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― テレ朝news (@tv_asahi_news) 2016年3月11日
原発事故3年前に 東電「津波対策不可避」の資料(2016/03/12 00:05)
福島第一原発を巡って、東京電力が事故の3年前に「津波対策は不可避」と記した内部資料を作っていたことが分かりました。
ANNが入手した東電の資料は2008年に作られたもので、福島第一原発に押し寄せる津波を試算し、予想される高さは最大で15.7メートルに達すると しています。そのうえで、「現状より大きな津波の高さを評価せざるを得ない」「津波対策は不可避」と書かれています。この資料は、当時の所長も出席した第 一原発内の会議で配られ、「機微情報のため資料は回収」とされていました。東電はこれまで、巨大な津波については「想定外だった」と繰り返し説明していま す。取材に対しては、「当時の津波の検討に関する社内資料の一つであると思われる」と回答しています。
東電、原発事故前に「津波対策不可避」資料 https://t.co/GahTzOIKwV #日テレNEWS24 #ntv
― NTV NEWS24 (@news24ntv) 2016年3月10日
東電、原発事故前に「津波対策不可避」資料 2016年3月10日 22:54
福島第一原発事故の3年前に東京電力が「津波対策は不可避」などとする社内資料を作成していたことが分かった。
日本テレビが入手した資料は「福島第一原子力発電所津波評価の概要」と題されたもので、2008年9月に福島第一原発で行われた会議で配布された。
福島第一原発を襲う津波をコンピューターでシミュレーションした状況などが記され、「現状より大きな津波の高さを評価せざるを得ない。津波対策は不可避」という記述もあった。
この会議には、当時の福島第一原発の所長である小森明生氏らが出席し、議事のメモもあったが、津波想定の資料については「機微情報のため回収」、出席者の発言は「記載しない」などと書かれている。
また別の資料には、原発の敷地に最大で高さ15.7メートルの津波が来ることや、4号機の建屋では津波の高さが12メートルを超えるという試算も掲載されている。
東京電力はこれまで、「これほど大きい津波が来るのは想定外だった」と説明していた。今回、日本テレビの取材に対し、「当時の津波の検討に関する社内資料の1つと思われる」と答えている。
あら?なんでまたこのニュース?
2011/8/14 [NHK-E]ETV特集「アメリカから見た福島原発事故」
平成5年(1993年)東電は非常用発電機を2台に増設。1階に1台あったのをタービン建屋の地下1階に移動してしまった。 そしたら津波で2台とも海水に浸かって使えなくなった。地震に強いという理由だった。
平成5年7月て宮澤内閣が衆議院を解散して選挙してた時か。なんと細川政権が始まる直前。うわー。 政治空白のときに東日本を壊滅すべく1Fの非常用ジーゼル発電機は地下に移動された。
政権交代するくらいならメルトダウンさせるぞーってかw
たぶんそんな土人官僚からのメッセージなんでしょーな。
もともと1階に1台設置されていた。
2台に増設したまでは良かったが、2台とも地下1階に設置してしまう。
1993年にジーゼル発電機の増設を試みたということは東電は
米のBWRの改修を知ってたということになる。
うーむ。これは蒸気凝縮系の配管を撤去してしまったのと同じですなぁ。東電の判断ミスというより別の意図も感じますな。
やっぱ日本人て米製品の設計思想を全く無視してめちゃくちゃに改造して台無しにしてしまうというのはソフトウェアだけじゃないのか。土人は設計ができないという観点だけど、真相はもうちょっとグロいかも。
警察の天下りをいちばん引き受けていたのは東電だった。 まぁそんな天下りの数に見合うだけの政府(警察)からの発注があったと考えるべきでしょ。 ヤクザがプルトニウムを製造してるのだからと、安全装置を外して天下りに換金する。 いつか愚行がバレたときに備えて「原発型自爆テロ」に見せかけるためにこんなイベントを仕込んだ。みたいな。
1982年2月9日 | 「機長やめてください。」日本航空350便墜落事故 |
1983年10月23日 | ベイルート・アメリカ海兵隊兵舎爆破事件 |
自爆テロのウィキ
現代
ベイルート・アメリカ海兵隊兵舎爆破事件の結果。ビルがすっかり吹き飛んでしまっている。
1983年にはベイルート・アメリカ海兵隊兵舎爆破事件が起きた。これは犯人がワゴン車で水などを運搬しているかのように装いつつ大量の爆薬を持ち込みアメリカ海兵隊兵舎を爆破し、兵舎が“吹き飛ばされ”たように破壊されてしまった事件である。
太平洋戦争末期に神風特攻隊が出現して、1983年までの約40年、自爆テロは起きてなかった。 そして1982年2月9日の日本航空350便墜落事故こそ、 精神薬を使った自爆テロの完成と、そのお披露目だったわけですな。
なので1993年に警察が天下り換金を原発型自爆テロで擬装するのは自然な発想だったわけですよw
「米の原発では非常用発電機は異なる場所に設置するのが原則。ブラウンズフェリーにはMarkT型が3基ある。3基の原子炉に対して非常用発電機を8機設置。発電機はそれぞれ異なる4箇所に設置され、さらに防水扉が備えられています。」
ブラウンズフェリーはSCADAまで装備。これとフクイチを比べるとMarkT型という釜だけが同じで他は全く違う代物。
過酷事故対応が必要な事は所員なら誰でも認識していたはずなのにトンズラしたのは致命的。他に蒸気凝縮系を代価策なしに撤去したとか、地下に非常用ジーゼル発電機を移動して津波で使えなくなったとか、日本のムラは何か基本的な適性が欠落してると思う。
ML003719073にバジョロン氏宛のメールが残ってる。
Mr. Kenneth D. Bergeron February 7, 1996
Containment Modeling Division (6429)
Sandia National Laboratories
P.O. Box 5800 Albuquerque, NM 87185-0739
格納容器モデリング部門
MELCORコードの開発者なんだ。すげー。
これ。
のべ20回以上相互に訪問したのに地下に非常用ジーゼル発電機を移動してしまったのか。 ぐげ?やっぱ適正ないんじゃね。これって当時の通産省の相手をしてたSNLのバジョロン氏が率直に間違いを認めたってことだ。
しかし、水没の原因は津波ではないという指摘もある。本当は天井のウォーター・スプレーやプールへの注水が溢れて地下の発電機が水没したというのが真相かも。
プールへの注水量が多すぎるとあふれた冷却水が地下に流れ込む「人工の津波」が起きて、平成5年に1階から地下に移動していた非常用ジーゼル発電機を水没させたというシナリオですな。 津波を乗り切ってもプールへの注水が溢れてやっぱり地下は水没。要するに何やってもダメだったのでしょうな。
東電「津波対策は不可避」 震災2年半前に内部文書
2015年6月19日 朝刊
東京電力福島第一原発事故で、東電が二〇〇八年、同原発について「津波対策は不可避」と記した内部文書を作成し、社内会議で配っていたことが分かった。東 京地裁で十八日開かれた原発事故をめぐる株主代表訴訟の口頭弁論後、株主側の弁護団が明らかにした。これまで東電は「大津波を予測できなかった」と主張し てきたが、事故の二年半前に対策の必要性を認識しながら、先送りした実態が浮かんだ。
文書は、東電本店が作成し、〇八年九月十日に福島第一原発で開かれた会議で配られた。会議では国の耐震安全性評価への対応を本店の担当部署と福島第一原 発幹部が協議し、当時、同原発所長だった小森明生(あきお)元常務も出席していた。機密性が高い情報として、文書は会議後に回収された。
弁護団によると、文書には、福島第一原発沖合を含む海域で、マグニチュード(M)8クラスの地震津波発生の可能性があるとした政府の地震調査研究推進本 部(推本)の予測を「完全に否定することが難しい」と記載。「現状より大きな津波高を評価せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避」と記していた。
東電は推本の予測に基づき〇八年三月、最大一五・七メートルの津波を独自に試算していたが、「試行的な計算の域を出ず、具体的な対策に用いられるものではない」と説明してきた。
閉廷後の記者会見で弁護団の海渡雄一弁護士は「これまでの説明と違い、〇八年の段階で東電は津波対策が不可避だとはっきり認識していたことを示してい る」と指摘。東電側は訴訟の準備書面で、文書について「将来的に何らかの津波対策が必要になる可能性は否定できないため記載した。津波対策として特定の内 容を前提としたものではない」と主張している。
平成5年(1993)に非常用ジーゼル発電機を1階から地下に移動し、2008年3月に15.7mの津波を予想していた。 update6 弁財天
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