フリーメイソンが日本にやって来た。 1273年 ハプスブルグ家が神聖ローマ帝国皇帝に即位・スイス出身の貴族・ ハプスブルグ家が初めて神聖ローマ帝国皇帝に即位し、1438年以降、皇帝位を独占するようになる。 ローマ帝国(ハプスブルグ家)支配の下で、三つの一族が勢力を拡大していた。 諜報面を担当した、タクシス一族、 郵便事業からヨーロッパ中にネットワークを構築していった。 また、銃などの武器や郵便物から情報を盗み出し、情報収集もしていた。 軍事面では、サヴォイ一族、 暗殺、テロ、傭兵、金貸し、など、(タクシス一族から情報を貰い行動) 財政面では、ロスチャイルド一族、 金融業、ハプスブルグ家やタクシス、サヴォイ一族など貴族の表に出せない金などを管理、運営 タクシス、サヴォイ一族の活動資金も捻出していた。 表だって出来ない裏の組織なので、表では別の家業をしていた。 1360年 フリーメーソン結成(イギリス) ・イギリスの石工職人達が、自分たちの権利(諜報)・技術(暗殺)・知識(買収)が他の職人に渡らないようにロッジで暗号を使用する秘密結社を結成する。(イルミナティ) と、表向きは、石工職人が集まるで感じのいい、友愛結社(フリーメイソン)を結成。 (石工職人は、橋や道路や町の水路や城など、都市のインフラ設備に欠かせない職業だった。情報収集) 1514年〜1517年 大規模な免罪符販売→1517〜1536年 仕組まれた宗教改革(ドイツ・スイス) ・ヴェネチアとの交易で富を蓄えたメイソンメンバーのフッガー家が、ローマ教皇庁に食い込み、 ローマ=カトリック教会に多額の金を貸し付けていく。 借金で首が回らなくなったローマ教皇庁は、免罪符の販売を決断、その販売をフッガー家に依頼した。 フッガー家は免罪符販売及びハプスブルグ家への貸付によって、その財産を拡大させて行く。 ・その免罪符販売の中心地域だったドイツ民衆の反感が強まり、その反発を背景にルターによる宗教改革が始まる(→プロテスタント)。 そして、神聖ローマ帝国(ハプスブルグ家)がヨーロッパのほぼすべてを制覇して、世界進出。 大航海時代、15世紀中ばから17世紀中ばまで続いた、キリスト教・カトリックとプロテスタントを両方、(のちに争わせる為)に布教や武器輸出や麻薬輸出や金、銀、奴隷の確保の為に世界中に航海していった。 主にポルトガルとスペインにより行われた。 ヨーロッパ人によるアフリカ・アジア・アメリカ大陸への大規模な航海が行われた時代。 もちろん、日本にもフリーメイソン・イエズス会が来ている。 年代については1542年説・1543年説やそれ以前とする説など諸説ある。 始めは、友愛のキリスト教を布教して、日本人のフリーメイソンメンバーを育成していった。 表では友愛を語りながら、裏では鉄砲とアヘンを大量に売りさばて人を殺していくのが、彼らの得意なダブルスタンダードな方法である。 たまに、テレビとかで日本の忍びが、CIAやMI6の諜報機関のもとになったとか言ってる人もいるが、 スケールが違います。 ハプスブルグ家の支配の下で、三つの一族が勢力を拡大していた、タクシス一族、サヴォイ一族、ロスチャイルド一族がヨーロッパ全域を情報や物資や資金や兵の流通などの設備を構築していました。 秀吉が中国大返しは、タクシス一族のパクリ? 天正10年6月(西暦1582年6月-7月)、備中高松城の戦いにあった羽柴秀吉が主君織田信長の本能寺の変での横死を知った後、速やかに毛利氏との講和を取りまとめ、主君の仇明智光秀を討つため京に向けて全軍を取って返した約10日間にわたる軍団大移動のこと。 郵便事業の始祖はドイツ名でフランツ・フォン・タクシスという人でした。 その参入のきっかけは、1489年にハプスブルク家の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の郵便物を請け負ったことにあります。 これを契機に、郵便事業の独占と世襲の権利を神聖ローマ皇帝から与えられ、ベルギー、フランス、ドイツ全域、からイタリアの南端まで、ヨーロッパの各地を結んだ郵便事業で巨大な富を得たのです。 タクシス一族の成功の秘訣はA地点からE地点への郵便物を、A地点→B地点→C地点→D地点→E地点と経由させ、馬車で手紙をリレーするというものでした。 この方法は目的地まで同じ馬車で行くより、馬の消耗が少なく、ハイスピードで配達でき、区域も従来の飛脚便よりはるかに大きかったのです。 (これ↑秀吉がやったことを100年くらい前にすでに日常化していました。) フリーメイソンと信長は、関係が深いので、秀吉は信長が暗殺されることを聞いていて、フリーメイソンメンバーが用意された上の方法で中国大返しを成功させた説があります。 こんな感じにフリーメイソンが、キリシタン(フリーメイソンメンバー)を増やして、銃やアヘンを売りつけ金や銀を本国に持って帰って行きドンドン、日本の中枢に入り込んで支配していったのでした。
|