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炉心溶融の定義を明記した東京電力のマニュアルのコピー
【原発事故から5年】 東電は何度信用を失えば気が済むのか? 今ごろ事故マニュアルが出てきて「見過ごしていた」はないだろ…
http://www.sankei.com/premium/news/160313/prm1603130023-n1.html
2016.3.14 10:30 産経新聞
なぜこの時期にこんな大事なことが明らかになったのか。東京電力福島第1原発事故から5年。事故を「最悪」にさせたのは、燃料が溶け落ちる「炉心溶融(メルトダウン)」だが、東電は事故当初に「損傷」と言い続け、事故を過小評価してきた。実は社内マニュアルに従えば早期に「溶融」と判断できたのに、5年間も「マニュアルを見過ごしていた」と釈明した。東電は一体、何度信頼を失ってきたのだろうか。(原子力取材班)
■「何のために作ったんだ?」
「じゃあ、マニュアルは何のために作ったんだ? 事故前から事故につながるような東電の体質が表れていたのでは。深刻に反省してもらう必要がある」
原子力規制委員会の田中俊一委員長は3月2日の定例会見で東電を厳しく批判した。
東電のマニュアル問題は、国会にまで波及する。参議院予算委員会は3日、東電の広瀬直己社長を参考人として呼んだ。
広瀬社長は「マニュアルは、業務を遂行する人間は当然知っていなければならなかった」と頭を下げた。その上で「隠蔽するということではなかったと考えている。しっかり調べて再発防止をやっていきたい」と述べ、事実の解明は第三者を交えた調査委員会に委ねるという。
発端は2月24日、東電側から担当記者に「福島第1原発事故当時の通報・報告状況についてレク(記者会見)をしたい」と連絡があったことだ。
この「通報・報告」という伝達方法には問題がある。取材班もはじめ、今頃原発事故の通報について何を説明したいのか分からなかった。
ところが担当記者に説明に訪れた東電の白井功・原子力・立地本部長代理は「社内のマニュアルに、炉心溶融の判断基準があった」とおもむろに話し出した。一転して、「大ニュース」となり、各社の記者の動きがにわかに慌ただしくなった。
■「官邸になぜ知らせないんだ!」と怒鳴り声
時計の針を5年前に戻してみよう。なぜ東電は炉心「溶融」ではなく「損傷」と言い続けたのか。
平成23年3月11日に発生した原発事故ではその日の夜に政府が「原子力緊急事態宣言」を発令した。
その後の解析では、その日のうちに1号機で炉心溶融が始まっていたことが推測されている。翌12日には、当時の原子力安全・保安院の審議官が「炉心溶融がほぼ進んでいる」と溶融の可能性に言及した。民間事故調査委員会の報告書が、当時の民主党政権内の混乱ぶりの様子を詳しく記載している。
報告書によると、審議官の「溶融」発言が官邸に知らされると、官邸中枢が「まだ分からないことをあったかのように言うのはまずいだろう」と異論が上がった。当時の枝野幸男官房長官の不快感は強く、保安院関係者に「まず官邸に知らせないということは何たることだ」と怒鳴り声を上げたという。
その後、審議官は更迭され、東電は「判断する根拠がない」として炉心溶融を否定するという結果を生む。詳しい解析の結果として、東電がようやく溶融を認めたのは事故から約2カ月もたった23年5月15日だった。
保安院も東電との議論の末、同年4月18日に「溶融の程度は燃料を取り出すまで確定しない」として溶融に否定的な見解をまとめている。
■「気付かなかった」は考えにくい
では、「見過ごしていた」というマニュアルにはどう書いてあったか。
マニュアルは平成15年に作られ、「原子力災害対策マニュアル」と呼ばれる。そこには「炉心損傷の割合が5%を超えれば炉心溶融と判定する」との記載されている。
事故発生4日目の3月14日朝には、炉心の損傷割合が1号機で55%、3号機も30%と推定されており、マニュアルに従えば、この時点で炉心溶融と判断できていた。白井氏も「もっと早い段階で炉心溶融と判断できた」と認めざるを得なかった。
東電側は規定の存在を「気付かなかった」と釈明し、社内で情報共有できていなかったという。しかし社内だけでなく、これまで政府や国会などさまざまな事故調査が行われており、この5年間、誰も気付かなかったとは考えにくい。
一つの要因としては、マニュアルは25年12月に全面改定されていることだ。改定により炉心溶融の記載もなくなった。ただ改定作業中になぜ昔の記述を確認しなかったのか。東電は「細かい変更の時はビフォー・アフター(古いものと新しいもの)で調べるが、非常に大きな改定だったので、ビフォーまでしっかりチェックできなかった」と釈明した。
早期に炉心溶融と判断すれば事故対応も変わっていたのだろうか。全電源喪失した第1原発では当時、炉心を放水で冷やすしか手がなく、東電は「収束作業への影響はなかった」と説明する。しかし住民への避難通告はどうだったか。改めて検証する必要もある。
■隠蔽体質は改まるか
今回マニュアルの規定が発見されたのは、新潟県の調査がきっかけだ。
東電柏崎刈羽原発を抱える新潟県の泉田裕彦知事はこれまで、「事故の検証と総括なしには再稼働の議論はしない」と明言してきた。このため、新潟県は独自に技術委員会をつくり、東電に事故検証を求めてきた。知事は特に「なぜ炉心溶融の判断が遅れたのか」にこだわっていたという。
泉田知事はこの10月に任期満了を迎える。マニュアル問題の2日後に県議会で4選出馬を表明しており、柏崎刈羽の早期再稼働は難しくなったといえよう。
新潟から指摘されて、事実を明らかにする東電の姿勢は非難されるべきである。不十分な情報伝達や広報体制は今も続いている。原発事故から5年という節目を迎えても、東電の情報隠蔽体質への不信感は変わっていない。
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