http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/689.html
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「訃報 肥田舜太郎さん100歳=広島原爆で被爆の医師」 (毎日新聞 2017/3/20)
http://mainichi.jp/articles/20170321/k00/00m/040/062000c
広島原爆で被爆し、医師として被爆者医療に尽力した肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)さんが20日、肺炎のため亡くなった。100歳。葬儀は26日午前10時半、さいたま市浦和区瀬ケ崎3の16の10のさがみ典礼北浦和葬斎センターで営まれる。喪主は元全日本民医連会長の長男泰(ゆたか)さん。
軍医として広島陸軍病院在勤中の1945年8月6日に被爆し、直後から被災者救護にあたった。戦後、東京や埼玉で低所得者向けの診療所を開設し被爆者を診察。30年にわたって日本被団協原爆被爆者中央相談所(既に解散)の理事長を務め、全国の被爆者への医療相談に取り組んだ。医師の立場から原爆被害の実態を伝えるため、欧米など海外約30カ国も訪問。各国の反核団体と連携して核兵器廃絶を訴えた。
2000年代の原爆症認定集団訴訟では証人として出廷し、長年の臨床経験と海外の文献研究を基に証言。原爆投下後に広島・長崎に入った「入市被爆者」が、飛散した放射性物質を呼吸や飲食で体内に摂取し、「内部被ばく」を起こしてがんなどの原因になったと訴えた。国の認定手法の問題点を突き、原告勝訴の判決を引き出す力になった。
09年に医療の第一線から退いた後も、各地で精力的に講演活動を展開。毎日新聞が06年から続けている記録報道「ヒバクシャ」でも反核や平和への思いを語っていた。
---------(引用ここまで)--------------------
福島原発事故による放射能汚染で倒れる人が激増している現在、広島で自らも被ばくし、
数え切れないほどの被ばく患者を診察した肥田先生の貴重な知見・経験が、
これから生きるという矢先に亡くなってしまいました。
とても残念に思います。
心から御冥福をお祈りいたします。
(関連情報)
「被曝日誌ノススメ -- 肥田舜太郎先生の「被爆と被曝」を読んで」 (拙稿 2016/8/12)
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/295.html
「山手線車内が血だらけで騒然 体のあちこちから出血、血が止まらないのは
被ばくの典型的症状 」 (拙稿 2016/10/20)
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/637.html
「特集ワイド:被爆医師は今も闘う 死ぬほどだるいと訴える全身衰弱「ぶらぶら病」、
福島で出ても不思議はない (毎日新聞)」 (阿修羅・赤かぶ 2012/1/13)
http://www.asyura2.com/12/genpatu20/msg/196.html
「ほんの少しでも放射性物質を吸い込むと、いつ爆発するかわからない時限爆弾を
体の中に持っているのと同じ状態になります。」 (阿修羅・gataro 2014/4/29)
http://www.asyura2.com/14/genpatu37/msg/693.html
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