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(回答先: 「太陽光パネル」の危険性が「100万キロワット原発の危険性に勝る」と考えている「針小棒大」な頭のネジの弱い餓鬼んチョの皆 投稿者 知る大切さ 日時 2016 年 9 月 30 日 19:11:19)
68. 2016年10月04日 08:10:04 : TfI3WomM66 : WUcS3qMxxj8[3]
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>66
多摩散人です。
山田征さんに関する理解は、私もあなたとだいたい同じです。しかし、評価は違います。
私の理解では、山田征さんは原発も自然エネルギーも現実の電力政策としては批判し、火力発電に頼るべきだと言っていたと思う。
私はその考えにどうも賛成できない。これは科学的直観に過ぎないので、理論的には説明できないが、文明化の歴史は、地産地消から他産他消へ推移していると思うのです。
蛍の光、窓の雪(照明)、お爺さんは山に芝刈りに(暖房)、お婆さんは川に洗濯に(洗濯)
これが地産地消の基本的イメージです。広く薄く広がっているエネルギー資源を、一人一人の人間が自分に必要なだけ、自分で手に入れる、これが地産地消です。しかし地産地消では、まず都市が出来ません。ということは国家も近代文明も成り立たないという事です。原発による発電は、今のところ、地産地消の対極にある。一か所で、一挙に大量の電気を作り、広い範囲に配るということです。これを原理的に否定することは文明の否定ではないか。もちろん、現時点の技術では原発の危険性を完全に除去することは出来ないというのが事実であったとしても。
私は素人なので哲学的にしか考えない。技術的なことは、専門家が考えて、損得計算するのに任せておけばよい。
あなたは、電力の生産も自由競争に任せておけば妥当な結論が出るというようなことをいつか書いていたが、私もそれに賛成です。
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