の失敗を引きずり、世間の不信感を払拭することができぬまま今に至ってしまいました。
廃炉には長い年月がかかります。これまでと方向は違いますが、私たちがやるべき次の仕事で、その意味では、何も変わることはありません。
「日本の50年後、100年後のエネルギー供給で、一つの確立したシステムとして資源を繰り返し使える原子力を提示したい」という思いが揺らぐことはありません。
事故や不祥事が続いた
●もんじゅに関する主な出来事
(日経ビジネス2017年3月27日号より転載)
このコラムについて
証言
時代を切り拓き、その先に見えるものを。誰もが忘れ去ろうとしているものを、今なお思い起こしつつ。あるいは、わずかな人だけが見ることのできる地平に立ち、その眼に映るものを。語り得る人たちのその言葉を、問わず語りで、ありのままにお伝えします。
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