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BuzzFeedによる東京大学教授・早野龍五教授のインタビュー記事です。
のちのち都合が悪くなって削除・隠ぺいする可能性があるので、将来の裁判に備えて、
証拠保全のため、長いですがここに全文を引用します。(みなさんもコピーを取っておいて下さい)
この早野氏の発言は、すでにあちこちで厳しい批判を浴びており、ここで細部にわたって反論するつもりは
ありません。
一つ言いたいことは、物理学者には、放射能汚染による被ばく被害、とくに内部被ばくについて、
その危険性を指摘、警告する資格はありますが、安全性を保証する資格は全くないということです。
解剖すらしたこともない医学の素人が、なぜ、何を根拠に子ども産んでも大丈夫とか、
汚染地帯で採れた農作物を食べても心配ないと言えるのでしょうか?
あなたが転倒して足を強打したとしましょう。痛みがいつまでもひかないし、歩けない。
骨にヒビが入っているのかもしれない。
そこへ、物理学者の早野教授がやってきて、
「転倒で足に加わった力はこれこれです。これぐらいの力では骨は損傷することはありません。
放っておいても治ります。心配はいりません」
と言ったら、あなたは信じますか?
物理学者の「安全だ。健康上問題ない」という発言は決して信じてはいけません。
のちのち危険だと判明しても、彼らはいざとなったら絶対に責任を取りません。
「プルトニウムは飲んでも大丈夫」、「首相、原子炉は絶対に爆発しません」と自身満々に話していた東大の教授が、
今どうしていますか?
信じるものはすくわれる。足をすくわれるのです。
もう一つ指摘したいことは、彼の主張は何の科学的な根拠もないデタラメばかりですが、
それがカルト宗教的な色彩を帯びてきたことです。
福島は取り返しのつかないほど汚染され、復興は不可能であり、住み続ければ被ばくで死ぬ、という冷たい現実を
受け入れられない人々が、少しでも安堵を得るために藁をもつかむ思いで彼の言説を支持するわけです。
悲惨な被ばく被害が顕在化し、もはや安全デマを全く信じない人がどんどん増えている中、
放射能安全論者は数を減らしながらカルト化しつつあるのです。
原子力自体が科学・工業技術ではなくカルト宗教のようなものですから、これは当然の帰結と言えるでしょう。
-----------(引用ここから)----------------
「科学者がいま、福島の若い世代に伝えたいこと 『福島に生まれたことを後悔する必要はどこにもない』」
(BuzzFeed 2017/1/9)
https://www.buzzfeed.com/satoruishido/hayano-san-01
Satoru Ishido
石戸諭
BuzzFeed News Reporter, Japan
早野さんが若い世代に伝えたいこと
物理学者、早野龍五さん(65歳)。東京大学教授にして、福島第一原発事故後、その言動がもっとも注目された第一線の科学者だ。
事故直後、あらゆる憶測、流言、デマがインターネット上を飛び交った中にあって、早野さんは「事実」を分析し、ツイッターで情報を発信し続けた。
発信はつながりを生み、「本業」と並行して福島の支援にもかかわっていく。学校給食の調査、子供用の内部被曝測定器の開発、地域の高校生たちとの活動……。そんな早野さんが今年、東大で定年を迎える。
原発事故、震災から6年目を迎えようとするいま、福島の若い世代に伝えたいことは何か?いつもの穏やかな口調で語りはじめた。(全2回。後編はこちら)
「自分の子供を産めるかどうか」という不安をもつ若い世代を減らしたい
震災5年という節目が終わって、6年目に向かっています。いま最大の課題は何か、ですか? 僕の答えはひとつしかありません。「自分の子供を産めるかどうか」という不安をもっている若い世代を減らすことです。
福島第一原発事故の被害者はいない、という人たちがいます。これは違います。多くの関係者の努力で、外部被曝も内部被曝も、大きな問題はほぼなくなりました。
でも、こうした若い世代の不安は「被害」ではないのか。これを放置しているのではないのか、という問題は残っています。なぜ、この問題を軽く見るのか。福島県で話していても、経済の話、農業の話は深刻だという大人たちはたくさんいます。だけど、この問題が最優先だ、という話はほとんどされないですよね。
経済も、確かに重要な問題なんです。でもね、最優先の問題は何かという話なんです。
「子供を産めるかどうか、生徒から聞かれたらですか? 答えは躊躇なくイエスです」
福島高校で実際に体験したことをお話します。2015年6月、僕は講演をしにいきました。そこで、生徒たちにいくつか質問をしたんですね。福島高校は、県内でも屈指の進学校で、理系教育だって充実している。
目を閉じて、周りを見ないで手をあげてください、と僕は呼びかけました。最初に聞いたのは、家で福島産の食材を買うかどうかです。買わないという家は1割〜2割くらいだったかな。次は外部被曝線量が高くて不安かどうか。これは少なかった。5%いるかいないか。
自分の子供を産めるか不安か、と聞くと10%くらい手が上がったんです。1割は事故から4年たっても、まだ不安だっていうんです。これだけ理系教育も充実している福島高校で、1割は不安だと手をあげる。潜在的にはもっと多いかもしれないし、他の高校だったら、比率はもっと高いかもしれない。
子供を産めるかどうか、生徒から聞かれたらですか? 答えは躊躇なくイエスです。問題なく産める、と即答しますよ。そんな不安をいまでももたせていること自体が罪深いことですから。
僕は科学者として、データを集め、それを公表してきました。とにかく大事にしてきたのは、いま福島に生まれたことを後悔する必要はどこにもないということです。
福島で実際に人々が生活している地域より自然放射線の量が多い地域なんていくらでもあります。福島は、外部被曝も内部被曝も日本の他の地域、世界各国と比べてもまったく問題ない。
いま、福島県で流通しているものをどれだけ食べても、他の地域と比べて問題になるような内部被曝はありえません。
これはデータをみて、自信をって言えることです。なのに、これだけ不安だという生徒が残っている。
「不安が知識だけで解決するわけではないこと。これは、よくわかっています。だからといって教育を何もしないっていうのは間違っていると思うんです」
考えてみれば、彼らは2011年当時、小中学生です。家庭でどういう判断をしたか。一時的に福島を離れるかどうか、親御さんも真剣に考えたでしょう。各家庭にそれぞれの判断があったんだろうな、と想像します。
僕は、こうした不安が残っているのは、科学教育が不足しているからかな、と思ってしまうんです。もちろん不安が知識だけで解決するわけではないこと。これは、よくわかっています。
でもね、だからといって教育を何もしないっていうのは間違っていると思うんです。僕と一緒に論文も書いている医師の坪倉正治さん(南相馬市立病院などに勤務。初期から医療支援にあたる)が、相馬市内の高校で講演したときにこんな感想が寄せられているんです。
「今までの生活でこの地域は放射線が多くて『将来死ぬの早いんだろうな』なんて考えた事もありましたが、講話を聞いてこの地域の放射能の低さや安全さなどがとても分かりやすく説明され、今後の生活も安心しました」
「野菜や米、土地など安心だと言われてもやはり信用ができませんでした。スーパーでも福島県の野菜や米などは買わないようにしていました。しかし、福島県の放射線量は他の県と変わらないと聞いて、前までは食べることを避けていた福島県の野菜や米を食べるようにしようと思うようになりました」
「目指すべき目標」がある
福島の高校生って進学や就職で、結構な割合が県外にでるんですよ。考えないといけないのは、自分は何にも思っていなくても、結婚するときに、相手の親戚から「えっ福島の人なんですか」とそれとなく聞かれるかもしれないリスクなんです。
あるいは「福島の人は……」みたいな調子で、もっと露骨に嫌がられるかもしれない。過去に、広島と長崎で起きたような差別が福島で起きるということです。
表だって取り上げるには、はばかられる話題だけど、それだけに社会には、深く沈殿していると思うんです。福島から避難した人へのいじめ問題と根は同じでしょう。
そのときに大事なのは、「自分の言葉で語ること」だと思うんです。泣き寝入りする、福島に生まれたから仕方ないと思うではなく、ちゃんと自分たちの状況を説明できること。できれば、自分のデータも説明できるようになったほうがいいと思っています。
これは相当高いハードルだけど、目指すべき目標です。
振り返ってみれば、事故後は、SNSでいろいろな発言が飛び交いました。ひどいデマと戦った人もたくさんいました。でも、5年たって、メディアの関心は圧倒的に薄れた。もう、普段は福島の話題を報道していません。すごく減ったと思います。
専門家も発言する機会が少なくなりました。県内メディアと中央のメディアの間で、情報量の格差がものすごくありますよね。
一方で、事故から3年後、5年後には福島に人は住めなくなっている、病気が多発するんだという人たちもいました。僕の観察範囲だと、彼らはいまでも同じような発言を続けています。手を変え、品を変え、彼が言っていることは、「福島は危ない」ということに尽きます。自説は絶対に曲げないですね。
危ないという発言は少数ながら、強く残っている。メディアの発信は減った。その結果、起きていることは、2011年の段階の不安がまだ残っているという事実です。
「広島や長崎の歴史を僕たちは克服していない」
一概にメディアが悪いというわけではないです。広島や長崎の歴史を僕たちは克服していないということです。あの辛い歴史から、何も学んでいない。あれだけの人が亡くなり、大量に被爆したという悲劇から、ですよ。
広島、長崎の「被爆者」を対象とした疫学調査が、放射線防護の知見にどれだけ生かされているのか。その重みを受け止めないといけないと僕は思う。
将来にわたって、福島の子供たちが結婚、出産するときに被曝の影響はない。これが広島と長崎の経験からわかっていることです。
それなのに「自分の子供を産めますか」がまだ問われているんです。強い言い方になりますがね、一番の問題はここにあるって思えよって声を大にして言いたいんです。
みんなで考えるべきは、「自分の言葉で語る」たに何ができるかです。たどたどしくたって、いいんです。できれば、根拠を持って説明できたほうがいい。世間の風はもっと厳しいですからね。
福島を安全だと聞きたくない人はたくさんいます。彼らは決して自分の意見は変えません。でも「自分は子供を産めますか」とか「水道の水を飲んでもいいですか」といった問題を聞きたい人はいっぱいいるんです。
彼らは日々の生活に向き合っている。だから、僕は聞きたい人のために時間を割いて応えていきたい。
「僕はデータを語って『大丈夫』だと言っているのであって、思想を語っているわけじゃないんです」
専門家のコンセンサスを確認しておきましょう。事故から5年がたち、内部被曝の問題はもう決着しています。震災初期から、例えばイノシシの肉やきのこといった、ごくごく特定の食品を食べていた人は高かった。それでも高い、と言われた人たちだって年間1mSvを超える人はいませんでした。
出荷制限がかかるような食品を食べたからといって、実は心配されるような線量には達していないんです。これが重要なことです。
いま、内部被曝を心配する人で、1年で1mSv被曝するだけのセシウムを食べることがどれだけ大変なのか、知っている人はどれほどいるのかなぁ。福島県産で、それだけ食べられる人はいませんよ。
福島県内を駆けずり回るイノシシを捕まえて、毎日おなかいっぱい食べたところで、達しないでしょう。不可能なレベルです。関係者のものすごい努力で、ここまで低いレベルにあることを忘れてはいけないんです。
最初期は、僕も危惧しました。特に内部被曝はとても危惧していました。だから、データをつかって調べてみようと思ったんですね。実際に関わるようになるのは、2011年の秋以降でした。
県内各地のホールボディカウンター(内部被曝を検査する機器)で計測したデータを数多くみましたが、内部被曝は心配にならないくらい低かった。
その次の年にかけて、南相馬市で追跡調査をしたデータもみました。目立って内部被曝が増えている人はほぼいなかったんです。これで内部被曝は実際には、かなり低く抑えられているんじゃないかって確信を持ったんです。
その頃には、僕が提言して、福島市内で給食まるごと検査が始まり、そのデータも集まり始めていました。これは、実際に児童が食べる給食の放射性物質を1食分丸ごと測るという取り組みですね。結果をみてさらに確信しました。
時系列は少し前後するのですが、2012年6月、福島のリスクは高いんじゃないか、と考える科学者の集まりに呼ばれて参加したことがあります。いま話したようないくつかのデータを使って講演をしたら、手厳しい批判を受けました。
その批判、一部は当たっているんですよね。「あなたたちは、全員を測ったわけではないでしょう」「安全な人だけ選別しているのではないか。きっとどこかで高い人がいる」という点は特に当たっている。その通りだと思いました。
だから、その後も実測データを積み上げました。例えば、三春町の子供達の内部被曝量を全員計測するというプロジェクトにも関わりました。
乳児用の測定器「ベビースキャン」というのも作って、県内の乳幼児を6000人以上測りましたが、ひとりもセシウムを検出していないんですよね。三春の子供たちも心配ない。
子供たちの実測データでこれ以上のデータがあるなら、僕はぜひみて見たい。僕はデータを語って「大丈夫」だと言っているのであって、思想を語っているわけじゃないんです。
「福島産を食べることはまったく問題ないと断言できるようになりました」
福島県の子供を対象に検査が進んでいる甲状腺がんの問題とも関わってきますが、福島産の米で、1キロあたり100ベクレルという基準値を超えたものは、2015年でついに0です。
米農家や関係者の頭の下がる努力の成果であり、人々が普段食べているものなら、福島産を食べることはまったく問題ないと断言できるようになりました。
これまでのデータの積み重ねから、僕は、原発事故によって甲状腺がんが増えることはない、と考えています。増えたようにみえる検査結果については、多くの科学者と同じように過剰診療の結果だろうと判断しています。
あまりにも高い精度で検査しているため、本来なら見つからないはずのもの、見つからなくても問題ない甲状腺がんが見つかってしまった。発見された家族の気持ちを考えば、非常にセンシティブな問題を含みますが、もちろん、命に別状はない。
確かに科学は多数決で決まるものではありません。一部には、これは原発事故が原因ではないか、と批判する人もいます。批判に耳を傾けることは重要ですが、大事なのは、データで語ることでしょう。
この問題については、2017年中には新たな知見が積み上がるものと思います。
(1月10日公開の後編に続く)
「『いずれ自分の言葉で福島を語らなければならない』 高校生に、科学者が託した思い」
(BuzzFeed 2017/1/10)
https://www.buzzfeed.com/satoruishido/hayano-san-02
Satoru Ishido
石戸諭
BuzzFeed News Reporter, Japan
早野さんが若い世代に託す理由
1月9日公開の前編に続いて、科学者・早野龍五さん(65歳)の聞き書きを公開する。東京大学教授にして、福島第一原発事故後、その言動がもっとも注目された科学者の1人が早野さんだ。
事故直後、あらゆる憶測、流言、デマがインターネット上を飛び交った。その中にあって、早野さんは「事実」を分析し、ツイッターで発信を続けてきた。
後編は給食まるごと検査の役割から、高校生とともに福島第1原発を訪れた理由まで。若い世代に託した思いを語る。
「科学的に合理的なことが、社会的には合理的ではない。こんなことは現場に山ほどあるわけです」
いま、流通している福島県産の食材を避ける理由は科学的にはまったくない。しかし、どんなに微量であっても、事故前には存在していなかったはずの放射性物質を食べたくない、放射線を浴びたくないという人たちの気持ちもよくわかります。
内部被曝の問題は、リスクと生活の兼ね合いというのをもう考えてもいい時期に入っていると思います。大事なのは、バランスです。
例えば、個人的には、放射線量が高い傾向にある山菜だって、食べても構わないと思うんです。出荷制限がかかっているので当然、出荷はダメだけど、個人でとってきて、責任をもって食べるならいいんじゃないかと。
(※前編参照「出荷制限がかかるような食品を食べたからといって、実は心配れるような線量には達していないんです。これが重要なことです」)
住民の方と話していると、山菜を食べることで得られる生活の充足感ってすごくあるんですよね。
飯館村のある区長さんから、食べてもいいのか、と聞かれたから「山菜を食べることは積極的には勧めないけど、自分の生活で山菜を食べることが大事なんだという人を止めることはしない」と答えました。そしたら、「そんな大事なことはもっと早くいってくれ」と叱られたんです。
「科学的に正しいから、でみんなが納得するとは限らないんですよね」
震災からもうすぐ6年ですね。事故後初期には必要な警戒だったけど、役割を終えたものもたくさんあると思います。
個人的には、僕自身が提言したことなので、なかなか言いづらいことではあるのですが、給食のまるごと検査(実際に児童が食べる給食の放射性物質を1食分丸ごと測るという取り組みです)も、もう役割を終えてもいいと思っています。
2016年4月から、最初期に給食まるごと検査を導入した神奈川県横須賀市がやめました。決断に敬意を払いたいと思います。日常に戻れると判断したら、戻っていいんですよ。
福島市は給食に地元産の米を使っていますが、常に検出限界値以下です。1ベクレル未満の食事が食べたいなら、福島市で給食を食べるのが一番いい。そう言えるくらい、データが集まっている。
用心することは重要だというなら、両論併記が大事だというなら、こうしたデータも両論併記で伝えるべきだと思うのですが、こういうことを書かないメディアもたくさんあるんです……。
どういう条件が整ったら、やめるか。もうオープンな議論を始めてもいいころでしょう。そこで行政がいきなり決定するのはではなく、議論を通じて、みんなが納得できる落とし所を探ること。大事なのはコミュニケーションそのものです。
科学的に合理的なことが、社会的には合理的ではない。こんなことは現場に山ほどあるわけです。
例えば除染。必要な家と必要じゃない家をわけることは科学的には可能ですよ。でも、必要な家だけ優先したらどうなるか。あそこは線量が高い家だ、となってコミュニティを分断するんですよ。それはやっちゃいけないんです。
科学的に正しいから、でみんなが納得するとは限らないんですよね。
「現場の彼らを知らなかったら、僕は東京にいて自分の研究室で、これいいアイデアだなぁと思って突っ走って、
実現させようとして、失敗していたと思う」
そんな話を僕が考えるようになったのは、地域住民の方々とお話をしたり、現場の先生方と議論を重ねたり、なによりツイートを読むことが大きかった。特に心配だという人、放射能が怖いという人のツイートですね。
中には僕への批判もありますが、かなり時間をかけて今でも読むようにしています。ツイッターで情報を発信するだけでなく、何を不安に思っているのかを感じたいんですよね。
10年前、50代半ばの早野ならこんなことは思わないでしょう。科学的なデータだけを突きつければいいと考えたと思う。
でも2011年以降は、失敗をしながらコミュニケーションについて考え、学んできました。言わなきゃよかったというツイートなんて山ほどあるしね。
現場にいる坪倉正治さん(医師、南相馬市などで診療活を続けている)や福島県立医大の宮崎真さんといった医師の人たちとコミュニケーションをとらなかったら、失敗はもっと多かったんだろうなぁと思います。
僕はなにか言うからには行動が大事だと思っているんです。これは前から変わらない。他人がやらないことで、自分ができるなら、僕がやるしかない。
でも、現場の彼らを知らなかったら、僕は東京にいて自分の研究室で、これいいアイディアだなぁと思って突っ走って、実現させようとして、失敗していたと思う。変なツイートで現場を混乱させることもあったでしょう。
今でもその危険性はありますが、何かを発言するときにすぐ思い浮かべるのは、現場の人たちです。現場で頑張っている人たちが困るかどうかを一つの判断基準にして、まずは彼らの顔を思い浮かべて考えるん'す。
そして、やっぱり高校生ですよね。彼らの未来にとってどうかというのも一つの基準です。高校生と出会わなかったら、こんなに教育が大事だと思うこともなかったでしょう。面白いことに、年を重ねていけばいくほど、若い人と接する時間が増えてきたんですよ。
「そこで大事なのは、ドアを叩き続けることです。ドアは叩き続ければいつかは開く」
さてここで、僕がなぜ、福島第一原発に福島高校の生徒たちを連れて行ったのかという話もしておきましょう(※日経新聞によると、生徒たちの被曝量は全員が0.01ミリシーベルト以下)。
絶対に確認しておかないといけないのは、廃炉をブラックボックスにしてはいけないということです。
次に、誰が廃炉を最後まで担うのかということ。それは僕たちの世代ではないし、現役の東京電力の幹部でもないということです。
見届けるのは、いまの高校生たちの世代です。僕になにができるのかを考えたとき、一番大事なのは、彼らが自分たちの言葉で福島を語れるようになることです。それには、廃炉も含まれます。
もちろん、なにをどうやっても連れて行くことに批判が出ることは想定していました。まず、メディアも連れて行ったことですね。
メディアを連れて行くことは、絶対に必要だったと思っています。それは、いまも変わりません。仮にひっそりと行ったらどうなるか。いずれ、表にでて今度は「なぜこっそりと行ったのか」「ブラックボックスだ」と福島高校や生徒も含めて批判されることが目に見えています。
当然ながら、こうした動きは必ず表にでます。そのリスクと比較して、メディアを同行させたほうがいい、というのが僕の判断です。クローズドよりも、オープンにしておいたほうがいいということです。
福島高校の生徒たちは、遅かれ早かれ、自分の言葉で福島を説明しなければいけなくなる。それならば、ここで勉強しておくことは決して無駄にはならない。
東電の意見を代弁する存在ではなく、彼らは自分の言葉で語らないといけない。メディアをいれたときに一番気をつけたのは、彼らが東電を「代弁」しているかのように切り取られることでした。
不本意な取り上げられ方もなかったとはいいません。しかし、それがあったとしてもなお、僕はメディアとともに行ってよかったと思います。
地元の人にも簡単には認められない廃炉の現場に高校生が入れたのは、僕が東大教授だからだとか、ツイッター上で影響力があるからだ、ともいわれました。
それはあるでしょう。だからこそ、そこで大事なのは、ドアを叩き続けることでした。ドアは叩き続ければいつかは開く、ということを示したかった。
「ともすれば、東電はすぐに閉じようとする。見えなくなることのデメリットのほうが大きい」
見学を認めるか、認めないかは東電の一存です。そもそも、手続きやルールだってどこまで明確に定まっているのかどうか、わからないままなんです。
だから、僕は東電のドアを叩いたんだと思っています。ドアはもう開いたんです。
今後、もし他の高校から申請があったらどうするのか。県内の高校から依頼があったらどうするのか、東電は答える義務がある。廃炉作業は壁の向こう側の話にしてはいけないのです。
ともすれば、東電はすぐに閉じようとする。見えなくなることのデメリットのほうが大きい、ということは何度でも強調したいと思います。
「学術的に福島に貢献できる最後の論文」
研究者だし、最後まで、誰もやったことのないことをやりたい、とは思っています。ですが、もう僕に残された時間はそんなに多くありません。2017年で東京大学も定年です。
もう次にバトンを渡すことを考えないといけません。
伊達市のガラスバッジ(個人線量計)のデータ、内部被曝検査の解析をしました。これが、僕が学術的に福島に貢献できる最後の論文になるでしょう。
伊達市は全村避難した飯館村に隣接した地域です。福島市の中で比較的、線量が高いところとも接しています。そこに住み続けて普通の生活をした人たちがいるのです。
関わるようになったきっかけは、2014年10月17日の夜、パリで開かれたセミナーでした。宮崎さんが、伊達市の市長に、市のデータをに預けて分析をしてもらおうと提案してくれました。伊達市とは、除染に関わった職員とよく話をしていて、信頼関係も築けていた。
彼らの後押しもあり、市から持っているデータの分析を正式に依頼されました。行政が持っているデータをもとに、学術論文を書くなんてことは普通はありえません。これもつながりです。
僕にとっては、最後にして、とても思い入れのある論文になりました。
いま論文の投稿は完了しました。わかった結果だけ、説明しておきましょう。いままで空間線量をベースに住民の外部被曝を試算していました。ところが実測すると、平均で3倍〜4倍、試算が過剰評価になると言えるようになったんです。
つまり、実際に住民が被曝している量は、空間線量から試算するよりもぐっと低くなる。住宅の中にいた 、会社にいったり、働いたり……。人間は移動し、同じ場所にじっとしていないからです。
これから住民帰還を目指す自治体は、伊達市の実測データをベースに十分、合理的な推測をもとに政策を組み立てることが可能になる。とても重要なデータになると思います。
「事故から5年は乗り切ることができました。でも、それだけでは足りないんです」
少し振り返ると、結局、いままでやってきたことは全部、属人的なものなんですよね。たまたま、適任な誰かがそこにいて、つながりができた。それぞれが重要な役割を担ってくれて、事故から5年は乗り切ることができました。
でも、それだけでは足りないんです。次を考えないといけない。
測ること、伝えること、被曝について……。最初は、僕でないとできないことがあったと思います。でも、いまはそんなことはもうないでしょう。僕でなくても、できる人はずいぶんと多くなりました。
そう考えるとね、なるべく若い人に託したいと思うんです。高校生との時間がなかったら、僕はこんなに福島に関わることもなかった。何度も繰り返しますが、目標は「自分たちの言葉で福島を語ること」。だから、彼らに託せるも.は、託したい。いまはそう思っています。
-----------(引用ここまで)----------------
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